− その6 やっぱり混んでた須川界隈、夕食はいつもの焼肉、翌日は「駒の湯温泉」経由で帰宅 − さーてこのあたりから標高を上げていきますよ! |
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小安峡温泉は観光客のごった煮状態というか、まぁとにかく人と車がわんさかあふれておりました。GWにもよく来ましたが、まぁ何ともこんなに活気あふれる小安峡の温泉街を見たのは初めてだったような気がします。到着前には「隙あらばあの山裾の共同湯に寄ってもいいかなヌフフ」などと内心で不敵な笑みを浮かべたりしていたTakemaですが、この混雑にすべてを断念し、奥の大湯温泉はどうしようかなと一瞬思いましたが(実は提灯系のお宿にはまだ未入湯)、まぁどうせ混んでるだろうというわけでそのまま通過。R398を上がっていきます。 |
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うん、紅葉がかなりイイ感じになってきました。そんなわけで須川湖を過ぎ、横手方面からのR342と合流すれば、秋田側の栗駒山荘まではもうあとわずかなのですが‥ |
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おそらくは栗駒山荘及び公共駐車場が満車御礼ということなのでしょう。となると車列はじわりじわりとしか進みません。うーむ‥ハイ決めた、引き返します!(あっさり撤退)。須川の2湯は当然入浴済みですし、お風呂もごった煮必定ということであればねぇ。 |
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そんなわけで一気に温湯まで下ってきましたが、ここも駐車場満車状態ということでそのまま通過。次に車を止めたのは‥ |
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道の駅路田里はなやまでありました。考えてみればここまでお昼ごはんを食べないままでしたが(鬼首の直売所で大盛り豚汁&漬け物を食べていたので)、さすがにそろそろお腹が減ってきました。でもこの時点ですでに14:15、今宵の夕食は東鳴子の某焼肉店で温泉仲間の皆さんとの「会食」なのですから‥というわけで、お好み焼き*1を2人で分け分けしていただきました。ちなみにこのお好み焼き、元関西人のおしんこどんをして「これ、オイシイ。」と言わしめるほどの逸品でした(よっぽどお腹が空いていただけなのかも知れませんが)。 |
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さすがに標高が低いので紅葉はまだだろうと思っていたのですが、ごく一部だけいい感じに色づいていたので満足です。荒湯地獄のメインじゃないほうの入口をロストし、でもまぁ沢の方から人の声が聞こえていたのでまぁいいやというわけでさてさて帰りましょと思ったら‥。 |
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でもまぁこの界隈の道路事情についてはそこそこ頭に入っているので問題はなし、一旦県道まで戻ったところでR108に繋がるダート路を下っていけばいいのさと。ダートではありますが、この道は冬季も地熱発電所に出入りする車のために除雪されているのじゃないかなと思います。あえてダートのままなのはスリップ防止のためなのかなと(未確認ですが)。 |
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てくてくと江合川沿いを歩いていきます、陸羽東線の列車も「頑張ってね」とエールを送ってくれていました(うそつけ)。 |
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「高友旅館、こんなにやる気を見せていた時代もあったんだ」としみじみ。そういえば「たかともワンダーファーム」という別の(広大な)施設もあったようですね(休業中)。そんなわけで歩いていくと、ちょうどマスターの「出勤時間」と同タイムでした(笑)。 |
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そんなわけでいつもの店内へ(とはいえまだたぶん5-6回目のおじゃまだと思うんですが)。さーて飲み出しますよ食べますよ! |
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はい、いつものメンバーで乾杯です。おっと、焼酎名とHNが合致するキープボトルも出てきました!(笑)。 |
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ちなみにネットでは絡んでいながらも初めてお会いできたYさん&前回もここでお会いしたにもかかわらず言葉を交わす機会がなかったSさんほかともお話しする機会を得られてはなはだ満足いたしました。「ここに来ればビッグネームにお会いできる」ってこのことかと理解(嬉)。 |
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さてこのあとは某車にてご送迎いただきそのまま阿部旅館でぺったりぬりかべ的就寝(いや寝る前にもう1回入浴しましたが=アブナイ)。で、朝になって駐車場を見てみると‥ご覧のとおりの満車御礼、ここには見えていない車を含めれば10台くらい+バイク数台の盛況でありました。さすが三連休、いやそれよりも「阿部旅館さんの集客力ここに極まれり」ということなのでしょう。 |
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2泊目の朝ごはんもしっかりいい感じです。7時半過ぎに朝ごはんをいただき、急ぐつもりもないので8時半過ぎに最後のお風呂をいただきます。連休最終日とはいえ皆さんのんびりしていて、たとえばこの湯上がりタイムでもライダーさんほかほとんどのお客さんがまだ出発していませんでしたっけ(右上画像マウスオン)。 |
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まずは「なるまん」ほかを買いにまるみストアーへ。何だ全然切迫感ないですね(笑)。 |
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そう、この日の朝の鳴子はほぼ曇りなれど時折日も差すそこそこの天気でありました。で、昨晩の宴会で温泉仲間の方から聞いた話が気にかかる‥というわけでここ鳴子からちょろっと北上してみることに(「あのぉ、着実に台風は近づいてるんですよぉ♪」=闇に葬られた天使の声)。 |
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さてやってきたのは栗駒山の東側に位置する駒の湯温泉でありました。東日本大震災の陰に隠されて思い起こされなくなった自然災害地といえば、自分も「長野県北部地震(栄村大震災)」(2011/3/12、M6.7の直下型地震)や「新潟・福島豪雨」(2011/7月末、只見川の発電用ダムの急激放流による被災)のことを自サイト内のいくつかのページで綴ってきました(栄村大震災についてはこちら、福島豪雨についてはこちら)。 |
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ただしちょっと目立たないのが難点のど飴系です(左上画像の詳細説明看板は右折後に初めて出てくるわけですし)。もっと目立つような看板及び自己主張系の幟でいいんじゃないかなと思います。そんなわけで坂を下っていくと‥ |
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そして山裾沿いに最後はダート路を進んだ先に「駒の湯温泉さんが復活に踏み出した最初の拠点」がありました。土日祝のみ営業の「足湯」現地受付です。 |
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そのお話の最初のきっかけは「ぽちさん」でした。Takemaの数少ない温泉仲間であり、かつ東日本大震災後仙台から被災地の状況を日々綴ってくださったぽちさん。千葉在住ゆえそうそう現地情報を知り得ないTakemaにとって、ぽちさんの情報はとてつもなくリアルタイムであり、その情報を糧にして自分もいくつかのご援助をすることが出来ました(一応現在進行形)。 |
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ご夫婦は「今は足湯ですがゆくゆくは日帰り入浴施設を造りたい、『駒の湯』の名を冠した施設を残したい」とおっしゃっていました。また「若い人にも『ここに駒の湯あり』との主張をしていきたい」という未来志向の発言をなさっていました。ならば! |
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「何らかの形」と書いたのは、あくまで復活の形態を考えるのは土地&源泉所有者たる駒の湯のご夫婦にあり、外野たる自分がああだこうだと勝手に動く筋合いはないということです。 |
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ところで現地受付(兼休憩所)には、震災前の駒の湯温泉の建物画像がありました。この1階部分は沢の源流部が大雪渓と共に崩落したことによる土石流の土砂で埋まったということですからそのすさまじさがわかります。ただしこの建物は当初その土石流にも耐えました。そのことは当時のご夫婦にとって「せめてもの救い」であるように感じられたようです。ただいずれにせよ「今はなき」ということになってしまったわけですが‥ |
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というわけで県道まで戻ったところにあった「山脈ハウス」に寄ることに。本当は手打ちの蕎麦で〆たいところなのですが、いかんせん下調べがゼロなのと(いつものお約束)、旧栗駒町中心部まで戻れば飲食店はあるでしょうが時間的に昼の部終了という憂き目をみそうな感じでしたので‥。 |
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遠目から「うどん・そば」と書かれているのを発見し、「ああ、ここはうどんも蕎麦も期待できなさそうだな」と勝手に直感。蕎麦なら蕎麦、うどんならうどんで勝負しているお店こそ当たりの確率が高いと思うので。でも北東北では蕎麦と中華麺が普通に同居したりしていることも多いので油断は禁物なのですが(笑)。 |
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ここ栗駒山麓は岩魚養殖発祥の地だということもあり(後付け知識、この時は幟を見て「ふーんこれがこちらの売りなんだ」と考えて)岩魚丼を注文しました。でもですね‥ |
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ちなみに駒の湯のある耕英地区ではいくつかの食事処がタイアップしてそれぞれの「岩魚丼」を出しているようです。その選択肢内であれば自分としては蒲焼き風とか卵とじかな。でも産直ならやっぱりお刺身が食べたいですよ。寄生虫の関係もあって難しいのはわかりますが、そこはやっぱり発祥の地としてのプライドを以て何とか克服できませんかね? |
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おしんこどんはお蕎麦を注文。そっちのほうがよかったなぁ。ちなみにこちらの施設にはかけ流しの入浴施設もありましたが、駒の湯温泉の湯を身体にまとったまま帰りたかったので入浴はしませんでした(うそつけ脱衣場をちらりと見たら混んでいそうだったからやめただけだろ(苦笑))。 |
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というわけで(このまま自宅に帰っても何も食べるものもないので)、自宅近くでお寿司(回るやつね)夕食といたしました。上画像は直接注文なので大皿盛りですが、このあとはもちろん丸皿でしたよ。 |
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