−その10 大船渡津波伝承館でお話を伺い南リアス線に未来を見る −
へ?なぜにこのタイミングでタバコ買ってるのか?(笑)。それはともかくさいとう製菓さん中井工場へ。
(2014/7/29 その2) |
|
この日10時の参加者はわれわれを含めて7名。まぁお盆前の平日ど真ん中ですからね。まず最初に例のビデオ(YouTubeにアップロードされた生動画)のダイジェスト版を視聴。事前に見ておいてよかったです。じゃなかったら涙が止まらなかったかも。 |
会場内には津波到達を知らせる看板が飾られておりました。これは実際に旧本社の被災社屋に設置されていたもので、建物の画像をよく見ると青い看板が写っているのがわかります。残念ながら社屋は2014春に解体されてしまいましたが、今後この伝承館を別の場所で本格オープンさせる計画があるとのこと。わたしも僅かながら寄付してきました。 |
|
ここ大船渡にあった北里大学海洋生命科学部。現地での再開は成らず相模原のメインキャンパスに移転してしまったようです。しかしその一方で、大型客船の入港など明るい話題もあります。大船渡市の海岸沿い中心部は大きな被害を受けましたが、盛駅の北側や高台を通っていたR45沿いの市街地は難を逃れました。中心部が全てやられた陸前高田とは状況も復興への手順も変わってくることでしょうが、次回訪問時にはどのように変わっているかを楽しみにしたいと思います。 |
|
さて見学後はとりあえず盛駅へ。JRと三陸鉄道の駅が並んで建っていますが、ここには震災後も訪問したことがありますが(2012年GW。このページ参照)。あの時は三陸鉄道もJRのBRTもまだ動いていなかったことを思えば「一歩前進」であるのは言わずもがなです。ちなみにJRの駅舎はリニューアルしてお洒落になってますね(右上画像にマウスオンすると2012/4当時の画像に変わります)。それでは駅構内をのぞいてみましょう。 |
まずはJR駅。はやてくんとこまちさんがお出迎えですが、こまちさん、何か困ったことでも?(右上画像マウスオン)。 ちょっと無機的なJR駅とは違い、さんてつのほうはほのぼの感と「わが道系集客」が色濃く伝わってきます(笑)。 |
|
さてJR大船渡線のBRT化に伴い、ここ盛駅の1.2番線ホームの線路部分も舗装化されました(1番線は降車専用、2番線が乗車専用、三陸鉄道は3番線を使用)。何だかちょっと不思議な風景でもあるのですが、そのことにより駅構内に「横断歩道」が設けられ、2.3番線に行くのにも跨線橋を使う必要がなくなりました。よって、跨線橋部分はちょっとしたギャラリーとして利用されているようです。しかしやっぱりそこには津波がれきのデッサン画があったりするわけで(右上画像マウスオン)、まだまだ「心の復興」はちっとも進んでいないのだなと‥。 |
(ホントに時刻表とかで確認していたわけでも何でもないので‥) |
|
なるほど、この車両はクウェートからの支援によって導入された車両なのですね。震災後かなり早い時期にクウェートが日本に資金援助の手を挙げ、その一部が三陸鉄道に提供されたという話は聞いていましたが、こうしてその実物を見るとあらためて感謝の意を強くします。 |
(2014年7月31日現在 日本赤十字社発表。ソースはこちら(PDF)) |
本当にありがたいことです。ちなみに三陸鉄道にはうち12億円あまりが拠出され、レトロ列車を含む車両の導入ほかに使われたそうです。さてそれではここでいつもの動画です(到着時と回送で車庫入りするときのもの)。 |
このあとは再び北上開始。同じ大船渡市でも北部の吉浜地区は、過去の津波教訓から高台移転が済んでおり、今回の津波でも被害が最小限度に抑えられたエリアです。どこもそうであったとしたら‥いや、起きてしまったことをとやかく言っても仕方がありません。大切なのは「今度こそ住むところをなし崩しにしないこと」だと思うのです。 |
うーん、幟とは裏腹にあまり活気を感じない駅前です。商業ビルも中は時が止まったような感じ。 |
三陸鉄道南リアス線とJR釜石線(山田線は震災被害のため運休中)が接続する駅なんですが、やはり宮古方面への山田線が復旧しないことには鉄道を利用する観光客も伸び悩むでしょうしねぇ。海産物を売るエリアにも人は閑散。宮古の魚菜市場のように地元の人が買いに来ているでもなく‥あのぉ、大丈夫なんですか釜石?と心配になるくらいでした。平日の昼間に訪れたからだと思いたいのですが‥。 |
|
結果として「駅前食堂」にてラーメンを注文。「何だかとっても昭和な感じ」でその雰囲気は結構好きでしたよ(笑)。ちなみに中央画像の炒飯セットを注文したのはもちろんおしんこどんです。わたしは普通に「冷風麺(冷やし中華)」単品で餃子は2人で分け分け、これで十分です(おしんこどんは時々大物に挑戦するよなぁ)。 |