−その10 大船渡津波伝承館でお話を伺い南リアス線に未来を見る −



へ?なぜにこのタイミングでタバコ買ってるのか?(笑)。それはともかくさいとう製菓さん中井工場へ。

(2014/7/29 その2)

さてお腹は急降下中なのですが、山越え区間のR45、そして三陸道開通区間にはトイレなどなし。大船渡市内に下りてからコンビニ‥あったぁやったぁ心の旅路の三度笠!(自分でも意味不明)。というわけでコトなきを得たお礼にタバコを購入したというわけです。ちなみにセブンスターの場合1箱につき約112円が地元市町村の収入となるようですから、およそ1120円を大船渡市に寄付したと考えることにしましょう(笑)。

さてそんなわけで9:50にさいとう製菓中井工場に到着です。さいとう製菓さんといえば銘菓「かもめの玉子」の製造販売会社なのですが、大船渡の駅近くにあった本社は津波で全壊。その時の様子はビデオで克明に記録されており、YouTubeなどで今も見ることができます(動画への直リンクはこちら)。わたしも初めてこの動画を見たときは唖然というか絶句というか‥。

幸いなことに主力の工場などは内陸に立地していたことから津波の被害はなく、現在震災前と同様正常に稼働しているわけです。しかしここ大船渡で起こったこと、そして津波を通して考えたことや心構えなどを伝えていくため、現在工場内の会議室を利用して語り部事業を行っているというわけです(ちなみにこの津波伝承館はさいとう製菓とは別組織の社団法人として運営されています。公式ページはこちら)。

この日10時の参加者はわれわれを含めて7名。まぁお盆前の平日ど真ん中ですからね。まず最初に例のビデオ(YouTubeにアップロードされた生動画)のダイジェスト版を視聴。事前に見ておいてよかったです。じゃなかったら涙が止まらなかったかも。

このあと、津波に関わるさまざまなお話をいただきました。「津波で死ぬというと溺死だと思うでしょう、実際はがれきに挟まれて遺体はひどいものです。顔の表面が全部そぎ落ちていたり、完全につぶされていたり」「見つからない親族を探しに行き、見つからないので帰ろうとしたときツンツンと引っ張られた。あとでわかったことですが、まだそのとき親族はその安置所にいた」「物がないことがかえってしあわせ?」等々。いろいろ伺いましたがここに書いてしまうとネタばらしになってしまうのであえて省略。いずれにせよ、その場に居続けた方でなければわからない貴重なお話でした。

あとでわかったことですが、この日お話し下さったのはさいとう製菓の元専務さん。たまたまこの方へのインタビューページを見つけたのでご参考までに(直リンクはこちら)。

会場内には津波到達を知らせる看板が飾られておりました。これは実際に旧本社の被災社屋に設置されていたもので、建物の画像をよく見ると青い看板が写っているのがわかります。残念ながら社屋は2014春に解体されてしまいましたが、今後この伝承館を別の場所で本格オープンさせる計画があるとのこと。わたしも僅かながら寄付してきました。

ここ大船渡にあった北里大学海洋生命科学部。現地での再開は成らず相模原のメインキャンパスに移転してしまったようです。しかしその一方で、大型客船の入港など明るい話題もあります。大船渡市の海岸沿い中心部は大きな被害を受けましたが、盛駅の北側や高台を通っていたR45沿いの市街地は難を逃れました。中心部が全てやられた陸前高田とは状況も復興への手順も変わってくることでしょうが、次回訪問時にはどのように変わっているかを楽しみにしたいと思います。

さて見学後はとりあえず盛駅へ。JRと三陸鉄道の駅が並んで建っていますが、ここには震災後も訪問したことがありますが(2012年GW。このページ参照)。あの時は三陸鉄道もJRのBRTもまだ動いていなかったことを思えば「一歩前進」であるのは言わずもがなです。ちなみにJRの駅舎はリニューアルしてお洒落になってますね(右上画像にマウスオンすると2012/4当時の画像に変わります)。それでは駅構内をのぞいてみましょう。


まずはJR駅。はやてくんとこまちさんがお出迎えですが、こまちさん、何か困ったことでも?(右上画像マウスオン)。



ちょっと無機的なJR駅とは違い、さんてつのほうはほのぼの感と「わが道系集客」が色濃く伝わってきます(笑)。


さてJR大船渡線のBRT化に伴い、ここ盛駅の1.2番線ホームの線路部分も舗装化されました(1番線は降車専用、2番線が乗車専用、三陸鉄道は3番線を使用)。何だかちょっと不思議な風景でもあるのですが、そのことにより駅構内に「横断歩道」が設けられ、2.3番線に行くのにも跨線橋を使う必要がなくなりました。よって、跨線橋部分はちょっとしたギャラリーとして利用されているようです。しかしやっぱりそこには津波がれきのデッサン画があったりするわけで(右上画像マウスオン)、まだまだ「心の復興」はちっとも進んでいないのだなと‥。

さてそんなわけでホームでうろうろしていたら何やら遠くから物音が‥

(ホントに時刻表とかで確認していたわけでも何でもないので‥)

なるほど、この車両はクウェートからの支援によって導入された車両なのですね。震災後かなり早い時期にクウェートが日本に資金援助の手を挙げ、その一部が三陸鉄道に提供されたという話は聞いていましたが、こうしてその実物を見るとあらためて感謝の意を強くします。

と、ここで東日本大震災に関してクウェートからの援助がどれくらいあったのかをちょっと調べてみてビックリ。

(2014年7月31日現在 日本赤十字社発表。ソースはこちら(PDF))
本当にありがたいことです。ちなみに三陸鉄道にはうち12億円あまりが拠出され、レトロ列車を含む車両の導入ほかに使われたそうです。さてそれではここでいつもの動画です(到着時と回送で車庫入りするときのもの)。



このあとは再び北上開始。同じ大船渡市でも北部の吉浜地区は、過去の津波教訓から高台移転が済んでおり、今回の津波でも被害が最小限度に抑えられたエリアです。どこもそうであったとしたら‥いや、起きてしまったことをとやかく言っても仕方がありません。大切なのは「今度こそ住むところをなし崩しにしないこと」だと思うのです。

その点、陸前高田のように中心部全域に「もはや家がない」ところはかさ上げ地以外には住めないのですからまだいいとして、たとえば宮古のように「流された家も流されなかった家もある」ところなどはどうやって居住可能範囲を設定しているのか‥。

さてそうこうしていうちに釜石までやって来ました。駅前には商業ビルがあるというし、まぁお昼ごはんにはちょうどいいだろうと思ってやって来ましたが‥


うーん、幟とは裏腹にあまり活気を感じない駅前です。商業ビルも中は時が止まったような感じ。


三陸鉄道南リアス線とJR釜石線(山田線は震災被害のため運休中)が接続する駅なんですが、やはり宮古方面への山田線が復旧しないことには鉄道を利用する観光客も伸び悩むでしょうしねぇ。海産物を売るエリアにも人は閑散。宮古の魚菜市場のように地元の人が買いに来ているでもなく‥あのぉ、大丈夫なんですか釜石?と心配になるくらいでした。平日の昼間に訪れたからだと思いたいのですが‥。

結果として「駅前食堂」にてラーメンを注文。「何だかとっても昭和な感じ」でその雰囲気は結構好きでしたよ(笑)。ちなみに中央画像の炒飯セットを注文したのはもちろんおしんこどんです。わたしは普通に「冷風麺(冷やし中華)」単品で餃子は2人で分け分け、これで十分です(おしんこどんは時々大物に挑戦するよなぁ)。

さて食事を終えたらさらに北上です。とはいえこの日の目的地は宮古の南の山田町なんでもうそう遠くもないんですけれどね。まだちょっと寄り道しますが早めに宿に着くのもいいかなと。


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