− その12 復興への道のりはまだまだ遠いが少しずつ‥三陸沿岸地域(2) −

気仙沼市に入ってしばし、道の駅大谷海岸にてちょっと休息というか何か買いましょう(笑)。2011夏には営業していなかったというかまだ仮設の建物すらなかったような気がします(記憶違いであればごめんなさい)。でもこうやって復活しているとほっとしますね。花が多く売られている(切り花ではなく花の苗)のは観光客向けではなく地元の方々の生活に少しでも潤いをということなのでしょう。まだまだ商店が少ない被災地ですから‥

マガレイ(一尾)300円、型のいいアイナメが1000円だったりします。もちろん冷凍なんかじゃなく地元水揚げの魚です。しかし旅行中なのでこれは買えません!そんなわけで塩蔵わかめとヨーグルトなどを購入しました。「モーランドヨーグルト」(右上画像マウスオン)は、何だか懐かしい瓶入りヨーグルト系の味で美味しかったです。Takemaは今ふう系よりもあの味のほうが好きなんで‥。

GWという時期柄、ツーリングライダーの姿も多く目にします。実は昨年も思ったのですが、福島の浜通りなどでも県外ナンバーのライダーの姿を多く目にしました。きっといろいろな思いを胸にして被災地を回っているのでしょう。率直に嬉しいぞ。あ、Takemaがとんとバイクで遠出していないというのはここでは言いっこなしね(苦笑)。

さて気仙沼市内中心部手前からダイレクトに魚市場方面を目指します。すると市道とおぼしき道は、かさ上げはなされたとはいえいまだに未舗装のまま(あ、でもまたバイクが止まってますね)。ちなみに港周辺の土地は今後道路のみならず全体が1.8mほどかさ上げされるのだそうです。地盤が沈下し排水も思うようにならない現状ではやむを得ないことなのでしょうが、そうなると「流されずに残った建物」も何らかの対応を余儀なくされるということですよね。



まぁ、港沿いのこの状況をみるにやむを得ないのだとは思いますが‥右上画像、阿部長さんのこの工場はどうなるのかな。



港湾施設の端っこは震災直後のままでしたが、すでに気仙沼港には魚の水揚げが始まっています。ただ加工工場はまだまだ。

いっぽうで、流されずに残った一般の建物は何とも切ないことになっていました。両上画像の建物は津波が1階を突き抜けたことがまざまざとわかります。そしてそのまま建ち続けているところに何とも言えないむなしさを感じます。また、別の場所には「バスの墓場」も‥(右上画像マウスオン)。津波が押し寄せるまさにその当日まで元気に働いていたはずなのに。建物もバスも、そしてもちろんここにいた人々も。

そして、またやってきてしまいました。「あの場所」、すなわち「気仙沼ホテル&ゑびす振舞」のあった場所に‥。



2010の体育の日絡み連休に訪問した際には、大潮によりこのあたり一帯が冠水していました。左上画像のGSでも「こりゃ商売にならないなー」という感じで店員さんが途方に暮れていたことを思い出します(宿の女将さんも「驚いたでしょう?年に数回こんなことになるんですよ」とおっしゃっていました)。そして右上画像のあたりには民家が建ち並び、夕食後の家族団欒の声が道路まで聞こえていたことを思い出します(その時のページはこちら)。しかし今は何もありません。

ただ、「何もない」といってもそれは上屋だけの話。ここ気仙沼ホテル&ゑびす振舞の方々は皆さん無事でした。しかしこの場所での営業再開は不可能なそうなので別の場所を探すしかなく、また資金面その他において大きな困難があるということは事実のようですが、こちらの関係諸氏は何らかの形での「再興」を目指して頑張っておられます。そんな方々を応援するために‥

「旅館サポーター制度 種たね」。こちらの中に「気仙沼ホテル」のサポーターになる登録サイトがあります。他の(現存する)宿と違い、現在営業しているわけではないので前払い金は不要です。でも、今後再開に向けた動きがあったときには必ずや連絡があるはず。その時は是非皆さまよろしくということでっ!

ちなみにこのあとこの重機等で解体工事が行われたそうで、おそらく今(2012/6末)となってはゑびす振舞の建物も残っていないのでしょうね。最後の勇姿(ちょっと悔しい姿でしたが)を見ることができてよかったと思います。ではでは、動画もご覧下さい。
「ゑびす振舞」を見るのもこれで最後でしょう‥。
さてそろそろ昼食です。実は全然下調べしていなかったので港沿いにある「お魚いちば」に行ったのですが、実はこの近くに「気仙沼横丁」があったので、知っていればそちらに行きたかったとちょっと残念。でも、気仙沼市内でお金を使えば間違いなく気仙沼の経済は回るはずだしと勝手に判断(笑)。あ、ここは阿部長商店さん直営のようでした。



港の真ん前ですからここも相当に「深い水塊」に見舞われたのでしょうが、完全に復活していました。お土産も買いましたよ。

さてお昼時なのでレストランは結構混んでいて待ち時間あり。でもこれがおしんこどん母子のおみやげ物色タイムとしてはちょうどよかったかと。というのは、Takemaのペースだと「さっさと食べてさっさと出発」になってしまうので(笑)。

さて順番が回ってきましたが、実は自分も含めてさしてお腹は減っていません。というのもここ数日旅館泊まりにもかかわらずさして運動していないフォアグラ状態なんです(笑)。そんなわけで右上画像の海鮮丼(1500円)レベルを頼んだのはTakemaだけで、おしんこどん母子はもっと軽いものを頼んでおりました(右上画像マウスオンでイチジク系のデザートに変わります)。

さて、ここからは市内を鹿折地区へと北上します。「市内を」とわざわざ書いたのは、実は昨年夏の時点では鹿折地区はまだ建物の解体等が進んでおらず進入禁止になっていたからです。今回確かに県道24号は通れるようになっていましたが両側は広大な空き地になっていました。そしてそのすぐ脇には‥



船の名前は「第十八共徳丸」。船主の方はは移動および再利用の権利を放棄しているそうで(そのことについてとやかく言うつもりはありません)、気仙沼市は復興祈念公園等における実物オブジェとしての展示を考えているという話もあるようです(未確認)。

実は2011夏には別の側からこの船を見ていました。それはJR鹿折唐桑駅側からだったのですが(上画像マウスオンでその時の画像に変わります)、当時はまだ撤去されていない家々や商業施設などもたくさんありました(その時のページはこちら)。しかし今は誰もがこの船の脇まで来て、極端な話「船体に直接触れる」ことすらできる状況ですです(わたしは触りませんでしたが)。

しかしここは被災地。看板にもあるように十分な配慮や気遣いが求められているのは確かなことです。船の前には祭壇が設置され、大黒天様?が安置されていますが、その大黒天様でさえも傷ついておられることを忘れてはなりません(右上画像マウスオン)。ここ、そして三陸の海岸沿いにおいて「あの日何が起こったのか」。その現実を踏まえた上での謙虚な行動を、特に観光でこの地を訪れる人に求めたいと思います(いや、現段階で問題があるのかどうかはわかりません。でも、震災の記憶が風化するとともに「不逞の輩が現地の気持ちを踏みにじる行動に出る」というのは広島の祈念公園のように大いにあり得ることですので‥)。



この船の現在の主はスズメかも知れません。どうやらここが安住の場だとわかったようで‥(右上画像マウスオン)。

さて、この船のすぐ裏にはJRの駅があります。それは「鹿折唐桑駅」。そんなわけでちょっとそちらへと向かってみました。

コブシの花が満開でしたが、もちろん大船渡線は現在に至るまでなお不通です(上画像マウスオンで2011夏の駅近くの路盤を撮影した画像に変わります)。で、こんなニュースもありました。いずれ閲覧できなくなってしまうと思うので引用させていただきます。
【山田線「BRT」で 仮復旧、JR提案】(2012年6月26日 朝日新聞)

被災したJR山田線を巡り、沿線4市町や県などで作る公共交通確保会議が25日、宮古市役所で開かれ、JR東日本が山田線をBRT(バス高速輸送)で仮復旧することを正式提案した。鉄橋などは直さず8割強は一般道を走るとしたため、効果に疑問の声が上がった。被災路線のBRT化提案は気仙沼線に次ぎ二つ目。大船渡線も検討中だ。

会議は、本復旧をめざす復興調整会議とは別に、当面の住民の足確保をめざすもの。首長、県の担当部長らが出席した。

JRによると、山田線の宮古―釜石間(55・4キロ)では、21・7キロが浸水、13駅中4駅や線路の1割、鉄橋など6カ所、盛り土10カ所が破壊された。本復旧は安全の確保、まちづくりとの整合性など、各地で課題が多く、資金調整も含め相当時間がかかるとし、仮復旧を提案した。JRが運行主体になり、車両も買う。

BRTは鉄道の敷地を舗装して専用道にする。だが山田線は被災した鉄橋が多く、鉄路が山側に大きく迂回(うかい)している部分などは、並行する国道45号を走る。専用道は釜石市鵜住居から大槌町にかけてなど約10キロにとどまり、宮古市内などはほとんど国道45号という。このため、BRTのメリットである定刻を守れるか、高速で走れるかは微妙だ。

年内にもBRT化する予定の気仙沼線は6割程度が専用道。山田線に並行する45号は震災前から民間バスが走っており、首長から「メリットは」「バスと共存できるのか」と質問や疑問の声が相次いだ。国費で復旧中の三陸鉄道の南北リアス線を結ぶ山田線がバス化する影響を懸念する声も出た。本復旧の費用や見通しについてもJR側は答えなかった。

会議は非公開。地権者との調整が必要などとしてルートも明らかにしなかった。終了後、JRの山口保幸・総合企画本部復興企画部担当部長は「仮復旧の手法として説明した。費用はJRが持つ」と話した。

司会を務めた宮古市の山本正徳市長は「軽々に良い、悪いは言えない。早く結論を出し、鉄路復旧をめざしたい」と語った。

■ルート案の概要判明 鉄道敷地使用4カ所のみ

JR東日本が地元に示した山田線のBRTルート案が25日、関係者への取材でわかった。JRが示した案は使える鉄道敷地は使うが、敷地を使えない部分は一般道路で代用する、ということに過ぎない。

案によると、宮古市内は、市街地中心部を東西に結び、国道45号で南下した後、磯鶏付近は鉄道敷地を使うが、その後はほぼ国道に沿う。そ れ以南で鉄道敷地を走るのは山田町豊間根付近、大槌町吉里吉里付近、大槌・釜石の境付近から鵜住居にかけてだけだ。この結果、鉄道敷地を使うのはわずか4カ所で一般道部分が8割に達する。

ただ、ルート案は今後の自治体のまちづくりによって変更される可能性がある。市街地や住宅地をどこに設定するかによって、停留所の位置も大きく変えざるを得ないからだ。首長らからは「これでは普通のバス路線では」という声が出る。運行主体はJRだとしても、付近を通るバス会社と競合することになり、従来のバス路線が統廃合されるのは必至だ。

JR側は、仮復旧の対応について、運賃を鉄道と同程度にし、増便や駅の増設も進めるとしているが、その間に、肝心の鉄道路線の復旧を進めるかどうかについては明言しなかった。このため自治体の担当者らからは「仮復旧とは言うが、なし崩し的にBRT路線を定着させるのでは」との見方がもっぱらだ。

本復旧に向けてJRは、交差点や盛り土などへの対応について多額の費用が発生することも指摘した。一方、自治体にも線路を二番手の防潮堤代わりに考えるなど、様々なもくろみがある。ただ、現状の放置は最悪だ。BRTの長所・短所を網羅しつつ、早期に合意をはかる必要がある。

(ニュース記事への直リンクはこちら
うーん、難しい問題です。「鉄道がなくなってから栄えた町はない」という意見もありますが、そもそも地域経済が斜陽化したから鉄道廃止の憂き目をみるわけで、論理的に正しいわけではありません。ただし鉄道が「目に見える他地域とのつながり」を意味する以上、その影響が廃止後の市町村に意識下での「負の心理」を抱かせることは言うまでもありません。「困難だし赤字覚悟ではあるが(建設も運営も)復興の灯の象徴として輝かせる」「早くスタートできるが復興の灯の象徴にはなりきれない」、どちらをとるべきなのか‥。

ただ、復興はスピードが大事です。わたしとしては「競合するバス会社の路線も含めてBRT路線を利用できる区間は利用するようにして(または共同運行という形でもいいと思います)、まずは「新たな形でつなぐこと」が大切だと思っています。そのうえで復旧に向けての国費補助を要求していくのが流れなのかなぁと思ったりもします。

ちなみに気仙沼から陸前高田にかけての区間の大船渡線は山側を通っています。この区間は一部の被災エリアに何らかの対策を施せば鉄道での復旧も可能なように思えるんですけれど‥。気仙沼駅からしばらくの区間は津波がかぶったとはいえ路盤は無事のようですし、陸前高田の海沿い市街地は壊滅的な被害を受け町そのものが残っていませんが、津波の被害を受けなかった地域の線路に仮駅を作り周辺を整備して、そこから大船渡方面はとりあえずBRTというのはアイデアとしてだめかなぁ。

話が鉄道の方に寄ってしまいましたが、まだ先へ進まなくてはならないのでこの話はこの辺で終了。続いてはその陸前高田へと進みますが‥



まだ命があるのか、それとも枯死への道のりがただゆっくりなだけなのかはわかりませんが、頑張れ一本松!ちなみに若苗はすでに育てられているということでしたよね。しかし、ここ陸前高田市はこれまで移動して見てきた各市町村に比べて復旧のペースが遅いのかなぁという気がしました。

それこそ高田の一本松のすぐ脇でも、そして国道のすぐそばでもまだまだ重機が活躍中。今回は石巻から北上してきましたが、「すぐ脇で重機」というのはここだけでした。もちろんそれだけ「被害が大きくて」というのはあるのでしょうが、陸前高田が元気になるまでにはまだ時間がかかりそうだという印象を受けました。



運動公園は瓦礫置き場となり、かつて千昌夫氏が建てたホテル(今は別資本)もいまだに放置中(両画像ともマウスオンで2011夏画像に変わります)

さて大船渡へと向かいます。実は大船渡市街には震災前後を含めて入ったことがありませんでした。そもそも大船渡近辺に初めて来たのが2010/10、その時にはすでにバイパスが開通していたんです。

しかしこの大船渡周辺もかなり津波の被害を受けています。ふとふり返れば、震災後かなり早い時期に「かもめの卵」で有名なさいとう製菓さんの建物が津波で流される動画を目にした記憶があります。今調べてみたら、その時の動画とは違いますが「さいとう製菓社長さん」が撮影したという(未確認)動画がアップされていました。

しかし「ごくあたりまえにあった街並み」がほんの数分でなくなってしまう、そのたった8分を記録したものすごい映像です。撮影者の社長さん(しつこいようですが未確認)のお言葉も胸にしみ入ります。そのユーチューブ動画はこちら

今回立ち寄ったのはやや内陸に位置する盛駅周辺でした。どうやら駅は数百mの距離を残し津波被害を免れたようです。そしてここ盛駅は上画像の通りJRと三陸鉄道の接続駅。ゆえに並んで駅舎があるわけです。2012/4現在はどちらも運休中だったわけですが、「何だか元気がありそうな」三陸鉄道の駅舎に進んでみました。すると‥

そんなふうに言われたら、仮に急いでいてもゆっくりするしかありませんよね(笑)。そんなわけで3人でゆっくりお茶をいただきほっこり。こらこら、直接間接の違いはあれご苦労なさっている方々からご接待をいただきほっこりしていてどうするの(苦笑)。

そんなわけでいろいろと。ちなみに帰宅後食べたこのせんべいは美味しかったです。ネットでも購入できますので心ある方は是非!ちなみに現地ではGWに「夢のジョイントコンサート」も企画されていたみたいです(右上画像マウスオン)。「夢の」とあるところからするに、たぶん地元でも初めてなんでしょうね。これはこれでOK!さて、このあと跨線橋に上がってみてビックリ!



実は大船渡港界隈には貨物輸送関係の鉄道もありまして、それこそ「身動きが取れなくなった」貨車がいまや全国への感謝主張媒体となっているわけです。そして駅ホームには‥



これは自分にとってものすごいインパクトがありました。「間違いなくこの気動車はまた走る!」と確信したのです。

「三陸鉄道」が当時の事情の中で第三セクターとして出発したとき、「結局いつでもつぶせるようにだな」と考えた人は多いことでしょう。しかし東日本大震災を経た今となっては「JRゆえにBRTかい!」というところもあるかもしれません。でも、やっぱり思うのですよ。

そんなわけで、ここからは内陸の遠野へと向かいます。
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