−その12 光山温泉で土用の丑、翌朝は宮古から浄土ヶ浜へ −



国道から細い道を上がっていきますと光山温泉に到着です。

さてそんなわけでやって来たのは山田町内の光山温泉岳泉荘さん。訪問は2010/10以来ですが、かなり高台にあるのと、建物も一部を除き古くはなかったので被害はほぼなしかなと思っていました(実際なかったらしい)。


入口脇には石造りの亀の親子が鎮座しておりました。
到着が16:00ころと比較的早かったので、しばし玄関脇の休憩室にて少々待機。この日も暑くてエアコンの効いた部屋はありがたいです。ん?でももしかして‥もしかする?

その読みは的中(笑)。「夏涼しくて冬暖かい」というのが三陸中南部の特徴‥ゆえに部屋にはエアコンなしでありました(右上画像マウスオン)。まぁしょうがないよね、夜になれば涼しくなるでしょ。ちなみにスマホの電波は3Gがレベル1-2でつながる程度でしたが無線LANがバリバリなので問題なしです。というわけでこの日の汗を流すべくお風呂へと向かいます。すると脱衣場の手前に何やら貼り紙が。



そんなわけで「天然ラドン泉(低張性中性冷鉱泉)」のお風呂へ。ただしこちらは地域の皆さんの銭湯としても機能しているので、この時間は当然ながらそこそこの先客さんが。なぁに湯足画像は朝撮ればいいでしょということで問題なし。それよりも気になったのがこちらです。

脱衣場内に据えられた大きな鏡には寄贈者名として「湯銭無償者一同」と書かれています。えーっと寄贈された皆さま、いったいどうやって「湯銭無償」という栄冠を勝ち得たのでございましょうか!(笑)。今後の人生の参考にしたいと思うので何とかしてお聞かせいただきたいところであります。

そして夕食。予想通りうなぎでした(笑)。いや、でもうな重だけじゃなくてちゃんと刺身なども付いてきたので問題なし(左上画像マウスオン)。汁物が肝吸いじゃなくてお味噌汁なのはご愛敬ということで(自分としてはそっちのほうが嬉しかったりする)。そして量もほどよくて美味しくいただきました。

女将さんは「すみませんね、作業で泊まっている方々もいるので料理に変化を付けたくて」云々ということでしたが全然問題ありません。三陸を泊まり歩くと下手をすれば「毎夕食が海の幸メイン」にもなっちゃいそうな気もしますし(今回はそうでもなかったですが)、こういう変化、しかも季節の定番にあずかれてヨカッタです。

そういえばその昔(40年以上昔?)、北アルプスの、特に後立山連峰の山小屋ではどこも夕食がカレーであり、小屋泊まりで縦走する人たちは「後立山カレー縦走だ」とぼやいていたのだとか。それに近い時期のわたしは山岳部部員だったので小屋メシなどもってのほか、ゆえに体験したことはないんですけれどね。あ、そういえば安達太良山のくろがね山荘は今でも「夕食=カレー」のポリシーを貫いているのでしょうか?(たぶんそうだと思う)。

話がそれましたので王道回帰。ちなみにわれわれの部屋は新館の一番奥の部屋だったのですが、そのまた奥には非常用出入口がありました。ただし右上画像のような注意書き付きです。外部からの侵入防止対策なのでしょうが‥ええっと、恥を忍んで告白します。

そして‥ハイ鳴りました高音のベルっ!その瞬間われに返ったTakemaは己の所行の全てに気づきすぐさま戸を閉めましたが時すでに遅し。向かいの部屋に泊まっていた別のお客さんゴメンナサイ。母屋からは結構離れている場所ですが宿の皆さんにもゴメンナサイ(陳謝)。

さ、気を取り直して朝湯だぁ!チェックイン時に「お風呂は夜22:30まで、でも朝はいつでもいいですよ」と伺っておりましたのでとりあえず6:00に。別棟宿泊中の工事関係の方々は朝湯しないだろうという読みだったのですが、向かいの部屋の男性‥でも長期滞在っぽかったのでたぶん大丈夫かなと。

よーしどなたもおられませんしタイルも乾いていたので、湯を替えてからの一番湯でしょう!ちなみに右側があつ湯、左側がぬる湯の設定ですが、このあつ湯がその名の通り結構熱いんですよね。46度くらいかな。でも2010年の訪問時に「あつ湯のほうには加水しないで下さいね」といわれていた通り、今回もしっかりかけ湯をした上でそのまま入りましたよ。結果、「もはや寝ぼけとは縁のないシャッキリTakema」となりました(笑)。


あつ湯の浴槽底にはスノコが敷かれていますがまさか足元自噴ということはないでしょう(笑)。ぬる湯の底は石です。

朝ごはんはしっかりベーシックな感じでヨロシイです。現場に出かける皆さんはわれわれよりも食事タイムが早くすでに着替えて出発準備中。水筒に麦茶(たぶん)を入れてもらった上で製氷器の氷を大量投入しておられました。今日も暑くなりそうですから熱中症に注意してお仕事頑張って下さい!というか皆さんなしには前に進めないのでよろしくおねがいいたします!

そんなわけでわれわれも7:30過ぎに出発です。この日は宮古市の田老で語り部ツアーを予約(9:30)していたのですが、R45しかない道路状況で、かつ工事等により片側交互通行で思いのほか時間がかかることもあるというわけでかなり早めに出たわけです(右上画像マウスオン)。

宮古に向かう途中の津軽石界隈で「あーやっぱり渋滞か」と思っていたら、工事ではなく自然渋滞。宮古市内をパスして盛岡方面に抜けられる宮古道路分岐を頭とするものでした。スペースはたっぷりあるのですから左折車線(ストップ&ゴー方式でいいはず)を増設するべきですよ岩手県警察!!

そんなわけで閉伊川を渡り、国道を外れて道の駅みやこ「シートピアなあど」へ。ここは港に面した施設なのでもちろん津波で2Fまで冠水しましたが、2013/7に再開したのだそうです。しかしこの日はまだ早すぎて(この時8:15AM)、周囲には人の気配もありませんでしたが(笑)。

建物の外壁には津波到達線が引かれており、その斜め下には当時の状況を説明した銘板が設置されておりました。で、そこにあった津波時の画像を拡大してみると‥(左上画像マウスオン)。

マウスオン画像の一番右側に見えているのがシートピアなあどです。浸水深が5mということは津波高は7mくらいだったのでしょうか。宮古湾は北東向きに開口しているのと、市街地自体が湾の出口近くにあることで力が分散したことも考えられますが、やはり女川あたりと比べると津波による被害の度合いがかなり違うような気がします。

ここからは漁港沿いの道を通って浄土ヶ浜方面に抜けることに。もちろんこの日の港内は穏やかでしたが、道の山側に目をやると、「ああ、震災前にはここにもごく普通の生活の営みがあったのだなぁ」と。港の真ん前ということで利便性は高かったと思いますが、もうここに住まいを建てることは(防災上)できないでしょう。

さて道なりに進んでいくとやがて上り坂となり、日立浜の仮設住宅群を横目にしながらさらに進むと浄土ヶ浜の駐車場に到着です。

あれあれ、駐車場脇のこの斜面に建てられていたレストハウス、完全に取り壊されて更地になっておりました。隣接するビジターセンターの職員さんいわく「老朽化していたから」とのことでしたが、駐車場周辺にお土産屋さんや軽食処がないっていうのはちょっとさびしいですよね。浄土ヶ浜の真ん前には別のレストハウスがありますが‥。

遊歩道の先には遊覧船乗り場があり、船の姿も見えています。震災後、残った一隻で再び運航を開始したということで、2011/8に早速乗ったんだっけ(その時の様子はこちら)。今回はごめんなさい通過です(9:30に田老で待ち合わせなので)。

というわけで田老へ。そう、あの「万里の長城」たる大防潮堤を備えていたあの田老です。

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