祈東北復興!で東北を目指したつもりが、気がつけば北の大地も巻き込んでいつもの湯めぐりに(笑)。

− その20 ようやく三陸海岸小本&浄土ヶ浜へ、破壊そして復興への現実 −

この旅行記も20ページ目にしてようやく三陸海岸へとたどり着くこととなりました。長かった‥いや長すぎですね寄り道しすぎです(三陸の皆さんゴメンナサイ)。しかし予想されたとはいえ、ここからの行程は多くが「うーむ‥」と嘆息しながらの移動となりました。

海岸までもうすぐ(あと数km)‥というところで仮設住宅(左上画像)が目に入りました。仮設住宅そのものは震災後の被災地訪問でも目にしていましたが、「いよいよ大津波の被災地に来たんだぞ」と身を引き締めます。しかし、まだこの周辺の家々には見たところの被害はなく、やがてごく普通に設置されている「小本温泉」の看板を見るにつけ、「あれぇ、意外に大丈夫だったのかな」という気にさせられました。でも、当然ここはまだ直接被害を受けたエリアではなかったのです。

やがて海岸すぐ近くの小本温泉に到着です。左上画像を見ればわかりますが屋根に記された温泉マークのすぐ奥に巨大な水門が見えており、この場所が海からすぐであることがわかります(地図で見たところ河口から約500m)。

しかし、かの大津波はこの水門を直撃しました。それもとてつもない威力で!(この同じ場所でまさに水門に押し寄せた大津波の瞬間画像が岩泉町の公式ブログ(直リンクはこちら)に載せられています。しかし「温泉マーク」を基準高とすればまさにとてつもないことが‥。

でも小本温泉の施設は「それでも壊れなかった水門」により倒壊だけは免れたようです(別棟は流出し、無事に見える建物も少なくとも1階部分は全て海水に洗われました)。右上画像で進入路が閉鎖されているのはおわかりだと思います。

震災後、施設の経営者の方が「何とか半年後には一部でも再開したい」とおっしゃっていた記事を目にしましたが、訪問時(2011/8)のみならずネットで確認する限り10/21現在もまだ温泉の営業は再開していないようです。もしかして文字通りの「命の源泉」が止まってしまったのかなぁ。ここの湯は沸かしとはいえ成分が濃厚&泊まりの夕ご飯が美味しいと評判だったので、何とかして再開してくれることを願うばかりです。



ここからは高台を走るR45へ。沿道には昭和三陸大津波の「ここまで来た」看板が多くありましたが、中には看板ごとひしゃげているものも‥。

道の駅たろうで何か食べてもいいかとも思いましたが、実は食堂がどこだったのかをチェックしなかったのでとりあえず産直エリアを見ただけでした。買いたいんですが農産物はまだこの先数日車に置くことを考えると‥Takema母から直で渡される農産品のほうが新鮮になってしまいます(苦笑)。

このあとは宮古方面へと南下するのですが、田老の市街地は「万里の長城」と呼ばれる(行政側 or 地元政治家がアピールのためにネーミングした?)「二重三重の」防潮堤をやすやすと乗り越え、引き波と合わせて建物群をあっさりと流し去ったのでありました(くっそー!&右上画像マウスオン)。

しかしそんな「長城」ほどの整備がなされていない湾の開口部はもっとひどいことになっていたのです(女遊戸(おなっぺ)地区)。奥に行けば行くほど狭く浅くなるリアス式海岸、そこに大津波が押し寄せるとなると‥嗚呼。





このコンクリートの横には同じ高さの防潮堤が続いていたはずなんです。



残った防潮堤の外側もコンクリートが剥がされ‥昭和59年竣工のプレートがしみじみ。わたしゃその1年後の宮古に滞在してました。


ちなみに防潮堤の内陸側には「栽培漁業センター」の施設があり、ここではヒラメ等の中間養殖を行っていたようですがご覧の通り壊滅しています。鉄骨部分はもちろんのこと、手前に見えるコンクリート製の構造物も倒れています。ちょっと遠目ゆえわかりにくいですが「とてつもない力があの時このエリアに押し寄せた」ことだけは間違いありません。この時、風も音もほとんどないこの場所に立ち、自分が何をしているのかちょっとわからなくなってしまいました。

さてしかし、このあとどうすべきかについては多少なりともわかっているつもりです。というのは事前にこんな情報をつかんでいましたので。

ではまずはそちらで少しだけでも観光でお金を使おうというわけなのです。

約10ヶ月前に訪問した浄土ヶ浜(その時の様子はこちら)、あの時は観光船にも乗らず、それどころか観光客の多さにムっときたTakemaは(自分だって立派な観光客なのに)「うーむ浄土ヶ浜まで結構遠いじゃないか面白くないぞ」と八つ当たり気味に立ち去る気満々でおしんこどんを悲しませたのでありました。しかしあれから1年も経たぬうちにこんなきっかけで再訪し遊覧船に乗ることになるとは、何ともわからないものです。

一番奥の第1駐車場まで来てみると、さすがにそこは高台だけあって周辺の風景に大きな変化はありませんでしたが、お土産屋さんや切符売り場のあった建物、われわれからすれば「去年初めて焼きホヤを食べてそのうまさに感動した」ターミナルビルは立入禁止になっていました。斜面に建っている建物なので地震でやられたのかと思いましたが(さすがに津波はあそこまで上がらないはず)さにあらず。今調べてみたら建物を所有する会社が破産したとか何だとか。実は震災以前からいろいろあった物件のようでした。

それでも、浄土ヶ浜がここ宮古で「一番お客を呼べる場所」であることに変わりはないはずです。そこにお土産屋さんの一つもないというのはちょっと異常な事態のはず。しかも復興に向けて少しでも現地収入が欲しいはずの地元と、わたしらのように「現地で少しでもお金を使って復興の役に立ちたい」と考える観光客(少なからずいるはずです)とのミスマッチ。仮設でもいいから第1駐車場の脇に「復興グッズ販売所」でも作ればいいのに‥と思ってしまいます(それくらいのスペースは余裕であるはず)。

「仮設」で思い出しましたが浄土ヶ浜の駐車場は3箇所あるも、「第3駐車場」には仮設住宅が立ち並んでいました。さらなる津波被害を受けることのない安全な平坦地(しかもたぶん市有地)ということでここに建設されたのでしょうが、さすがに買い出しは大変そうです。しかもそこに住まわれている方は当然被災者であり、その多くは車も失っておられるのではないかと‥。お年寄り等への買い物対策が講じられていればいいのですが‥。
このあと、聞いていたネットラジオからは「蜂のマークの移動販売車」が回っているという案内が流れてきました(みやこさいがいエフエム)。よかった。ちなみに太字をクリックするとUstreamで再生出来るはずです。

そんなわけで遊覧船乗り場まで降りてきました。あれ、事前情報では「1隻だけ残った遊覧船」ということでしたがなぜか2隻ある?しかし船名から判ずるに、右上画像の「第10陸中丸」とは本来さらに北部の景勝「北山崎」で運航されていた船なのですね。一応別会社の船なのですが、母港が被災したためこちらに避難して係留されているということなのでしょう。

しかしここ浄土ヶ浜の遊覧船ももちろん安泰だったわけではありません。手元にここ浄土ヶ浜の遊覧船についての記事が載った日経新聞がありますので以下に引用します。なぜかスキャナーがPCから認識されないので手打ちで対応!
【残った遊覧船 奮闘中】

東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県宮古市の景勝地、浄土ヶ浜で、津波を逃れ1隻だけ残った観光遊覧船が奮闘している。今夏の海水浴場が中止になるなどして観光客数は大きく落ち込んでおり、遊覧船の乗客も大幅に減った。厳しい状況のなか、市の復興を引っ張ろうと関係者は観光の再生を目指している。
ウミネコの群れが周囲を舞うなか、林立する岩と白い砂のそばを遊覧船が進む。坂本船長(62)は「震災後も変わらない姿を見せ続ける浄土ヶ浜の自然を見てほしい」と話す。

浄土ヶ浜は、震災前は年57万人の観光客が訪れた三陸海岸を代表する景勝地の1つ。約40分かけて宮古湾を周遊する遊覧船は観光コースの目玉で、運営する岩手県北自動車(盛岡市)は3隻の遊覧船を保有し1日9便を運航していた。

しかし、2隻は津波で陸上に打ち上げられて廃船に。残る1隻を救ったのは坂本船長のとっさの判断だった。

震災当日、団体客を降ろして浄土ヶ浜に遊覧船を係留した約30分後、尋常ではない揺れに襲われ、坂本船長は「大きな津波が来る」と直感。すぐにエンジンを始動した。

津波は海底が浅いほど高くなる。約6km沖合まで出て、42時間ほど漂流。津波警報の解除後、沿岸を覆うがれきを慎重に避けながら約2時間かけて桟橋に戻った。

水没した桟橋の事務所の復旧、がれきの撤去に負われ、壊れた堤防の破片で座礁する危険がないか試験運航を経て、ようやく7月16日から1日2便の運航再開にこぎつけた。

「運航再開は地元の観光関係者の生活再建につながる」と佐々木・観光船事業部長(45)。最盛期の7-8月の乗客は例年2万5千人にのぼったが、今年は約3600人。「秋も首都圏などからの団体客の集客に力を入れたい」。

浄土ヶ浜の砂浜は、大きながれきの撤去は終わったものの、細かなガラス片が散乱している状態。市は今夏、海水浴場を開くのを断念し、来夏の再開を目指して清掃を続けている。市商業観光課は「宿泊や飲食など経済波及効果が大きい観光産業を早く復活させたい」としている。


(日本経済新聞 2011年9月15日夕刊より引用)
ちなみに別のニュースソースでは「漂流中の食料としてうみねこパンを食べていた」「あと5分出港が遅れたら引き波による深度不足で海に出られなかった」というような話もありました。しかし船長の好判断がこの船を守ったことは間違いなき事実。そしてもっと小さな船までもが津波を乗り越えつつ何とか海に逃れようとしていた映像をTVでいくつも見ましたが、成功したか否かを問わず漁船員さんの誰もがヒーローです!



ちなみに何ともベストタイミングというか、桟橋に降りてきたのは14:20。そんなわけでさっそくチケットを買って乗船です!



これが第16陸中丸。津波の中よく逃げてくれました!係員さんも「わが船にようこそ」系ですね(両画像ともマウスオンで別画像に)。

しかし日曜日だというのにこの便のお客はたった3組7人。8月末という「夏とはいえすでにシーズンオフ」の時期ではありましたが、これはあまりに淋しかった‥。でも男の子2人を連れて乗船したご家族連れ、親御さんもわれわれと同じ思いからこの地に足を運ばれたのでしょうね。子どもたちにもこの地の記憶がきっと残り続けることでしょう。
なお上記ネットラジオによると、東京の某私立中学校が10月下旬に修学旅行で田老を訪れたそうです。この地域の現況を一番目に焼き付けてほしいのはこれからを担う子どもたちであるにもかかわらず、震災後三陸を訪れた修学旅行団体はこれが初めてだったのだとか。宿は少ないですがないわけではなし、被災地を実際に見せることはまさに教育旅行の原点です。そして団体での訪問自体がそれこそ相当の復興支援にもなります!学校の先生、来年度は是非三陸を訪問地候補に入れて検討してください!

さて天気もいいことから乗客全員(家族連れ4人、女性客1人、Takema&おしんこどん)が2Fのオープンデッキに陣取ります。出港直後に売り出されたのが、そう、その昔々からこの船の名物である「うみねこパン」!

何でもコンブやイカの粉末が練り込まれているということですが、今回は口にしなかったので味は不明です(笑)。しかしネット情報によると味はともかく「パサパサしていてさしてうまくはない」とのことでした。でもウミネコにはモチモチもパサパサのあまり関係ないからそれはそれでいいのかな?

乗船口におられたあのおじさんが無言のまま(この人は木訥でしたねー)「最初の撒き餌」を撒くと‥

だって、すでに何世代にもわたって受け継がれているはずの「この船にまとわりつけばご飯がもらえる」というDNA遺伝子がまず根本にあり(生物学的検証はご勘弁下さい)、そしてこの震災により「当然食べられるはずのごはん船が出港しない、なぜだー!」のフラストレーション、さらには運航再開後も「ごはん船からの供給があまりにも少ないぞ、どうしたんだ!」との民衆不満が高まりまくっていたはずでしたのでね(大笑)。

ま、出漁する船が激減したぶん「例年以上に海幸の取り分が増えたはず」というのもあるはずですが。というかそれが彼ら本来のあり方です。

で、待ちに待った?餌付けの儀なのですが、やはり「場慣れした」やつらのうみねこパン争奪テクはかなり激しいものでありました(大笑)。

実はそれぞれの餌やり風景動画をたくさん撮影したはずだったのですが、なぜかデータコピー時にその動画のごく一部を除いたほぼ全てが正しくコピーされずに失われてしまいました。もちろんそれはここだけにとどまらず北海道編からこのあとに至るまで‥。温泉動画はまぁある種どうでもいいのですが、残念なのはやはり三陸エリアでの「8月末現在を記録した動画」を残せなかったこと。これはかなり悔しいことであり、今後はとことん確認しなければいけませんね。



名勝ローソク岩(左上画像)よりも、Takemaは「破壊された埠頭」に心を打たれました。これは悲しい‥。



左上画像の家々も全て津波にやられたそうです(でも山が迫っているので一時的水没で何とかなった?)。このあとは沖へ。



沖合に出てくると船が集まって何やら作業中。聞けば「定置網の最設置作業中」だとか。
おお、海の上でも復興作業中♪

このあと、本州最東端の重茂半島方面へ向かいます。この日の太平洋は波も実に穏やかで、あんな津波が襲ったことなどまるでうそのよう。いや、うそであってほしいのですが、この日の海と同じようにあの日の海も現実だったのですよね。



右上画像のあたりが本州最東端のとどヶ崎。あのあたりでは標高38.9mの高さにまで津波が到達したそうです。

さてこの観光船にはガイドさんが乗船しており、7人という少ないお客にも関わらずいろいろと説明をして下さいました。ちなみに小学生の男の子2人のノリがよくて、ガイドさんも「お客さんは少ないですが何だかいいですねー」と嬉しそうでした(笑)。

さて船は重茂半島の手前でUターン。このまま浄土ヶ浜に戻るのかな?と思っていましたが、あれれそっちは宮古港ですよ!驚いたことに港内をぐるっと周遊してくれるではありませんか!

港の先端付近では何人かの方々が釣りをなさっておりました。船の上から男の子が「何を釣ってるんですかー?」と聞くと「アジだぁー!」とのお返事が。ん?何だか見たことがあるような場所?もしかしてここは?

やっぱり‥。ここは道の駅みやこのあった場所でした。去年ここに来たときは連休ということで道の駅の駐車場は満杯、確か一番奥というか海寄りのあたりに車を止めたんだっけ。そしてその時はこの日の何倍、いや何十倍もの人々が釣り糸を垂れていたような記憶がよみがえってきます(そして「見ている限りは誰も釣れていなかった」ことまで思い出しました(笑))。

しかし‥完全にやられちゃったんですね。少しでも早い再開を祈るばかりです。もっとも、奥の古い漁港部分にはすでに何隻か漁船が入港していました。「歓迎 宮古港入港」の文字が見えていますがやはり港町は漁船が入港してこそナンボのもの、活気ある市場の復活を祈らずにはいられません。



そうして、最後の最後に浄土ヶ浜湾内の周遊です。しかしやはりところどころで塩水をかぶった木が枯れちゃってます‥。



去年歩いた海沿いの遊歩道もいまだ通行止めのようでした。復旧までにはまだしばらくかかるのかも。

そんなわけで1時間の海上周遊は気持ちよく終了。あー、何だかのんびりした時間を過ごせたぞ。ところで確か去年の10月連休に見た観光船は観光客で満員の盛況でした。客足が戻るまでにはまだしばらくかかるのかも知れませんが、観光船関係の皆さん頑張って運航を続けて下さい!

さて気がつけば15:30を回ってます。この日の宿は先ほど予約できたのですが(前回泊まった宿と同じ)、まだお昼ご飯を食べてなーい!宮古市内で何か食べられるだろうか買えるでしょうか?というわけでこのあとは海沿い道路経由で宮古市の中心部へと向かいます。そこで見た「二つの世界」とは‥
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