はいはーい、以前から来たかったんです、「おだかのひるごはん」。

(2015年12月1日)

さてこの日はTakemaにとっては珍しく「平日休み(火曜日)」。単発の休みですから大層なお出かけはできませんし、まだタイヤもノーマルだしということで「とりあえず浜通りでごはん食べて温泉に入って帰ってくる」というシンプルな計画です。

この日出勤のおしんこどんを職場まで送るとすでに9時前。出発時間としてはぐっと遅いのですがまぁとりあえず常磐道を北上です。バイクで行くという手もあったのですが、いわき界隈まで北上すると北西の季節風がきついんじゃないかと考え、「横風ビビラー」たるTakemaゆえ車です。というか、このところ車で出勤する機会ががくんと減ったので(職場近隣のコインパーキングがやたらに混んでいるので駐める場所がない)、「たまには車にも火を入れたい」と考えたからなのです。もっとも車のほうもそろそろ乗り換え時期だよなぁ(登録後丸12年経過、走行168,000km)、走りには問題ないのですが細かなところが‥。



那珂ICあたりから北にはほとんど車なしで快調です。まぁこれだけ空いていると飛ばそうという気にもなりません。いわき中央ICから先は片側1車線路になるわけですが、ここでも先行車はなく‥いや、いらっしゃいましたよご本尊車が(笑)。

どうなのかな、このまま福島/宮城県境までパトロール走行するのかなぁと思っていたら、四倉PAに吸い込まれていきました(右上画像マウスオン)。よぉっしカットビで!ということは全然ありません。そんなことをしても1車線路ゆえどうせすぐに遅い車を先頭にしたいわゆる「大名行列」の最後尾の一員になるだけですからね。お、おおっ!





バイクも通過していますし(右上画像マウスオン)、今度は自分もこの道をバイクで‥。あ、念のため申し上げればこの日この時のいわき中央IC〜常磐富岡ICあたりでは「四輪車でもちょっと振られる」レベルの横風が吹いていましたんでバイクで来なかったのはある種正解でした(笑)。あ、自分は「放射脳」系の人間ではないので線量とかは特に気にしていませんので念のため(ただしその発想を他の人に押しつけようとも思っていません。何が正しいかなんて結局のところ誰にもわからないはずですから、自分が考えたとおりに行動するだけです)。



そんなわけで浪江ICで高速を下りました。原発事故さえなければ常磐富岡−浪江間の開通(東京からも仙台からも高速がつながった)というのは浪江町にとって悲願の成就という大イベントだったはずなのですが、残念ながらICを出た道路沿いに続いていたのは各家々への侵入を防ぐフェンスやゲートの隊列でした。この地域のほとんどは2015/12現在居住制限区域に指定されています(浪江ICはぎりぎりながら帰還困難区域内)。ただ、このフェンスやゲートも2016/3には撤去され始めるというニュースを耳にしました。

日中の立ち入りについては制限されていませんが宿泊はできません。そのため「帰還」を諦めている方々の家には、それこそ「震災直後応急的に屋根に載せた土のう」がそのままになっています(ブルーシート等もかぶせられていたのでしょうが、4年9ヶ月もの月日はシートを劣化させ、風により吹き飛ばしてしまっています)。

その一方で、道路沿いのあちらこちらにカラフルな幟が目に付きます。幟には「除染作業中」の文字が。カラフルなのは「遠くからでもよく見えるように」ということなのでしょうが、それは同時に「いつか帰れるように、今やるべきことをやっています!」と、見る人々にアピールする意味合いを含んでいるのかもしれません。

そこから国道6号方面へ。国道6号との交差点すぐ近くには「原発に一番近いコンビニ(直線距離で9km)」であるローソン浪江町役場前店がありますが今回はパス。このコンビニ周辺は「避難指示解除準備区域」内にあり、浪江町役場も一部業務を再開しています。さてそのまま北上して南相馬市小高区を目指します。



そんなわけでやって来たのが、ページトップ画像のとおりの「おだかのひるごはん」。左上画像の通り震災前は双葉食堂という名前のラーメン屋さんでしたが、原発事故を機に当然ながら休業。その店舗を借り受けて地元出身の女性スタッフがランチタイムの3時間(11-14時)だけ営業しているお店です(なお、双葉食堂さん自身は現在「かしま福幸商店街」で営業を再開しています。詳しくはこちら)。

店名で検索すればいくらでもヒットするので詳細は省きますが、要は「家の手入れに来た方々や除染作業にあたる作業員の方々が冷えたお弁当を食べざるを得ないのは忍びない、何とかあったかいご飯を提供したい」という思いからスタートしたお店なのです。

もともと飲食店運営などしたこともなかった地元の方々ゆえ、2014/12のオープン直後は大変だったようですが(マスコミの取材も多かったらしい)、さすがにこの日は「師走の平日」ということもあり、作業員さん?を中心にそこそこの入り具合でした。自分ともう1組以外は常連さんらしくスタッフの女性陣と話しておられましたっけ。



さて注文ですが、あくまで「家庭のご飯」をベースにしておられることもあり定食類をたくさんラインアップするのではなく日替わり定食が基本で、そこにそばやうどん、かけめん(和風だしスープにラーメン麺)をオプションで追加可能(いなり寿司も数量限定であります)。

この日の日替わり定食は「さんまの竜田揚げ定食」でしたので迷わずそちらを注文。少食主義者なので(というか量を食べられない)オプション料理の追加はなしです。なお公式Facebookサイトはこちら。「月ごと日替わり定食スケジュール」がありますので訪問前にはご確認を。なお基本的に土日および水曜日はお休みです。

厨房から漂ってくるニオイに「あれぇ、誰だぁニンニクを利かせた料理を頼んだのは?」と思ったら自分の定食でした(笑)。竜田揚げにニンニクが絡ませてあったわけです。うん、美味しかった!

そんなわけで「おだかのひるごはん」でお腹満足。このあとはお味噌を買いにもうちょっと北上します。



上画像は同じ小高地区のお店屋さん。復活を高らかに宣言なさっておられます。場所もインプットしましたしこのエリアはさして線量も高くないはず‥よって、


(ちなみに「おだかのひるごはん」さんからすぐの場所です。実は甘いお菓子が苦手なのはナイショね)。



続いてやってきたのは南相馬市鹿島区の「若松味噌醤油店」さん。こちらのお店(というか醸造元)にはもう何度もおじゃましています。わが家の在庫が切れかかっていた「青バタ味噌」「甘酒」ほかを購入。

このあとは、なぜか近隣のダイユーエイト南相馬鹿島店(ホームセンター)で灯油のポリタンを1つ購入。いや、先日うちにあるポリタンにひびが入って倉庫に灯油臭が蔓延しちゃったからなんですけれどね。これで再び「灯油最大100L備蓄態勢」が復活というわけです。

で、入口近くにあった宝くじ売り場で年末ジャンボを30枚購入。これで間違いなく高額当選すること間違いなしですわ(笑)。

ここからは南下して原町区のホームセンターというか工事関係者御用達系の品揃えであるスズトヨで透明ビニールを20m購入。いや屋上のランの鉢をベランダに下ろすのが面倒なので、「どうせベランダだって屋外放置にゃ違いないんだから屋上で北風があたらない場所にビニールのカバーを被せときゃ大丈夫だろう」と考えたわけです。ただし結論として「20mはおろか10mでもよかった」というオチは付きましたが(苦笑)。

そうそう、このページ上方で浪江のコンビニの話を書きましたが、浪江(北側)や広野・楢葉(南側)あたりに現場作業用アイテム中心のホームセンターがあればいいのにという話をどこかで聞きました。確かに。自宅を補修する方、除染の作業員の方々も含め今の相双地域には十分な需要があるような気がします。



お味噌ほかも買ったし、南相馬の道の駅で地元産の晩生種の梨も買ったし=右上画像、南下しましょう日帰りですし。

さてしかし、何か忘れていませんかと自問自答。相双エリアでご飯も食べたし必要物品の買い物もしたし運も買った。でも‥



いや、自分の知る限りこのエリアで半身浴とか尻湯とか「掘って入る」等の野湯はないんですけれどね(笑)。でもとにかく1つくらいは湯に浸かって帰らねば!

いわき界隈まで南下すれば高温湯もたくさんあるわけですが、今回考えていたのは楢葉町の「天神岬 しおかぜの湯」。こちらもかつては警戒区域内でしたし、今も避難準備区域として町民は戻っていませんが温泉は再開営業しています。思えば原発事故後初めてここに来たときは「もうここも再開することはないんだろうな」と思った記憶がありますが、今や平常営業。すごい。



なおこちらの温泉も、もともとは原発の交付金絡みの施設なんですよね。この施設ができた頃にはこんなことになるとは誰も思っていなかったはずなのですが‥複雑です。

ところで2015/9/5を以て楢葉町全域に出されていた避難指示は解除され、町内に帰還すること自体に法的な問題はありません。しかし南隣の広野町が指示解除されたあとがそうだったように、2015/12時点の楢葉町にも生活のにおいを感じることはほとんどありませんでした(広野町の指示解除後のレポートはこちら=まだ緊急時避難準備区域に指定されていた2011/11/27当時のものです。日中の立ち入りだけ可能でした)。

2015/11末現在における広野町の帰還率は45.9%にとどまっているようですし(広野町公式サイトの発表値から計算)、楢葉町の場合指示解除前の準備宿泊制度に登録していたのが780人足らず(人口の1割程度)だったこと、そして広野の指示解除からさらに3年半が経過したことにより、住民の皆さんも新たな生活の基盤を築き、かつ町内の自宅の傷みも大きくなっているであろうことを考えると、楢葉町への住民帰還は広野町以上に大変そうに思います。



常磐交通の運行による「復興支援バス(町民はパスを申請すれば無料)」もあるようですが‥1日1便ですかぁ。しかもよく見ると「火・水・土」のみ運行のようで、始発はいわき市内の仮設住宅のようで、イメージとしては‥



なるほどねぇ。この日は火曜日だったので運行日だったわけですが、すでに帰りのバスもとうに出発したあとだったので駐車場も閑散としていました。でも21:00まで営業しているというので入浴は大丈夫でしょう。



靴を靴箱に入れてさてレセプションに‥と思ったところでいきなり目の前に放射線量の数値表示器があってびっくりしました(笑)。数値的にはなんの問題もありません、たとえば福岡県福岡市の香椎局(香住丘小学校校庭)で測定されている数値が2012/3以降全て0.08μSv/hであることをみればおわかりでしょう(ソースはこちら)。ちなみにTakemaが住む千葉県市川市はこんな感じあ、0.09っておんなじだ(笑)。まぁ更新されれば数値も多少動くとは思いますが、まさか0.01単位レベルの上下を有意の変化ととらえる人はおりますまい。だってそんなことをいえば




(出典:「日本地質学会」等)

さて小難しいことはどうでもいいでしょう、温泉です(笑)。脱衣場には全て鍵付きのロッカーが設置されており(100円/解錠時に返却)、よって鍵の有る無しで現在の浴室内人数がざっくりと想像できるわけですが‥ん?あれ?こりゃもしかして?そんなわけで浴室へ。




(ただしこのあとサウナにお1人おられたことに気づきましたが)

浴室内にはうっすら塩素臭こそありましたが、ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉33.4度の褐色の湯はツルツル感ありでびっくり。いわき市の谷地温泉や高野鉱泉などには及ばないものの、これだけの立派な施設でこの湯ざわりとはかなりびっくりしました。この色はやっぱりモール系なんだろうなー。



何と広い露天風呂もありましたのでもちろん利用。時々遠くから低音の鈍い音が聞こえていたので何だろうと思っていたのですが、考えてみればここは岬の突端ゆえ、太平洋から打ちつける波の響きだったわけです。確かに露天風呂から見る太平洋、綺麗でしたよ。

さてでもそろそろ帰らないと。ナビの目的地を自宅に設定すると(まぁもう道はわかっているんですが予想到着時刻とかが知りたかったんで=ここから千葉までは200km以上ある)、来たときとは違う経路指示が。まぁ大した違いじゃないのでそれに従って進んでいくと‥



こうして少しずつ、少しずつではあっても地域復活にむけた足どりは進んでいくのでしょう。いやぁとっても嬉しかったぞ。そんなわけでこのあとはR6に合流したわけですが‥



反対車線を進行する観光バスにはこれから福島第一へ向かう関係作業員さんが乗っているのでしょう。



そうなんですよね、福島第一原発の収束作業に携わる作業員の方々だけで7,000人/日近く、さらには周辺地区の除染作業にあたる方々は一説には17,000人近くにものぼるのだとか(2015/10現在の推計)。それだけの人々が毎日この道を行き来しているわけですから、このR6だけではないでしょうが朝夕にラッシュが起きるのも当然です(原発における作業は24時間態勢なのでしょうが)。

つまりここ相双(相馬・双葉)エリアには「とてつもなく大きな雇用の場」があるというわけです(その中身は全く別物であるにせよ)。そして、除染作業こそやがては減っていくでしょうが、原発の廃炉作業はこれからまだ数十年の単位で進んでいきます。楢葉町内には事故を起こした原子炉と同様の施設が「本番前のシミュレーション用」として建設中だということですし、試行錯誤しながらの取り組みはまだ始まったばかりなのです。

それでも、事故直後の「絶望的な気持ち」、すなわち「もう福島第一周辺は永久に手を付けられない、もう無理だ」という思いは、少なくとも自分の中ではなくなりました(他者に強要しませんが)。人間が完璧に原発をコントロールできるなどという「安全神話」こそきれいさっぱり消え失せました(スッキリ)。が、その一方で「無理だと思うしかない状況」を少しずつ変えていく力も人間は持っているのかなと思ったりするわけです(ただしその思いがあまりにエスカレートすると元の木阿弥に逆戻りですし、逆に頑なにそのような力を信じようとしなければ何一つ前には進めないと思います。大切なのはその両極に至らぬよう常に思いを致し続けるバランスなのかと)。



日も短い12月ですし、そもそも出発が遅かったこともあり、広野ICから高速に乗った頃にはすっかり暗くなっていました。カーナビによると自宅到着予想は19:50ころになりそうだということで(まぁ距離がありますからね)、早めの夕ごはんをということにして四倉PA併設の「よつくら亭」で魚天丼を注文。いやぁ、デカイ白身魚が載ってるなぁと思ったら、その下にもう1枚どどんと鎮座していてびっくり(少食系なもので‥)。しかしサクサク系の食味で美味しくいただきました。難をいえば「お味噌汁、もうちょっと多めに注いでください!」ということかな(笑)。



そんなわけでお腹いっぱいになって再び常磐道を南下。いわき中央、いわき湯本、さらにはいわき勿来の各ICを通過したころにはあのラッシュはどこへやら、もう長距離移動の大型トラックがぽつりぽつりと走るばかり(平日ど真ん中、日没後間もない時間の上り線ですからね)。やはりあの車列は作業にあたる皆さんの車だったんだ‥お疲れさまでした。

というわけで帰ってきました。結局何しに行ったんだと言われればそれまでですが、この日に買ったポリタンには灯油を補給し、透明ビニールクロスは屋上の蘭の鉢群にかぶせました(ちょっと買いすぎて余りましたが)。そして年末ジャンボは‥もちろん神棚に!(笑)。

ところでこの記事などはわたしと全く思いを持つ方が書かれているわけですが、最近は「現実的な対案も示さずに自分の主張を絶対化しつつ行動する輩や団体」がとみに増えてきているように思います。反原発しかり、在日米軍関係しかり、そして政治もしかり。まぁ政治の場合、あの党などは長年対案を提示はしてきましたが(実現根拠ゼロ系のを)。

「イエスかノーか」の二択から得られるものは負の連鎖しかないと信じます。原発事故が起きてしまったのは各自の思いがどうであれ「事実」なのであり、そしてそれに真正面から向き合わねばならない今、「イエスでもノーでもない第三の選択肢」を誰もが模索し、そしてそれぞれの意見を集約して新たな歩みを進めていかねばならないはずです。自意見だけの押しつけは何も生み出しません。歴史をみてもそのことはわかるはずなのに、やっぱり人間ってねぇ。

少なくとも自分はこれからも津波被災地にできるだけ多く足を向けていきたい、そして現地で感じたことを旅行記の中でできるだけ綴っていきたいと思います。押しつけはしないようにしてね(笑)。

うわ、何だか最後は自己主張ブログみたいになっちゃった(汗)。

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