− その6 三宅島内をぐるぐる廻る、サタドー灯台は大展望!−



風もおさまり爽やかな朝。シオシオになった車を洗う先代のご主人(たぶん)。

夜中は日中にもまして強い風が吹き荒れていましたが、朝になってみるとご覧のようにうららかな朝。うん、島めぐりによさそうな感じでよしよしです。朝食を食べたら(左上画像マウスオン)、今日も宿の車をお借りしてお出かけしましょう!



まずは海沿い道路に出て昨日同様メガネ岩を目指します。と、その手前には例の温泉施設「ふるさとの湯」がありました。あーあ入りたかったなぁ‥(謎笑)

それはともかく、昨日は道路付近まで吹き上げられていた飛沫がこの日は皆無で快適!沖合には「三本岳」と呼ばれる岩礁がよく見えています(右上画像マウスオン)。と‥見えているのはそれだけじゃない!目を北方向に移せば、一番近くに神津島、そして新島や大島、さらには何と富士山までうっすらと見えていたのでありました(左上画像マウスオンで、式根島と新島方面の画像に変わります。富士山画像も撮ったのですが、薄すぎて画像ではよくわからなかったので載せていません)。

さて続いては阿古観光の定番というべきか、1983年の噴火による溶岩流に呑み込まれた「旧阿古小中学校」へと向かいます。この時の溶岩流は学校のみならず、約400戸の住宅を呑み込んだというのですからとてつもない規模です。しかし冷静沈着な判断と誘導とで全員が無事避難したとのこと。すごい‥。



ところでここに来てみてわかったのですが、実はお宿(夕景)からかなり至近距離にありました。宿は高台にあったため難を逃れたのでしょう。それにしても、30年以上前の被災施設をよくぞ当時のままの姿で維持できているものです。



体育館にも溶岩流は容赦なく押し寄せ、、またおそらく校庭だったと思われる広場も溶岩で埋め尽くされています。今はその広場に木道が設置され、各所に案内板も設置されています。その掲示の中に「溶岩地帯に最初に生え出す植物はイタドリなどで云々」という記載があったように記憶していますが、確かに木道沿いにイタドリが根を生やしはじめていました。すごいねぇ植物って。

さて続いては「コシキの穴」。とはいってもそれが何なのかは全然わかっておらず、単純にガイドマップに載っていたから行ってみるべ系なのですが(苦笑)。調べてみたら1643年の噴火口なのだとか。



駐車場に車を止めて、階段状に整備された坂道を登ることしばしで平らな場所(右上画像)に到着です。この先は一気に下り斜面になっており、ここが火口の縁であることはわかるのですが、いかんせん噴火後372年もの年月は、荒々しい噴火口を豊かな森に変えるに十分だったようで、太い木が生い茂る周辺はまさに「森」でした。

火口縁を一周する遊歩道もありましたが、案外高低差がありそうだったこともあってパス(不精者)。ちなみに現阿古地区の上に見えている電波中継塔はこのコシキの穴火口の反対側の縁に設置されているのだとか(右上画像マウスオン)。あんなところが火口になって噴火したら大変‥でも、かつてその大変が現実となったわけですから‥。

前日と同様反時計回りに伊ヶ谷方面へと北上します。阿古からはぐんぐんと登るワインディング路なのですが、その途中に阿古地区を眼下に望む展望スペースがあるので立ち寄ってみました(駐車帯あり)。



噴火前の画像と現在のリアルな風景を比較できる貴重な場所です。なるほどこれらの家並みが全て溶岩流の下に‥実際のところ建物は燃えてしまったのだと思いますが、これらの家に住まわれていた方々の営みは今でも溶岩の下に眠っているわけですね。ふと、東日本大震災の津波によるかさ上げ工事地区のことを重ね合わせてしまいます。



このあと、伊ヶ谷港手前の「なかなか強烈な場所にあるお墓群」にちょっとビックリしながらも(平地がないですからねぇ)、昨日と同じく伊豆岬へ。いやはや穏やかだぁ、おしんこどんはいつもの篠笛を取り出してピーヒャララ(前日はそんな余裕などありませんでしたよ)。メガネ岩付近と合わせて動画でどうぞ。


前日は山の上の方に雲がかかっていたのですが、この日はまぁみごとに快晴ですから雄山もきれいに見えています。



画像の左側をカットすればまるで北アルプスの稜線?と見まごうばかりの雄山ですが、2000年の噴火後山体の地形は一変し、見えている火口縁の向こう側は何とほぼ500mも陥没したというのですからびっくりです(今の雄山はカルデラ火山)。西側からの遠望ですがまるで森林限界のごとく山腹の上部には緑が見えません。熱なのかガスなのか灰なのかはわかりませんが、山体上部地域に過酷な環境変化が起きたことだけはわかります。



穏やかな伊豆岬灯台を離れたあと、時計回りに進んで大久保浜へ。看板の掲示内容を見て初めて知ったのですが、ここには三宅島最大のライフラインたるディーゼル発電所があるのです(右上画像の右下にある施設)。

出力は5500kWで、この施設で島内全ての電力需要を賄っているそうなのですが‥



というのも、三宅島に関わる自然災害想定は火山だけではありません。本州南岸で起きるとされる大地震、それに伴う津波対策は東日本大震災後各地で考慮されるようになってきました。その想定はすでに三宅島でもなされているようです(右上画像マウスオン)。

この掲示はわれわれが宿泊していた「民宿 夕景」の玄関に掲示されていたものです。掲示が小さいことを除けば問題はないかも知れませんし、そもそも宿が坂道の途中にあることもあり、津波に関しては「とにかく上へ」ということで何とかなるような気もします。

でも、仮にその事態が夜に起こるとして、実際にその規模(18.12m)の津波が押し寄せたとしたら、おそらくその瞬間に島の電力供給はおしまいでしょう。発電所の一刻も早い高台移転を断行するべきだと思うのですが、何だかこの人の記載なんかは呑気ですねぇ。「有意義な視察」とか書いてますが早急に動こうとはしてないでしょたぶん。



さてこのあとは、なぜかまた牛乳せんべいのお店にやってきてしまいました(笑)。というのも、おしんこどんのお仲間におすそ分けするおみやげ数が足らなかったようなので(もちろん「美味しかったから追加購入」ということもあるようです)。



この日は午前中ということもあり実際に稼働&箱詰め中でした。室内に漂う甘いにおいも香ばしく、やっぱり「ここに来るなら午前中なのだ」と理解しました(どうやら工場のラインは午前中メインで動くらしいです)。で、ここで「無許可で撮影してしまった牛乳せんべいの最終工程」をば(失礼)。


製造中ということでアツアツの出来たてをいただきましたが、まだフニャ系の弾力があり、これまでの牛乳せんべい=パリパリという観念を覆す感じです。うーん確かに美味しい。

さて三七山に向かう途中にも何かあるというので、昨日は気づかず通過したところに寄ってみました。椎取(しいとり)神社です。



噴火後しばらくこのエリアに滞留し続けた高濃度火山ガス(二酸化硫黄SO2=亜硫酸ガスや硫化水素H2Sガスを含む)の影響で、大木がみな枯れてしまっています。ここに限らず、三宅島の東部−南部にかけての中腹の森は同じように「枯れ木も山の賑わい」状態なのです。しかし神社自体は何とか無事であるように見えますが‥



さにあらず。上画像の神社は近年になって新築されたもので、こちらが旧社殿と鳥居です。この付近に火山灰を含む泥流が押し寄せ、ご覧のように一帯を呑み込みました。救いはといえば火砕流ではなく泥流、しかも社殿が残っているところから想像できるように、一気に押し寄せたのではなく緩やかな動きだったということです。それにしても、その深さはおそらく3mほど?すごい量です。

さて新社殿への参拝を先に済ませたおしんこどんが周辺を見てきて何やらビックリしている様子です。それは‥





枯れた木々の下部に見えている緑。もちろん新しく芽生えた木々もありますが、もともとの大木が「くっそぉ、息苦しくてひどい目に遭ったけれど、もう一度やり直しちゃる!」と強い生命の力を空に向けて伸ばしていたのです!(右上画像の細い幹はみな中央の木のひこばえです)。

三宅島では人も復興へと頑張りましたが、物言わぬ木々もこうして頑張っているわけです。それはもちろん、溶岩やスコリアで覆われた場所に入り込もうとする植物とて同じです。「生きようとする努力」と「その努力とは無関係に時折噴火する火山」とのせめぎ合いが、ここ三宅島でははるか昔から続いてきているというわけですね。



このあとは昨日も訪れた三七山展望台です。昨日は雲がかかっていた外輪山もこの日はスッキリくっきりフジカラーF2状態なのであります(午前中の訪問なので光線の状態もいい)。

ただ、山の上の方はまだ春浅く緑の芽吹きが‥って、この島の森は基本的に照葉樹林(常緑樹)のはずですから、芽吹きの問題だけではありません。それでは外輪山の中腹をズームで見てみましょう。すると‥





火口に近ければ近いほどガスの温度も高く、もしかしたら焼失してしまった樹木もあるのかも知れませんが、いずれにせよ山の上の方ほど植物の被害も甚大だったということなのでしょう。

ここからは、昨日展望台から見ていて「あれ、あんな所(海岸近く)に車が止まっているぞ、あそこまで行けるのか」と目を付けていたところに行ってみました。三七山とひょうたん山の間の場所です。



これ以上は進めないなというところまで行ったところでストップ(左上画像のポイント)。ここからはひょうたん山が海に落ち込む赤茶けた崖がよく見えます(ま、上からでもズームすれば見えましたが)。そもそも「ひょうたん山」の名前の由来は2つの噴石丘が連なっていたことから付けられたようですが、今や海側の丘は波に削り取られてしまったのだとか。ここにも「火山と海とのせめぎ合い」がみられるというわけです。

さて引き続いては島の東側にあるサタドー岬の灯台へ。最初道を間違えて廃道に入り込んでしまったのはご愛敬。灯台維持管理の車両が入るはずだし釣り人の利用もあるので廃道のはずはありませんよね(苦笑)。で、灯台手前の駐車スペースに車を止めて歩いていくと‥





ただしご覧のとおり安全のための柵などは一切ないので訪問は自己判断にて。風が強い日はパスすることを強くお勧めします。

ちなみに断崖上には複数の釣り人が糸を垂らしていましたが‥この断崖上から釣り糸を垂らすということは「ヒットしたらこの高さまで獲物を巻き上げる」ってことですよね?何だかずいぶん立体的な釣りなんだなぁとちょっとビックリ(笑)。釣りのお邪魔をするつもりもないのでそのまま岬の先端へ(道はあるようなないような)。



灯台の脇を通り越してさらに進むと、岬の先端に明らかな人工物の台が見えましたのでそこまで進んでいきます。阿古地区とは反対の場所にありますが、もしこの場に前日の阿古地区のような風が吹き荒れていたらじぇったい行こうとは思わなかったでしょう。幸いこの日の風は穏やかでした。



ひょうたん山を遠望する展望ポイントの北側は浜になっていますが、実際はスコリアの小石浜らしく、波の引き際には「ザザーっ」と小石が擦れ合う音がこの高さにまで聞こえていました。まぁこの繰り返しで「小石はやがて砂になっていく」のでしょうが。

ちなみにこのコンクリ台(念のため書きますが立ち入り禁止ではないと同時に公式の展望台でもありません)にはもともと何があったのか?それをホーフツとさせる遺構がありました(右上画像にも一部見えていますが左上画像マウスオン)。

コンクリートから突き出た鉄筋が、その後の潮風ほかの浸食により「ゴメンナサイ」状態にまで首をかしげています。現在のサタドー灯台は1954年初点灯ということですが、このコンクリ台はもしかしてその先代があった場所なのかな?

というわけでここでぐるり360度の動画です。




帰る道すがら(歩きやすい場所を選んで歩く)、左上画像のような岩の割れ目を見つけました(左上画像マウスオン)。どういう経緯をもってこの自然の造形が出来上がったのか何とも不思議ではありますが、出来上がってしまえばそうそう崩れませんからね。

駐車スペースまで戻ってきました。断崖の上という立地からか、ここで火山ガスのため朽ちた木はもう枝もほとんどもぎ取られた状態でした。しかしこんな残骸があるということは、ここも2000年の噴火以前にはそこそこ木々が生えていたということなのでしょう。今となっては想像しにくいですが。

さてこのあとは坪田地区界隈にてお昼ごはんといたしましょう。

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