− 2015/6 佐渡島(8) 海鮮夕ごはんに舌鼓&黒湯タンノー、翌朝は定番佐渡金山へ −



来ました、「正調佐渡のお宿の夕ごはん」!これを期待していたがゆえにお昼は海鮮モノをパスしていたわけで(笑)。


そんなわけで島の中部西側海沿いの佐和田地区を目指します。この日のお天気はうすぼんやりの晴れだったのできれいな夕日は望むべくもなかったのですが、それでも西に傾き始めた太陽は何だかほのぼの。



というわけでパシャパシャと写真を撮るおしんこどん。秋葉山信仰‥修験道ですね。



こちらは信仰とは全然関係のない「人面岩(横顔)」。おしんこどんがシルエット足上げに励んでます。



さてそんなわけでやって来た今宵のお宿「旅館 入海(いりうみ)」(右上画像マウスオン)。入口の引き戸ガラスには家紋も施された高級旅館です。実はこの日は日曜日、これが前日の土曜日(週末)ともなるとぐぐっと宿泊料金もお高くなるというわけで、今回の佐渡旅行計画立案時、島内移動計画とともに最初に決めたのが「この日の泊まりは入海に!」というわけだったのです(そのために小木での宿泊を断念せざるを得なかったわけですが)。

ちなみにそれほどのこだわりがあるということは‥ハイ、当然お風呂絡みに決まってます。


(「のみ不可」とは温泉先達氏による専門用語で「日帰り入浴不可=宿泊客のみ入浴可能」という意味です。)

前夜は両津の街に飲みに行ったわけですが、この夜はお宿の夕食をいただくことにしておりました。さてその食事前に当然お風呂‥と思いきや。



なお、おしんこどんが女性浴室(無人)の画像を撮ってきてくれましたのでまずはこちらをご覧いただいてと。





畳敷きの洗い場についてはすでに20世紀のうちに群馬県猿ヶ京温泉で経験しておりましたので今さら驚くこともありません(詳しくはこちら)。でも黒湯でとなると成分固着によるくすみ等も考えられるのでメンテナンスが大変なんだろうなと思うわけなんですが、実際に見たところはご覧のとおり全く問題なしでした。

ということでおしんこどんは夕食前の入浴完遂、Takemaは「皆さんがお食事後のまったりタイム」に奮闘努力することにしてしばしのんびりしたあと、夕食です。



上画像の再掲ですがホントに美味しそう。もちろん「冷えた天ぷら系」とは無縁の配膳です。



となれば、とにかく佐渡の海幸をいただこうじゃありませんか!



ビールは1本のみ、続いては当然佐渡の地酒に決まってます!



御飯(タケノコ炊き込み)とお味噌汁、そしてデザートのフローズン柿も一緒に出してもらいました。

いやはや美味しかったです。近隣にはビッグな温泉ホテルもあるようなのですが、やはり規模が小さいお宿のほうが作ってから出すまでの時間も短くてすむでしょうし、仕入れる食材の均質度もさほど考えなくていいはずですし。もっともこの日は宴会の団体さんに気をとられていたところもあったようですが(苦笑)。

夕ごはんのあとしばしまったり、でもおそらく同宿の皆さんはさらにまったりしておられるタイミングで「よし、Takema出動!」です。



お湯は柔らかい感じの炭酸水素塩泉、湯ざわりはツル感しっかりでなかなかの湯心地。なるほど、こちらの湯が「佐渡の温泉を語る際には外せない」というのはよくわかります。源泉温度は17度ほどということでもちろん加温循環ですが、どのタイミングでも塩素臭は一切感知しませんでした。ちなみに右上画像マウスオンで「佐和田温泉の由来」掲示に変わります。

続いては黒湯として「どのくらい黒い=濃いのか」チェックです。まずは湯桶における透明度チェックとまいりましょう。



左がこちら佐和田温泉の湯、右は、Takemaが入浴した限りにおいてたぶん一番黒かった北海道千歳市にある松原温泉旅館の湯です。さすがにこれは勝負になりません。でもね、



自称「日本一の黒湯」を標榜する青森県上北郡の東北温泉の露天湯が左上画像、そして右上画像がこちらの佐和田温泉です。露天風呂と内風呂という光線関係の違いはありますが(東北温泉画像のほうが分が悪い)、実際の目で見た感覚でもこちら佐和田温泉の方が濃かったように思います(佐和田の湯は朝風呂で撮影)。

おしんこどんはぱったりと睡魔王国の魔の手にかかり就寝。自分は就寝前にもう一回入りました。



さて清掃を終えた朝一番の湯にフライング入浴しようと喜び勇んで15分前に行ってみたら(朝風呂は6:00から)、すでにもっとフライングしている方が入浴中(あのね=同じ穴の貉ですが)。でも正規タイムにあらためて行ってみたらよし無人。30分近く浸かってましたが誰も来ませんでした。昨日の大宴会の方々はやっぱり地元の方々で泊まりじゃなかったのかな?

このあと朝ごはんにはまだ時間があるのでおしんこどんと宿近くを散歩。



何やら祠があるなぁと思ってよく見てみたら、ここが源泉湯元でした。ボイラーは反対側なんですけれどね。



お宿は海沿いなんですがこれは人工海浜かなと。海沿いにバイパスが通ってますので(宿入り口は旧道側)。



ひと株だけラベンダーが咲いていました。というわけで宿に戻って朝ごはんっと。



あさごはんは基本的に普通。無理に焼きものとか湯豆腐のミニ鍋とかを付けないのは個人的に好感です。食事が終わる頃に「コーヒーはいかがですか」とのお誘いをいただき、しっかりドリップコーヒーをいただきました。こっちの方が嬉しいです。



最後にもうひとっ風呂のあと、いよいよ最終日の行動開始です。

さて最終日は「金山、朱鷺、そして温泉で〆」ますよ。まずは佐渡金山から。



途中から遠望できるあの山の割れ目は「人間の欲望が造りだした造形物」なのだそうです(江戸初期の採掘跡)。古今東西金とかダイヤモンドとかでそれこそ「ゴールドラッシュ&強者どもが夢のあと」という風景を時々で目にしますが(自分の場合は特に南アフリカで)、なるほどねぇ日本でも目に見える形であったんですね。

ちなみにこの佐渡金山は江戸幕府のスタートとほぼ同時に開山し幕府の財政運営に大いに寄与していたということは、皆さんも「水戸黄門」とか「暴れん坊将軍」とかですでにご存じだと思います(笑)。でも自分も知らなかったのがその「閉山時期」です。いつ頃閉山したと思いますか?



金山に限らず400年近くも操業が続けられた鉱山って世界でもそうはないはずでしょう。アメリカの草創期に西部でゴールドラッシュが起きたときだって、それは数十年単位で「以上、終了!」となったところがほとんどのはず。ところが佐渡では明治、大正、昭和と、どんどん採掘技術が進歩していく中で(それは同時に金脈の採掘量が加速度的に増加することを意味します)、それでも採掘を続けることが出来たほどの豊富な埋蔵量を誇っていたわけですね。すごいわ佐渡金山。



さてしかし、これは寒いかも試練だぞというわけでおしんこどんは羽織るものを取りに車に戻りました。Takemaは‥アロハシャツ一枚だったんですがこのまま強行突入(笑)。



南大東島の鍾乳洞でもそうでしたが、洞内との温度&湿度のバランスを維持するべく内部扉を開いていざ洞内へ。結構ひんやりしていますが10度という温度レベルではなくてよかったなと。

最初のあたりの説明書きにあったのがここ佐渡金山の総産出量です。それによると‥



理数系に弱いTakemaと同じ文系の皆さまであればご存じのことと存じますが、幕末の江戸幕府および明治新政府が「やってもうたぁ大失敗!」と後悔先に立たず系の事態にビックリしたのが「金銀の交換比率の違い」でありまして、安い銀を持ってくれば高価な金をお持ち帰りになれる‥西欧諸国にとって特別にオイシイ貿易だったのがあちらさんとの最初のやりとりでもありました。で、まずは近代=明治以降の坑道へと入ります。



何やら塞がれてるなと思ったら、その奥はお酒をじっくりと寝かせる「むろ」でした。



近代坑だけあってトロッコを使って大規模に採掘していたようです。



左上画像のあたりが上の方の画像にあった割れ目「道遊(どうゆう)の割戸」の直下らしいです。ここから先は坑道がいくつか分岐していて、「このあたりの鉱脈を徹底的に探すぞ探せ!」という意気込みが形として残されています。

右上画像はたぶん明治時代のもので、同じ道遊の割戸を露頭から採掘している様子を撮影した写真ですが、うーん相当危なっかしいぞクライミングじゃないんだから(苦笑)。



さて坑道から外に出てきましたがこれでオシマイではありませんというかまだ半分も来ていません(笑)。ここからはその道遊の割戸を至近距離から眺められるポイントへと進みます。しばらく緩い坂道を上り、最後は階段を少々。



説明書きはともかくとして、柵の部材はやっぱりレールですね。山手線のホーム屋根の柱などでも見られます。





いやはや、人の欲望は計り知れないというかやっぱりそうかというべきか、まぁよくもここまでやったもんだと唖然とする反面、「今残っているこの山体にはホントにもう有力な鉱脈ってないの?実は表面のすぐ下に大鉱脈が隠されていたりしないのだろうか?」と思ってしまう自分がいたりするわけです。ま、自分は本来の意味での「山師」にもなれそうにもありませんから「掘ってみてもいいよ」と言われても遠慮しておきますが。

さてこのあとは先ほどの坑道出口まで戻ってきました。このあたりは小広い平地になっていまして、採掘当時にはいろいろな施設が集まっていたのだろうと思いますが、今はその一部が当時の機械を中心とした資料館その他として公開されています。



「触らないでください」どころか、どうぞ記念写真を的展示に好感。当然かぶります乗ります!



超ミニターンテーブルもあり手で回すことも可能でした。Takemaは悪ノリしましたが(苦笑)。



記録映像を見ることも可能です。三菱マークの由来は知らなかった!それに三菱の瓦は初めて見た!(右上画像マウスオン)。

さてここからはいったん出発地点へと戻るわけですが、順路という名の草地広場を歩きつつふり返ってみると‥







そんなわけで正座して手を広げてみたり足を上げてみたり(まったく意味不明)。



最後はトロッコ道&坑道をくぐって受付方面へと戻ります。


最後はしっかりおみやげ屋さんの内部を通って戻る仕様になっているのはまぁ観光地のデフォルトということで(笑)。ちなみに建物2Fは資料館になっておりまして‥



ある意味での一番人気の展示物は上画像の「純金の延べ棒」ではないでしょうか(笑)。おしんこどんもTakemaも(右上画像マウスオン)何とか持ち上げようと試みましたが、何てことない大きさのように見える延べ棒が‥重いんですよ。縦にするのが精一杯。

あまり純金には縁のない半世紀を送ってきたTakemaゆえに知らなかったんですが(笑)、金は非常に比重の重い金属で、たとえば1立方cm(1cm)の場合、比重1の水であれば当然重さは1gとなるはずですが、純金の比重は19.3。つまりキャラメルくらいの大きさの立方体が19.3gもあるわけです。

右上画像に見えている延べ棒、体積は書かれていませんが重さから逆算してみるとおそらくは600cm3のものだと思われます。水を入れたポリタンなら600g(+ポリタンの重さ)に過ぎないわけですが、この純金の重さは‥



ちなみに「30秒以内に素手で取り出せた方には純金箔カード(○○人目の番号入り)を差し上げます」という掲示がありましたが、それよりも「取り出すや否やダッシュでその場から立ち去る」ような不逞の輩がいないのか、そっちの方が心配です(苦笑)。何たって、時価にすると6,200万円相当ということでしたから‥

さてこのあとは江戸時代の採掘坑道である「宗太夫坑」へと進みます。以前どこかのブログサイトで「ここ佐渡金山の人形は表情とか動きがなかなかリアルである」だということは聞き知っておりました。そういやその昔東京タワーの付属施設で「蝋人形館」というのがあったよなぁ、今でもあるのかと思ってたった今検索してみたら‥残念、2013年に閉館してました(参考ブログはこちら)。結局見ないままでしたが、その蝋人形たちはいったいどこに行っちゃったんでしょう‥

話を戻して宗太夫坑です。でもまぁ写真で写せばこんなもの。基本的に「彼ら」が声をかけてきたりうめいたり叫んだりというようなことはないので(それをやったらただのおばけ屋敷です)安心です。ただし音声が流されているところはあります。



休憩中&選別中の坑夫たち。やはり無宿人も働いていたようです(右上画像マウスオン)。



静止画なのでわかりませんが多くの人形がゆっくりと動いています。



そんなわけで佐渡金山の見学終了。初めての訪問でしたが結構充実していると思いましたし、今回の「基本見学」のほかにもいくつか見学ツアールートが用意されているようです。かなり力を入れていることもわかりますし、やっぱり佐渡にいったら一度は行かなくては系の施設です。

このあとはここから直結の「大佐渡スカイライン」経由で山を上がってすぐに下ります!(笑)。あ、最後にどうでもいい動画です(苦笑)。


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