【2016/3 南相馬〜釜石+栗駒・東鳴子】

− その5 定番の東鳴子界隈(笑)&女川へ −

ええっと、このページは結構短いです。ページ割りを失敗しちゃいましたんで「女川での佳境うふふ体験」を次ページに回しました。東鳴子はTakemaの「定番」しか出てこないので、拙サイト常連の方はささっと読み飛ばしてくださいませ。逆に初めての方は「こんな鳴子宿泊もあるんだな」とわずかな参考にしていただければ幸いです(笑)。



さてやって来たのはもはや常宿の阿部旅館さん。実はお恥ずかしい話ですがこれまで鳴子エリア(鳴子・東鳴子・川渡・中山平)で泊まった宿はといえばすがわら、東多賀、阿部、高友、初音、久田、中鉢の各旅館しかないのです。しかも日帰り入浴した施設を全部挙げてみても‥

鳴子 すがわら、東多賀、西多賀、岡崎荘、姥の湯、滝の湯、福の湯、栄泉、某GSの湯ほか3湯、計12湯
東鳴子 阿部、久田、高友、初音、田中、勘七湯、馬場、中鉢ほか2湯、計10湯
川渡 高東、板垣、川渡共同湯、計3湯
中山平 丸進別館、星沼レストハウス、花渕、三之亟、しんとろ、計5湯

これくらいかなぁ。これを多いか少ないかと考えるかのご判断は皆さまにお任せしますが、これまで何度も鳴子界隈に来ていることを考えると「え、農民の湯は?早稲田桟敷湯もまだ?あれれ河原湯も入らないままだったのね?」等のツッコミどころは満載かと存じます。

まぁいいんです、自分の湯めぐりはのんびりですので(ちなみに自分の温泉カウントは温泉地名ベースですので、今後この界隈で新たな宿湯に入ってもカウント数は増えません)。



そんなわけで阿部旅館の通称VIPルームにチェックインしました(この部屋だけ2間続きなのでいつの間にかそう呼ばれているようです)。また右上画像の浴室屋上も温泉ファンの定点撮影場となっているようです。本来は洗濯物干し場なんでしょうけれど、自分も湯上がりのくつろぎ場として利用させてもらっています。

さてお風呂‥とも思ったのですが、焼肉宴会席予約までの残り時間が中途半端だったのと、焼肉ですのでニオイも付くでしょというわけで帰ってきてからゆっくり入ることにしました。で、お約束の大相撲中継に見入ったため、温泉師匠を少々待たせてしまってごめんなさいm(_ _)m。というわけで師匠の車で向かったのは‥




(なお温泉師匠は車なのでウーロン茶(奥)です。Takemaの透明グラスは芋焼酎ね)





この日注文した品々。基本的に海鮮系はなしでお願いしました。明日以降は三陸に移動ですし。

そんなわけでいろいろなものを飲み食いし、最後は冷麺系で〆としたのはいつもの通り。次に訪問するのは2016/5/4(すでに予約済)、それまでにこんなにお肉を食べることはまずないでしょう(笑)。それにしてもいろんなお酒を飲んでますねーTakema(笑)。



阿部旅館帰着後は身体洗いメインでお風呂(奥の浴室)へ。なお一般論として「過度に」お酒を飲んでからの入浴はキケンですから注意しましょう(自戒)。それにしても結構な笹にごりでした。



明けて翌朝。朝湯こそじっくりとまたも奥の浴室へ。いやぁ、やっぱりいいわー(堪能)。でもよく考えたら今回手前の浴室に入らぬままでした(苦笑)。まぁ、またGW(5/4これまた予約済み)に泊まりに来るからいいですかね。ちなみに現在の奥源泉湯に初めて入浴したのはわたくしTakemaなのですよ!(詳しくはこちら。当時阿部旅館さんから公式に認定?されました)。

朝ごはんを極力早めにしてもらいパクパク。無駄に多い朝食(朝から湯豆腐付きとかお膳で干物焼いたりとか)を出したりすることが「おもてなし」だと思っているお宿には是非認識を新たにしてほしい「シンプルかつ必要にして十分な朝ごはん」です。だってそもそも普段の朝ごはんでおかず6品なんて食べてないでしょ!(笑)。

さてそんなわけで8時に出発。この日最初の目的地は海沿いの女川町です。前夜のうちに温泉師匠から「この道を行くと大崎市中心部をパスできるよ」と聞いてはいたのですが、途中でルート選択を誤ったのか(いかんせんこの時のカーナビデータは2010年のものでしたので)たぶん無駄な時間を費やしたようにも思います(苦笑)。



この日からは平日ですので皆さまのお仕事や復興作業にあたるダンプ等も平常運行となります。そうなると‥多くのダンプが「遵法走行」をしていることもあり(おっとわたしも遵法ですが(念のため))、なかなか距離を稼げません。鳴子から女川まではだいたい2時間というナビの予測でしたが、確かに2時間近くかかったよなぁ。



浦宿を越えて真っ直ぐ女川の中心部に進む道路は閉鎖になっていました。で、バイパスから見ると‥「かなり急傾斜の作業道を、いわゆる超大型のダンプが登っていく」のが見えました。以前陸前高田でも見た、よく海外の露天掘り鉱山などの紹介写真で見かけるようなものすごく大きな作業車なのです。

山肌も樹木が伐採されています。あのあたりも旧中心部かさ上げのために削られるということなのでしょうか。もっとも、数年前に陸前高田の超長距離コンベアを見ているわれわれにとっては「そうなのかなぁ」というぐらいにしか思わなくなっているわけですが‥(複雑です)。



実際、旧中心部の盛り土作業はそこそこ進んでいるようでした。旧江島会館のあった場所ももう土が盛られていましたし。ただ、東日本の津波襲来時に右上画像の擁壁を越える津波が押し寄せたことだけは忘れてはいけません。何十年、いや100年経ってもいまの盛り土部分に住宅を建ててはいけないのです。これまでの津波で命を落とした先人の方々が身を以てお示し下さった教訓をしっかりと受け継がなければ。それはごく簡単な伝達にすぎません。





そのことを前提にしつつ、女川港周辺では漁業関係の施設がどんどん建設中でした。いざというときはそれらを放棄して逃げるという大前提さえ守られれば、日常業務の利便上この復興順序は正しいのかなと思います。被災後の仮設住宅建設はもちろん喫緊の課題でしょうが、被災者が置かれた経済状況を考えれば地元での雇用復旧を最優先すべきだと思います。

ケロロ軍曹やももクロやサザン(桑田佳祐さん)、また安倍首相のみならず天皇皇后両陛下までご訪問下さり、ある意味「津波復興の先頭」を行くように見えている女川町ですが、実は災害公営住宅の建設等においては他の市区町村に比べて遅れているということです。それはつまり「被災者の方々がなかなか仮設から出られない状況」であるということでもあります。

でも、これからの町を牽引していく働き盛りの人たちに「まずは日々の収入を確保してもらう」ことを優先した結果であるとするならば、仮にそれが結果論であったとしても優れた施策であったと思います。仕事(収入)がなければ人はその場所から離れざるを得ないわけですから‥。

駅前の商店街についても同じです。女川町は外部からの集客をするランドマークとしての恒久的施設を整備することに最初に成功したのかと思います(もちろん素人がみての意見ですが)。津波被災地の各地に復興商店街はありますが、恒久施設をうまくまとめたのかなぁと(さらに進化=商店や飲食店は増えるようですし)。

今後、たとえば南三陸のさんさん商店街等も今年度(2016年度)中に恒久施設に移行する予定のようですが、お役所が陥りがちな「整備費用の積算をもとに賃貸料を計算して提示、結果、想定をはるかに下回る賃貸契約しか取れない」というパターンだけは避けてほしいところです(工業団地なんかはまさにそういうのばっかりだし)。残念ながらそのパターンに陥っている地があると聞いたような気がしますので。



さていつものように話が長くなったので先にいきましょう。女川駅周辺はあとで再訪問することにして通過し北部の尾浦港へと進みます。ここが待ち合わせ場所なのです。



「港に着いたら連絡してください」というわけで連絡したわけですが港のどこだかわからない‥。お迎えに来て下さるあいだ、猫と戯れたりしているうちに徒歩で迎えに来て下さいました。

さて、このあとはどうなるのか?次ページで当然ながら詳しく書きます!

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