【2016/3 南相馬〜釜石+栗駒・東鳴子】

− その8 ダンボルギーニ&お昼ごはんのあと南三陸へ −



見てきましたよ、噂のダンボルギーニ!

さてAさんとお別れしたあとは北上する予定なのですが、まだお昼ごはん食べてなーい!しかも2015/12に開業した女川駅前の「シーパルピア女川」、この数日前に天皇・皇后両陛下がお越しになった場所なのにまだ見てなーい!というわけで、この2つの欲望を満足させるべく、再び女川中心部へと戻ったわれわれでありました。





ええっと、思いっきり閑散としているように見えちゃってますが、実際にはほぼ常に人々の往来がありました。人の姿が写り込んでもボカシを入れたりはしないので、写り込まないタイミングを狙って撮りましたので念のため。

さてごはんも食べたいのですが、飲食店も含めてどんなお店があるかもわからないのでひと通りぐるりと回ってみることにしました。個人的に気に入ったのが一番駅寄りにフルーツ屋さんがあったこと。地元の人には八百屋さんがあった方が利便性が高いのかもしれませんが(もっともその向かいのおんま〜とストアでは野菜も売っています)、フルーツ屋さんって雰囲気を明るくしてくれるような気がするんですよ。



両陛下ご来臨の際にも立ち寄られたスペインタイルのお店。確か陛下が「電気窯で焼いておられるんですよね」と質問なさっていたかと。NHKの番組で放送された際に焼かれたタイルも飾られておりました。

ここでちょっと裏側に出てみると丘の上の医療センターが見えました。この撮影場所自体がすでにかさ上げされた場所なのですが、3/11の大津波ではあの建物の1Fまで浸水したのです。あれほど高台なのに‥。

また、医療センターの下部には長い横断幕が掲示されています(上画像では遠すぎて文字が読めませんが)。そこには、



と記されています。これ、知らなかったのですが地元の小学生が作った詩の一節なのだそうです。ご存じでしょうがもうずいぶん前から掲示されていますよね。

さて再び商店街に戻ります。次のお店にはこのような掲示が。





ランボルギーニならぬ「ダンボルギーニ」 in 女川。今はまだ多くの方がご存じかと思いますが、この情報もやがて古くなりますのでとりあえず説明しておきます。

石巻市の強化段ボール加工会社である(株)今野梱包さんが、加工技術の技を凝らし約半年をかけて製作したこのダンボルギーニですが、その根幹に「被災地の意気を見せたい」という思いがあったであろうことは想像に難くありません。

そして、その心意気に応えたのが日本ランボルギーニ。東京にあるディーラー社員さんは東北のご出身だったにもかかわらず東日本大震災の時自分が何の役にも立てなかったことを心にとどめておられたそうで、そこにこの「ダンボルギーニが女川の商店街ショールーム(営業所)に展示される」ということを知り、たぶん上司を説得なさったのでしょう、



そんなダンボルギーニは両陛下も御覧になっておられるというわけです。社長さんはランボルギーニ麻布店からメールが来た時に「さすがにお叱りを受けるときが来たか‥」と覚悟なさったそうですが、まさかその「作品」が「本物」と一緒に展示され、さらにはそれを両陛下が御覧になることになるとは万が一にもお思いになっていなかったでしょう。‥でもそれが女川(石巻)の発信パワーとして大きく影響したことはいうまでもありません。



フロントマスク画像と合わせて御覧いただければこの精密さがおわかりいただけるかと(上画像マウスオンでフロント画像に変わります)。ただ、社長さんは「現物を見たことのないまま(写真をもとに)設計図を書いたので、細部がかなり違っていることがわかった」とおっしゃっているようで、「もう1台造る」とかいう話もあるとかないとか。

強化段ボール加工の会社だけあって室内にはいろいろな段ボール製品が展示されていましたが、何も買わず見学だけでごめんなさいm(_ _)m。



さてそんなわけでご飯タイムと致しましょう。この時点で13:30くらい、そしてこの日の泊まりは夕食付きのお宿なので間違いなく海鮮三昧お腹いっぱいバージョンだと予測し、ここは「軽く」わかめうどんを注文したTakemaでありました。ちなみにおしんこどんはしっかり揚げ物系の定食を注文(笑)。

「わかめが特製なのでこのタレでお召し上がり下さい」とのこと。うん!確かにそんじょそこらのヘナヘナわかめとは食感が違います!そういえば職場で愛用している(カップ麺でしのぐ時に投入している)乾燥わかめも、「三陸産」と明記されているものとそうでない(たぶん中国産?)とでは全然違いますし、そしてその乾燥三陸産ともじぇんじぇん違うしっかりした食感と味わいによしよし!

でも、わかめが別皿&タレもうどんとは別ということなら「わかめうどん」というよりは「特製わかめ付きかけうどん」というネーミングの方が実態としては正しいように感じるのですが‥(苦笑)。

同じ店舗内には「さんまパン」など地元ならではの産品が多く販売されており、われわれも(というかおしんこどんが)大量に買い込みました。さんまパン、日持ちもするのでおみやげにいいですよ、お勧め!(右上画像マウスオン)。



さて最後に女川駅にやってきました。大きな建物ですが、実は駅としての機能は必要最小限に抑えられていまして、自動券売機のほか窓口もありますが扱いとしては簡易委託駅です。1Fの面積にして半分以上、そして2Fの全面積が「女川温泉ゆぽっぽ」およびその関連施設となっています。



駅の前には足湯があり、お湯が注がれていたので「手湯」することに。足湯もせずこれだけで済ませたのは、単純に車にタオルを置いてきてしまったからなのですが、それは同時に「ゆぽっぽに入浴する意志がなかったから」ともいいます。



そろそろ先を急ぐ必要があったことが第一なのですが、この日は何と通常500円の入浴料がたったの100円!ということは連休明けの平日とはいえかなり混んでいるのではないかと思ったことも理由の1つです。結局1Fの物産展で、この数日後に停波(閉局)した「女川さいがいエフエム」のステッカーを購入しただけでこの場をあとにしたわけですが‥1Fの奥にあったこの掲示が見られてよかったです。





新聞社の建物も被災し輪転機を回すどころかそもそも電気もない中、それでも同じ被災者となった地域の人々に何とか情報を伝えようという使命感のもと書かれた「号外」。わたしゃこのニュースを初めて見たときに涙が出ましたよ(本当)。

一方で2016/4に起きてしまった熊本の大地震では、関西のテレビ取材車がGSに並ぶ車列に割り込んで給油を強行するというお粗末さというか傲慢さ。マスコミの上から目線というか自己反省のなさにはしばしば辟易しますが、マスコミ関係者各位に申し上げたいのは「謙虚たれ」ということ、そして「自身の本分(使命)に忠実であれ」ということ。この一地方新聞社の奮闘努力の結晶を、ほんの僅かでも見習ってほしいものです。



さてここからは一気に北上します。旧雄勝町の地区に入ると左上画像のような横断幕が。これはそこそこ最近になってから設置されたものではないでしょうか。これまでは見た記憶がなかったなぁ。

そして旧大川小学校のすぐ近くで北上大橋を渡ります。津波の影響で一部が落橋したため緊急工事で仮橋が設置されたわけですが、ここはなかなか本復旧となりませんね。とりあえず片側一車線ずつ(=ダンプのすれ違いOK)を確保できていることから、優先順位が低いのでしょうか(右上画像マウスオン)。



北上川沿いの道は何度も道路が付け替えられていますが、最終的にはこの高さ(左上画像)の堤防上を国道が走ることになるようです。でもここに限らず三陸沿岸における一連の復興計画は堤防にせよ防潮堤にせよ、さらにはたとえば女川のような土地かさ上げにせよ、



「津波は人知(という名の勝手な想定)を超える」という前提のもとの整備。女川の水産加工施設はもちろん、さっきまでいた商業施設「シーパルピア」(盛り土された場所に建設)だって、再び東日本大震災と同規模の津波が押し寄せれば壊滅してしまうでしょう。

だからその周辺の盛り土エリアに住居を構えることはできません。南三陸も、陸前高田も同じです。ただ難しいのは「1階は津波にやられたが2階は無事&建物は残ったので修復して住んでいる」お宅だとは思います。だからこそ津波の記憶を伝え継ぐことが大切なのだと‥。

それにしても、右上画像の被災した水門施設はいつまで経っても撤去されませんね。ここまで残してきたということは、もしかしてこれも震災遺構として残そうということなのでしょうか?(謎)。



南三陸町に入り、2014に「めずらしく立派なホテル」に泊まった「ホテル観洋」の前を通過です(その時のページはこちら)。その時は素泊まりにてタクシーで「南三陸さんさん商店街」「松原食堂」さんに夕食兼「飲み」でおじゃましたんだっけ。しかし残念ながらこの日の松原食堂さんは定休日。

そもそもこの復興商店街(としては相当成功していると思われる)さんさん商店街も、今年度(2016)のどこかで海側の盛り土再開発エリアに移設されるのだとか。そんなわけで、この旅行の出発前に松原食堂さんに連絡してみたところご主人がお出になり‥


(未確定の部分も多いと思うので、あまり断定的な書き方はしておりませんが‥)。

とおっしゃっていたのでとりあえず期待!いずれにせよ今年中に、また「夕食&飲み」に伺おうと思っています。「久々にゆっくりします!」とご挨拶した上でタコをつまみにして飲みたいなぁ。それが無理でもランチは必ず!(この場合飲めない&長居してじっくりはできないんですが)。

ところで南三陸町の旧中心部はかなり盛り土が高くなっていました。うわぁ‥



旧防災庁舎(3階建て)と同じ or moreの高さまでの盛り土が!「3.11」の時の津波はこの屋上に避難した町職員の多くを押し流してしまいました(生き残れたのは屋上から上に延びたアンテナ塔にしがみついたごく一部の方々だけだったと聞いています。詳しくはこちら)。

しかしその高さを一部で凌ぐほどの盛り土?いや、でもやがてはこの国道45号線もかさ上げされた場所を通ることになるでしょうし、そのぶんの土を脇に盛っているだけなのかもしれません(周囲の盛り土はそれより低いようですし)。それにしても、このエリア旧防災庁舎周辺の復興後の青写真がイマイチ(ネット上でも)見えてこないんです。現状での保存が県に移管されているためなのかもしれませんが、保存はされるとはいえ今後どうなるのでしょう?

それはともかく、この検索を通して「?」と感じる海辺の歩道橋計画とか(コストパフォーマンスを考えているとは思えない外部からのデザイン公募進行中)、そのいっぽうで志津川&歌津地区に新たに造られる商店街の入居保証金が「月額賃貸料*10か月分」であることを知ったりしてちょっと(かなり)びっくりしました。

志津川(さんさん)と歌津(伊里前)が同率ですか?しかも志津川だって飲食店と衣料店では全然日々の収入が違うはずなのにそこも一律?もちろん補助金はあるようですが‥。


(詳しくはこちら。PDFファイル*62ページなので重いです)。

そんなわけで、このあとは歌津の伊里前商店街へと進みます。ページが長くなってきたので以下は次ページへ。この日は大船渡まで北上するのでまだ先は長いです!

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