− その7 浜中&花咲経由で久々の納沙布岬行きもしっかりガスの中 −



キミたちの走りにちょっと癒やされましたよ。

さて翌朝の目覚めは悪くない‥というかゆっくりめに起きました。ちなみに朝食後外にタバコを吸いに行ったら、ちぃにぃ&けいこさんのバイクはすでに影も形もありませんでした(苦笑)。



こちらのホテルの朝食バイキングは生ダコや焼きたてパンなどもあってなかなかよろしいです。でもこの日も釧路の天気はイマイチ。曇り&薄くガスっている感じです。となると今日も北太平洋シーサイドライン(絶景ロード)はあまり期待できないなぁと思いつつ出発です。あ、その前に釧路駅構内をうろうろ。水槽のマリモはさして光も当たらない場所ですが絶賛光合成中ありがとうモードでありました。

さて昨日は海沿い経由だったので、ここからはR44を根室方面に東進します。が、メインロードのR44とはいえ釧路の市街地を抜けるとガラガラで、「これで根室エリアの経済は大丈夫なのか?」と心配になるほどです。そんでもってこの日も厚岸の道の駅で休憩し、もう少し直進。

浜中町に入ってすぐ、茶内駅方面へと右折。実は霧多布のビジターセンターに立ち寄るつもりで曲がったのですが、そのついでに駅に立ち寄ってみると‥




(両上画像マウスオンでそれぞれ別画像に変わります)

そう、上画像にも見えていますがここ浜中町は「ルパン三世」を世に送り出したモンキー・パンチ氏の出身地なのですね。ということで町内にはあちこちに「ルパンおよびその関係者」が潜んでいます。それを目当てにうろうろしてみるのも面白いかもしれません。



自分としてのルパン三世の原点は「あの30分アニメ」だったんですが、ずいぶん顔つきが変わりましたね。



この茶内駅(無人駅)ホームも銭形警部が24時間警備中でした。列車交換駅のようなので観光客には大受けでしょう。

このあとは昨日に引き続き霧多布方面へ。というか、霧多布湿原にあるビジターセンターには行ったことがなかったので寄ってみようかと思っただけです。



お客さんは数名。中国語を話す家族連れもおられましたが、静かに話しておられたので台湾からお越しになったのかなと(勝手な思いこみ)。ちなみに望遠鏡で右上画像をズームした先にはタンチョウツルが見えましたので、隣で覗いていたお父さんに英語で「クレインがいますが見えましたか?」と聞いてみると「はい見つけましたよ、ありがとう+α」と、流暢な英語で返答してくれました。たぶん自分より英語レベルは上だなぁ(苦笑)。



1Fの売店に降りてきたら、確か地元の‥という小松牛乳が販売されていたので即購入。それにしても牛乳瓶の製造中止ということですし、現在の運営態勢に変化があったらもしかして‥という気にもさせられます。今はどうだかわかりませんがハーゲンダッツにも生乳を納入していたという小松牛乳、これからもガンバレ!(でも味は案外普通でしたが)。



霧多布には2日連続の訪問ですが、この日はガスがだいぶとれていて多少見通しありだったので灯台から先へと進みます。2016夏現在、右上画像マウスオンで出てくる場所が公式の最終到達点ですが、1990年代はもっと先まで行かれたようですというか行かれました。まぁしゃーない。



岬の断崖周辺は海鳥の休憩&営巣地ともなっているようです。何だか弥生人をホーフツとさせるあの岩の上にもちゃんとカモメが鎮座してますし(左上画像マウスオン)、別の場所には海鵜もたくさん(右上画像マウスオン)。あ、あの岩がどうして弥生人に見えたのかは自分でもわかりませんが(苦笑)。

さてこのあとはさらに根室を目指すべく、北太平洋シーサイドラインを東進します。この区間、好きなんだぁ。



あれ、でも太平洋が写っている写真撮らなかったのか(笑)。でもこの内陸区間も好きですが。

このあとは花咲港方面に立ち寄ります。もう20年ぶりくらいじゃないかなという久々の訪問、ひさびさに花咲カニを食べたい気持ち満々でしたが、予想通り‥



その昔にお世話になった橋本カニ店は閉店していました(左上画像、道路に面したシャッターの上に小さく屋号が書かれています)。近くには別の直売所がありましたが、何だか食べられるスペースがないようにも見えます(未確認ですが)。



一方で、以前は記憶になかったロシア語の表記が町内のそこかしこに見られます。郵便局の入口にもしっかり記載されていましたが(左上画像マウスオン)、両替にやってくるのかな?まさかゆうちょ銀行の口座を持っているとも思えませんが‥いやちょっと待て、自分もかつてNZの銀行で自分の口座(ANZとBNZ)を持っていたし、正規の口座開設手続きさえ行えば別に問題はないんでしょうね。



さてこのあとは自分も1度しか行ったことがない納沙布岬へ。もちろんおしんこどんは初めての訪問ですが、東に進むにつれて‥あーあ、ガスっちゃった。まぁしょうがないですね。それにしても北方領土の問題って意地というか面子にこだわる限りは何も前に進まないのはこれまでの交渉の歴史が証明しているとおり。部外者たるTakemaが言うのも何ですが、そろそろ現実的な落としどころへと向かうべきなのではと思っています。



まぁそれでもこんなふうな記念写真は撮るわけですが。



帰路は北回りの道道経由で市内へと向かいますが、広い放牧地に放たれた馬くんたち、Takemaの車が普通に舗装路を走っていくと‥おお、何だかいいぞいいぞ嬉しい行動です!




気がつけば昼ごはんを食いっぱぐれてしまい、セイコーマートのホットシェフにて揚げ物などをつまんだ上でそろそろこの日の目的地方面へと向かうことにしましょう。



そんなわけで奥行臼の交差点へ。旧標津線が走っていた線路はまだありましたが駅舎は‥しまった何度も来ていたのに知らなかったのが、旧奥行臼駅ってもう少し南側にあったんですね(苦笑)。そっちまで行けばもっといろいろ「お勉強」できたかもしれなかったのに‥うーむ残念。

一方で、すぐ向かいの奥行臼駅逓(明治末期から昭和初期まで江戸時代の宿駅と同じようなイメージで運用)は大屋根掛けをされて大幅に手が入れられているようでした(両上画像マウスオン)。ま、この現場を見たから間違えちゃったんですが(苦笑)。



ここからはさらに直進しますが、晴れとガスのエリアが交互に続きます。まぁ根釧エリアの海岸沿いの夏はいつもこんな感じなのでしょうがないかなと。でもバイクだとこの変化(体感気温の急変)は結構びっくりするんですけれどね(車なので問題なし)。

さて今宵の宿も近くなってきたところで最後の休憩@道の駅おだいとうです。



こちらにも北方領土関係のオブジェがありましたが、これを見た瞬間に思い出したのは鹿児島県三島村の俊寛僧都のオブジェでした(右上画像マウスオン=元画像紛失につき画質が悪いのはご容赦を。なお元画像のページはこちらです)。

まぁこのそれぞれを一緒くたにしてしまうことには問題があるとは思いますが、でもやはり気にせざるを得ないのが「戦後に北方領土に生まれ育ち、『ここがわたしの故郷である』と間違いなく考えているロシア人の皆さん」のことです(所有権とかの話はここでは触れません)。「日本への帰化を認める」なんてのは愚の骨頂というか何だよその上から目線はという意味で論外ですが(でも案外そういう発想の人はいそうな気がします)、



かつて国内面子の面ででポシャった2島先行返還案、政治の先行はともかくとして悪くなかったと思うのです。この地域にお住まいの方々にはいろいろな思いがあるということは重々承知の上ですが‥。

さてそんなわけで宿に到着です。「え?こっちでいいんですか?」。

[戻る] [次へ]