- その2 まずはいわきワンダーファーム経由で石巻・南三陸へ -



ワンダーファームでお買い物をした上でさらに北上します。

さて北上を開始しましょう。土曜日なので道路も混んでるかなと思いましたが常磐道は実にスイスイで、途中で朝ごはんをのんびり食べる余裕あり。まぁ年度末ですしねえ。ところで友部SAでの朝ごはん(お蕎麦)、予想外?にまぁまぁ美味しかったです。さすが常陸は蕎麦の里。ただしお値段もそれなりなのはしょうがないか。



いわき四倉ICでいったん高速を下りて、IC至近にある「ワンダーファーム」へ。基本的にトマト農場という認識でいたのでしたが、上画像の大トマトを見るにそれで間違いないかなという感じですね。



とりあえず手を上げたり足を上げたりのお約束行動。



開店直後にやってきたようで先客さんの姿はゼロ、となれば顔を出したりするのも気兼ねなく出来ますね(左上画像マウスオン)。あ、まだ手が回っていなかったのか日付が前日のままだったのはご愛敬。

で、こちらにやってきた最大の理由が右上画像の「とまと味噌」購入であります。何でもこちらのファームとスパリゾートハワイアンズの共同開発ということで、使っているトマトの品種が「フラガール」、パスタにもおにぎりにも、パンにのせてもとにかく何でも美味しくいただけるということで一部のいわき在住者が絶賛しておりまして、ならばというわけでやってきたわけです。2瓶購入&トマトジュースも購入した上で再び北上開始です。



南相馬鹿島SAにて、わが家の定番味噌となっている若松さんの田舎味噌を購入。ホントは青バタ味噌にしたかったんですが、SAの売店では販売していないんですよね。とはいえ今回はお店まで買いに行く時間がなさそうなのでまぁしょうがないです。

そして三陸道経由で石巻へ。実は出発時に想定していたルートに石巻は入っていなかったんですが、車中でおしんこどんが「石巻に寄れる?かき(牡蠣)あめが復活販売したらしいんだけれど、現地じゃないと売っていないらしいんで」とのたまったことから急遽の立ち寄りとしたわけです。



そんなわけで石巻元気いちばへ。しかしそうなるといろんなモノに目が移り、気がつけばお米やらサバ缶やらいろいろ買い込んでしまいました。こりゃお金が貯まらない人の典型的な消費行動パターンですな(苦笑)。

で、ここでおしんこどんが新たなひと言。





確かに震災後再開されたにもかかわらず一度も行ったことがなかった‥というわけで初見学です。そういえば登米市の石ノ森章太郎氏生家のほうには行ったことがあったもんなぁ(偶然でしたが)。この時です。







ちなみになぜこの萬画館がここ石巻にあるかというと、確か学生時代の氏は映画館のあったここ石巻までしばしば自転車で通っていたのだとか。そんなご縁もあってというお話だったと思います。

東日本大震災では津波で被災しましたが、さいわい上層階まで波が上がることはなくここに避難した数十名が難を逃れたのだとか。そして震災の翌年2012/11に再開したということです。地域の被災のレベルからすればこの再開はすごいスピードです。そしてその再開時には実に多くの人々が集まったのだとか。いい話じゃないですか!



というわけで仮面ライダーの前で記念写真。仮面ライダーカード、今でも持ってますよ(というかどこにあるかは不明ですが絶対に捨ててないので)。自分はライダー2号がリアルタイムだったかな、V3からはほとんど見ていません。でも今ライダーは30代目を越えてるんですね。よく続いているというか、そんなライダーをゼロから生み出した石ノ森氏の創造力にはつくづく感服いたします。




館内の自販機もキャラモード満開。あ、たまたまビッグコミック展やってました(右上画像マウスオン)。

壁面には按摩の「市」が描かれていますが、そういえばここに来る途中の市内でこのキャラクターの像が置かれていたっけ(石ノ森作品のキャラ像は市内各所に設置されています)。で、館内にはたまたまのタイミングで(3/23.24の2日間のみの展示)自衛隊の災害救助活動の写真展が開かれていたわけなんですが、その中にこの「市」さんの像が写り込んでいました(右上画像マウスオン)。うわ、市さんも津波をかぶったということなんですね。よくご無事で‥。

さてしかし、ここで時間を取ったことにより南三陸行きに暗雲が立ちこめてきました。いつもおじゃまする「食事処 松原」さん、ランチ営業は14:00までなんですがこの時点でもう13:00を回ってました。というわけで一時的におしんこどんと険悪?な雰囲気になりましたが、電話を入れると「14:00回ってもいいですから無理しないで来て下さい」と奥さまの声が。あーよかった(苦笑)。



三陸道のおかげで志津川までの所要時分はずいぶん短縮されましたねぇ、おかげさまで14:00よりほんの少し前に到着できました。ご夫妻にご挨拶をして‥あぁ、でも今回は車なので当然飲めないTakemaです(2019/1の前回はBRTでやってきたので昼酒をたんまりいただきました)。と、ここで奥さまから予想外のひと言がっ!



ひ、ひえぇっ!(大笑)。というわけでおしんこどんはここで「昼から日本酒タイム」ということになりました。ま、自分は目の前で人がお酒を飲んでいても禁断症状が出るわけでもないので(出るようならある意味ヤバイです)、気にはなりませんがね。そのかわり「宿に着いたら飲むぞ!」の思いはいっそう強くなりますが。



というわけでニコニコ顔のおしんこどん。遅めの海鮮ランチです。



Takemaはお刺身定食、おしんこどんは春告げ海鮮丼、そして忘れちゃイケナイたこ唐揚げっ!たこ唐は松原さんに来ると注文率100%なのです!そしてそのことは松原さんのご夫妻もご存じで、前回(1月)はお酒を頼んだあと間髪を入れずに提供されたので「え、なぜこんなに早く?」と伺ったところ、「たぶん注文なさるだろうと思いまして(注文される前から調理を始めていました)」というわけだったのです。すでにバレバレなんですね(笑)。

うーん、この日も松原さんのたこ唐は絶品!お酒はなくとも美味しいものは美味しい柔らか&プリプリ!



窓際の席からはテラス越しに志津川の漁港や、初めて松原(食堂)さんでお酒を飲んだ時(仮設時代のさんさん商店街内)に泊まったホテル観洋が見えており、この風景だけを見ていると、8年前にこの町を襲った悲劇があったことなど信じられないような気がしてきます。しかしあれはまごうことなき現実で、見かけの復興とは別に、ここ志津川に限らず被災した方々はこれまでもこれからも、「重苦しい記憶」としてのあの日とともに日々を過ごしていかざるを得ないことでしょう。

心の復興。それには遙かに長い時間がかかるはずですし、そもそも復興などあり得ないのかもしれません。でもわたしはこれからも南三陸におじゃましますよ。

奥さまといろいろお話しをさせていただき、「ええー、まさかあの日そんなことに!」というようなこともありました。また前回伺っていた話の後日談も。つまりはそれぞれ日々新たなできごとを積み重ねているわけでして、その積み重ねのことを全部ひっくるめてわれわれはそれを「人生」と呼んでいるのだろうなと思います。

ひょんなことから松原さんご夫妻の「人生」にちょこっとだけ顔を出させてもらったわれわれですが、でもこれも「ご縁」ですからね。これからもよろしくお願いいたしますというわけです。

でもそのように「人生」なるものを考えてみるに、おしんこどんはともかく自分(Takema)は変な経験ばっかり積み重ねてきてしまった気もしますがまぁ気にしないっと(開き直り)。

そうそう、どうやらわれわれ夫婦のことはご夫妻のみならず従業員さんも覚えて下さっているようで、バックヤードで「あの、正月明けにリュックを背負ってやってきたご夫婦でしょ」と話しておられたということです。あれまお恥ずかしい(苦笑)。

ところでもう何度もおじゃましているはずなのに、全然気づいていなかったのが壁の上方に設置されている間接照明でした(右上画像マウスオン)。サクラをイメージしたデザインなんですね。お洒落だなぁ。

従業員の皆さんの賄いお昼ごはんもすっかり終わった頃、ようやく席を立ったわれわれでありました。居座ってしまって申しわけありません=皆さま。GWは立ち寄る余裕がなさそうなのですが(そのことを申し上げると「ものすごく混むだろうからそのほうがいいかも」とおっしゃっていましたが)、またおじゃましますねー。今度は夏に来てみたいものです。



で、このあとはほぼ隣接している南三陸さんさん商店街へ。本設の商店街になって松原さんが出てしまった関係で少し足が遠のき加減でしたが、この日は時間もあるのでのんびりと。



中途半端な時間だったので人影は少ないです。喫煙所、もう少し案内掲示が多いとありがたいです。

で、何かを買って帰るつもりだったのはもちろんですが、お腹はいっぱいだし‥と、ここでおしんこどんが「あ、お線香買っておこうかな」とひと言。その言葉である状況記憶が繋がりました。



そんなわけでまさかまさかのお念珠購入をした次第です(右上画像マウスオン)。思い出させてくれてありがとうおしんこどん。いざという時にないと困るものだからね。しかし、現在のさんさん商店街でお念珠(数珠)を買って帰る観光客は激レアではないかと思われます(笑)。かつての陸前高田の「松原ブレス念珠」ならいざ知らず。



商店街の裏を流れる八幡川は堤防の工事中でした。ほぼ向かいには防災対策庁舎の鉄骨が見えています。この景色を見ると先ほどの松原さんから海を見ていた時の印象とはまるで違いますね。かつて役場があった場所には「何もない」わけですから。

かつてこの位置からの視界の端には5階建ての公立志津川病院などもあったわけです。震災遺構としての保存が決定した高野会館以外の全ての建物がなくなった旧志津川中心地域、このかさ上げされた風景が今後どんなふうに変わっていくのか、それも楽しみに見ていきたいと思います。

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