- 2019/6 黒部立山 (5)アルペンルートで弥陀ヶ原へ。まさかの天候回復モード -



まさかの富山湾丸見え。雨だと思いつつ来てみたら視界良好@弥陀ヶ原。

(2019年6月14日-16日 その5)

小雨の中宇奈月温泉駅までやってきて、立山行きの切符を購入。この日は室堂でお泊まりの予定なんですが、駅の掲示に「あぁやっぱしね」と。そもそもこの金土日は「金曜の午前中以外全部雨」予報だったので、昨日いっぱいお天気が保っただけでもう充分という気がしてましたしね。

しかし計画立案段階では当然のごとく「いいお天気であること」を前提に考えますから、この日は「弥陀ヶ原でのんびり散策しちゃおうじゃないのさ」という悠長なプランなんですよ。でも間違いなく雨だよなぁこりゃ。立山黒部アルペンルートって、雨だと途端にすることなくなっちゃうのがネックです(笑)。まぁいいさ、行ってから考えようっと。



宇奈月駅から立山駅って、ぐるっと山裾を巻いていくのでそこそこ時間がかかり、また通常は電車の乗り換えも必要ですが、有り難いことに観光向けに直通の特急「アルペン号」が週末中心に1本だけ運行されています(宇奈月から室堂直行バスの運行もあるようですが、それじゃあんまりに風情がないのでね)。

改札が始まりホームに下りてみると、おお、懐かしの西武特急レッドアロー!(知ってましたが)。ところでちょっとwikiってみたら面白いお話がありました。1995年から96年にかけて西武5000系2編成6両が富山地鉄に「譲渡」されたのですが、西武の方でも台車や主要機器は新製の10000系に流用するために取り外した上での譲渡だったようです(新製なのに主要部品はお古を流用したのね)。

というわけで「ほぼハコ」だけを受け取った富山地鉄は、これまた同業他社から中古部品を購入して装着し、現在のように走らせることが出来るようにしたということのようなのです。台車はJR九州、マスコンは京浜急行、ブレーキは現東京メトロ、空気圧縮機器は都営地下鉄とか。それをほんの数ヶ月で全部組み立てて走らせるようにしたって‥何だかそこには地鉄稲荷町工場現場の果てしなく興味深いエピソードがあったのかなと。



さて昭和45(1970)年製造のこの車両は今年で「49才」の車齢であり、地鉄でその大幅な改造を受けてからももう23年になるわけですが、メンテナンスが丁寧に行われているのでしょう、車両外観にガタピシ感もありませんし車内も綺麗(2011年にアルペン号用の改装を行ったそうです)。

ちなみに中間車両の2号車のみ座席指定ということですが、計画時に空き状況を調べてみたら何と「満席」でありました。「こりゃ団体だな」と思いましたがやっぱりのインバウンドの皆さまでしたね。



縁が無かった指定席車両はこちら。でも自由席で十分でした。



地鉄の車両には京阪系が多いですね。テレビカーともすれ違いましたよ。

われわれがキープしたのは左上画像のテーブル付きの席。「コンパートメントシート」というようで、車両の端っこにしか設置されていない、いわば特別席です。まぁそれだけ空いていたわけですが(うーむ微妙)。



先頭車のドア付近は立ち席のカウンターになっています。でも実質的には荷物スペースとして利用されることのほうが多そうな気もします。でもテーブルに掴み棒を設置しつつも、決して「つり革」を付けなかったところに地鉄の「この車両は優等車両である」という矜持を感じます。





右上画像、剱岳ですよね。かなり上の方まで見えているような?でも天気予報は明日に向けて「大雨に注意」なんですが?まぁ、雨は止んだようですし、とりあえず立山駅に到着する頃までにこの後の行程を考えます。



そんなわけで電鉄立山駅に到着。雨は降っておらず駅前の路面も乾いています。昨日の夜考えたイメージでは「雨だったら称名滝に行くしかないか」という感じでしたが(同じ雨でも弥陀ヶ原だと吹きっさらしなのでびしょ濡れでしょうが、称名滝は谷あいなので風はないだろうと想定)、とりあえず美女平までケーブルカーで上がります。



結構混んでいましたが先頭部に陣取って美女平駅へ。荷物車両、昔からありましたっけ?





ケーブルカーにしろロープウェイにしろ、最近は「新設」されているんでしょうか。この運送効率の悪さはいかんともしがたいと思うのですが。ロープウェイはゴンドラリフトに取って代わられた感じがあります。ケーブルカーは?



さて美女平駅でバスに乗り換えるわけですが、室堂直行便と各駅停車便とでバスを分けているようです。室堂便にはどんどんお客が乗り込んでいきますが(そのほかに団体ツアーバスも出発していきます)、2番線たるわれわれの列には7-8人のみ。なるほど、途中バス停での乗車予約はそういうことになっているわけですね。

そんなわけでバスに乗り込んだのはその数名だけでした。だからというわけでもないのでしょうが?





で、お気づきでしょうか、時々日差しが差し始めていることを!まさかまさかの天候回復モードなのです。もっともこのタイミングでは「晴れた」というわけではなく「雲の切れ間から時々はチラリねウフフ」的な感じではありましたが、それでも「雨が降る気配がない」ことは望外の喜びです。



弥陀ヶ原のバス停に到着(12:10)。ここには2つの宿泊施設があり、しかもどちらも道路から少し離れているからか、ちゃんと立派なバス待合所があり、職員さんも常駐していますしコインロッカーもあります。まずは13:50発のバスを予約し、荷物を預け、この界隈の残雪状況を伺いましたところ‥





左上画像はカルデラ展望台への道だそうですが、こりゃ完全に雪道ですね。でも1週間前の撮影画像だそうで、そうなると「しばらく天気もよかったみたいだし、実は結構溶けているんじゃないの?」という天の邪鬼的発想が頭をもたげます(笑)。それと、カルデラ展望台は道中にたいした展望がないというわけで、ここは「弥陀ヶ原、行かれるところまで行く」という散策に切り替えました。雨も降っていないし風もほとんどなかったので(もちろん上下雨具は持参しましたよ)。



うーむ、いきなり木道が雪に埋もれています。こ、これは?と思いましたが、実は雪が残っているのはごく一部で、多くの場所では普通に木道を歩けました。この日は土曜日でしたが、まだ花の時期には早いのともともと雨予報だったのとで人はほとんどおらず、よって「ほぼ独占!弥陀ヶ原!」なのでありました。





大日岳~奥大日岳の稜線もガスのベールはすっかりどこへやら、しかも目を下界に移せば、富山平野と富山湾までもがはっきりと見えています(あとでバス停の職員さんに聞いたところ、「こんな天気の時に富山湾がよく見えるのは天候悪化の前兆」なのだそうです)。

というわけでポクポクと歩いていきますどこまでも(いや行かれそうなところまでね)。



左上に見えているのは鍬崎山。折立から太郎兵衛平に上がる道では、あの山の高さでだいたいどれくらい登ってきたかがわかるある意味ランドマークみたいな山なんですが(そう思っているのは自分だけかも)、ここ弥陀ヶ原と同じような標高なので、弥陀ヶ原側の皆さんからすると「あの山に雲がかかると間もなくこちらも」というような先行指標の山となっているそうです。

さて木道の分岐点までやって来ました。ここから下部はラムサール条約の登録エリアとなっていて、木道はここからその縁を回り込むように続いていますが、そちら方面はまだ雪が多く残っているようなので来た道を戻ることに。でもまぁここでもう少しのんびりしましょうかね。







ちなみに手前の池塘群は通称「餓鬼の田」と呼ばれ、立山信仰の中では「餓鬼となった亡者が餓えをしのぐためにこの池塘で田植えをした(が結局無駄手間となり永遠の飢餓に苦しむ)場所」とされています。しかしなぜか環境省が整備した広場はガキの広場」とカタカナ書きで、これではその由来を知ることはできません(まるで「ちびっこ広場」の言葉遣いを悪くしたような感じです)。

立山にあるのは「自然」だけではありません。平安時代の説話「今昔物語集」にも登場するという立山信仰を抜きにして室堂や立山を語ることはできないはずです。環境省担当者は考え直してほしいなぁ。別に「闇歴史」でも何でもないんだから(苦笑)。

と、のんびりしていたら、カラス?いや色がちょっと違う‥ん?木のてっぺんに止まったぞというわけでデジカメでズーーーム!





まぁどの鳥であるにせよ、自然界でこうして生きていくのはどんな鳥だって大変なことですからね。頑張ってエサを見つけるんだよぉ!(ん?もしかしてこの下の‥も?)。

というわけで再び木道を戻っていくと、往路では全く聞かれなかった蛙の鳴き声が聞こえてきました。





おそらくは「アズマヒキガエル」という種ですが、求愛行動がなかなかに(彼らなりに)忙しいようで、メスを追いかけるオスが突然追うのをやめたと思ったら今度は別のメスにすり寄っていったりして(ナンパ行動?)、普段はなかなか見ることのできない「カエル世界のリアル」を観察できましたとさ(笑)。



さて、前出の猛禽くんには申し訳ないのですが、われわれの人間界には市場経済なるものがありましてな、そこでは「紙切れとごはんとが物々交換」できるというわけなのですよ。どんな紙切れでもいいというわけじゃないけれどね(苦笑)。

そんなわけで弥陀ヶ原ホテルにやってきましてお昼ごはーん!ちなみにこちらの弥陀ヶ原ホテルは「高級」に属するホテルでありまして、ランチといえどもそこそこのお値段がするわけですが、いかんせんもう1つのお宿「天望立山荘」はランチ提供が13:00までという致命的早じまいゆえに断念したわけです(到着時間的には利用可能でしたが、「食べたらすぐ歩くからね」というのは何だか嬉しくないです)。というわけでお昼ごはんなのですが‥うふふわれわれは、




(ま、もちろんハーフボトルですけれどね=そういうことではない)。

このあと室堂に上がってからは遊歩道とはいえ40分くらい歩くんですけれどね、いやまぁイイじゃないですか!(誰も文句は言わないと思う)。「山ワイン」、地元富山産のブドウを使った産品で、ハイもちろん美味しくいただきました♪だって、





むかーし昔(またしても昔話ね)、GWの雷鳥沢キャンプ場にテントを張って連泊していたとき(奥大日岳や立山三山に登ってました。確か別山の夏山トラバースルートから豪快なグリセード&尻セードで一気にキャンプ場近くまで下りてきたような記憶が)、春山登山の当然として雪が緩む前に行動を終了してテントまで戻ってくるので、案外お昼前からは暇になっちゃうわけですよ。で、室堂まで「遠征」すると、そこには「究極の文化的生活」を営める品々が売られているわけで、赤白ワインとか、「大吟醸」一升瓶ボトルとかを買ってきて、日なたぼっこしながらガンガン飲んだ記憶があります。そこそこいい感じになったら、一番近い温泉であるロッジ立山連峰の湯に浸かりにいき(もちろん地獄谷由来のかけ流し湯)、いやぁあの時のGWは楽しかったなぁ。ちなみにその後の社会復帰はきつかったですが(雪山の日焼けは夏山より酷いことになるのです)。

いやノスタルジックな話になるのはジジイ化しつつあるTakemaの定番なのですが、ここで話を戻して肝心のお昼ごはんはというと‥



雲海丼定食とかき揚げうどん。雲海丼は生のシロエビ・ホタルイカものっていてウマウマ、うどんのかき揚げにもシロエビが入っていて新鮮さ&お味もよしよしです。毎日市場からここまで上げているんでしょうかね。



さてお昼ごはんを終えてバス停留所へと向かいます。コインロッカーから荷物を出して‥と、知らなかったんですが美女平からの乗車時に「ミダ」(弥陀ヶ原)行きのタグというか養生テープが貼られていたんですね(もちろんこの後すぐに剥がされました)・。



さてバスがやって来ましたが、その時の空はといえばご覧のとおり青空が見え始めておりました。え、雨なんじゃなかったの?どうなるのさこのあとのお天気?というわけでこの続きは次ページにて。

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