- その4 元保養所のお宿に泊まり、「秋」の猿ヶ京経由で帰宅 -



さてさて、今宵はこんなに大きく立派なお宿に泊まります。

(2024年11月22日-24日 その4)

六日町市街から丘陵を上がった先にお宿があります。もちろん温泉付きのこのお宿は、元々地元大手某企業(有名だったが経営破綻)の保養所だったそうなのです。ん?このパターンってどこかで聞いたことがあるような?そう、川湯温泉の旧ラルゴがそうでしたね。あちらは破綻した銀行の元保養所でした。

もっとも元保養所のことはチェックイン後に聞いたのでこの時点では全く存じ上げず、単純に予約サイトで「かけ流しの湯」「まだ予約OK(結構ギリ予約だったので)」「比較的無難な宿泊料金」ということで決めただけでしたが。だからこそ坂を上がってきて目にしたこの「ドーン!」系の大きな建物には驚かされました。



お宿の名前は「こぐりやま山荘」。オーナーは横浜からの移住者だそうですが、これだけ大きな建物ゆえ、購入にあたっては「結構な勇気」が必要じゃなかったのかなと(余計な邪推)。

エントランスから中に入ると、そこにレセプションは‥なく(笑)、エレベーターで1Fに上がるように指示が。ということはグラウンドフロアはB1なんですね。何だか英国式の階数表示ですが、ここは豪雪地帯ですから冬の間B1が雪に埋もれることを見越しているのでしょう。

そして上がってみてびっくり!











というわけでいろいろとびっくりしながらチェックイン完了。さてそれでは暗くなる前にお風呂に行きましょうかね。



これまた重厚な感じの石組みお風呂です。もちろん温泉で六日町温泉の湯が浴槽底から投入されています。湯のオーバーフローはないように見えますが、実際には上画像奥の石組み(元投入口)の右側に切り欠き部分があり、そこから排出されています。

この温泉ですが、実は保養所時代はタンクに湯を溜めた上で循環式の湯使いだったそうです。宿としての営業準備をしていくうちに、タンク他の設備にいろいろ支障が生じていることがわかり、検討を重ねた結果「だったらかけ流しにして下から引っ張ってくればよい」という結論に至ったそうです。こちらのお宿はかなり高台に位置していますから、源泉をここまで揚げてくるのも大変でしょう。ただこちらに供給されている源泉は「13号&15号の混合泉=毎分1450Lを動力揚湯」と湯量も豊富なので、もしかしたら水道のようなポンプアップ(圧送)方式なのかもしれません。



左上画像の石組み湯口は保養所時代の名残というわけですね。現在は右上画像の浴槽底から湯が出ているというわけです。

なお「(湯送パイプの距離が長いから)冬の間はお湯がぬるめになるんですよ」とのお言葉通り、お湯はぬるめでした。この翌月、六日町市街地内の共同浴場に入る機会があったのですが、あちらはやはり熱かったものなぁ。こちらの宿湯は万人向きといえるかもしれません。







部屋に戻って一休みし、そろそろ「夕ごはんの準備」をしなければなりません。とはいえ自炊をするわけではなく、「夕ごはん酒を手に入れておこう」というわけです。

こちらのお宿は少人数で回していることもあり、省力化がなされています。その一環として、「夕ごはんのお酒は各自こちらの自販機で買って持ち込んでね」というシステムになっています(チェックイン時に説明を受けました)。



各種のドリンクが並べられており、もちろんビールもお酒もあります。六日町ですから地元の銘酒「八海山」があるのは当然として、その隣には‥



はいもちろん購入し、結果は右上画像の通り「大吉」でありました。村祐酒造は新潟市の酒蔵ですが、規模は小さくこだわりの酒を限られた酒屋にしか卸していないのだとか。だから「幻の酒」なんですね。



夕ごはんの売りは「地元の妻有(つまり)ポークを3日間コトコト煮込んだポトフ」のようです。「ポトフで日本酒?」と思う人もおられるかもしれませんが、わたしは特にこだわる人ではないので何の問題もありません。スープも軽めの味付けなので、かえってワインだと酸味が強調されてしまう気もしました。

結局3缶を飲み干しつつご飯もいただき、ごちそうさまでした。



翌朝は、具がたっぷりのお味噌汁がうれしい朝ごはんをいただき(焼き魚も美味しかった♪)、最後にもうひとっ風呂をいただいた上で出発です。この日が最終日なのですが、六日町や塩沢石打ICから高速に乗ってしまったら到着早過ぎでもったいないので、R17の三国峠越えで帰ることにしました。



晩秋の気配を残す六日町を出発。八海山は雲の中でした。



途中で中越の美味しいものを購入し(お米はこの後もう一袋購入)、なぜかコメリで梱包テープを購入し(ちょうど家の在庫がなくなっていたことを思い出したので。なおコメリJCBのクレジットカードで買いました)、さて三国峠越えに進みます。



幸いなことに路面には雪はなく順調に苗場まで上がってきました。右上画像は新三国トンネルの入口ですが、交通量の少なさから後方を気にしつつ車線上に車を止めて撮影してごめんなさい(苦笑)。旧道も入口サイズは同じように見えますが、これは見かけ詐欺の手口でして、あちらは入ってすぐに口径が小さくなりますからね(笑)、懐かしい。

さて峠のトンネルを越えると群馬の猿ヶ京温泉です。ここは実に懐かしい場所で、拙サイト主催の「Takemaオフキャンプ」はここから始まりました(2002年=こちら)。1年目こそグラウンドの端っこ(われわれの通称では「第一キャンプ場」)でしたが、2年目以降は奥の(同)「第二キャンプ場」にての開催となり、2009年までの8年間この猿ヶ京にて開催していたわけです。なお公式のキャンプ場ではありませんでしたが、地元在住のTさん経由で「地域に話を通して」いただいていました。

あの頃はちくわさんもてっちゃんも、みんないたなぁ‥。

というわけで初開催からはもう20年以上が経ちましたが最近はめっきり足が遠のいていましたので、久々に行ってみることにしました。おっと、その前に地区の某所へ。



温泉街から少し奥まったところまで進んでいくと、うんが戻ってきましたね。広い園地になっている場所は猿ヶ京では貴重な平地なのですが、特に恒久的な利用はされていないようです(ただし草刈りなどの整備の手は入っています)。実はこのあたりでキャンプ宴会前後に山菜採りツアーをやったこともありましたっけ。

さてそれでは旧オフキャンプの地へ行ってみましょうか‥









それにしても、入浴料は20年以上前から300円のままなのにはびっくりです。値上げしてもいいんじゃないかなぁと思ってしまうほど。無人ではあっても管理する方々によって整備や整頓がなされているのですから。

そしていよいよオフキャンプ地へ。こちらが使えなくなった大きな理由として、この園地を「ホタルの里」として再整備することになり、園地が使えなくなったことがあげられます。どうやらホタルは住み着いたようですが、園地の草地などは刈り払いなどもされなくなり、一部には小灌木も生え始めておりました。





思い出すなぁ、このテーブルの上に生ビールのサーバーを設置し、みんなでワイワイとやっていた頃のことを。ギター持参の方もおられたし、ある年には宴会の翌日に、このテーブルの上に人形を置き、心肺蘇生法の講習(AED使用を含む)が行われたことだってあったんです。「胸骨圧迫のペースは中島みゆきの「地上の星」を頭の中で歌いながら行うとちょうどいいです」などと教わったことも、今となっては懐かしい思い出です。



せっかくなので歌声宴会の様子を音声にて再現しました。

ま、そんなノスタルジーに浸っていても時は前にしか進まないので現実に戻りましょう。このあとはもう月夜野ICから高速に乗って帰るばかりなのですが‥





昨今の物価高にもかかわらず、こちらのお蕎麦はもりそば600円、ざるそば650円と廉価で良心的です(天ざるだと1250円とそこそこのお値段になりますが)。

なおこちら姉山の家のシーズン営業はこの11月いっぱいで終了し、そこからは冬ごもり期間に入るということでした。今シーズンもお疲れさまでした。



すぐ下の畑ももうほとんど収穫が終わり土が見えています。そんな中、一列に並んでざる菊(ざるをかぶせたように見えることから付けられた通称)が「今を盛り」と咲きそろっていました。花が終わるまで雪は降らないでほしいですね。

このあとはそれこそ一気に(嵐山PAでトイレ休憩をしただけで)千葉まで帰りました。タイトルにもあるように、まさに「秋と冬のせめぎ合い」をあちこちで見てきた気がします。腰は痛いままですが楽しかった♪

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