さぁて、いよいよ首都ビエンチャンに着いた。さて、今宵の宿はどこにすっぺかなあとガイドブックを出そうとしたとき、その悪夢は現実化したのだった。

このページはテキスト(文字)だらけなので覚悟して下さいね(笑)。

ブッダパークからのビエンチャン行きバスは快適。席は一番前を陣取り、エアコンこそないけれど窓から入る風が心地よい。バスそのものもかなり空いた状態のまま、タラートサオ(市場)脇のバスターミナルに着いたわけですね。

まずは道を挟んで反対側のタラートサオへ。ここの2Fに軒を連ねる金行(24金装飾品売り場)では外貨からラオスの通貨Kipへの両替ができると聞いていたもんだから、まずは当面の現金を手にした方がいいと考えたのですだ。というわけでUS$50を両替。来た来たぁ、5000kipの束。厚さ2cmとまではいかないけれど、1.5cmはあったぞ。うー、こんな厚みのボーナスをニコニコ現金払いでもらってみたいなぁと、ふと現実にかえって悲しくなったりしました(爆)。
ちなみに我々が両替した時のタラートサオ金行レートは、1US$=9400kip。

当時(2002年3月)は大体1US$=130円だったから、ぐちゃぐちゃに計算してみるとだいたい1円=70kipということになります。多少計算が合わないけれどまぁこれでいいということにして下さい。ちなみに「地方に行けば行くほどレートが悪くなる」という情報があったんですが、なぜかそんなことはなかったどころか、一番レートが良かったのはルアンパバーン郊外の某所でした。ただしJP\からKipへの直接両替はやめておいた方がいいと思います。ラオスの人たちの両替レートは対タイバーツまたはUS$でこそはっきりしていますが、慣れない通貨となるとたぶんボロボロたまげた勘弁してよ系のレートを提示してくるんじゃないかと思うからです。

ただ、Kipのレートは恐ろしく変動が激しいと聞いていますので、これを見てラオス行きの計画を立てられようとする方は、必ず事前に最新レートを調べてみてください。こちらで調べられます。
さて、とりあえず食ったり飲んだり用の現地通貨は手に入れたし、背中の荷物(ちなみに酒類だけで2kgぐらい入ってました)は重いし、まぁまだ早いけれど今宵の宿を考えようと、タラートサオ1Fのちょっとしたスペースでデイパックの中からガイドブックを取り出そうとした。しかし‥

「あれ、ない。ないゾ。」

別のところにしまったのかなぁ。でもメインのバックパックにはもともと入れていないし、デイパックなんてどうせ入れる場所なんて限られているからないはずはないんだけどなぁ。でも数ヶ所のデイパック内隠しポケットもあるし、じっくり探せばある‥と思っていたのが浅はかだった。どこにも入ってない。ないものはどこをどう人生ひっくり返してもないのである

ビエンチャン(2泊を予定)での宿は、現地に着いてからのんびり考えればいいと思っていたんですわ。ブッダパークに寄り道したところで、どうみても14:00頃にはビエンチャンには着くのだからそれからトゥクトゥクのお兄ちゃんだかおっちゃんだかに「いいとこ案内してよ。気に入ったらExtra出すからさとでもいうつもりでいたのだ。
注: これはイコール気に入らなかったら延々ひきずりまわすという契約でもある。1990年に自転車サムローで引きずり回したおじいさん in ペナン、あの時はごめんね。ラマダン明けだったことを知らなかったのですよあの時のわたしゃ。4-5軒必死に回ってくれても、どこの安宿もみんな満員だったっけ。おじいさん玉の汗漕ぎ漕ぎモードのあげく、何とか空いている宿を見つけてくれたときには思わず握手したっけ。しかし支払いがタイバーツだと知った瞬間に一気にかき曇ったおじいさんの顔をいまでも忘れないTakemaでしたのだ。いや、最終的にはリンギで払ったけれどね。

ところで1990年頃までは、マレーシアの通貨を「マレーシアドル」って言ってませんでしたっけ?確かにリンギ(ット)が正式名称なのはわかるけれど、あの「マレーシアドル」って呼び方は何だったんだろう?自分がそう思い込んでいただけかな?
しかし大笑いなことに、しっかと持ってきた旅行人「メコンの国」及び「地球の歩き方ラオス」の2冊とも、どこを探しても見つからない。かといってここビエンチャンの地図および宿の配置図がしっかりばっちりと頭に入っているほど「予習」がしっかりできているわけでは毛頭ないわけで、うーむこりゃぁ困ったというしかないわけです。

トゥクトゥクに乗って案内させるとしても、こっちに全く予備知識がないエリアを連れ回されても「ここだったらもう少し先に行ったほうが立地的に便利だよ」系のツッコミができないし、辺鄙な場所に連れて行かれて「ここがいい!」と言い張られても困る。そこで窮余の一策、「歩く!」これっきゃない!

幸い、せいぜい東西南北の感覚はあった。「多分こっちに曲がれば」「ここを右に曲がったら」系で、さんさんぎらぎら系の真夏系太陽の下を汗たらしながら歩くTakema&おしんこどん。幸いここはビエンチャン。これがバンコクだったら遠くてたまらない。でもバンコクだったら多分他に打つ手はいくらでもある。ビエンチャンだから困るのだ。

角を曲がり曲がってしばらく歩いた。とある交差点でふと右奥を見る。黒い仏塔のようなものが見える。ついおしんこどんに問いかけるひとこと。

「あ、あれ、タートダムじゃないの?」

しかし無言@おしんこどん。そういえばおしんこどんはあまりビエンチャン市内地図を見てこなかったんだっけ。でも自分としては、これでとりあえず現在地が何となくわかった。宿はこのあたりからぼちぼちあるはずだ。というわけでここから先はところどころに点在するGuesthouseのえり好み。うちらには譲れない基準がある。それはこの暑期のビエンチャンでは欠かせない条件。それは「頼むぅ、エアコン付き!」

軟弱者と私を呼ぶなら呼びなさい。しかし、酒飲みのTakema、ただでさえ夜は身体が火照って(変な意味に取らないでね(^o^))仕方ないのですわ。昨日の夜行列車くらいにエアコンがガシガシに効いていれば問題はないのですけどね。

というわけで宿探し続行。しかし、あんまし「ここだ!」系のゲストハウスがない。そこで、実は結構考えていたホテルを目指すことにした。それは‥。


(ラーンサーン ホテル)

なんでも、ラオスが半鎖国政策をとっていた時代(とはいってもせいぜい1990年ころまでか?)は、この国を訪れる国賓級の方々はみなこのホテルに宿泊していたんだというから恐れいるわけですね(もっとも当時の国情からして「国賓級」の方々がどれだけこの国を訪れていたかどうかは突っ込まない方がいいのかもしれません)。しかし時代は変わり、数年前にはここよりもより設備&料金の高いホテルが出現。国営ホテルとしてのこのホテルのステータスは(ちなみにこの国は一応社会主義国ということをお忘れなく)凋落の一途をたどり、いまやツイン1泊US$25の「中の上」クラスレベルのホテルになっているというのです。

このホテルのことはかなり記憶していました。下手なゲストハウスよりも当たりはずれだけはないかもしれないぞ、でも「国営」だけにサービスの点では期待できないかもしれないなぁと思っていたことがあったのです。立地はまぁまぁ。というか、メコン川沿いにあるというだけでかなり個人的に好きな場所です。

結局、紆余曲折の末このホテルへ。何と「最後の一室」とかで何とかチェックイン完了。しかもチェックインの最中に持ってきてくれたウェルカムドリンク(おおっ!)が火照った身体にバカウマ。レセプションの応対も至極丁寧で、見事な高級ホテル。たまげちゃいました。もちろんゲストハウスのような庶民性はないけれど、結構いいゾ。

さすが国営ホテル。これはすっかり落ちついた滞在二日目の夜、さて夕めしでも食べに行くかのショットですが、ここはなかなかのお気に入りホテルでした。
というわけでとりあえず宿のほうは確保した。というわけで、地図とか買いに行かなきゃ。