ムクティナートへと向かう。寒いと思ったら雪まで降り出した。


17th March:
Pokhara 6:45 --( Air )-- Jomosom 7:10 / 8:30 -- Eklibathi 10:05 /10:30 -- Kagbeni 11:15

18th March
Kagbeni 7:00 --Khinga 8:35 / 9:00 -- Jharkot 9:40 / 10:53 -- Muktinath 11:20



めでたくジョムソンの飛行場に降り立った。予想通り未舗装だ。

5:30発とチケットに記されてはいたが、実際にポカラを飛び立ったのは6:45。どうやらゴレパニ峠の霧が取れるのを待ってからの出発だったのだろう。晴れていればアンナプルナやニルギリ、ダウラギリやトゥクチェピークを眺めながらの大展望飛行のはずだったのだけれど、山々は見られずじまい。まあ、フライトがあっただけ良しとせにゃならぬ。

さて、とりあえず飛行機から降りて自分の荷物を取り、この写真を撮った位置でタバコを吸い始めたら、「ガイドいらない?」と声を掛けてきた若者(なんかこう書くと自分がすごいおじさんみたいで厭なのだが他に表現思いつかん)がいる。よしよし、自分で探す手間が省けたぞ。「ポーターガイドもOK?」「もちろん!」よし、あとは値段交渉だ。結局、1日500ルピーで決着。約US$10だ。相場なのだろうと思うことにする。ただし、宿メシ代は彼の分も含めて別払い。とはいってもたかが知れている。宿代は一人50ルピーも見ておけばいいし(要はビール一本と2人分の宿代が同じだと考えればいい)メシだってダルバートなら安いし。さて、近くのゲストハウスの食堂で細かな打ち合わせ兼朝食とする。

何となくお互い自己紹介から始まったのだが、彼の名は Fhll Bahhdur 。なお、ネパールでは「H」は発音しないので「フル君」ということになる。19才。ジョムソンからずっと下流の村( Lulang )出身で、ジョムソン空港で今日のようにガイドを志願しているらしい。彼の英語はちょっと聞き取りにくいところもあったが、コミニュケーションに支障が出るほどではない。他のガイドと比較して遜色ない装備もしているし(ただ、雨具というかヤッケを持ってないのが気になったが、今回はなくて困るほどのことはなかった)、性格もまあまあである。安いし、こんなことなら最初から彼に全行程を任せれば良かったと思うが後の祭り(もっとも、フル君のあとのポーターガイドもなかなかいい人物であったが)。

いよいよ出発。ずーっとカリガンダキ川沿いの道を行くが、道は平らで汗をかくこともほとんどない。カグベニまでは、途中茶屋が1軒と、エクリバッティに宿が3・4軒あるだけで、後はずっと殺風景な景色が続く。カリガンダキの流れはあくまでも黄土色で、土砂の流入が激しいことをうかがわせる。道沿いには、草はともかく木はほとんど見られない。草だってぽつぽつはえているといった感じで、何とも荒涼としたところである。エクリバッティでお茶を飲み、またしばらくぽこぽこと歩いていくと、カグベニの町が見えてきた。
この村の一帯だけ色が違う(周りがねずみ、黄土色なのに対して、ここだけは緑いろで、なおかつチベット仏教寺院のオレンジが際だっている)ので、遠くからでもよくわかる場所である。これより川沿いへの上流へはトレッキングパーミットでは入域することの出来ない未解放地域である。いわゆるローマンタンまではカグベニからさらに3日この川を遡ることになるらしいが、入域料はひとりus$600だか700だとか。おそろしい・・でもこの町はなかなかのんびりとしていいところだ。ここに限らず、カリガンダキ沿いにはいまだに車道がのびておらず(たぶんその予定もないだろう)、おかげでせせこましい雰囲気を持った村などどこにもない(あえていうならジョムソンだけど)特にこの村の中心部(寺院周辺)は迷路のように入り組んだ狭い通路が印象的だ。ムクティナートに行く際には必ず立ち寄って、出来れば1泊するのがおすすめ。ただ、自分の行ったときはまだだったが、ここ数年のうちにこの村にも電気が通じるらしい。日本のODAによるものらしく、途中においてあった電信柱にはその旨が記載されてあった。電気が来たらこの村も変わるんだろうなあ。

さて、翌日は約1000m強の登りで標高3800m位まで登る。昨日と同じく曇りで、あまり明るさはない。眼下にカグベニを見下ろしつつ45分の登りでエクリバッティからのショートカットルートと合流する。エクリへの道は下りにとるのがおすすめです。景色もいいし、しかも、登りの場合カグベニ経由とあまり所要時間変わるとも思えないので・・。
で、分岐でタバコ吸ってたら、薪集めのおじさんと出会った。村内はともかく、周辺には木が全くなかったからここらあたりまで上がって集めてるわけだけれど、このあたりの木もなくなったらどうするんだろうと人ごとながら気になる。これはこのあたりに限らないことで、もともと緑の山だったところが禿げ山になってしまっている例は数え上げたらきりがない。かといってガスを導入したとしても、そのためには現金がいる。その現金はどうやって稼げばいいのか?裏を返せば、トレッカーはお金を村に落とすが、その一方で村周辺の樹木伐採を加速させているのだ。気持ちは複雑である。

で、このおじさんと一緒に写真撮らせてもらってたら、おじさんが何か言ってきた。フル君に聞くと、「タバコ持ってたら1本くれないか」だとのこと。もちろん喜んで日本より持参のセブンスターを一本差し上げる。おじさんの、深く煙をため込む吸い方が印象的であった。

さて、ここからは傾斜も少し緩くなり、ゆっくりと歩くことが出来る。徐々に雲が薄くなってきたなあと思いつつ歩いてたら、一気に天気は回復し始め、トロンパス方面の視界が一気に開けてきた。これは天佑に違いない!と思われるほどにめざましい回復ぶりである。途中で出会う村々も青空の下で見ると何ともいえずほんわかしている感じでとても雰囲気が明るくなった(曇りの時見ると、どうしても粗末に見えてたのに)。「きた甲斐があった!」と心から快哉を叫ぶ。途中の茶屋でチャーを飲みながらフル君と一緒に、なぜか屋久島のスナックで買ったケーナの演奏にしばし興じる。演奏といっても、何とかドレミ・・の音が出るくらいなのだが、とにかく至福のひとときだ。
こんな道を行く。とても幸せだ。標高3500mのジャルコットまでは、展望も良くて暖かく、おまけにフル君に荷物を持ってもらってるから、何とも最高である。

しかし、城郭の町ジャルコットでフライドライスとコーラを飲み食いしている頃からは再び薄い雲がかかり始めた。幸せは長く続かないものだ。

いよいよ最後の町ラニポワへの登りにかかる。この頃になると空は今朝と同様どんよりとしてしまい、またもや暗うつな雰囲気に。ここで自分と同じようにガイドを連れたソロの日本人トレッカーK君に追いつく。彼は最初反対側からトロンパスを越えてこっち側に来るつもりだったが、ガイドの装備の都合で一旦引き返し、今度はこっち側からムクティナートを往復すると言うことだ。「このガイド(フル君よりも少し年上)、スニーカーでトロンパス越えようって言うんだから、参ったよ。雪もたっぷりあるっていうのに・・」ご愁傷様とはこのことで、彼はおかげで念願のトロンパスを越えられずに帰ることになったらしい。カトマンズ着いたら旅行会社にくってかかる心づもりらしい。どこまで会社に言い寄れるものなのだろうか。
さて、やっとラニポワに到着。もうここまで来たらムクティナートに着いたも同然(宿があるのはここが最後で、あとは往復するだけ)なのだが、なんと、ポリスチェックポイントでチェックを受けていたら、雪が降り始めたではないか。あたふたと宿に駆け込むことにする。宿に入ってしまえばこっちのモノ。さすがに寒いのでビールは頼まず日本酒とロキシーで中から暖まることにする。なお、日本出国時に1升4合あった日本酒も、昨日の時点では600mlしか残ってなかった。3日で一升あけたことになる。

この写真はラニポアの宿で、掘りごたつの親戚みたいなやつで暖まりながらわいわいやってた夜の一枚。一番左がフル君、その隣で手上げてんのが自分、青いダウン着てるのがK君である。さすがもう2週間トレッキングしてるK君、肌の色はもうすっかりネパリと同じだ。

ちなみに自分たちの泊まった宿は「ラリーグラスなんとか」ってとこでしたが、道を挟んだ向かい側には「ホテル モナリザ」と「ホテル ボブマーリー」が仲良く並んでおりました。K君と「イメージ的にボブマーリーには泊まりたくないねえ」と冗談で言っていたのを思い出します。

そんなわけで、題名は「ムクティナートへ。寒い。」だったにもかかわらずムクティナート手前で1泊してしまった。これ以上ファイルが大きくなると大変なことになるので、ムクティは次のページでご紹介します。この夜はしんしんと雪が降り続き、寝る前に一瞬ガスストーブで部屋を暖めて寝たにも関わらず、この夜は寒かったーっ。

 ムクティナートから一気にマルファへ

 ネパールアンナプルナ毎朝二日酔いトレッキング