来てしまったぞ Christchurch (NZワーホリその3
 
** とりあえずの居場所を見つけるまでのてんまつ **


実はAuckland出発時に決めていたのだ。「いつまで旅行だけしていても、お金だってもつわけじゃない。1ヶ月位して南島に着く頃にはある程度英語も出来るようになってるだろう。よし、Christchurch まで行ったら真剣に仕事を探そう」と。そして1ヶ月弱が過ぎ、わがMAZDA323は容赦なくChchの町に入っていった。しかし大きな誤算があった。これを読んでいる賢明なネットサーファーの方ならもうおわかりでしょうが、たかだか1ヶ月やそこらで英語が聞き取れ、話せるようになってるわけがない。ホームステイしてるならともかく、こっちは安宿をうろうろしてきたわけだし、旅行英語の片端が話せるような程度だ。しかも、仕事を探すとはいってもお土産屋や日本食レストランは厭だときている。どうする?とりあえず、Chchに2ヶ所あるYHのうち中心から離れた方をベースにして($2だけ安かったし、空いてる。何たって車があるのだから、中心部に出るのに苦労はないのだ)、少しゆっくり考えることにする。

Chch YH
Avon川のほとりでも考えた。YHの芝生に寝転がっても考えた。カセドラルスクエアの前でシーガル(ユリカモメ)にエサやりながらも考えた(それにしてもあいつらはうるさい。もう少し静かに鳴け!と幾度思ったことか。)。そして数日後に出した勇気ある、でも安直な決断。それは・・「このYHの壁に貼ってある『Work-exchanger required』の張り紙の連絡先に電話してみよう!」

季節は冬に向かってまっしぐら(6月に入ったころだった。日本でいう12月)。しかも当時のNZは不況のまっただ中。中心部のテナントも空き部屋ばかり。"For Lease"の張り紙ばかりが寒々しく目立っていた頃だったのです。「ほとんど英語出来ない状態で、雇ってくれる所なんてないに決まってる。ならば、この張り紙って居候のことだろう。居候なら、とりあえず宿と飯はある。持ち金には響かない。しかも、英語の上達にもプラスではないか!」というのが真相でした。
              
ちなみに写真はChchのユースホステル(郊外)。このYH、静かだし、環境いいし、庭の広い芝生で昼寝できるしでのんびりできます。レンタカーやバイク旅行の人にはロールストンよりもこっちのほうがおすすめです。

1999 4月追記 この「Cora Wilding Hostel」、閉鎖されちゃってました。かなしいことです。


電話のかけ方もわからないのでWarden さんに聞き、「本当に電話していいんだろうか。たまたま外出中であってくれたらうれしいな」などと、やってることと考えてることとの大いなる矛盾に気づきながらも、向こうが"Hello!"と電話に出てきたのに気づき、何度も頭の中で暗唱しておいたことばを口に出す。しかし、予想通り相手の話すことばは聞き取れず。(電話での会話は結局ワーホリの最後まで苦手だった)困っていたら、Warden さんが見るに見かねて代わってくれたので、こっちの用件をお願いして横で待つことにする。待つことしばらく、「・・I see.and・・,OK,bye.」の声。おいおいどうなったんだ?心ときめく(いや、どっちにころんでも大変なのだからきついのだが)瞬間である。
          
 ・・・結果・・・    「うちまで来てくれればいつでも受け入れてくれるって言ってたわ」
pigeonbayの農場にて

「やったー !」
って、もう、叫んじゃいましたね。これで何とかなる、生きていける、帰らないですむってね。大袈裟だけど、ワーホリで初めて仕事をGetした時なんてこんなものです。・・ん、まさかもしかして自分だけかもしれない。

そしてその2日後、写真の農場というか牧場というか、にお世話になることになったわけです。

場所はChchから車で1.5h弱位行ったところのBanks Peninsula(バンクス半島)。時すでに6月半ば近くになっていました。結局ここに2ヶ月位いたのですが、その詳細はまた次のページにて。

Go to   そして牧場暮らしが始まった

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