そして牧場暮らしが始まった!(NZワーホリその4)  


Chchで電話をもらってから数日後、Takema はいざその家を目指すべく、教えられた道をたどるのであった。しかし、心から浮かれていたわけではない。否、それよりも不安の方が圧倒的に大きかった。だいたい、ろくに(ほぼ全くといった方がいいかもしれない)喋れないこいつを、その家の人は本当に受け入れてくれるのであろうか。こんなに英語出来ないとは思わなかった、とかいわれて追い出されはしないだろうか、等々。
干し草にむしゃぶりつく冬の羊
Work Exchangeを始めたのはNZの初冬。
羊とて草の少なくなる時期ゆえ、時々干し草を与えに行くことも。

教えられた道をどんどん進んでいく。急な峠道を越えてさらに行くと、山の中の舗装道から一本の細い林道が分岐している所に出た。そこにはポストがあり(当然郵便屋さんが家まで行くことはなく、このポストに入れていくのだ)、名前は"Ronald A ...... "とあった。ここだ。聞いてきた名前と一緒だ。ここを上がっていくのだ。しかし恥ずかしい話だがすぐには勇気が出なかった(だってまだ本当にろくにしゃべれなかったのだ)。たばこを一服。二服。で、ここまで来て躊躇していても仕方がない。行こう!と決心、いざ林道を上がっていく。1kmも上がり、おかしいな、なかなか着かないぞ、まさかこの道じゃないのか?と思っていた頃、不意に一軒の家の前に出た。そこから先の道はゲートで閉鎖されているから、明らかにこの家だ。すぐ横の作業所とおぼしきところで、2人の男の人が木材をカットしている。さあ、いよいよだ。
"Hello , my name is Takema ,Japanese , and two days ago I called ..."

その家の主人と思われるひげ面の男の人は、すぐにこっちの意図を察してくれたらしく、なにやら話しかけてくれたが何を言ってたか実際さっぱり覚えていない。でも、彼の表情から「そうか、よく来たおまえがTakemaか、welcome welcome !」的内容であることは確かだとわかった。すぐに奥さんも出てきてくれて、あとはあらかじめ準備しておいた"Please to meet you ..."だけで全てがうまくいった。とりあえず第一関門は突破だ。

そしてそれから約2ヶ月もの間、こいつはこの家で過ごすことになった。主人Ronさんの家は小さめの牧場兼野菜農家で、家には夫婦と次女のTracy、そして同じ居候のEngland人(男)と Wales 人Janetの女の子の5人。そしてこれからはそこにあやしい東洋人(自分)が増えることになったのだ。

冬の間は農・牧業ともにオフシーズンである。そこでRonさんはマヌーカという木を製材してFirewood(薪)にし、それをChchのガソリンスタンドに卸す、という仕事を主にしていた。NZでは、少なくともChchではほぼ全ての家庭に暖炉がある。その薪は主にガソリンスタンドで買ってくるわけで、薪の需要は確実にある。彼はそこを狙ったわけだ。もっとも数年前までは養豚も営んでいたのでこんなことはしていなかったが、豚の価格が大暴落してしまったので仕方がない(豚は全て売却せざるを得なかった)、ということらしい。

【そこでの生活の一例】

7:00頃起床。 朝食後、Tracy をスクールバスの通る峠の頂上まで送る(Ronさんによると「朝の送迎を自分がしなくてよくなっただけでも、Takemaに来てもらった甲斐があったよ」とのことだった。そんなに面倒だったのか?) 帰ってきてすぐ仕事。製材とその薪のパッキングで腰が思い切り痛くなるころ午前のTeatime。昼食後は再び同じ仕事。Teatime、夕食となり、暖炉の周りでみんなでTVを見る。居候のEngland人とビリヤードをやる日もあった(ビリヤードをやったのは生まれて初めてだった。それでもほんの時々は彼に勝つこともあったところをみると彼も決してうまくはなかったようだ)。大体10:30〜11:00ころ就寝。日曜日はナシ。基本的に毎日同じパターンだったが、仕事は木材関係だけではなく、ときどきは羊に干し草を与えに行ったし、家の増築中でもあったから内装工事も手がけた(1度電気をショートさせてしまい、せっかく固定した壁板をまたばりばりとはがす羽目になったりもしたが)。またジャガイモや温室トマトの植え付けなんかもあったな。ここで随分トラクターの運転になれたことが、数ヶ月後、別の仕事にありつける元となったと思う。あと、数日に一回は出来上が った薪をChchまで配達に行く。これが結構楽しみだった(スピードくじ買ったりしてた)。また夜なんかには山道を15分ほど(車で)走ったとこにあるパブに飲みに行くこともあったな。観光客なんか誰も来ないパブだから地元のおっちゃんばかりで、最初は奇異の目で見られたようだが、正体が分かると随分よくしてくれたっけ。道ですれ違っても「いよっ!」と挨拶してくれたし。
Happy 25th birthday ,Take !

そうして数週間が過ぎた頃、自分は25の誕生日を迎えた。とはいっても昼間は普段通りの仕事である。仕事を終え、ツナギを脱いで家の中に入ると、いきなり

"Happy birthday ,Takema !!"

の大合唱である。驚いた。思いがけないことで、普段誕生日のパーティなんてやったこともなかったこいつも、無茶苦茶嬉しかった。いつのまに準備したものか、バースデーケーキ(with 25本のローソク)まであった。写真はその時のもの。横断幕にはこの写真からは読みとれないが"Happy 25th birthday TAKE"と書いてある。いやあ、嬉しかった。とりあえず英語はまだなかなかだけれど(勿論最初の頃とは比較にならぬ程ましではあったが)、仕事だけはちゃんとやってきたつもりで、でも自分がみんなにどう思われてるかまではわからなくて、時にそんなことで不安になることもあったけれど、とりあえずは第二関門も無事通過できたようだ。

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