MAZDA 323 (日本名ファミリア)が自分のものになるまで

** NZワーホリその2 **
結局、Auckland に泊まったのは2日だけだった。突然移動してしまったのである。

きっかけはYMCAでの夕食の時だった。おそるおそる(この形容は正しい)食堂に行ってみると、なにやらあやしげな人たちが飯を食っている(当時、白人はみなあやしげに見えていた)。見よう見まねでセルフサービスのメシをとると、すぐ近く(だったと思う)に東洋系の若者がいるではないか。しかも女の子である。一人の心細さもあり(決して下心ではない。そのような精神的余裕を持つまでには、まだあと1週間は必要であった)、
Tauranga-yh
「あのー、日本人の方ですか?」

と尋ねてみると、そうだという。地獄に仏とはこのことである。何といっても、この日一日、個人的には一言も発していなかったのだ。しかも日本語で話せるではないか。これを神のご加護といわずして何といおう。少なくともあの時はそう思ったのだ。いやあ日本語を喋れる幸せといったらない。

聞くと、彼女はオーストラリアのワーホリ中で、ちょっとこっちまで足をのばしに来たのだという。ちなみにTakemaはこれより数ヶ月後、NZでオーストラリアのビザをとったのだが、申請から受領まで約1ヶ月、ビザ゙が取れたときには、もはや往復の航空券を買うのが精一杯の金しかなく、あえなく断念せざるを得なかったという苦い記憶がある。いや、そんなことはどうでもいい。話しているうちに、Rotoruaまで明日一緒に行くことに決めた。やった、少なくともRotoruaまでは英語で苦しまんでいいぞ。

バスで彼女とWaitomo経由Rotoruaへ。何とも幸せな旅ではないか。一緒にポリネシアンプール行ったりして、飯も一緒だし、あまりに恵まれすぎてる!しかし幸せは長くは続かない。彼女はこのあと南島へ下るという。自分は漠然と「南島まで行ったら仕事を探そう」と思っていたのだから、あんまり早く下るわけには行かない。かくして、彼女は南へ、こいつはTauranga というよくわからない町へと北上することになった。

さて、Tauranga に着いたのだが、バスターミナルはどうも町の郊外のようである。しかし、City Centre がどっちなのか皆目見当が付かない。何せ「地球・・・」に地図がないのだ。地図を買うなんて考えつきもしなかったのだ。思案すること約5分。意を決して、目の前を通りがかった白人女性に聞いてみる。「I'd like to go to YH. Do you know...?」さすがに数日間暇だったこともあり、want を使うべきではないことを知っていたのだ。すごい。えらいぞtakema!(でもこの言い回し、中学で習うような・・)。彼女はなにやら答えてくれるのだが、当然ながら聞き取ることはできない。ただ、唯一聞き取れたのがこれ。「・・・・,come on ・・・!」んんん?とにかく来いとか何とか言ってるぞ。言われるままについていくとそこは駐車場。そして彼女が指さしたその先にはちょっと古めの車と、車内には子供二人と巨大犬。えっいいの?嬉しい!!でも困った。

困ったのは何か。理由はただ一つ。その頃のTakema は犬嫌いだったのだ。いや、「嫌い」といえば聞こえが良すぎる。当時の現実に即していうならば、「犬恐い」だったのだ。忌まわしい幼児体験以来犬といえば徹底的に避け続けてきた自分としては、犬と同室なんて・・しかしここで乗せてもらわなければもっと大変なことになりそうだ。覚悟を決めて(そんなたいそうなもんじゃないぞおい)車に乗り込むTakema。そしてそこからの10分間、よくわからない英語での質問攻撃と、耳元に聞こえる犬の熱い吐息とともに、Takema は忍耐の時を過ごしたのであった。

ちなみに今は大丈夫。優しい牧羊犬が、こいつの犬嫌いをとりあえず直してくれたようで。

いかん、いつまでたっても車の話にならん。

Tauranga には4〜5日いたのだが、数日目に町を歩いていて感じたこと。この町、中古車屋が実に多い!何だか千葉の行徳や新小岩界隈を思わせるような雰囲気。たまたまそう見えただけかも知れないけれど、それに気づいてふと思った。「車があれば、金がなくてもどこでも寝られる!(=宿代の節約になる)。」そうなると、もう、欲しくなった。フロントガラスに張られた値段と状態を一つ一つチェック。これなら・・ってのがあった。あとは・・交渉だ!(出来るわけないだろ)。

しかし、世の中ってのはうまくしたもんで、何とかなるように出来てる。たまたまその時、ワーホリ滞在半年の日本人が同宿だったのですね。彼に折衝して、夜のパブ代おごるということでOK。翌日、早速中古屋へ。最初に目を付けてたのはこっちの勘違いで駄目だったけれど、$1500でいいのがあった。MAZDA323 1300cc 走行143900km 1977年型。ちょうど一回り(12年)昔の車であった。後ろバンパーはへこんでるし、リアの窓の下には腐食の穴あいてるし、でも、エンジンはいいよというディーラーのことばを信じて、即購入決定。笑ったのがそのあと。「これ、いつ納車ですか?」「いいよ、乗って帰って(!)。ただ、明日もう一度来てくれよ。登録証渡すから。」うーむすごいことだ。日本と何たる違い!(もっとも日本が変なのか・・)。

そのあと保険屋(確か"State Insurance"という会社だった)行って保険に入り、全て終了。かくして、思いついた翌日、Takema はいきなり車のオーナーになってしまったのであった。あっついでにこの日、銀行口座も作ったぞ(ANZ)。

ここでおまけ。車の購入についての意見とアドバイスです。

この車$1500

(1)最近はNZでもピカピカの新車がほとんどみたいだけれど、中古を買うときはやっぱり日本車の方がいいかもしれない。概してこわれない。滞在中に出会った車持ち日本人の多くはミニクーパーなどのいわゆる外車(?)に乗っていたけれど、$1000で買って修理に$1800とか、皆結構お金に苦しんでました。ちなみにこいつの場合は、タイヤ交換以外は$70(ディストリビューター交換)だけで済みました。

(2)新聞で探すときは安さだけで考えないこと。安いものはやはりそれだけのことはあります。ある人が「Runs good とかGood runnerは避けた方がいいよ、買うんなら Excellent Runnerくらいじゃないとね」なんて言ってたのを覚えてます。ただし真偽のほどはわかりませんが。でもGoodは「良い」の一番下の表現だから、結構当たってるのかも。また、どっかで聞いた話ですが「中古車屋は程度はいいが高い。個人売買はひどいのつかまされると目も当てられない。とにかく試乗をさせてもらえ。その時車に詳しいやつを連れていくことだ。」というのがありました。けだし正解だと思います。自分は中古屋で$1500でしたが、当時でも中古屋価格としては破格値でした。今の相場がいくらくらいなのかは全くわかりませんので念のため。

(3)登録にかかる諸費用は確か数十ドルくらいだったと思いますが、いかんせん古い話ですので自分で確かめることです。あと、車検は確か半年に1回だった(やや曖昧)。ただ、その車検の項目たるや「ブレーキは効くか」とか「ドアはちゃんと閉まるか」「タイヤの溝は?」とかだったような気がするので、WOF(だったっけ)という看板の出ているGSでガソリン入れがてらやってもらうことが出来ます。NZは近年大規模な規制緩和に動いたはずなので、車検だけが厳しくなっていることはないと思いますが・・・

1999 10月注:でもWOFの値段自体は随分上がったみたいです。

(4)自分もペーパードライバーでしたが、タイヤの圧とか、オイルのチェックとか、タイヤ交換くらいは一人で出来ないとひどい目に遭います。とくにタイヤは(再生タイヤを使ってたこともあり)よくパンクしました。なお、再生タイヤはとても安く手に入ります。予備タイヤがきちんとあるんだったら再生で十分のような気がします。

(5)NZの運転は楽です。マナーもいいし、日本と同じ左側通行だし。あとはラウンドアバウトと左折の場合対向車優先(右折車優先)だけ気をつければ大丈夫です。市内は50km、郊外70km、その他は100km制限です。なお、ラウンドアバウトについては、林 望著「イギリスは愉快だ」(文春文庫)に色々の説明があります。イギリスもNZも通り方は同じですから参考になるはずです。あ、もしかしたら同著者の別の本だったかも。本屋行って目次見て調べて下さい。対向車優先についてはメール下されば説明します(今も変わってないんだろうな)。

(6)NZに限らずヨーロッパ系では「車=マニュアル車」という発想がまだまだ根強く(これは今でもそうです)、ましてや中古でオートマを探そうと思ったらそれはもう至難の業になる可能性もあります。自分も日本ではほぼペーパーに近かったのですが、なれれば何とかなります。マニュアル免許を持っているのならぜひマニュアル車に乗ってみては?

(7)売るときは運です。自分はYHの Visitors book や街中の掲示板などに”4(For) Sale”の張り紙したりしましたが、結局YHが正解だったみたいで、買値とほとんど同じ値段で売れました(ひどい・・)。やむを得ず中古屋にもって行くと思いっきり買いたたかれます(仕方ないけど)。なお、個人同士で売買するときも、名義の変更はGPOなどの専用窓口ですぐにできました。


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