1989 6月のNZ日記


6月1日 晴れ

今日から6月であったりするがピンとこない。朝、車のほうに行ったら一面に厚く霜がおりている。タオルで拭き取ったら雪のようになった。朝は霧がすごかったが少しずつ晴れてきたので良しとしよう。今日の注目度NO.1はTrout、つまりマス釣りである。アメリカ人夫婦と3人でボートに乗り込む。勿論こいつはビールも持ち込んだ。トイレ行きたくなったらどうするんだ。出発前、Mさんが「夕飯のおかず、期待してるわ」とプレッシャーをかけてきたので、「ナニ?ツナ缶でいいの?」と答えておいたものの、やはり見栄が先に立つ。最低でも巨大トラウト1匹はモノにしなきゃいかん!と意気込んでいたのだ。

10:30出発、3hのトライである。ルアーを入れて10分強、USAの旦那のほうにアタリがくる。40cm以上、いやもう少しあったか。う、うらやましい!というわけで、「よし、Nextはいただきじゃ!」と気合いを入れてはみたもののさっぱりアタリ一つ来ない。夫婦のほうもあのあとはさっぱり。Beerなど飲んで釣れぬ心の渇きをいやしてはみたものの、全く無駄である。そして奮闘空しく、我々はすごすごと岸へ戻ったのであった。

宿に戻ってみるとGisborneで別れたはずの女の子二人組がまたもや出没していた。どうやらデイパックの中身を気にしている(空なのに)様子なので、「あーっ、今日の夕飯は何だか無性にカレーかスパゲッティが食べたいなあ!!」と大声で叫びつつ「やあやあ」となる。

そして夕食時。例のアメリカ人夫婦、自分を哀れと見てくれたのか、何とトラウトの半身を分けてくれる!といううれしはずかしアクシデントもあり、急いでワインを買い込んできたところだ。そして、この日記を早いとこ書き終えてトラウト料理(ホイル焼き)に挑まんとしているところなのだ。

ちくしょーっ、自分の(釣ったトラウト)が食べたかった!

6月2日 雨のち曇り

朝から気合いの入った二日酔いで参った。昨夜、、ホイル焼き以外に残ったマスを利用して作ったマス粥は、一夜のうちにメシが全ての水分を吸ってしまい、メシの一粒一粒が恐ろしいほどに巨大化しており、おまけにその臭いはどうしても二日酔いとはマッチせず、結局半分は申し訳ないがゴミ箱行きだった。「どうせ明日は二日酔いだろうから今のうちにお粥作っておこう!」というアイデアは良かったんだがなあ。

どうもはっきりしない天気の中、National Parkへ。トンガリロ山は隠れて見えない。いかにも火山!という感じではある。裾野のあたりは不思議な地形であった。結局、1:20で到着。山が見えなければ何もないところだ。

Mさんは明日ウェリントンに下るという。もう一人の女の子はオークランドへ、そしてもう一人(Kさん)は自分と一緒に(!)ゆっくり南下するという。ガソリン代シェアなのでありがたい。

何だか体調がすぐれない。風邪だと面倒なので薬を飲む。二日酔いが残っているだけならいいけれど…明日天気が良かったらここにもう一泊。悪かったら見切りをつけて出発の予定。PM10:20。

6月3日 雨

昨日の移動距離が少なかっただけに、今日のコース(National Park〜 New Plymouth)は余計に長く感じられる。おまけに連日の雨である。いい加減にしてくれ!

昨日の昼寝(14:30〜18:00)のせいか、やけに早く(それでも8:00)目が覚める。パン4枚と蜂蜜、コーヒー。10:00頃出発だ。しばらく一緒に行動していたMさんさようなら。またできたらお会いしましょう(本音)。3号線から40号線に入ってしばらくすると未舗装の林道となってしまい閉口。しかも小一時間も続くのには参った。Kさんのもってきたテープ(サザン、オフコース)、ダビングしたいがデッキがなければ無理だ。New Plymouthで、初めて自分でPetrolを入れる。これまではいつもFull Serveの列で入れてたのだ。Woolworthへ行く途中、リカーランド発見!早速探りを入れてみると月桂冠720ml $16.50を発見!高いけれど、まあ仕方ないことだ(買った)。これで車に積み込まれた酒類は日本酒1、3リットルのカスクワイン1、ビール7缶(Reineck1、チンタオ1、キリン1)というゴーカな布陣となった。明日はどうするか未定。YHでは福島から来た中島君と日本の教育のありかたについて語った。

6月4日 曇り時々晴れ、後快晴

天気が回復してきたので、今日はMt.Egmont(Mt.Taranaki)を眺める日と決める。同宿の中島君と、中腹のVisitor Centreまで上がる。上部では路上に雪もあり、慎重な運転となる。センターのあたりは一面の雪景色。持参のソーセージロール(何となく魚肉的な味。$1.20は高いね)、コーヒーを飲み下山。Puke Kura Parkでうろうろしているうちに、Egmontがやたらにきれいに見えて嬉しい。肉用牛の牧場では牛がのそのそと近寄ってくる。牛の生態って不思議だ。中島君の「じゃ、肉屋で会おう!」は笑えた。明日はWanganuiまで動く。明日もこの天気で。もう眠い。寝るぞ。まだ21:20。

6月5日 ド快晴

こんなにしっかりと晴れたのは久しぶりである。Tauranga以来ではなかろうか。10:00前に出発。Manahoe湖でまたもEgmontの写真を撮り、しばらく行ったところの町でFish&chipsを買い、3号線から横道に入ってちょっと行ったあたりのいい景色のあたりでそれを食い、あとはへらへらと走ってくるうちにいつの間にかWanganuiに着いてしまった。今日は祝日(Elizabeth Birthday)なので町中はやはり静かだ。静かすぎる。夜、公園に有料のイルミネーション噴水があって面白かった。50セント入れると5分間噴水とイルミネーションが光るというモノ。日本でこの手の噴水作ったら、誰一人見てなくてもきっと一晩中ついてるんだろうな。この方が経済的だ。

6月6日 晴れ

いよいよ今日はウェリントン入りだ。マオリミュージアムなど行ったりしていたので、出発は11:45。途中フルーツショップに寄ってみたりした。Kiwifruitsを買おうと思ったからなのだが、いくら$1.20/kgとはいえ、みんなぶよぶよなので恐ろしくなって逃げ帰った。きっとこの3日間(土日+祝日)おきっぱなしだったので熟れちゃったんだろう。

モーターウェイを経てウェリントンへ着く。首都とはいえ、やっぱり小さな町ではあるなあ。夜になり、ケーブルカーで上に登る。火曜の夜だけはそこにあるカーター天文台が開放されて南半球の星が見られる、ということがあったためだが、やや雲が多く、結局駄目。$5を返してもらう。

6月7日 曇りのち時々雨

今日はウェリントン滞在と決めていた。Kさん、中島君と自分とは完全に別行動をとる予定であったが、風が強く(ウインディウェリントンと言うけれど、まさに…)雨も時折たたきつけてくるので結局車による同一行動となる。まず丘の上に登り街を上から見下ろしたが、真剣な風雨ゆえ、車から歩いて30秒足らずの展望台まで行ったのは自分だけだった。動物園は金を惜しんで入らず、Fish&chipsの昼食。

この日の買い物:バッテリーケーブル($10.00)、車内タバコ置き($1.75)、シープスキンの枕($20。どうやらこの店は工場もかねているらしく相当に安い。)

6月8日 曇り時々雨、のち晴れ

8:45の列車でKさんは再び北上していった。ほとんど英語のしゃべれない彼女のこと、大丈夫かな、とすこし気になるが、自分だって同じことなのだ。今日はこれから車ごと南島に渡るのだ。いよいよ仕事探しの時期が近づくんだなあと実感する。

車両搭乗受付で「車1台つきの乗船券下さい」といったらむこうの人が「メーカーと車種は?」と聞いてきた。「マツダ 323です」と何度も言うのだが全くわかってくれない。こっちじゃよく見かけるメーカー、車種なのに何故?何度も連呼するがさっぱりらちがあかない。発音が悪いのか?だって単語といったって「マツダ」だけだぞ。しかし悪戦苦闘しているうちにあることに気がついた。「マツダって、英語表記はMatsudaじゃなくてMazdaだ!」ということに。そこで「マヅダ 323」と言ったら一発で理解してくれた。しかしなんで「Z」なんだ?と改めて不思議になる。

いざ乗船!しかし、車両甲板につながってる車の連絡橋がどれだかわからず、これだろうと見切りをつけたブリッジに上がっていったら、そのブリッジは船とつながっていなかった。従ってずーっとバックで降りてきたが、そのあたりで待ってた車のドライバーに笑われただろうな。

船は外海に出ると随分揺れた。青函連絡船も少し揺れてた気もするが、そんなもんじゃない。横風を受けて船が傾きながら、蛇行しながら走ってたぞ。相当の上下動もあり、これは大変に苦しいモノがあった。

到着後、中島君はHavelockで仕事を探すというので、どうせPictonからはそんなに距離があるはずでもないので自分も同行(と言うよりは自分が運転していくのだが)することに。海沿いの道は、狭く、急でスピードも出せない。Havelockは大変に小さな街だけれど、何となく居心地が良さそうな雰囲気だ。ツチボタルが夏になるとそこら中で安易に(!)見えるらしいけれどこの時期じゃ無理だ。

明日はいよいよ一人になってKaikouraへ。一人って一体何日ぶりだろう?
6月9日 曇り

中島君はHavelockに残り、いよいよ一人となる。思えばほとんど誰かと一緒にいたわけだが、ここからは本当に一人だ。Kaikouraに向かう途中、NZのヒッチハイカーを一人乗せる。こいつは完璧な野宿旅行者である。テントすら持っておらず、夜は勝手にそのへんで寝転がってしまうという。雨の日は?と聞いたらサムイサムイサムイとほざいておった。タフなやつがいるものだ。

さてKaikouraは海産物がゴウカイだという噂を耳にしていたので、YHにつくなりビジターズブックを見てみる。アワビは食い飽きただのクレイフィッシュがウマウマだのと、何だかやたらに豪勢な話が並んでいる。うまい話には裏があるんじゃねーかと半分思いつつもYhちかくの岩場でごそごそと動き回る。アワビなんてものはもともとそれほど親しい仲ではなく、初めはサザエを探していたこともあって時間がかかった。探すこと30分、あったあったよありました。4〜5個仲良くへばりついているのの中から3個(大きめの)。Lucky!まだないかなとウロツキまわっていたら、何と小ダコまで発見。しばしナイフで格闘の末Get。へっへっへ。

夜は初めのうちアワビとタコと日本酒とで飲んでいたが、そのうち数人(日本人にあらず)がパブに飲みに行くというので、「じゃ、俺も一緒に行く!」と参加する。こうこう、これでなくっちゃ英語は上達しない。かなり酔い、なぜかYHの前に停めておいた車の中で夜を明かしてしまった。ベッドを目の前にして何で車中泊しなきゃいかんのだ。そんなわけで今朝はまだ二日酔いだ。

6月10日 晴れ

Kaikoura半島を歩いてぐるっと一周することにする。$60出してクジラ見に行くのもなあと思っていたが、昨日の宴会メンバーが行こうぜTake!と誘ってくれたのだからもう一も二もない。アザラシはそこら中でのそのそと歩き回っているわ、その死体はあるわ、ついでにペンギンもいるわ、海は綺麗だわ、と、なかなかに面白い3時間弱…いや2時間のコースであった。

午後になって飯を食い、潮も引いてきたようなので、さて今日もアワビでも、と思ったら、車のキーつけっぱなしで閉めてしまい、おまけにスペアキーはみつからんしで、うろうろと20分位、YHの住人たちとともに格闘する(あとでよく探してみたら、スペアキーは部屋においた荷物の中にあったのだった)。

おまけに今日は時間もたっぷりとあったのにただ1個のアワビすら見つからない。ついてないのね。今日も彼らに「飲みに行こう」と誘われている。しかし金がない!ないってったらない!明日は日曜日。ペトロールは1/3くらいしかない。明日はここからChchにヒゲもじゃ外人とガス代シェアで動くことになっているので、あ、その彼がこっちに来た。金借りよーか。ちなみに夕飯はタコ野菜ラーメン。タコは食わない白人に見られないよーに。しかし、今回の心残りは、何といってもクレイフィッシュまだ食ってないということなのでありました。6:43PM。

6月11日 晴れ時々曇り

英国のJohneyとともにKaikouraをあとにする。お互いに、いいところだった、また来たいなどと言っていたところで、こいつは食料一式を入れた段ボールをそっくり忘れてきたことに気づき、急いで戻る。当然、その時の会話は「We are so lucky, we can go back to Kaikoura soon !」だったわけだ。気づいて良かった良かった。車だからいくらかさばってもいいということで、調味料とか野菜とかがたくさん入ってたからな。

少し走ったところで「Difficult to say …」とこいつが持ちかけたのは金の無心の話。金曜の夜パブで飲み過ぎ、日本と同じように考えていたら、Bankは土曜が休みなんですね(1999注:この時はまだキャッシュカードを持っていなかった)。結局、この日のYH代も含めて、彼に$10借りる。Chchでは郊外のCora Wilding Hostel に泊まる。このあと二人で大聖堂のほうに出てみたけれど、やっぱり日曜ゆえガラガラだ。大聖堂のてっぺんに登り($1。ああ無駄だった。)、こいつはなけなしの金でホットドッグを食う。このあと西に歩きArt Centre を見ていたところで彼とはぐれた。探してみたがいないのでとりあえずそのへんの出店を見て回る。結局、道一つ隔てたMuseumの2Fで再会。RollstonのYHをのぞいてみたら、フラットメイトを探しているというWH中の日本人に出会う。みんな苦しんでるな。

6月12日 曇りのち晴れのち曇り

朝一番で金をおろしに行く。YHに近いANZは10:00オープンということで唖然とする。すぐ近くのTrust BankやWestpacはちゃんと9:00からやってたぞ。とりあえずJohneyに金を返す。JohneyはこのあとAkaroaで2〜3泊するそうだ。それに対してこいつはこいつはこれからどうするのか全く決めていない。することといえば、唯一CPOに届いている(かもしれない)手紙をチェックすることだけである。10:30には、その唯一残っていた「やること」もなくなった。さあ、仕事探しだ。しかしどうやって?

この先どうするか?

1:Mt.Huttのスキーエリアに行けば仕事はないか?
2:タダで泊めてくれるFarmstay先を探す(これも飛び込みで)
3:ここChristchurchでレストランか何かの口を探す。
4:Queenstown方面に下りつつ何かないか探る。

とりあえず明日は、…Akaroaのほうへ行こうか、それともMt.Huttへ?

6月13日 晴れ時々曇り

今日は特にすることがない。Chchにもう一泊することにする。大聖堂広場には沢山の日本人ツアー客がたむろしているが、彼らと自分と、置かれた立場は全く逆である。自分はここで何かをしなければいられないのだ。言われるがままにしていればいい時代が懐かしい。自分には可能性もある代わりにリスクもあるのだ。そしてそのリスクは自分が負わねばならぬことも。

信玄、倉敷などと、日本食レストランが目にはいる。仕事ないかなとも思うがどうも聞きに行く気になれない。暇つぶしにインフォメーションに行き、何の気なしに見ていると(実は二日前にも来ているのだが)、係のおねえさんが「May I help you?」と近寄ってくる。「Just looking, Thanks」と答えたが、オネーサンは去らない。Chchの見どころを聞いたがどこも行ったところばかり。Sign of TakaheやSummit Roadも昨日行ったもんね。そしたらAkaroaはいーよと勧めてきた。行ってみようか。

YH玄関脇のボードにAkaroa方面でFarmstay(Work Exchange)の張り紙がしてあったので、TELナンバーの書かれたやつを一枚はがす。うーむ、これ、何とかならないかなあ。(1999注 この辺のいきさつはこっちのほうが詳しいです。)

電話の結果、明後日に来てくれとのこと。嬉しいが、どうなるのかを考えると、今までとは違った不安がいっぱいである。でも、まあ明後日だ。明日はゆっくりしよう。

夜、日本人の金子さんとビール3缶ずつ飲む。彼はPart-timeとはいえ、DEKA(ホームセンターのような店)でのバイトが決まっており、目下フラット探し中である。彼は土曜日の「All Blacks vs France」の試合(Chchにて開催)に自分を誘う。

6月14日 晴れ

Akaroaへ。ここは、何というか、何もないというか、とにかく、とにかく静かな海辺の街であった。ただ何となく、埠頭のあたりでうろうろする。AkaroaのYHは民営で、ものすごい坂(車もローギアで何とか上がる)の上にあるが、設備、雰囲気は最高である。幅の広いベッド、ベッドライトもあるし、WoodyなAtmosphare、Very good。Common Roomには暖炉があり、これまたなかなかくつろげる。オンシーズンは$15らしいが今はたった$10。何泊かしたいところではあるが、明日のPigeon Bayがある。残念。

なお、二日前に別れたJohneyと肉屋の前で再会。彼もこっちの宿の雰囲気が気に入ったらしく、こっちに移ってきた。同室となり、夜は酒を飲み交わして寝た。

6月15日 曇り時々晴れ 夜になって雨。

のんびりと出発。Pigeon Bay へ。通称Ronさんの家はすぐに見つかった。タバコ吸ったりして躊躇した揚げ句、勇気を出して坂を上がっていく。行き止まりの家、その家のすぐ横の製材場にいた人に「Hello, My name is Take,Japanese,and two days ago I called…」と話しかけたらすぐわかってくれた。聞くと、居候は自分のほかにあと二人いるということ。EnglandからのMickとWalesからのJanet(女の子)。彼らからお茶を頂いているうちにこの家の娘Tracyが帰ってきた。奥さんの話では(これがまた聞き取りにくかった!)土曜の夜までの3泊はPigeon BayのYHに泊まってくれ、それからはこの家に泊まってくれ、もちろん食事はみんな出すから、とのことだった。でも、何とか2週間くらいはここにいられそうだ。ラッキー!

夕飯のあとにデザートで出たレーズン入り牛乳お粥(ライスプディングというらしい)は、お粥のくせに米に芯が残っていた。うーむ、この家はまだまだ米のうまさをしらん。明日22:00に来いとのこと。

このPigeon Bayの無人YHは一人だけだ。(1999注:このYHはこのあと程なくして閉鎖されました)薪ストーブの火を見ていると退屈しない。室内もやっと暖かくなってきた。

6月16日 晴れ時々曇り

さて、今日は10:00にRonの家に行くつもりで9:45頃エンジンを掛けたが、昨夜の雨で駐車場がすっかりぬかるんでしまい、脱出するのに一苦労。スタックから抜け出すまでに30分以上もかかってしまった。

さて、Ronの農場は、羊150、鶏数十、豚今はゼロ(大きな豚舎があり、数年前までは何十頭も飼っていたそうだが、肉の価格が暴落したのでやめたとのこと)、馬2、猫3、犬1からなる小さな農場だ。この日は飯を食べさせてもらった割には何も働かず、農場内を見学させてもらっただけで終わり。さてYHに戻ろうとしたら、「友人が来なくなったので、今夜から家に来い、何週間いてもいいぞ」との、マコトにありがたい奥さん(Linda)のおことば。何はともあれ、これで居候生活を始められそうだ。明日ここの住所を聞いて家に手紙を書こう。そして、明日から率先して仕事を手伝うこと!(YHの片づけなんかどうだ?ちなみにここの無人YHの管理人はLindaさんらしい)。

6月17・18日

昨日書くのを忘れていたのでまとめて書くことにする。

17.18日は薪(Firewood)の袋詰めに明け暮れた。この仕事は常に前屈みでやらなければならず、腰痛との戦いだ。最後の方になると、腰をかがめるだけで身体がふるえてきてしまう、といったような重労働だ。それでも同じ居候のミックに比べると袋詰めのペースも遅く、三食ベッドつきで申し訳ないなあ、と思ってしまうのであった。

昼はもちろんだが、10:00と15:00にもTea BreakをとるNZのこと、当然日曜日は仕事おやすみだろう、という甘い期待は当然のように破られた。農家には休日などないのである。これは日本も同じか。

家あての手紙には「ここにしばらく居座る」と書いたが、果たしてどうなるのであろうか。ま、いいさ、なんとかすれば。

6月19日 雨

今日は雨。仕事は基本的になし。

なぜかJanetとAkaroaにドライブということになった。いいなあ。白人の女の子とデートなんて初めてだぞ。彼女と自分は同い年。自分より4ヶ月年上の3月生まれだ。背丈は160をすこし越えたくらい。なかなか可愛いのだ。帰り道、HilltopのPubで昼間からビールを二杯飲んだ。いい思い出だな。彼女は明日Chchに戻り、Wanakaで仕事を探し、もし見つかれば1ヶ月くらいはそこにいたいと言うから、また会えるかもしれないね。Have a good trip !

明日は天気もましになりそうだ。でももうパッキングの袋がないはずだから、また家の増築かな(新しい部屋作り)。それにしてもこっちには設計図に基づいた工事という概念がないのか?(実にいい加減に木材をカットしたあとで「サイズが合わない!」と慌てたりする)

6月20日 曇り時々雹、でも晴れ間もあり

今日も天気ははっきりしない。と言うよりは、はっきり言って無茶苦茶である。断続的に雹が降り注いだ。時にはかなりの大粒攻撃もあり、車のフロントガラスが割れてないか心配で見に行ったくらいだ。と思うとささーっと青空が広がったりして、よくわからん。

結局、今日は一日中家の増築作業(アバウトな建設過程にも慣れつつある)。薪パッキングよりもはるかに楽な作業なのだが、はっきりいって部屋の中でも寒い。暖炉という局所暖房が家の中に一つだけだからね。その部屋を離れりゃ寒いよ。石油ストーブのありがたみを実感する。しかし雹はよく降るよな。屋根に当たる雹の音が激しい。板屋根だから余計に響く。

夜になっても相変わらず降っている。もしかしたら明日は積もっているかもしれないね。それにしてもこんな時、羊軍団はどうやって夜を過ごしているのだろう。風邪ひかんのかなあいつらは。意外と悠長に草食い続けてたりして。あり得るな。

Janetは何故か出発しなかったが、天気が悪いからだろう。あとで一緒にYHのシャワー浴びに行く予定であるが(この家にはバスタブはあるがシャワーがない)、スリップしないだろうなあ。

6月21日 雪

昨夜の予想通り、今日はほぼ一日中雪で、朝の時点ですでに数cm積もっていた。夜中にトイレに行くのも寒かった。Ronの話によると、一冬に4〜5回はこのような雪が降るのだそうだ。ということは、もう冬の真っ最中か。早く暖かくならんかな。TV1の天気概況では、こっちはこんなに寒いのにAucklandでは17゚Cもあるという。うらやましい。

今回の雪は、雪と言うより小さな雹といったほうが正しいかもしれない。日本にようにふわりふわりと落ちてくるのではなくて、ストレートに地面目指して落っこちて来るという感じである。夜になって気温が上がってきており、雪もどんどん溶け始めている。結局この農場の冬景色を写真に撮ることはできなかったなあ。

今日は何通か日本に手紙を書いたのだが、雪のせいで下のポストまで車で降りていくことができなかった。絶対にスリップすることは目に見えている。そうまで苦労してポストに入れても、集配の郵便兼バスは運休だったろう。サミットロードは雪の日に走ったらアウトだ。

6月22日 曇り時々晴れ

昨夜から随分と暖かくなり、雪も雨に代わり、そしてやんだ。日中は晴れ間ものぞく、まずまずの天気。Ron夫妻はJanetとChchに行った。居候二人が残ったわけで、Mickの仕事ぶりも今日はのんびりしている。休憩も長く、この家にあるビリヤードをやったり(自分は初体験なのでやり方を教わった)ごく簡単な仕事(扉をつけたりとか)をしているうちに一日が終わった。自分の部屋の壁と床との間に隙間があり、そこからすきま風が入り込んできて寒いので、作業小屋からグラスウールをもってきて隙間に詰め込んだ。これでとりあえずははるかにましになるだろう。

とにかくのんびりした一日であった。毎日これなら楽なのだが(ソーハイッテラレナイネ)。

そういえば今日は夏至、いやこっちでは冬至か。さあ、これからは着実に日が長くなって行くぞ。とはいっても本格的な寒さはこれからなのだけれど。

このあとYHにシャワーを浴びに行ったら車がYH前のmudにはまり、脱出不能に。ちょうど帰ってきたRon夫妻がYHの見回りに来たので明かり一つない山道を2km歩く(しかも登り)ことは免れたが、車は今もそこに停めたまま。明朝発掘しに行くことに。くそーっシャワー結局浴びられなかった。

6月23日 天気不明

ランチの時、Janetに「今日飲みに行かない?」と誘われて、よしよしと喜んだが、その喜びを的確に言葉で表せないのがもどかしい。しかし、彼女はいつ出発するんだ?

仕事はたいしてなかった。それにしても、「これはどう見ても制作途上!」といった感じの柱に思い切り蜘蛛の巣がかかってたりする。相当前から放ってあるんだろうけれど、一体いつ完成するんだろう、と気になる。

メシのあとで飲みに行く。峠の上のPubである。それにしてもこのPubは標高も400mくらいのところにあって、最寄り人家までは10〜15分はある。つまりここに飲みに来るには車しかないということになるが、そんなのが許されてていいのであろうか。ケーサツも、ここで張ってれば一網打尽ということになるが、当然経営妨害になるから黙認してるんであろう。
ビールを2杯とウオッカを7〜8杯飲む。JanetとRon夫妻は明日Chchに買い物に行くというので、日本酒(月桂冠)を買ってきてもらう約束をする。$10は先に渡し、残りはJanetが払う。

6月24日 雨

Chch一行を見送ったあと、Petrol Stationへ行き、帰りはAkaroaからサミットロードを経由して10:20頃戻ってきた。この前の雪がまだ溶けきっていないので神経を使ったが、なかなかいいドライブロードだ。

今日もMickと二人で部屋の増改築作業だ。昼飯はMickが作り、夕飯は自分が焼きおにぎりを作る。Mickに説明していると、彼が「材料はこれだけなのか?」と聞かれたので、「本当はなかにサーモンや梅(間違えてCherryと説明したが)を入れるが、今はないから…」といったら、「じゃあ、ブルーベリージャムならどうだ?」と言われて絶句。なるほど、気持ちは分かる。外は雨。日本なら中3にあたる娘のTracyもベビーシッターに行っている。

今日で10日ここにいる勘定になる。いつまでいるのか、それはわからないが、とりあえず今月中は居座らせてもらうつもり。自分の誕生日までいると25日間いるということになるけれど、今年の誕生日はどこで迎えるのだろうか。

明日はJanetたちが日本酒を持って帰ってくる。少し飲むか。

お金はケチること。

6月25日 雨のち晴れ

日曜ということもあり(主人一家がいないこともあって)Mick、自分とものんびりと起き出す。9:00頃だったか。のんびりと仕事をする。家のすぐそばの薪置き場でポッサムを見る。何だろう、タヌキの一種かな。

さて、新しく作った部屋、いよいよ内壁ボードを釘でうちつければあとは内装(壁紙張りとか)だ、というところまで来た。トンテンカンとやっているうちにMick大ヒット。なんと打ちつけた釘が内部のコードを直撃してしまい、一気にショート。せっかく張り終わりつつあったボードをもう一度はがし、ラインを交換し、などで結構時間を食った。

一行も無事帰着。Janetが買ってきた日本酒を飲みながら、Mickと、サッチャー首相が「もっとスコッチを飲め!」と発言していたことなどを話す。

今日もYHにシャワーを浴びに行くが、3日前にはまったワダチ付近の水はまだほとんど引いておらず、アクセル満開ですり抜けている。なんかもう1回くらいスタックしそうで不安だ。今日はYHに3人も泊まっている。うち一人は昨日からということだが、6/15に自分が泊まってから9日目にしてやっと次の客が、というのだからすごいね。穴場中の穴場YHだ。

6月26日 曇りのち雨

今日、Ronの車(ハイラックス)がこわれた。ローギアにしか入らなくなってしまった。ところで、今NZで一番幅をきかせている日本車は何だろうか。トヨタではない。ニッサンでもない。三菱ではないだろうか。マツダも多いな。

それにしても夜7:00からのTV番組「Sale of the Century」、日本語に訳すと「世紀の大売り出し」だろうな。すごいネーミングだ。日本じゃこんな番組名じゃ誰も見ないだろうね。しかも月〜金まで毎日、ゴールデンタイムにやっていて、以前北島で出会ったMさんの話では結構視聴率も高いらしい。考えて見ればNZにはチャンネルがOneとTwoの二つしかない。TVはまずほとんどの家にあるから、少なくとも全世帯がTVをつけている限り平均して50%の視聴率じゃないか。視聴率50%!恐るべきおばけ番組ではないか。日本のTV局が聞いたらどう思うかな。しかし、そうなってくると当然ながら番組は面白くないモノが多い。当然だろうな。今日のニュースで、日本のペット事情、つまりリボンをつけたり立派な葬式をやったりという極端な愛好家(「愛好」じゃなくて「手の込んだ虐待」に見える)たちの特集をやっていた。質問責めにあったが(「日本ではみんなそうなの?」「Never!」)何て説明していいかわからん。

6月27日 晴れ

今日は天気がいい。YHに日本人が来たので(珍しい!)シャワーのあとでHilltopに飲みに行く。なんだかんだいってPubのおばさんとも顔なじみになりつつある。

ここ数日、プラスターの粉だらけになって仕事をしている。壁面の凸凹をとるのが目的なのだが、非常にほこりが出るので体中真っ白である。まあ、泥まみれの靴の汚れが目立たなくなっていいが。

日本では宇野のバカのスキャンダルが発覚したようだ。いつの間にそんなのが首相になってたんだ?自分が日本を出たときは竹下だったよ。今日隣の農場の主人に「Take, do you know Geisha Girl ?」なんて突然聞かれたときからなんかあるなとは思ってたんだ。TVみてたら案の定。リクルートに関係のない政治家といっても必ず弱みはもってるもんね。まあ政治家に限らず、誰もが他人に知られては困る面はもってるわけで、自分だってその立場に立ったら、あぶなかしくて仕方のないことだらけだ。しかしまあ、30万で身体を売ったというその女もまたとんでもないやつだね。そのへんで不倫やってる課長とか部長とかならともかく、30万ってのは大金でしょ。ということは決してお互いに「出来心」じゃない。いやがる女性を無理矢理、っていうのは許せないけれど、明らかに合意してた過去のことを、片方が出世したからスキャンダルとして世に出しちゃうやつは許せんな。どうせマスコミにちやほやされたんじゃないか。真相はわからんが、知る限りではバカ女だ。もうすぐ選挙もあるらしい。自民党惨敗の可能性があるという点では非常に気分がいい。結果を早く知りたいね。

6月28日 雨

このところ雨ばかりだ。この季節はいつもこんなモノなのかな、とも思うが、寒いだけに雨が降るとユーウツだ。今日は室内の仕事。Janetは壁紙張り、Mickは壁と窓の間に飾り材をつけている。

午後になって羊の運搬(出荷)を手伝い、羊の両足をもってトラックに乗せるという作業をした。彼らは人をかまないということに気づき、また、かなり足のキック力が強いということもわかった。5匹運び出す予定で囲いのなかに入れてあったのだが、ちょっとしたすきを見て一匹が非常線を突破して大脱走、仲間のもとに逃げ帰っていった。なぜか出荷は4匹のままで良かった。

夜はMickとビリヤードをする。このところ毎日のように戦っているが、一昨日は2-1、昨日も2-1でMickの勝ち、今日などは4-0のタコ負けであった。修行せないかんね。でも、その部屋にいる限りはMickに無駄口たたいてればいいが、そこから暖炉のある部屋に戻ると、Ron一家やJanetらに「本日の戦果」について報告しなきゃいけないので恥ずかしい。

明日は久々にChchに行くことになる(おやすみもらった)。天気が良くなって欲しい。酒も買ってこよう。明日は勝ち越すぞ。

6月29日 曇り

久々のChchだ。昼間っからPubに入って外の景色を眺めつつ一杯。初めてこの街に着いたときには「これからどうなるんだろう…」って不安ばかりだったけれど、とりあえず何とかなってるじゃないか。Pay Workこそ見つかってはいないものの、居候だけにお金は必要最小限ですんでるし、こっちの人の全く飾らぬ生活にも入り込むことができているんだから良しとしよう。そう思うと、大聖堂前にたむろす日本人ツアー客に対するうらやましさも消えていく。

今日はDEKAでカーステレオを$99で買った。これまではウオークマンとミニスピーカーだったが、これからは心地よいカーライフが楽しめそうだ。しかし、配線の仕方(電源の取り方)がわからない。結局車内においてあるだけである。

6月30日

この日は日記をつけなかった。一日たつと、前日何があったのか覚えていないし、またそれを思い出すこと自体さしたる重要な意味を持たないように思えてくる。それほど平穏な日々を送っているようだ。

またPubへ行く。今日は珍しくDuvauchelleのPubであったが、…相変わらず自分の会話力のなさにうんざりする。造船所のドッグのことを犬のドッグと勘違いしつづけ、いつまで立っても会話がかみ合わないのには参った。これでは意思の疎通も何もあったものではないよ。