1989 7月のNZ日記


7月1日 晴れ

もう7月である。朝一番でDuvauchelleの整備工場に行き、カーステを取り付けてもらおうと思ったら、本日閉店でやんの。週休二日制も徹底しているので困る。昨日、少量の薪をYHに補給したので今日はもっと多く補給しとこうと思い、ノコギリ持参で行ってみたらすでに誰かが補給したあとだった。あれま。でも、YH入り口のところにつけた矢印のおかげでYHの場所がわかりやすくなったのでまあいいか。YHのシャワーの水が止まっていたので、Janetと一緒に水源まで配管をなおしに行く。これがまた結構遠い。すぐ横の川か、YHの丘の上から引いてるんだろうと思ったら、これがまた反対側の斜面から延々と引っ張ってきているとは驚きである。今夜はRon夫妻がビールを買ってきてくれた。瓶ごと買ってくるのではなく、瓶持参で入れてもらって来るという珍しいパターン。今、好き勝手に飲んでいる。とはいっても遠慮はしているが。何だかこの頃非常に寝足りない気がするのはなぜだろう。

7月2日 晴れ

ハッと気がついてみるともう9:00をまわったところ。こりゃいかんと思って起きてみると(もうメシも終わったんじゃないかと思った)、まだ居間には明かりもついていない。ゆったりした日曜だ。(普段Tracyが学校に行く日は7:00〜7:10頃の起床である)部屋の真正面から朝日が顔を出しているので、少しひなたぼっこをする。日陰は真っ白に霜が下りているし、家の上のPondには薄く氷が張っているほど冷え込んではいるのだが、日なたはぽかぽかと暖かい。あたりの景色は何となく北アルプスの雲の平を思わせる。なんせ草原ばかりだもんね。ところどころに木がかたまって生えているので、まるで森林限界のようだ(こういっては何だけれど、この家も山小屋風だもんね)。こんな朝は全く気持ちがいい。北アで迎える山の朝といった趣である。

しかしだからといって仕事も休みというわけではない。丸太を運び込む作業は疲れた。靴下を全部洗ってしまっていたので、素足に靴を履いていたら、肌の出た部分を切ってしまった。もっともやはり日曜、仕事も早めに終わった。良きかな。

明日から一週間School Holiday となるはずだが、我々の起床時間はどうなるのか気になるところである。明日はLinda、JanetとともにChchに行くことになった。Janetは明日Aucklandにたつのである。自分はいつどこへ行くのだろうか。

7月3日 晴れ

今日はJanetをChch-Airportまで送るついでに、帰りの運転手を仰せつかったので、それではと、二つ返事でOKする。自分の車ではなく家のハイラックスで行ったのだが、Chchで車が故障してしまい(確かに先日からCHGランプは点灯したままであった)、今日は市内の親族の家で一泊となった。それにしてもLindaのM&F、自動車整備工場、うーむ。(1999注:意味不明)

夜、Cathedral Square近くの図書館で日本語の本を二冊借りる。とはいってももともと日本語の本は二冊しかなかったのだ。その日のうちに全て読み終えてしまった(「ジュラルミン色の空」「猿丸幻視行」)。夜は何とソファーに寝袋で寝るパターン。ま、仕方ないよね。

7月4日 晴れ

何と6:20に起こされてしまう。今朝は朝寝坊が許されるのではと期待していたのだが、あにはからんやいつもより早いぞ。部屋を譲ったLindaはゆっくり寝ている。家族の都合とはいえ、この部屋を取るんじゃなかった。今日もいろいろなところへ。ShellのスタンドにFirewood-Packを搬入し、BNZ(Cathedral脇)にLindaの長女Janet(居候のJanetとは別人)を訪ねたり、ホームセンターで家の増築用の木材を仕入れ、Ronのお母さんの家に行き(よくガハハと笑う人であった。部屋にあった写真はRonの少年時代のものだろうか)、最後に代車を返しにLyttelton(スペルよく覚えてない)へ行き、車を受け取ったが、何だか昨日よりも調子が悪い。何をセービしたんだよ何を?それでも、タラタラと、R75を通らず、別の山越えルートを通ってPigeon Bayに18:00ころ帰り着く。Lindaはあなたの運転はうまい!としきりにほめてくれるがホントかいな。NZくるまでは約3年、ほとんどペーパードライバーだったんだぞ。確かに居候Janetの運転は恐かったけれど…。

今日、薪パック用の袋が大量に仕入れられた。大変にユーウツなことだ。また、あの腰痛の元凶がこんなに…。

夜、YHに一人でシャワーを浴びに行く。今日もYHに泊まり客はなし。やっぱり一人じゃさびしいね。

7月5日 曇り

カーステをつけてもらいにDuvauchelleのガレージに行ったら、今日は忙しいからと断られてしまった。Chchに行ってくれと言うが、簡単に行けるもんなら行ってるよ。AkaroaのP-Stationに行ったら、「小一時間待っててくれ」というので、近くのFish&Chips屋でポリポリ食べながら待った。さて、つけてはくれたが$44!高いじゃないのさ!とはいっても後の祭り。とんだ出費だ。Kaikouraで会ったバイクの日本人が「手間賃が高い」と言っていたが、まさにその通りだ。まあ、突然開かなくなったボンネットも開くようになおしてくれたし(開かないままだとオイルチェックとかできないので致命傷だ)、まあいいか。結局家に戻ったのは12:00ちょっと過ぎ。

午後は家の横の古い倉庫の解体作業。さらに例の薪パッキングによって悲鳴を上げる腰。

この頃指の逆爪(っていうんだっけ)が目立つ。親不孝のバロメーターだと言うが…

7月6日 晴れ

昼間は腕まくりをしてちょうど良いくらい。前に北アルプスのようだと書いたけれど、午後になって風が出てきて、その木々を揺らす音さえもそっくり。本当の風の音ってこうなんだろうな。気持ちの良い一日でした。おまけに今日の仕事は小屋の新築工事。土台作りということでなかなか退屈せずにすんだ。

夜YHにシャワーを浴びに行くときはウオークマンとスピーカー持っていって、それをかけながら入ることが多い。その後車に戻って缶ビールを一杯というのがいつものパターンだが、今日でビールも売り切れ。おまけにHilltopにいっても買えない。手持ちの金が切れた。AkaroaかChchまで金をおろすか日本円を両替しに行くしかない。これで無駄金を使う心配はなくなったけれど、いざというときに困るな。ま、ガソリンはまだあるからいいけどね。

そういえば土台作りといったが、基礎工事が終わり夕メシだと言うところで、土台の左と右とで大きさが全然違っていることが発覚した。これは、明日また作り直しだな。うーむ。

7月7日 晴れ

今日は七夕。日本の織り姫と彦星はちゃんと会えただろうか。

今日は土台をなおし、前の倉庫の壁とかを移動して柱にくくりつけた。一応屋根組みまで上げたけれど、全体的に小屋がぐらついているのは隠しようもない事実。土台はちゃんと作ったけれど、これではこの小屋自体どれくらいもつのか不安。まさか自分のいるうちに崩壊したりはせんだろうな。

夕方になって日が落ちてからは一気に冷え込む。YHにシャワー浴びに行ったときはまだ19:00過ぎだというのに、あたりにはびっしりと霜がおり始めていた。明朝は真剣に冷えそうだな。覚悟しよう。

7月8日 晴れ

晴れは今日で三日目。風もなく実に穏やかである。おまけに今日は早じまいで16:40には仕事も終わり。楽である。Ronの弟らしいDavidは再び去り、また居候はMickと自分の二人になった。それにしても今日はいろいろな人が訪問してきた。総勢7人。覚えられん。

夕メシで出てきた肉は、どこかで食べた記憶があるがなんだろうかと、登山中の食事(そんな気がしたから)を思い浮かべたが思い出せない。しかしMickが「日本では馬肉って食べる?」って聞いてきたから、たぶんそれなんじゃないか?となると山の食事ってのも納得がいく。正体はコンビーフ。しかも「ニューコンビーフ」ってやつだ。ビーフといっても、内容物には「牛・馬肉」とあるが、その肉のほとんどは馬肉だったわけだ。なるほど。

さて、明日は誕生日。

7月9日 晴れ

今日は誕生日であった。仕事(今日は見ていることのほうが多かった)が終わって家に戻ってくると、居間に「Happy 25th Birthday TAKE」の横断幕が。夕食後のデザートは特製のケーキ+アイスクリーム。その前にビールやウイスキーも頂いたし、何とその後バースデーケーキまで出てきた。ここまで祝福されるなんて、正直言って思っても見なかったので(初めのビールだけで十分だと思ってた。真面目な話。)大変に嬉しい。横断幕は記念にもらうことにした。いや、もうもらった。おまけに今日はRonかLindaかどちらか忘れた、とにかく兄弟夫婦も来ていて、総勢9人での豪勢なお祝いであった(その旦那はHuntingでウサギを取ってきており、バスの横にそいつがころがっていた。事情を知らない自分は用足しにトイレに入ってもうびっくり。---今日はウサギ汁か、とも思った。)。

去年の今日、確か自分は木更津にいて、夜中、蛍を見に行ったのを覚えている。あれから一年して、自分がこんなところまで来ていることが信じられないし、思いもかけなかった人たちからお祝いされていることが何だか信じられないような気がする

電話メモつきの電卓はTracyにあげるつもりでいる。明日から学校も始まるそうだ(あれ、予定より早いな)。また早起きの日々が始まるな。おまけに今週は天気が悪いらしい。

7月10日 曇り

妙に暖かい日であった。北風が吹き込んできている(ここは南半球)。しばらくいい天気が続いたが、週間予報によると今週は天気の良くない日が続くらしい。特に水曜日以降は。小屋造りは危なっかしいながらも一通り終わったらしい。午後のお茶のあとMickが「Finish!」と宣言したが、これは?本当に終わりなのかな?(7/2はホントにこのパターンで終わったし)。

しかしその後は再びWoodpacking。ま、そんなに量もなかった。馬を放牧から馬小屋に移動し、さてさてこれでほんとに終わりかと思ったらさにあらず。雨が来る前に太い丸太を屋根の下に運び込むという大仕事が待っていた。Ronと二人で汗だくになって(本当に一気にあせまみれになった)運んだのだ。終わったあと、火照った身体を冷やさんとテラスの椅子に座っていたら、こんなに気持ちいい風を受けたのが久しぶりだということに気がついた。生きてるな。今。この日のビールはうまかった!

7月11日 曇り

YH前の薪置き場で杉の若芽を見る。こんなところに根付こうとしているのだから面白い。

夜、家からの手紙で、教え子の一人がバイク事故でなくなったことを知る。悲しい知らせだ。でも、ここにいてはどうしてやることもできない。ほんの4ヶ月前、自分は彼の担任であったのに、である。こっそり合掌。姉が、自分の名義で花を贈ってくれたことを知り、感謝するばかりである。

7月12日 雨

とうとう雨だ。今週作ったFirewood Pack70袋にカバーをかぶせ、Chchに出荷だ。ハイラックスには完全に重量オーバーで、荷台とタイヤとの間が2cmない。Chchについてよく見たら、荷台の木の部分がタイヤとすれて、木目が綺麗に出ていた。カーブではタイヤ自体が横ずれするのか、何だか横に流されるような感じでいい気分ではない。峠道でバーストしたら一巻の終わりだ。そろりそろり。Chch市内のいくつものスタンドをまわり、Bagを搬入する。それにしても、小売価格が1袋$5。スタンドの取り分も考えると、こちらの収入はいったいいくらになるのか。$3として今回の搬入分で$210か。ガス代、手間の大変さを考えると、儲けはいくらもないな。大変だ。

Linda曰く、「お金のもらえる仕事さがしてるんでしょ?この辺で少しあたっておいてあげるわ」とのありがたいおことばだ。「コンピューターできる?」といわれ、「NO」といわざるを得ないさびしさよ。帰り道、Chchの情報ではHilltop付近は雪になってるんじゃないかということだったが、行ってみたらただの雨。良かった良かった。

7月13雨 14雨 15雨

怠けていたので3日分書くことにする。

13日

風邪を引いたようで、何と一日中寝てしまった。昼飯は抜いたが、実はミューズリーをもそもそとベッドで食べていた。

14日

この日は家の外壁のすす払い(前から気になっていた)と窓ガラスふきに一日を費やす。なかなか美しくなったぞ!と自己満足したところでRonとHilltopに飲みに行く。ここで、8月半ばくらいからはどこのファームも忙しくなりはじめることと、、同じPigion Bayで仕事を紹介してもらえそうなことを聞き取ることに成功する。そこで、8月半ばにまたここに戻ってくること、それまでまた旅行をしてくることを決める。約一ヶ月。当然南のほうに行くつもり。Queenstownにいよいよ行くぞ。

ただ、残念だったのは、何とPubに行ったのがメシ前だったので、ビールはしこたま飲めたが夕メシにありつけなかったこと。夜中は腹減った。

15日 

とにかく今日は寒かった。雨降りだというのに表の仕事(家の母屋裏の屋根作り)。しかも今日は暗くなっても仕事を続けた。(家の明かりがすぐ横にあるもんだから、暗くなっても働けるのだ)最後のほうは手の感覚が全くなかった。

今日で雨も4日目。長雨は覚悟してたし、雪でないのはまだましなのだけれど、足下がMuddyなのにはもううんざり。

目下の最大の関心事は、いつここから旅立つかということだ。来週中に出発するとはもう公言した。いい天気の日に出発しよう。でもまだしばらくこの天気とか…

7月16日

Mickは突如として旅立つこととなった。なんでも水曜日にどうのこうのと言っていたからてっきり水曜まではいるもんだと思っていたが(今日は日曜日)、これでこのうちも居候は自分だけになる。静かになるな。そして自分も今週出発なのだが。

自分は今週の後半にここを出発しよう。なぜなら水曜日にRonの付き添いでChchに行かなくてはならないから。

※ Chchが晴れでもHilltopからPigeon Bayにかけてはガスまたは雨というのがよくあるパターンだと実感した。
※ここの猫(カバ・パンプキン・スクエィク)は、みな、柔らかいものを前足で交互に踏むのが好きだ。

今、TVで日本と台湾がトンガやらNZやらの周辺で魚を捕りまくっているという、いわゆる環境破壊ネタ番組をやっている。日本の関係者は必死(でもないか)に弁明しているようだが分が悪そうだね。恐れるのは、このような番組(決してでっち上げではないのだろうが)を見たNZerが日本に対して普遍的な悪感情を持ってしまうことだ。日本人観光客の、東南アジアにおける評判の悪さ(買春ツアー)はもう固定化したようだが、観光だけでなく、日本というものの全体的な印象に悪い影響を及ぼさぬようにしたいものだ。

※ 今欲しいもの

*新しい文庫本: 家にあるものでよい。特に、「平安貴族の世界 上下」と椎名誠のエッセイ本、「大修館 国語要覧」
*日本の新聞 : 日経2日分、週刊誌できれば両方
*タイヤチェーン(ゴム製のやつ)。これは無理だな。
*カツオブシパックたくさん、みりん、中濃ソース(大)、みそ(だし入り)、ラーメン(中華三昧がいいけれど特に問わない。しょうゆ味に限る)、緑茶(番茶は持ってるが)、のり、梅干し、お茶漬けのもと、梅の香巻き(せんべい)、チューブわさび、蕎麦つゆ、保存のきく麺
*毛色の変わったミュージックテープ

(1999注 これはそのうち船便で送って欲しいものをリストアップしたもの)

7月17日 曇り

今日から新しいWood-Cutterが稼働ということで、Ronは最初こそ気をよくしていたが、機械がなかなか動力源のトラクターに接続できないので、自制しつつも怒り出す。薪割り用のハンマーでトラクターの後輪をコノヤローとばかりにぶったたく始末(もちろんそれくらいでは後輪タイヤはびくともしない)。しかしこういうと気のしゃれたことばを思いつくほどの英語能力などあるはずもなく、ただただハラハラ。しかし実際にCutterが動き出してからは、その切れ味もマコトによいことからいつものRonに戻る。良かった良かった。

前のCutterの倍くらいのスピードでTreeがWoodsに変わっていく。それにしてもすごいホコリだが、途中からはそれも気にならなくなり、一通りのストックをカットし終えたところで今日の仕事も終わる。水曜日にはまた出荷ということで、Bagいくつそれまでに作るの?と聞いたら「Seventy!」だって。明日からはまた腰痛に悩まされるの巻だ。

7月18日 晴れのち曇りのち雨

予想通り今日はパッキング。午前のお茶までは昨日同様カッティングだったが、途中左目に木くずが入り、いくら洗っても取れずに大変難渋した。これは、いい加減あきらめたTea Timeのあと、何となく取れてしまった。パッキング(70bags)は午後のお茶の終わったあと程なく完了、積み込みも含めて何と一日で終わってしまった。70bagsを積み込んだハイラックスは後輪タイヤが見事につぶれた状態。当然これを明日自分が運転するのかと思うと気が重い。だって直線路でも直進しないんだよ!かといってハンドル切るとさらにタイヤがバーストしやすいだろうし。切っていないようで切っているという微妙な技術が要求されるのだ。どうも明日も雨らしい。

7月19日 雨

毎週水曜日はChchのスタンドに薪を納めに行くのだが、みぞれ混じりのどしゃ降りのなか、荷台からBagをおろす作業は大変につらい。上半身びしょぬれになって、やっと全部はけたと思ったら、注文が予想外に多かったことから、急遽SumnerのRon母の家にストックしてあった68袋を追加で納品。もはや目が点。

RonはChchの病院で毎週診察を受けている。どうも心臓に負担がかかっているらしいのだが、このところちょっと具合が悪い。

7月20日 雨

朝起きると、山の上のほうは白く雪化粧している。今日も寒いなと思いつつ起き出して暖炉に火を入れる。7:20頃に朝食。ちなみに今の時期は日の出は7:50頃。食事の時間はやっと空が白み出す頃である。スクールバスの来るSummit Roadの峠までTracyを送る役目は自分にあるのだが、今日はバスは雪で上がってこないかもとLindaおばさんは言うし、定刻(7:45)になってもバスは現れないし、こりゃ今日は学校休みかな、と思っていた8:02に、ヌッとバスは参上したのであった。

Ronは調子が悪く今日は仕事はおやすみ。出発をどうしようか悩んでいる自分は、せめて少しでもと思い、来週中に作ればいいはずの腰痛バッグ作りに精を出す。結局一人で50Bags作り終えたところで時間も腰もThe End。

7月21日

Pigeon Bay はあまり天気が良くないが、出発することとする。Ronは調子が良くないのは相変わらずで、何だか心苦しいが、Lindaが「行きなさい。気にしないでこっちのことは」といってくれるので出発することにする。また3週間したら戻ってくるとはいえ、なんだか別れの握手をしたらじーんときた。Lindaは、戻ってきたら農場の仕事(もちろんPay Work)を紹介してくれると言う。さらに、いつでも立ち寄りなさい、ここはあなたの家、何かあったら連絡しなさいとまで言ってくれる。本当にありがたいと思う。

出てきたChchでは色々買い物(主に食べ物だが)をする。そしたら現金が底をついた。時すでに17:00をまわっており、しかも明日は土曜日で銀行も開かない。これじゃ今日はともかく明日は宿に泊まれない、と思っていたら、ふと思いだした。今日は金曜、そう、Late Nightじゃないか!ということを。街に出てANZで預金を下ろそうとしたが、しまった窓口業務はもう終わってる。しかし、City MallのTrust Bankは窓口もやっていた。こんな時のためにと取ってあった日本円を両替して事なきを得る。

ChchではRollstonにするかCora Wildingに泊まるか悩んだが、やはりCoraの落ち着いた雰囲気が好きだ。行ってみたらなんと日本人が3人もいて驚く。聞けば、2人組のうち1人は英語が話せないからもう一人と一緒に行動しているんだという。自分も2ヶ月前はそうだったな、とふと思い出す。今でも決してうまく話せるわけではないけれど、何というか、度胸だけはさすがに身に付いたな。Ronのところで色々勉強させてもらったおかげだ。

7月22日 晴れ

今日は何をするでもなく市内をあちこち走る。天気がいいのでサミットロードのほうに行って、市内を眼下に眺めながら飲むビールのうまさよ。まずは安泰といったところ。古着屋を2〜3軒見つけたが、どうも掘り出し物はないようだ。YHに戻ってきたら、近くの子供が遊びに来ていて、番茶を飲ませたら「Very good, So tasty!」とのたまう。ホントかいな。

明日はTimaruに行くことにする。

7月23日 晴れ

Sundayの名前通り、今日は見事なまでに雲一つない上天気。朝一番でやった仕事は「バッテリーの上がった車の救助」であった。同宿者の車が上がってしまったのだ。聞くとオークランドからきたという。ウェリントンで買ったバッテリーケーブルが役に立ち、救助成功。こんなところで役に立つとは思わなかった。もっとも、助けてもらうつもりで買ったんだけれどな。わが323のバッテリーは至極快調で、どうやらこのまま最後までいってくれるんではないかと期待しちゃうね。

さて、今日の目的地はTimaru。単純に8号線との分岐点だからというのでここにしたのだが、ここのYHは設備といい雰囲気といいなかなかである(1999注:今のYHとは違います)。バスタブにゆったり浸かり疲れ(というほどのものはなかったが)を落とす。メシ(具の方がはるかに多いラーメン)を食べ、ビールを飲みつつハーバーに行って海を眺めてのんびりする。ここで聞いてた中島みゆきは心にしみた。今日の宿泊者は4〜5人。男は自分一人で、見晴らしのいい部屋を独占!シャワー室にもちゃんとバスタオルが用意されていて居心地は満点である。

さて、ChchのYHで仕入れた情報によると、日本では今日衆議院選挙らしい。下馬評では自民ぼろ負けの予想らしいがどうであろうか。

明日はバターを買い、いよいよ届いたANZキャッシュカードで金をおろし、Tekapoへ行こう。Tekapoはみんながいいぞいいぞと言うのだからきっといいのだろう。最低2泊はするだろう。あとは雪が降らないことを祈りつつMt.Cookへ行くのだ。食い物はたんとあるしね。

7月24日 晴れ

ここ数日大変天気がいいのでなかなかであるが、もうそろそろ次の低気圧が来るんではないかと心配になる。道路は大丈夫かな。ここはTekapo湖。うわさに聞いたとおり綺麗なところで、連泊はもう決めている。湖のほとりでちょっと寒いが昼寝。明日も天気はもちそうだから、Mt.JohnとLake Alexandranaというところにいこう。

7月25日 晴れ

今日は思いがけなくYHのワーデンさん達に連れられてスキーに行った。Mt.Dobson Ski Areaだ。天気は最高、スキー客は大変少なく(ゲレンデ全部あわせても、50人くらいではないか。めっぽう広いのに。メインリフトがTバーなので一番上に行くまでに疲れる。レンタルスキー$20、チケット$30。まあそれなりの出費だが、こういうマイナースキー場はいいな。

7月26日 晴れ

晴れは今日で5〜6日連続である。とうとうMt.Cookまでやってきたのだ。しかし、いい加減天気は崩れてもおかしくはない時期だ。ということはここは当然雪となり、車での脱出は不可能になってしまう(気がする)。まあどうするか考えるところではあるが、とりあえず夜空は満天の星空だ。

ここのYHは日本人だけで12人もいる。宿泊客が全部で20人くらいだから半数以上は日本人ということになる。しかも新婚だかなんだか知らないがカップルも二組いて、料理中の味見で「あーん」なんてやってるもんだから「うらやましいうざったいなあ」と思ってるうちに塩加減まちがえちゃったじゃないかよ。もっとも「明日はクイーンズタウン云々と言ってたから、明日は静かになるだろう。

ビジターセンターでMt.Cook N.P.の紹介ビデオを見たが、英語なのでわからん部分もあった。

7月27日 晴れ

Press紙によると、またもや次の1030mb High(高気圧)がNZを直撃しつつあり、来週の月曜あたりまでこの天気は続くとのすごい予報である。こういう直撃は大歓迎だ(今回の低気圧は北島を攻撃しただけらしい)。今日は朝一番でTasman Glacier Terminalまで行ってみたが、白い氷河は展望台からはるか先。眼下には土をかぶった氷が見えるとはいえ、氷河と呼ぶにはちょっとね。そのあとKea Point にも行ってみたが、まあこんなもんだろうよという景色(歩行時間を考えると)であった。さて戻るかと思ったところで一気に登る道発見。セアリーターンズ、ミューラーハットに上がる道らしい。一気の急な登りを越え、展望台を越え、雪の出てきた滑りやすい道を上がると、そこが山上湖Sealy Turnsであった。とはいっても池は雪の下。天気は良く、春山のひなたぼっこ気分だ。

この日はPubにて痛飲。

7月28日 晴れ

痛飲の悪夢か、朝方吐き気と便意との二重苦に襲われ、結局下の方だけを済ませる。その時に水を飲んだのが良かったのか、二日酔い症状はほとんどなく、良かった良かった。今日はWanakaへ向かうつもりで、その前にとフッカー谷の第2吊り橋まで足をのばす。ここまで来るとクックもかなり近づいて見え、来て良かったと重う。

Wanakaへ行く途中。ワインディングでMt.Cook Landlineのバスを追い越すが、あいつバスのくせに速い速い。平地では120kmは出してる。120km巡航だとハンドルがぶれ出すこの車を大事にすることにしてバス様には先に行っていただく。Wanakaは小さな街、YHに泊まっている日本人は自分一人。

右手親指の関節あたりに裂け目ができてなかなかに痛い。バンソウコ張っておこう。今日は何となく酒を飲む気にならないので手紙でも書くか。

今日の夕メシはシソ肉バター丼の変形版。ただしバターをケチったのと、増量のためたまねぎ、キャベツなどを動員した(こいつらが余計な汁を出した)のと、シソのかわりにバジルを使ってごまかしたのとで味は変な感じだった。このシソ肉バター丼を横の白人が物珍しげに観察しておった。彼の夕食は冷蔵巨大ピザ一人一枚!というものであったようだが、飽きないのかな。こっちのがうまそうに見えたのかな。ここのYHは調理場が狭いのでやりにくかった。

7月29日〜31日

29日もWanakaに滞在したが特にすることもなし。乗馬なんかする気にもならんもんね。夕方ゴルフ場を見つけ、少しやってみたい気もしたが一人じゃ仕方ない。やったことないし。その日は何と19:00にベッドにはいるが、スキー客がうるさいことおびただしい。夜9:00頃、のどが渇いたので牛乳でも、と思い、冷蔵庫を開けてみると、その日開けたばかりの新品の牛乳(もちろん記名済み)が残り1/3くらいになってる。誰かやりやがったな!と思うが、その日はそのまま寝てしまう。

翌30日、起き出してみると、あの牛乳は容器ごとなくなってるではないの!大変に腹が立ち、出発することに決める。Queenstownに来てみると、Mt.Cookで会ったYさん夫妻に再会。このあと、8/2まで彼らとともに酒におぼれる日が続くことになる。 

31日はひどい二日酔いのまま、なおも迎え酒(ビール)を飲みつつ、意識不明、人事不省の状態のまま終わる。酔いが最高潮に達した頃(まだ夜じゃない)、6月上旬に北島で別れたきりのKさんがばったり現れる。