1989 8月のNZ日記
8月1日 高曇り
Queenstown滞在。突然ミーハーになり、Mt.Cookで出会ったY夫妻(いちゃいちゃしてたカップルとは別)と共に、思いつきでCoronet Ski Areaでスキーをする(思いつきで$80ってのはイタイが)。とはいってもウェアなんて持っていないし借りると高いから、上は八方尾根スキー場のスキーポンチョ、下は何と黒のスリムのGパンである。つまり「こけたらビショぬれ、しばらくしたら凍りついて一巻の終わり」ということだ。予想通り随分こけて下半身は凍り付いた。この夜は魚屋で切り身を買ってきて寄せ鍋。久々の故郷の味じゃあ。似非日本食はよく作るけれど。
8月2日 曇り
皆さんそれぞれの方面(Y夫妻:Dunedin、Kさん:Invercargillへと旅立っていった。天気もそれほど良くない。今日は読書の日と決めた。YHにあった週刊新潮(これだって読書にゃ違いない)と、平岩弓枝「青の回廊」上下巻を読破する。読みつつも、ここ数日間の痛飲&散財を考えると、少々羽目を外しすぎたように思う。特に、酔っているときに日本の実家に電話を掛けたのは良くなかった。いらぬ心配させたかもしれない。母よ済まない。
天気にもよるが、明日はTe Anauへと移動しようと思う。Te AnauにANZがあるかどうかわからないので、預金を下ろすのを忘れないようにしなければ。
それから、酒は少し控えよう。Pigeon Bayにいたときの生活を思い出し、少しは自分を律し、近づけていこう。浮かれていてばかりではいけない。なけなしの金をはたいたところで、この生活のままでは何も得るものもないだろう。頑張れ!
8月3日 曇り
天気は回復の見込みもなさそうである。オーストラリア方面に勢力の弱い高気圧があることはあるのだが、どうやら北島を覆うくらいの力しかなさそうだ。南極方面にオソロしく強い低気圧があるらしく、長ーーい寒冷前線が延びてきている。QTからTe Anauに来たが、とりあえず今日は町中やその周辺をうろうろするだけにする。しかし、町中も辺り一面ガスだらけで視界不良。歩いているうちに降ってこられちゃかなわないと思い、車で隣の湖まで行ってみる。時折山が見え隠れするが、概ねガス。それほどおもしろさを感じないまま戻ってくるとKepler Trackへの林道が分岐していたので行ってみる。終点の駐車場まで行ってみると、Trackの入り口には吊り橋が架かっている。最初のHutまで1:30とあったが、いずれ行くことになるのだろう(夏)。
今夜はどこに泊まろうかと思ったが、妙に暖かいこともあり、節約を兼ねて車中泊に決めた。小さなスーパーでバナナ4本とポテトチップス、それからBottle ShopでSpeights6缶($7.25/Half Dozenは買い!じゃなかった、高い!)を買い込む。ちなみに昼飯は昨日のうちにミンチをあわせておいた手製ハンバーグであった。チリソースと醤油とステーキソースをミックスして作ったタレはなかなかの味。
車内での寝心地はシートを倒すとまあまあに快適なのだが、暗くなるともう寝るしかない、というのが唯一最大の欠点。カーステ聞けるとはいっても、そのまま寝てしまったら明日の朝はバッテリー上がってそうだし。寝る前には星もかなり出ていたようだが、夜半からは雨。
8月4日 雨時々晴れ(Te Anau)、雨時々豪雨(Milford Sound)
朝8:00に目覚めると、天気は回復の兆しを見せているような気がする。西のほうも少し明るい感じなので、これは、Homer Tunnelを抜けると晴れてるんじゃないかと期待する。牛乳とチョコレートとタバコを買い、Milford向けて出発する。天気は途中まではまあまあだったのだが、途中Divideあたりまで来たときには「こりゃだめだ」とあきらめざるを得なかった。
途中の未舗装路はひどいぬかるみ(1999注 当時は全線舗装じゃなかったのです。WanakaからWest Coastに抜ける道も未舗装でした)、でもそのあたりから先はガスの中からいたるところに滝が落ちており(すごい雨だからね)ナカナカ壮大である。落石注意のためだろうが「No Stop」の道が続く。トンネルを抜けた先はどしゃ降り。さすが年間降水量6000mm(だっけ)?。何もするこたないし、また、するものもないので(観光船、こんな日に乗ってたまるか。でもツアーバスのお客達はみんな船に向かってくな。ご愁傷様。)、今はホテル併設のPubでこれを書いているわけだ(今2:38PM)。さてこれからどうするかな。まだ何も決めてない。また車中泊かな…といいながらDB2杯目突入。ここに来るまでの道は、思えば新島々〜上高地のありし日の道のようであった。上高地といえば、今は夏山最盛期。今頃は河童橋の上は鈴なりの人なんだろうなあ。
本当に、束縛がないというのはあるの怖ろしさを秘めたものだとふと思う。
それにしても、Queenstownからここを日帰りで往復するってのは大変だな。バスに長いこと揺られて、雨のMilford見て(あ、見えないのか)、また帰る。本当にお忙しい。でも、ここまで暇なのもどんなものかなあ。
話はまだ続く。本当に暇なのだ。これを書いているうちにPubのTVで「All Blacks vs Australia」の試合が始まったので、これ幸いとばかりに席をTV前に移動する。試合が始まったら、何だか急に客が増えだしたぞ。特等席とっといて良かった。今はちょうどHalf Timeに入ったところ、店員がいきなりTVを消した。え、何で?と不思議な顔をする客一同。「Just a Joke !」とおどけた顔をして再びTVをオンにする店員。笑い出す客。あたりに何ともいえずほんわかしたあったかい雰囲気が漂う。やってくれるじゃないの!
ふと思ったのだが、NZのPub(イギリスでもそうなのだろうが)(1999注:実際は違います)では、つまみといえばせいぜいポテトチップス(こっちではCrispsという。こっちでいうポテトチップとはすなわちポテトフライのこと)くらいで、ただもうみんなビールばかり飲んでいるが、日本の居酒屋とはえらい違いである。ちっちゃな居酒屋で肉じゃが並びにほっけの開きなどをつまみに巨人−ヤクルトのナイター見るのと、こっちでCrispsつまみにビール飲みながらラグビー見るのとでは、同じようなSituationとはいえ、何かが根本的に違うような気もする。
8月5日 日記つけなかったみたい。何やってたんだろ?
8月6日 曇り時々晴れ、夜になって雨
結局車中泊2日目。当然助手席をいっぱいに倒して寝ていたわけであるが、やっぱり完全に横になれるわけではないからそれなりに疲れが残る。今朝の天気はまあ少しはよろしいのではないかと言ったところだ。気まぐれに晴れ間までも見え、太陽が顔を出すことも。期待はするが、でも「これが精一杯かな」と思われたりもする。やっぱり観光船には乗らないことに決めた。車中泊最大のガンは火が使えないことだ。後部座席から食パンを取り、ほおばる。とりあえず船着き場のほうに散歩に行こうと思った瞬間、緊急に便意を催し、緊急事態ゆえやむを得ず近くの茂みに逃げ込む。快食快Oとはこのことだ。船着き場近くのBowen Fallは相当増水しており、遊歩道を歩き通すとびしょぬれになりそうだ。逆に昨日の、もっとどしゃ降りの時に来ればもっと豪快だったのにと、ちょっと後悔。「地球のO×」に乗っていたView pointはたいしたところではなく興ざめ。しかしそこから奥に延びる道はどうやらさっきの野グソポイントに通じる道のようだ。
THCのホテルの中を覗いてみると、なんと冬季休業中。客が少ないからホテルもレストランもやっていないらしい。でも、それならホテル正面の看板「Lunch 12:00〜1:30」の看板は外しておくべきだと思うのだが。
今日はさすがにシャワーでも浴びたいと思ったので、少し戻った方のTHC Hostelに行ってチェックイン。しかし、やってることはやってるが、どうもお湯が出ないらしい。シャワー浴びようと裸になってシャワー室のなかで「早くお湯よ出てこい!」とさんざ粘ったが、ただ身体が冷えただけで終わった。$12返せ!まあ、キッチン使ってちゃんと料理もできたし、ヨシとするか。泊まり客は5人のみ。一人部屋独占。洗濯代をケチって自分で手洗いしたはいいものの、部屋で乾かし始めたら部屋の中がじとっとサウナ状態になってきたので、仕方ない$1.50払ってDryerにぶち込むが、どうもあまり乾く兆候が見えない(ただまわってるだけ)。大丈夫だろうか(駄目だろう)。明日は…晴れよ!
8月7日 雨
またもや雨だ。明け方あたりから屋根を打つ雨の音に、今日の天気についてはあきらめていたので、のんびりと8:45ころ起き出してミューズリーを食う。起きた瞬間に「あ、ミューズリーが食いたい」と思ったところを見ると、自分の身体ももうすっかりNZer化してきたようだ。もう1泊しますと管理人に宣言。
何枚か手紙を書き、宿においてあったTIME誌の、日本の参院選にまつわる記事を辞書片手に読み進めてみたりしたが(途中で飽きた)結局は買い置きのビール(車に相当積んである)をストーブ前でちびちびと飲みつつ一日を終えた。
明日の天気に期待はしちゃいけないんだろうけれど、どうなるだろう。
8月8日 曇り時々晴れと霧雨が交互
今日はどうしよう。次に金をおろせるのは(ANZ Bankがあるのは)おそらくInvercargillだろう。現在の手持ち現金$106(当時のレートで約10000円)。予想される経費としては、Petrol代(今タンクに半分入ってる。一度満タンにするとして$30、Teanauに戻って来年の夏のMilford Trackの予約を入れるとして$30(古い記録だから、今はもう少し高いのかも)。その他に宿代もかかる(また車中泊にすれば節約できるが)。結構かかるな。ま、困ったときの日本円かな。
それにしてもこの部屋というかベッドは寝心地がいい。寝ているときはまるでふとんで寝ているような気持ちになれる。それなのに眠りが浅いのは一体どうしてだろう。
というわけで、出発するかまた停滞するか悩みに悩む。何にしても、天気がはっきりしないのが一番けしからん!で、管理人に天気概況聞いたら「明日も雨だろう」というので、出発することに決める。またどうせ来ることがあるさ。
そして今、Te AnauのYHでこれを書いているわけだが、すいません、無断借用です。このあとまた車中泊。
8月9日 晴れ(でも頼りない)
TeAnauは一応晴れてはいるが、西側の山々はガスに隠れて見えないので、今日もMilfordは駄目だろうということが容易に想像できる。今日はInvercargillに行こうか行くまいか悩んでいるうちに、何となく連泊することに決めてしまった。
日本円を両替し、その足でPHQにMilfordTrackの予約をしに行ったが、一体何日を入山日にすればいいのか決められなくて困った。だって、半年後に何やってるかなんてわからないもの。とりあえず2/2入山と適当に決めて予約OK。しかし!Independent Walkが$64とは高いよ!またも手持ちがなくなったのでもう一度銀行に行って再度両替する。貴重品袋のなかを見たら、日本円はあと80000円しかないではないか。まだこっち来て3ヶ月足らずだというのに、こんなことで大丈夫?
8月10日 曇りのち時々晴れ
突然思い立ち、今日はTrout Fishingに挑戦である。竿一式(レンタル)+ルアー数個(買い取り)+入漁料を支払い、いざTeAnau湖の水門から流れ出す川へと向かう。自慢じゃないが、ルアー釣りというのは北島のTekapo湖でやっただけだ。しかもあの時はボートに乗ってのトローリングだったので、自分で竿を振るのは生まれて初めての経験である。キャスティング!…早速糸がからまる。再度キャスティング!おおっ!来たか!?と思ったら、ルアーが川底の石か何かに引っかかった。仕方なく切断。スポーツ用品屋で竿を借りるときに「ルアーはいくつ買うか?」と聞いてきた店員の真意を初めて知る。
10:30から16:30までひたすらやって釣果ゼロ。目の前の水底をユーゼンと泳いでいくマスを見るたびにコノヤローと思う。投網が一番だ。それにしても釣れなかったが釣りは面白い。
現在の所持金は$1以下。明日は何としてもInvercargill行くぞ。出ないと週末を越せん。
(1999注 この時はまだ日本円のほかに預金が結構あったので、日本円にはあまり手をつけたくなかったのです。それにしても当時の自分って、金遣いが荒いな(^.^))
8月11日 霧(TeAnau)、曇り時々晴れ(Invercargill)
YHに泊まっていた鎌倉・井上の両君はHollyford Trackの近くにあるLake Marianへ行くそうだ。ここでも霧なのに、あっちが天気いいとは思えないのだが。心配しつつも(「釣りにしなさいしなさい」とわめきつつも)、こいつはアメリカ人のデルバートとガス代シェアでインバーへと向かうのであった(彼とはどこかで会ったなあと思っていたのだが、あとで「Tekapoであんたが作ってくれた『Sushi』はうまかったね」と言われてやっと気がついた。そういえば自分は彼にタバコを一本あげた記憶がある)。
インバーでは、まず金をおろし、スーパーで食い物もたっぷり補充し(タマネギ5kgまとめ買いとか)、酒も大量に補充し、夜は退屈だったのでLate Nightの街へ出て、突然ビートルズのテープを衝動買いする。金をおろした途端に使ってしまう、この性癖は少し考え直さねば。
インバーのYHにはTeAnauで会った人たちも多い。ドイツ人のおっちゃんは、明日Stewart Islandに渡り、3日コースを2日でまわって帰ってくると言うことだ。自分は夏に賭けるつもりだ。同宿の日本人の女の子とは軽くお辞儀で挨拶しただけ。日本人以外と話すことも多くなってきた。いいぞいいぞ。
8月12日 晴れ時々曇り
今日はInvercargill滞在ともともと決めていたので、朝ものんびりと起きる。例の日本人の女の子はQueenstownにスキーに行ってしまった。というわけで、一人で南島の最南端、Bluffへと向かう。丘の上からはStewart Is.が見え、虹も見える。そのあと、南端の標識のあるところまで車で行き、そこから「本当の南端」まで20分くらい歩く。近くの海岸でアワビを探すが、抜け殻ばかりで姿なし。マッセルはあまり好きではないのだが、それすらなし。ただ、浅草ノリの親戚みたいな海草がたくさんへばりついていたので、取ってきて手作りノリにすれば良かった。
明日はDunedinへ行く。今回の小旅行もそろそろ終わりに近づいてきたようだ。戻ってから、仕事のほうはできる(ある)のだろうか。明日はスイス人のロードとガス代シェアで行くつもり。
8月13日 晴れ(Invercargill)、曇り時々晴れ(Dunedin)
ロードくんと共に、舗装ロードをDunedinへ。彼はスイスでトラックの運転手をしているらしい。必然的に会話は日本とスイスとNZの道路事情の話となる。テープ、何をかけようが迷ったが、ここで中島みゆきというのも必然性がないので、インバーで買ったビートルズをかけていく。しかし、テープが一周したところで彼が「ところで、今かかってたの、なんていうグループの曲?」と聞かれたのには参った。確かに彼はドイツ語がネイティブなのではあるが、それにしてもビートルズを知らないとは!ちなみに、彼の持参していたテープにはジョンデンバーの「カントリーロード」が入っていたが、彼はそれも誰の歌かしらないという。Oh,my God !!
途中の街でLunchとする。ロードくん、気前よくコーヒーとピザをおごってくれる。$3.50。おごってくれる人はいい人だ。彼は日本の一般道(郊外)の制限速度が50km程度であるのを知って非常に驚いていた。スイスでは郊外の制限速度は120kmなのだそうだ。スイスは小さな国だが、それじゃ、端から端まですぐに行っちゃえそうだな。
DunedinのYHは大きい。明日のビール&チョコレート工場の見学(無料!)はもう満員だというので、明後日の分を予約する。
8月14日 晴れ
昨日の夜にDining Roomで知り合った日本人と、ロードくんと3人でOtago PeninsulaにYellow Eyes Penguinを見に行くことを決めていたが、直前でもう一人、イタリア人が「自分も乗せてってくれ」という。まるでツアーの主催者みたいになってしまったなあと思いつつ「いいよ」と言うと、そのイタリア人はそのへんで(YHで)つかまえてきた(ナンパしてきた)女性もつれてっていいか、と言う。ファミリア1300ccに5人はきついなあと思うが、ロードくんに狭くてもいい?と確認した上でOKを出す。
はたと思いついたが、日本人、イタリア人、ドイツ(語を話すスイス)人。ありゃ、旧枢軸国になったな。
最初、YH出発は10:00のつもりであったが、例のイタリア人、どこかから情報を仕入れてきたらしく、ペンギンは夕方まで海にいるので、彼らが帰ってくる夕方に行くのがいいんじゃないか、と言う。なかなかいいこというじゃないの。ということは出発は2:00に変更。それまで、シグナルヒルに行ったりする。最初はカーギル山に行こうとしたのだが、道がわからなかったのだ。その後図書館へ行く。ここはかなり日本語の本が豊富で、かなり読みごたえがありそうだ。町中のTシャツ屋では「Speights」のロゴの入ったフードつきトレーナーに強く心を奪われたが、$55〜59という結構なお値段だったこともあり、何とか欲望を抑えることに成功した。
さて、2:00になったがスイス人だけ来ない。待てど暮らせど来ないので、これもまた神のご加護ということで4人で出発する。まずはペンギンコロニーへ。ちょうど帰ってきたところで、斜面の巣まで、不器用な足取りでのぼっていく姿に感動(遠かったが)。でも、なんとなく「長時間満員電車に揺られ、やっと自宅まで帰ってきたが、新興住宅街ゆえ坂があり、これを本日最後の難行苦行と、疲れたからだにむち打つ中年サラリーマン(長いな)」を連想してしまった。
そのあとSeal Colonyへいくが、これはやはりKaikouraの方が上。2匹の子供は可愛かったが。
それを見つつも、例のイタリア人即席カップル(?)はいちゃいちゃとキスに励んでる。さすがお国柄、手が早いなどと、どうせわからないだろう日本語で会話しあう我々。
本日は、Queenstownで味をしめた寄せ鍋第2弾。これもなかなかであった。そういえばこのYHにはバスタブがある。久々にゆっくりお湯に浸かる。風呂上がりも、今日はあまり飲まない。明日はビール飲み放題無料見学ツアーもあるし!
8月15日 曇り
おととい予約しておいたので、今日の行動はほぼ決まっている。
10:30〜 Speights Beer Factory見学($4)
13:30〜 Cadbury Chocolate Factory見学(無料)
の二つの無料ツアーにMuseum見学をするかも、または図書館で「読書」というスケジュールである。
まずはビール工場へ。機械化されてるような、結構手作業部分が残ってるような不思議な感じであった。それよりも!見学終了後のビールは、飲み放題だと思っていたら、(小さめの)コップに3杯だけ。同行の見学者一同も、どうせ真剣に製造過程を見たい人間などほとんどいるはずもなく、ちょっと不満顔。それにしても、原材料の一つである砂糖はシンガポールからの輸入だと聞いたがシンガポールで砂糖作ってるわけでもないし、それではその砂糖の原産国はどこだろうと思う。流通機構が乱れた第一次大戦のときはビールを造れなくなったというし(当然その時は「イギリスとの流通が」ということだろうけれど)。
12:00過ぎにYHに戻って飯を食い、今度はチョコレート工場へ。ビスケットやチョコ、特に贈答菓子折用の場合、箱のなかの決まった場所にこのチョコ、隣の場所には別のチョコ、というような折り詰めはどうやって機械化してるのかと思ったら、何と全て手作業であった。休む暇なくコンベアーで製品が流れてくるので、こりゃ大変だと思うと同時に、「ああ野麦峠」の女工哀史を思い出してしまった。女性従業員の方、すみません。最後、見学終了時にたくさんおみやげもらえるんじゃないかと期待していた自分が愚かであった。見学途中で製造工程上の製品(時には失敗作)を6個くらいつまませてもらっただけ。まあ無料ツアーなんだから仕方ないのかな。
そのあとはOtago Museumへ。ミイラを見に行くのが主目的であった。ミイラもなかなかであったが、それよりも笑えたのは、動物の剥製を陳列したエリアで、バックミュージック(というのかな)といっしょに鳥や羊の鳴き声が流れていたことであった。なぜ羊が?必然性ないなあ。
そして最後は図書館にしけこんで推理小説。3:30から読み始め、6:30をまわったところでYHに戻ってラーメン作って食べ、7:15に再び図書館に戻って読み始め、結局8:40ころまで。厚さ2cmくらい読むことができた。あと1cmを明日読んでから、この町を出ることにしよう。それにしてもこの図書館には日本語本が多い。
8月16日 曇り時々晴れ
本当は今日Timaruへ行くつもりであったが、同室の日本人二人がツアーをやってくれ金は払う、というので素直に話に乗り、見学代+昼食代+ガス代+今夜のYH宿泊代で手をうつ。まずはシグナルヒルへ。しかし、ビール工場には予約をしておいたにも関わらず、その前の見学地オリベストン邸に時間をとられ過ぎ(説明がやたら長かったもので)、ビールの集合時間に間に合わずおじゃん(工場見学には2時間かかるので、自分はその間また図書館行って本の続きを読もうと思っていた)。そのあとラーナック城行って(自分一人じゃ絶対来なかったな。興味ないし)、そのあと一人を空港に送り(ツアーを、といってたのは少ない時間を有効に使うためだったらしい)、めでたくツアーは終了(15:30ころ)。おかげさまでその後推理小説も完読。
その本の中に食い物にまつわる話が出てきたら無性に熱カンが飲みたくなり、もっていた月桂冠をレンジでチンするが、なぜだか熱くならない。なぜ?「NZのレンジは液体を暖めない」なんてわけでもなかろうに。故障してるのかな。「(坂口)安吾新日本地理」はなかなか面白い。
8月21日 晴れ
この日記を書いている、今日は実は8月21日。ChchからPigeon Bayに向かっていてもおかしくないはずの自分は、いまなぜかMt.Cookにいるのである。話がややこしいが、Timaruにこの日記帳を忘れてきたため、今日Chchから取りに戻り、行きがけの駄賃でクックまで来たというわけである。そこまでの経緯を一気に書くことにする。
17日
午前中は最後の読書。推理小説1980版全18編を読破し、197?年版を半分くらい読みふける。でもいい加減出発すべきだと気がつき、後ろ髪を引かれる思いでDunedin出発。TimaruのYHは今日も空いており、アメリカ人の男と二人だけ。ビリヤードやったりするが(1999注 日記には書かれていないが確か勝った!)、それでも22:00には就寝。
18日
天気はいい。Timaruの街は昨日のうちに散歩しちゃってたし、今日はただChchに移動し、明日Pigeon Bayに行って今回の旅も終わりだな、と思っていたのだが、そうは問屋がおろさないのであった。Chchの大聖堂前で例の(Tekapoで会った)日本食屋台経営者のO君と再会。よし飲もう!ということで、彼の屋台の仕事が終わる16:00ころに待ち合わせをしたのだが、彼がいうには「さっきのバイトの日本人を諸般の事情で(箸がちゃんと使えなかったらしい。自己流でも、箸が使えないやつなんているのか?)クビにしたので一人じゃ手が回らない。ついては、急いでいないなら明日明後日とバイトしてくれないか」と言うのである。内心半分面倒に思いつつも(何せ1ヶ月道楽してたから…)登山用品店で見たノースフェースのジャンバー、またはオールブラックスのジャージがこれで買えるかもしれんとの欲望がそれを押し倒し、「OK」となる。
今日明日はコロンボストリート沿いの彼のフラットに居候。のんびりできるかと思いきや、彼の家の中は日本食の仕込み工場と化していた。
(1999注 ワーホリの彼は移動式屋台の営業許可を誰か別の人から屋台とともに買い取り、土日はアートセンターの「World Food Festival」の日本食部門の代表屋台として働いていたのでした。この日は金曜日だったから、夜は明日の準備で忙しい!と言うわけだったのです。)
飯を炊き、酢メシを作り、ノリをあぶり、アボガドをスライスし、etc。一見濡れ手にアワのように見える食い物屋台も、実は大変な努力(ほとんど内職だ)のもとになりたってんだなあと実感する。なお、この晩、このノートをTimaruのYHに置き忘れたことに気づき、ガク然とする。
19日
屋台の仕事はなかなかにハードであるが、要は接客と調理をいかに効率よく両立できるかということに尽きる。幸か不幸か、大学時代のウェイター兼コックの数年間の経験がものをいい、てんてこ舞いになることはなくて済んだ。しかしこれまた不思議なことに、土曜日ゆえ観光客も地元の人もみなこのArt Centreに集まってくるようで、自分も今回の旅で出会った知り合いに何人も出会う(みんな「あれ、Takeさん、何でこんなところで?」と不思議がってくれたが、自分だって昨日まではここで白人相手に海苔巻きやアボガド巻き、果ては豚汁売ることになろうとは思いも寄らなかったのだ。出合いとは不思議なものである。)。中島の兄ちゃん及びその彼女が来た。すぐさま「今晩飲もう!」ということになったが、店主のO君、「自分が借りているもう一つのフラット、借りたばかりでまだ電気来てないけれど、そこを貸してあげるよ。自分は今晩何時までかかるかわからないから」と言ってくれた。O君も含めて飲みたかったのだが仕込みゆえ仕方あるまい。真っ暗な部屋にローソクつけて男二人が酒を飲む、なんかあやしいなあ。
20日
朝起きるとフラットの部屋のドアが満開であった。とはいっても誰かが開けたわけではなく、自分が閉めたつもりで実はきちんと閉まっていなかったドアが、風のせいで自然に開いただけのことらしい。10時5分前に「出勤」。
屋台のメニューは、のり巻き1本(ちょうどのり1帖の長さ)$3.50、その半分$2、アボガド巻き+にぎり寿司$2.50、豚汁$1、天ぷら(かき揚げ)$1.50というものであった。2日目ということで仕事にも慣れ、しんどさはない。今日もまたTeAnauとDunedinで会った日本人に出会う。昨日同様飲もう!と誘うが、今日は日曜日でPubは休みなのでありました。
きっかり16:00にあがる。バイト代 $6(per hour)×12h=$72と残った天ぷらとのり巻き2.5巻きをいただき、Cora Wilding Hostelへ。この日の夕メシは、言わずとしれた天丼であった。
あすはとりあえずこの日記帳を取りにTimaruへ行く(変な言い方だな)。Timaruから、Tekapoへ行くか、Returnするかは明日の気分次第だ、というのがこの日の結論であった。
21日 晴れ
Dunedinまで行く日本人(中島の御大は彼のことをあいざき進也と呼んでいた。まだ大学生)をTimaruまでシェアで乗せていく。中島ペアのウサギ車に抜かれぬように120km弱(ハンドルぶれるギリギリのスピード)でぶっ飛んでいく。駅へ行き、銀行へ行き(あいざきのつきあい)、P.O.へ行き、YHでこのノートを見つけ(階段の踊り場から裏の駐車場へ抜ける通路のところにあった。置いたとき、「こんなところに置いてわすれんかな」と思ったのを覚えている。このマヌケめ!)
とまあここまでは良かった。Countdownで買い出しし、港に下りるループの上の交差点脇にあるChinese TakeawayでFish'Chips買い出し、「さあTekapoへ」と思いつつ8号線の分岐を曲がったところでふと気づく、ワイパーに引っかかってる1枚の紙。車を停めてみてみると…あれま、駐車違反のキップ切られてる!そういえば、さっき車停めてたときメーターにお金入れなかったな。それにしても何たる早業!結局、City Council発行の罰金$5領収書とともに再びTekapoを目指す。そしてTekapoでは泊まるかどうか迷った揚げ句、今日中にMt.Cookまで行くことに決めたのだ。明日は大変だ。Chchまで一気にもどらにゃならん(いい加減戻らないと…)。そして今、YHでこれを書いているというわけだ。明日は…。
8月22日 晴れ
昨日も気まぐれな一日であったが、これまた今日も予想せぬこととなった。朝、「さて気まぐれも程々にしてChchに戻ろう。でも、せっかく来たんだから何かないかな」などと思いつつビジターセンターに行くと、例のトランピングガイドブックが売っていた。前から欲しかったのでとりあえずGet。すかさず平積みの上から3番目を抜き取る。さて、山の情報でも聞いとこうと思い、Alpine Guideに顔を出してみると、そこには日本人の従業員がいるではないの。(名字は聞いたそばからすぐ忘れたが、Hiroという名札をつけていた)。その人と話しているうちに木金と、ミューラー小屋に登りに行こうということに話が進んでしまった。ピッケルと、スパッツを借りれば問題なし(登山靴はもってきている)。この時点で本日(火曜日)と明日の停滞、及び木金の山歩きが確定し、Pigeon Bayへの帰着はまたもや遅くなることになったわけだ。
この日の午後はHiro君の教えてくれたMt.Wakefield(の手前の山)へ行くが、さっそくガレ場の入り口を間違えたか、スニーカーではちょっとこたえる登りであった。約1:30登り、これ以上上は雪と岩の領域、という手前で大休止。
それにしても目下の悩みはやはりお金だ。今の手持ち$30。用具のレンタルはカードが使えるからいいとしても、Petrol入れなければいけないし(今は満タンの1/3)。とりあえず何とかなるだろ。食い物はあるし。そして今夜も車中泊。
8月23日 晴れ
いい天気だ。今日はHooker Hut往復と決める。ダブルの寝袋のおかげか、冬のMt.Cookとはいえ、それほど寒さを感じることなく眠ることができた。YHに行って朝飯を作り、再びキャンプ場まで車で行き、9:10出発。奥の吊り橋までは30分で行き、次のシェルターまではそこからすぐ。これは予想以上に早くHooker Hutに着いてしまうのではないかとの甘い読みも一瞬頭をもたげたが、それは当然ながら杞憂に終わってしまったのであった。氷河湖まではごくごく平坦で楽勝の道であったが、そこから先はいわゆる登山道になる。特にガレを高巻きするときにしっかり登ってくれたりするのでやっぱり大変。でも結局11:40に小屋に到着。なかなかにのんびりした小屋だが、谷の浸食がHutに向けて徐々にすすんでいるようでもあるので、20年後には場所を移動せずにはいられないのではないかと不安になる。
昼飯代わりのビールとパイン缶とバナナ1本。15:30までにはアルパインガイドの建物まで戻りたいと思っていたので昼寝は12:45に中止し、引き返し始める。復路は来るときよりも近く感じたが、それでも2:20かかった。
アルパインガイドへ行きアイスアックス(ピッケル)・クランポン(アイゼン)・スパッツをそれぞれ借り受ける。柳沢さんのおかげで通常の半額にしてくれる。それでも$17.50は痛い。PubからPigeon BayのRonのところに連絡を入れると、自分宛の手紙や荷物が届いていると言うことだ。この日は彼の家に泊めてもらう。
8月24日 晴れ時々曇り
Muller Hutへ。低気圧が近づいていると言うことだが、急激な天候悪化の兆しもないので出発とする。昨日の段階では朝7:00出発と決めていたが、柳沢君も(聞くと、彼と自分とは同い年だった。気を遣わないでいいので楽だ)自分も「適当に起きてのんびり行こう」と心の底では思っていたらしく、結局出発は9:00近く。のんびり歩いて、休憩4回で小屋へ。小屋にはイギリス人のパトリックがいたががいたがしばらくして下っていってしまった。パンを食い、小屋から20分位のMt.Olivierへ。頂上で何枚か写真を撮ってのんびりする。小屋の外で雪の上にマットひいてひなたぼっこをしようと思ったが、その頃から薄雲が出てき始めたのでパス。寒いので、あたりをうろつきまわる。それでも柳沢君は寝ころんで本を読んでいた。この寒さに対する感覚の違いは何だろう。
夕メシは柳沢スペシャルのシチュー。材料は、タマネギ、ニンジン、ジャガイモ、ソーセージ、バター、塩、スープの素(Oxtail)とまあ手軽なものであったがなかなかうまい。今度自分でも作ろう。しかし、「ウマイウマイ」と食っているうちは良かったが、いかんせん絶対量が多すぎ、最後は「何とか成敗した」というのが本音のところであった。食後1時間経過した今でも、ビールは飲めず(ちゃんと背負い上げたのだ)、腹はまだパンパンである。
小屋は二人だけである。小屋のなかは一通りのものがそろっているので不自由はないが(ランタンも2つあるので大変明るい)、明日起きたら雪だった、というのは勘弁して欲しいな。高曇りであればbetter、Sealy Turnsの上までシリセードで下りよう。ちなみに今19:00、星も見え隠れしている状況である。
8月25日 曇り時々晴れ間、されど時々雨
柳沢君の朝は早い。7:00過ぎからもう起き出している。自分はまたもダブル寝袋を背負い上げたおかげで随分暖かく眠ることができた。8:00起床。それほど寒くはなく、クラスとしてがちがちに凍った雪も、まあ許せる範囲(クランポンあるから安心だし)。天気は確かに昨日より悪いが、それでも時折日の射す上天気である。9:00過ぎに下り始める。Sealy Turnsでは夏になると真っ裸で泳ぐやからがいるらしいと柳沢君から聞く。
下りてきてYHに戻ると、日本人の女の子(Mさん。ただし前に出てきたMさんとは別人)が一人いたので、半ば強引にPubに連れ出す(もともと柳沢君とお疲れ会をするつもりであった)。夕メシも強引に一緒に食べることに成功する(自分のパターンメニューの一つバジリコスパゲティを作ってあげた)。ウマイウマイといって食べてくれたので嬉しい。
明日はどうするか。うーん…
8月27日 雨
天気も良くないので出発しようと思いながらもなぜかまだいるのである。Mさんにつきまとうのが目的という説(柳沢氏談)もないではないが、まあそれはそれでいいや。
昨日は柳沢君との約束で、彼の家に22:00までに戻るということだったのだが(ちなみに彼のほうはこの夜職場仲間のパーティがあったので夕方から別行動だった)、YHからさて帰るかと思って戻ってみたら、部屋のなかは真っ暗でしかも鍵がかかっている。ノックしても返事はない。…そうか、彼はもう寝てしまったのか、たとえ15分でも遅刻は遅刻だしな。非は俺のほうにあるんだからな、大声だしたら隣人にも迷惑だし、仕方ないな、あきらめるか。幸い今日も冷え込みはきつくないしな、仕方ねえな、車んなかで寝るしかないな。というわけでまたもや車中泊であった。
しかしこれには後日談(というのかな、本日談かな)がある。何と彼が帰ってきたのは22:30過ぎなのであった。つまり、自分が彼の家をノックし、考え、あきらめ、車で寝られそうな場所に移動した直後に彼が帰ってきたというわけなのであった。あんねえ。
今日はMさんと二人であちこちをまわった。今も、サウナに入ったあと(一緒に、ではないが)、星を眺めに二人で表に出るというような、はたから見たらロマンティックというか、そこから先は危ない一線的二人というか、周りから見たらやっぱり嫉妬するんだろうな(前回のMt.Cookでの自分がそうだった)、嬉しいなったら嬉しいな、日頃の鬱憤はらしたるで!というような刹那的な幸せに身を任せていたのであった。(1999注:このあとはなーんもありませんでした。一押しの弱いTakemaですねえ)
なお、別の日本人女性二人が明日バスでChch帰るというので、まだチケット買ってないというらしいので、じゃChchまで観光ガイドつきでガスシェアで帰りましょうと誘い、まんまと成功。良かったこれでChchまでの移動費もだいぶ安く上げられる。
8月28日 晴れ
予想に反したというか、目覚めてみるとほぼ快晴である。8:00頃にMさんと、Chchまで一緒に帰る2人とをキャンプ場まで送る約束をしていた(彼女らはSealy Turnsか、せめて手前の展望台まで往復して来るというので、じゃ、キャンプ場まで車で行ったほうが早いよ、とアドバイスしたのだ)のだが、7:40にMさんが起こしに来てくれたので、朝から気分がよい。現金なやつだ。しかし、そんなふうに思うとろくなことはない。彼女らを送ったあと、YHまで戻ってきてみると後輪タイヤが…パンクしてる!悲しかったが、スペアタイヤがあるのでとりあえずは問題なし。ひなたぼっこしながらのんびりジャッキアップして取り替える。
彼女らも無事戻り、13:00前に4人でYHを出発。クックの空港でMさんをおろし(彼女はこのままAucklandに帰るという。いい子だったな)、そしていよいよChchまでの数百キロの旅が始まる。
(1999注:その後は今に至るまで、お互い何の連絡もないんです(悲))。
P-Shareしてくれたお二人のおかげで、ChchではYHに泊まることができた。ありがたやありがたや。彼女らは明日列車でGreymouthまで行くそうなので、朝、駅まで送ってあげようっと。
明日はいよいよPigeon Bayへ!
8月29日 晴れ
約1月半のフリータイムもとりあえず本日をもって終了である。バンクス半島にいると欲しいものがなかなか手に入りにくかったりするので、一気に買い出しをする。
買った物:新しい日記ノート、新しいフィルム、写真の現像、金おろす、写真を入れるアルバム、タバコ買い置き、酒買い置き、パンクしたタイヤの修理
ただ、ビールだけで$30も買い置きしたのはちょっと(いや、絶対に)調子に乗り過ぎだったかもしれない。
昼過ぎに郊外YHのほうに顔だしてみたら、例の、「Furano(富良野)」トレーナーを着た女の子がぽつんと座っていた(1999注:どんな子だったか、今となっては全く記憶にございません(^_^;))。確か彼女の友達のフラットに遊びに行くとか言ってたはずだったけれど…。聞くと、その友達がMt.Huttのスキー場でけがをして重傷、病院にいるのだが、首のあたりに何かあったらしく面会謝絶、会うこともできずに途方に暮れて今ここにいるのだという。元気出して、きっと大丈夫だよ、と慰めるしかできなかった。こういう自分は冷たいのだろうか?もっとあの子の力になってやるべきだったのだろうか。今(Pigeon Bay)になって初めてそう思った。
Pegion Bayに着いたのは16:20頃であった。サミットロードから近道のジャリのジェットコースター道を一気に下る。うなるエンジンブレーキ。Pigeon Bay YHの前を通過しようとしたらRonがいた。実家から2回もTELがあったことを聞き、「こりゃ何かやばいことがあったか?」と思い、夜になって電話してみると、何のことはない、親戚のKちゃんがこっちにskiに行くから云々ということであった。まあ、旅行中、家には電話はおろか手紙一つ書かなかったからなあ。
ついでに、家に船便で送ってもらうよう頼んでおいたミカン箱も届いていた。みりんが入っていなかったのは少し痛かったが、そのかわり予想もつかぬ品物(松前漬けのもととか)が入っていて嬉しかった。
8月29日 曇り時々晴れ
さて今日から再びFarmworkの生活に戻る。Pay-Workについてはこれから問い合わせてみるからもう少し待てとのことである。朝起きて、丘の上の方の羊に干し草をやりにいき(普段はこっちが行くと逃げる羊達も、この時ばかりは向こうから近づいてきやがる。本当にしっかりしたやつらだ。)、午後からはあの懐かしの(?)Firewood Packing。「今度はいつ配達?」と聞いたら何と明日なんだと。17:10までCutting、それからパッキングで、50Bagできたのは21:00近かったのでありました。なかなか久々に腰にコタエルものがありました。
8月30日 晴れ時々曇り
薪の配達日。昨日まで遊んで(?)いたChchも今日は「仕事」としての滞在である。配達すべきPetrol Stationもわかっていたし、ま、気分はだいぶ楽である。
CPOに手紙と荷物が届いていた。大学時代の同級生Kさんからのものともう一通。開けてみると「誕生日おめでとう」でした。日本の消印の日付からして、この郵便局にひと月半以上眠っていたものと思われる。よく処分されなかったな。
8月31日
今日はDavidとRon、Lindaの3人がChchへ行った。残ったのはダグ(ダグラス。やはりRonの親類らしいが、異常なほどの話好きで、こっちが聞いていようといまいと自分の言いたいことを話し続けられるスゴイ人。相手するのは大変に疲れた)とカレン(自分の誕生日の日に来てくれたおねーちゃん)と自分との3人だ。ハイラックスが出ていって、しばらくして、なぜか車に乗っていったはずのRonが歩いて戻ってきた。何か忘れ物かな、と思い、ついでだから牛乳の空き瓶を道路のポストに置いてきてもらおうと思ったらどうも様子が違う。どうやらトラックに何かあったらしい。トラクターにつかまって下りていくと、あとメインロードまで50mといったところでハイラックスが道わきの溝に見事にはまっていた。トラクターで引っ張り、みんなで押したりして何とか脱出したが、その間も運転ミスったDavidは終始無言であった。悔しかったんだろうな、と内心同情する。
しかし同情なんかしちゃいられなかった。そのあと、一件落着後、その同じトラクターで薪を移動しようとしていたら後ろに付けていたトレーラーが道脇に脱輪して悪戦苦闘。人のふりみて我がふり直せ、ということを実感した一日でありました。