1989 9月のNZ日記
9月1日 雪
9月の声を聞いた途端にいきなりの「雪」だ。
今日は旅行前と同様家の増築工事にかかわったのだが(いつの間にか足場ができ、Ronたちの部屋に出窓が増えている。彼一人でやったのなら ---彼ならやるだろうが--- すごいことだ)、午後になってLindaおばさんがいい話をもってきた。いわく、「Akaroaのなんとかさんのところでうちと同じように家の改修手伝って欲しいって話があるわよ。時給は$5で、9/10から2週間ぐらいだって。どうする?」。何だか思いがけず言われてしまったので驚く暇もなかった。農場の仕事はないのだろうか、とも思うが、とにかくありがたい。聞けば「娘のJanetも、街(Chch)での仕事を探してくれているわよ」とのこと。ますますもってありがたいこった。宿の問題はどうなるのかは聞かなかったが、まあ車に寝泊まりでもいいや。2週間だし。深く考えないようにしよう。
(1999注 : 今読み直しても、Ron一家は本当に自分のことを気に掛けてくれていたんだなとわかる。改めて感謝。)
Pigeon Bayに戻ったときからRonが口にしていた「金曜日はPubに行こう!」は、なぜか実現することなく終わった(行けないほどの雪ではなかったのに)。Lindaおばさんが「Ronはちょっと疲れてるから‥」と言ってたので「ははぁ」と思う。しかしなぜか今日はビールが無性に飲みたかったので少々残念で、買い置きのビールを一本飲むことにした。いや、もう飲んだ。
ちなみに、今日シャワー浴びに行ったらやっぱり水が出ない。明日は直しに行かにゃあ。
書き忘れたが、一昨日・昨日と、この家では懐かしの大スライド大会が催されており、David持参の「空から見たPigeon Bay」十数枚、Ron提供の「10年前の我が一家」が好評のうちに上映された。Ronたちは以前はWest Coastに住んでいたらしいことがわかった。
9月2日 晴れ
今日は昨日とはうってかわって大変に暖かで良い天気である。朝一番、Ronは畑に放ってあった古い荷車などをいきなり引っ張り集めてくるので、何にするのだろうと思っていたら、なんとまあ、同じBank半島のOkains BayのMuseum入りだと。この国のMuseumは、失礼ながらどこも同じような感じだと思っていたが、まさかこんなところが供給源だとは思わなかった。でも、Okains Bayまで行く旅行者がどれだけいるのかは少々疑問である。地元民はそう何度もMuseum行くとは思えないし。
昨日と同じく、羊に干し草を与えに行く(カメラをもっていけば良かった)。午後はYHのシャワーを直し、Afternoon TeaのあとはJohnの庭から木を運び、そして夜はPubへ。今日も少々酔うたかな。
今日Kさんから手紙が来たのでChchのYHに電話したら、お土産屋の仕事が決まったとのこと。なんだ、「その人、仕事がなかったらこの農場で居候させてあげるよ」とLindaさん言ってたのに。ま、何にせよめでたい話だ。自分のほうは、Lindaさんに改めてどういう仕事が希望なのかと聞かれ、やはりFarm関係がいいといったらわかったといっていたので、まあ何とかなるのであろう。それが例のAkaroaの前なのかあとなのかは別として。明日はChchに行く(かもしれん)。
9月3日 曇り(Pigeon Bay)、晴れ(Chch)
Kさんの就職祝いにChchに行く。手紙がえらく早く着いたことを知って二人とも驚いた。彼女は一昨日の午後遅くに投函したらしいが、こちらが受け取ったのは昨日の午前中。
Sign of KIWIからさらにサミットロードを上がっていったら、ハンググライダーをやっていた(2機)。1機は30分以上ソアリングしており、うーむみなさんうまいな、と思いつつビールを飲んでいた。そうしたらパラ(グライダー)も1機上がろうとし始めたのでこりゃ楽しみだと思っていたらスタ沈ばかり。自分も、この風じゃ飛び立てないな。強すぎる風に引きずられてしまう(磯根崎のスタ沈と同じ状況)。
帰り着いたのは午後6時前。「働かざるもの食うべからず」ということわざがやたらに頭にちらつき、夕メシの量は控えめにした。
このところ夜は源氏物語ばかり読んでいる。やっと葵まできた。さすがに読みでがある。
9月4日 晴れ
昨日のサボりの件があるので「今日はちゃんと働かなイケン」と思う。午前中は延々とWood Cutting。午後は、いよいよ春を思わせる、ジャガイモの種まき、であった。午前の仕事はすでに要領をつかんでいるのでまあいい。ただ、昼食の準備ができてからも、Ronと自分がなかなか仕事を切り上げてこなかったので、Lindaおばさんはオコリ気味であった。食事中、こいつが4枚目の「チーズがけトマトソーススパゲティパンのせ」を食べているとき、RonはLindaに熱くなったティーカップをわたされて、今度はRonが怒っていた。
いもの種まきはなかなかに疲れた。初めにスコップの柄のようなもので深さ10cmくらいの穴を開けていき、次に化学肥料を少々入れ、そして種イモを入れ、最後に土をかける、という4種類の作業が同時に行われていくのだが、やはり腰にくる。思わず「My waist is not so tough, so terrible backache !!」と叫んでしまった!もっとも今日は17:00にはオ仕事が終わり、まだ17:40だというのにのんびりとこれを書く時間的余裕がある。
ちなみにFarmでの仕事はLindaがAkaroaの友人に探してもらっているということだ(見つかり次第TELがくるという)。家の修繕やらなんやらいろいろお話があるようだが、何がいつ始まるのかようわからん。ま、おまかせいたします。ここでは生活費がかからなくて済むのでやはりありがたい。何といっても今の手持ち現金$1くらい。
9月5日 霧のち晴れ
午前中は、作業場の横に長年積んであった細木の中からFirewoodとして使えそうなやつを引っぱり出し(RonとTracyはパッキングをしていた)、午後は昨日に引き続きイモのPlantingである。さすがに種イモ4袋となるとやりでがある。ダグラスのおっさんは休んでいるときが多いように見受けられたが…。それよりも、残念なのはライターを畑のどこかに埋め込んでしまったことだ。大海に落としたナントカを探すようなものなのですぐに諦めたけれど悔しい。
夕メシでは羊の骨付き肉を4つも食った上にデザートのチョコレートプディングを平らげ、さらに22:00頃昨日の(David誕生日のケーキの)余りまでも食ってしまうくらいだから、胃袋のほうも随分NZ製に近づいてきたらしい。
昨日気づいたことだが、家から送ってもらった与謝野晶子訳の源氏物語、どうでもいいけど上巻と下巻だけあって中巻が足らない。もう上巻は2/3くらい読み終えてしまったし、できれば一気に読んでしまおうと思ってはいたのだが---。
9月6日 晴れ
7.8日と泊まりがけでRonとLindaがChchに行くという話を聞いていたので、しかも昨日沢山の薪Bagを作ったので今日の運び役は自分だろうと思っていたら、やはりそうであった。もっとも、Chchへは自分も行きたいと思っていたので都合がいい。(金をおろす。なにせ日曜以来$1しか(しかも紙幣抜きで)持ってなかったので…(今日は水曜日)。あと、タバコも買い置きが切れてるし、できればフィルムを現像に出したいし)
配達のほうは午前中で終わり、正午頃City Mallに行ったら、ちょうどBNZの向かいにある 1 Hour Photoで火事(ボヤ)があったらしく、濡れた新品フィルムが表に出され、その前で店員がお客らしい人に謝っていた(のであろう)。自分も一度あそこに出したことがあるが、店員の態度等どうもあまり好きになれないものがあったので、ふーん…という感じ。
別のカメラ屋で出すはずのフィルムは、プリントを大きめのものにしたかったのだが一週間かかると言われていやになり、まあ安いし仕方ないなとあきらめて、結局Photo Expressに頼む。もっとも今日はすぐ帰るので、明後日Ronたちに取ってきてもらうつもりだ。
Pigeon Bayに帰ってきたのは14:30頃とまだ早かったので、その後WoodBagを70作る。とはいっても4人で、だ。ダグラスのおっさんはその間どっかに逃亡した。
Lindaいわく、テールカットの仕事、Pigeon Bayの農場に頼んでいるから数日中に連絡があるはずだよと言ってくれる。諦めてた仕事だけに嬉しい。
9月7日 晴れ
今日明日と、Ron、Linda、Davidの3人はChchに行っていて不在。ダグと自分に課された仕事は2袋のポテト植え付けと、自分はそのほか2階の釘穴のしっくい塗りだけである。イモのほうは午前中に終わり、午後は全くのフリー。Duvauchelle付近をうろつき、French Bayでビールを飲みつつ聞いた岡村孝子はなかなかに心にしみいるものがあった。
そのあとサザンかけながらサミットロードをドライブし、ビールを飲みつつPigeon Bayを眺め、別の場所に移動して、丘の上からAkaroaハーバーを眺め、家に戻ってさらにビール飲んでたらかなり酔ってしまった。21:00過ぎに就寝。
9月8日 雨
今日は朝からキチンとした雨降り。いかにも春の雨といった感じだ。午前中は家のしっくい塗り、午後は家に手紙を書いて終わる。ちなみにダグラスは昨日のうちに帰っていたので(奥さんと子供)、本当に一人だ。
Ronたちが帰り、Akaroaでの仕事が明後日からという件が本決まりになったことを知らされる。Free Accomodationということも。
9月9日 雨
今日も一日中雨である。午前中に塗ったしっくいの平均化、というかサンドペーパーででこぼこを削る作業。午後、I先輩に頼んでいた「地球の歩き方タイ、マレーシア」が届く。
夕方、Ron Davidと3人でHilltop Pubに行くが、なぜか駐車場はおろか道路にまで車がはみ出すほどの大混雑。Duvauchelleで飲むことになった。
帰ってからはTracyの家庭教師。因数分解に取り組んだが、Davidと二人で悩んでいるうちに、本人が「Good Night」だって。うーむ。
9月10日 雨
何とまあ間抜けな一日であった。朝、トイレにて重大な排泄作業を行っているうちに、Ron、Linda、Davidの3人はハイラックスに乗っていずこかへと去ってしまった。そんな話聞いてないぞ!今日から俺、Akaroaで仕事じゃないの?連絡先ひとつ聞いてないよ。Tracyも今日は朝から遊びに出かけてしまったので(今日は日曜日)、「ま、そのうち帰ってくるだろうし」との軽い気持ちで「源氏物語」の下巻を読み始める。まさかこの時は、今日一日で半分読んでしまうとは思いもしなかった。
15:00頃になってTracyが帰ってきた。何でもRonたちはなんかのパーティに行ったという。そして再び家庭教師である。説明することができずに大変であったが、まさかTracyは自分が学生時代数学が大の苦手だったことを知るまい。説明できないふりをして逃げようかと思ったが、因数分解の一番最初のレベルだったので自分でもできそうだ。「×」が「times」、「÷」が「divide」ということを聞き、動名詞とかいうやつを多用して説明する。Tracyはなんと電卓を使って因数分解をやろうとしている。おいおい、電卓で因数分解、できんのかい?俺には無理だ。結局、「たすきがけ」を使った解き方を教える。このやり方は教科書などにも載っていないのか、Tracyは「すごい!」の連発。しかし、「これって何ていう解き方なの?」と聞かれて困った。英語での正式名称など知る由もない。考えた揚げ句、「ま、『Magic Cross』って感じかな」と言って逃げる。しかし、絶対に違うだろうな。
しかし、因数分解に電卓を使わせようとするあたりに、NZerの計算能力の弱さの原点を見たような気がした。
さらに、今日で3週間にもわたったSchool Holidayも終わりだ。それだけの長さにしては宿題が非常に少ないようで、Tracyが勉強しているのを見たのは昨日と今日だけだったような気がする。ま、多けりゃいいって問題じゃないけれどね。
9月11日 晴れ時々曇り
今日からTracyの学校も始まるというので7:00起きである。本日、Tracyを峠のバス待合い場所まで送る役目はDavidの役目であったが、彼はそのあと、じゃあまた、と言って帰ってしまった。家の中が急に静かになった。
Woodcuttingを始めてしばらくしたところでSouth Power(南島電力)が来て中断、と思っていたらRonの兄弟2人が到着(うち兄貴分のほうはRonのお母さんにそっくり!)。滅多に来られないらしく(Auckland在住)、結局、午後のお茶までは仕事なし。
車のアイドリングがどうもおかしいのでスパークプラグを外してみるが異常なし。どうもダイナモ発電器らしきところの接触が悪いらしく電気が漏れている。そのあたりをテキトーにいじってみたらこころもち普通のアイドリングに近づいた気がしたのでとりあえず完了としたが、本当に大丈夫かどうかは、このあとYHにシャワーを浴びに行くときにわかるはずだ。
午後、Lindaおばさんから「Take、明日からAkaroaよ」と言われる。どうやら例の仕事が明日から始められるらしい。もっともFirewoodをChchに運ぶ仕事があるので、明後日の夜にはいったんここに戻ってきて、木曜日にはChch行きだ。
ところでRonの兄弟は木をたくさん牽引トレーラーに積んで「ではまた!」ということになったが、その先、峠までの急坂が登れず立ち往生。たまたまYHのチェックに来たLindaと自分とは「オーッ、ジーザス」とか何とか言いながらしばらく見物。しばらくして何とRonがトラクターで登場。サミットロードに上がるまで、なんとトラクター+トラック+トレーラーの重連。時速5kmでゆっくりゆっくり登っていく。もちろん我々護衛の323も一緒である(ただ見ているだけであったが)。
いよいよ明日からは別の場所での生活が始まる。頑張るぞ!と同時に、いろいろとあたってくれたRon夫妻に心から感謝感謝である。本当に、こんな見も知らぬ者のためにここまで優しくしてくれて、さらに、まだ戻ってこいよなどと嬉しいことをおっしゃって下さる。また戻ってくるよ。遊びに来るよ、いや、手伝いに来るよ!
もっとも、自分宛の手紙の宛先はこの家にしているから、時々手紙チェックに来るんだけれどね。
9月12日 曇り
いよいよ今日から給料付きの住み込み仕事でAkaroaへ行く。9:00にAkaroaへ着いたが、どこだ、どの家かわからない。結局約束の時間には遅刻してしまった。メインストリートから奥に入った(通りの名前はみなフランス風に「Rue ◇◎」と名付けられている)「Wilderness House」という名の家がこれから自分の仕事場となった。芸術家(絵描き)の旦那David(もちろんPigeon BayのDavidとは別人)と奥さんのWendy、そして赤ん坊の女の子(名前忘れた)の3人家族。
仕事の内容を聞くと、何と室内のペンキ塗りだという。え、修繕とか増築だと思っていたら、ペンキ塗り?そんな話聞いてなかったぞ。(1999 注:この件のいきさつについてはこちらに詳しくのせてあります))
塗るべき場所はかなりあるように思える。壁、窓枠はもちろん天井まで塗るのだという(もちろん壁紙のある部屋はそのまま)。のべ面積は相当あるし、窓も、格子窓なんかがあったりするので、相当かかるであろうと思われる。やり甲斐のある仕事と言えばその通りだ。$5/hour、自己申告制。今日は12:30〜18:30(うち休み1時間)。労働時間をきちんと(サバ読まずに)つけとかなきゃな。
本当は明日の夜Pigeon Bayに戻る予定だったが、電話があって明日Chchに配達するというので今日のうちにPigeon Bayまで戻ってきた。仕事着として、Ronから例のだぼだぼの(自分には大きい)ツナギをもらった。ありがたい。
9月13日 小雨
日帰りでChchに行ってきた。途中めがねのフレームが壊れた。右目と左目のレンズをつなぐ真ん中の部分の溶接が取れたのだが、幸い2本で支えるタイプだったのでもう一本は無事。致命傷ではなかった。
ふと思ったが、Ronはパンにバターを5-7mmの厚さで塗り、その上に油ぎとぎとのchipsをのせ、ケチャップつけて食べている。これは健康上決していいことはないと思うのだが、食習慣の違いだろうな。
1999注 :日本人の食習慣では考えられないほど肉や油の多い食事を続けた結果、帰国して半年後に健康診断を受けたらコレステロール値が200を越えておりました。個人差はあるだろうけれど、日本食に慣れた身体にはやっぱり負担だったんだろうな。なお、数年後その反動か「中性脂肪低値」になりました。今は普通かな。
Lindaにチョコと、キウィフルーツを一袋もらった。
Lindaが自分のことを「Very Good Driver」とやたらに言うのは、実は「Ronの運転がコワイ」からだと今日わかった。
さて、明日は10:00までに再びAkaroaへ。しばらくPigeon Bayともお別れだな。
9月14日 雨
(10:00〜19:00)-LT(Lunch Time)1hour :労働時間メモのこと
今日から本格的に仕事である。しかしさっそくDavidに「Too Late !」と怒られる。仕事がのろいと言われても、丁寧にやってるもんだからつい進み方がおそくなるし、何たって慣れてないんだからなかなか要領よくいかない。でもまあ、二度塗りもいらないというし、徐々に慣れていくしかないな。むこうの言い分もわかる。時給制なのだ。時間がかかればそれだけ金を多く払わなければならないのだ。むろんさぼって金だけ分捕るつもりは毛頭ないが、できるだけ早くやるようにしよう。
ANZのコマーシャルはどうもよくわからん。けれどなかなか奇抜で面白いというか、ヨイ。
9月15日 晴れ
昨日が「Too Late」なら、今日は「Good One」だ。要領がわかってくれば何とかなるの見本みたいなものだ。今日は下の部屋での作業で、「ステレオ使っていいよ」とのことだったので、お言葉に甘えて自分のテープをかけながらペタペタ。Davidは無口だけれど、なかなか良い人のようだ。DavidとWendyは日曜の夜まで外出ということになった(今日は金曜日)。留守番役ともなったわけだ。(1999注 しかし、会ったばかりの自分をよく信用してくれたものだな)
夜は一人なので退屈である。近くのPubに2リットルの空き瓶持っていってDBをFill Upしてもらったが、一日で空いてしまった。こりゃいかんペースである。反省。
9月16日 晴れ
驚いたのは、MAZDA626(カペラ)のコマーシャルで、バンなのだが7人乗りだというのだ。荷台のところになんと後ろ向きに2人座るというのだが、何とも言えないね。日本で渋滞にでも巻き込まれたら、後ろの車の運転手、目のやり場に困るな。
さて、今日はえらく暖かく、ここ数ヶ月で一番、といった陽気。Tシャツに裸足といった人も何人か見られた(こっちの人は裸足で外を歩くのがお好き)。Chchで18゚Cということ。明日は晴れということで、もっと暖かくなるんではないか。もう春だね。今夜も一人だ。今TVでLottoの抽選をやっていたが、どうもよく仕組みがわからん。今度機会があったら買ってみたいものだ。
9月17日 晴れ
お天気もよく、のんびりとぺたぺたやって過ごした。午後に帰ってくると言っていたDavid夫妻は19:00過ぎに帰ってきた。今日はGood Jobだったぞ。よしよし。
(1999注 この「Good Job」とは、どうやら自分がDavidに言われた言葉のようらしい)
9月18日
今日は古いペンキをヘラで書き落とし、サンドペーパーで平らにならす作業だったのだが、またもやトロイと言われてしまう。でも、取れないものは取れないのだ。午後はBreakということで、Duvauchelleの近くの半島から湾内を眺めて過ごし、Akaroaでは日本人の新婚(そうは見えなかったが)に会い、最後にDavidにわさびを勧めて過ごした。
実を言えば今夜は、あの「わさび」をきっかけとして、やっとこの家に親しめる(といっては失礼だけど)きっかけができたところなのだ。
赤ん坊のAdvaita(スペルには自信なし)は、こっちにおもちゃを一つ一つ見せてくれる(もちろん彼女はまだ言葉を話せない。ウーとかあ゛ーとかいうばかりだ。でも、だからこそ言いたいことがわかる。舌足らずの幼児英語で何か話しかけられたらそれこそわからないはずだ)。この子は将来綺麗になりそうな顔つきをしている。
明後日RonはChchに配達に行くかもしれないので、あとでtelしよう。
そういえば、夜遅くになると天井裏で何が物音が…という怪がこの家では毎晩起こる。飼い猫か、それともねずみか、と思っていたら、何とポッサムだと。いとあさましきことなり。
9/12 12:30-18:30 [6]
9/13 [0]
9/14 10:30-19:00 [8.5]
9/15 9:00-16:00 [7]
9/16 9:30-17:00[6.5]
9/17 9:30-16:00[6.5]
9/18 9:00-12:30[3.5]
9/19 9:00-15:30[6.5]
44.5h $222.50(1999注 この金額の文字だけは自分のものではないから、おそらくこのメモを見せてWendyに証明してもらったものらしい。しかし、宿メシつきで一週間で$200とは、いい仕事だったなあ。結構危険な場所の作業もあったけれど)
9月19日 晴れ
朝PB(Pigeon Bay)に電話したら「明日Chchに行く」ということなので、今日の仕事が終わったらPBに移動することになった。今日は壁の塗料はがしとサンドペーパーがけで一日終わった(とはいっても15:30頃まで)。夕メシにおにぎりを作ってWendyさんにどうぞと勧めたら、「Very Good !」と言っていたが、出発前に残りの1個を勧めたら「No Thanks」であったところをみると、さっきのGoodは、さてはお世辞か。それにしても日本から送ってもらった日本食(のり、梅干し、かつおぶし)は役に立つ。Ronの家に行く前にシャワーを浴びて…と思ってYHに寄ってみたら、何と日本人の女の子(M.M.さん)が一人で泊まってた。強引というか、自分の友達だ、ということにしてRonの家に連れ込む。こういう時、Wardenさんが第三者じゃないので話が早い。そしてそのあと二人でPubに行き、22:00帰着、今に至るというわけである。
何と明日のChch行きは、自分の聞き違いだったのかもしれないが、どこだったかで会ったNormanというおっちゃんがドライバーということで、自分の出番はないということだ。Wendyさんには「明日は働けません」と言い残してきていたから、日中は完全にオフだ。どうしようか。Mt.シンクレアに行こうか。まだ行ってないし。まだ決めてはいない。明日起きてから考えよう。
9月20日 曇り時々晴れ
昨夜のPubでのTakemaは大変におしゃべりであった。そして今日一日もそうであった気がする。…Ron、Linda、Normanの3人はChchへ、Tracyは学校へ。ということで、日中はMさんと二人だけ、という状況になったわけだ。尋常ならばここで少しは何かが起こることを期待するのが普通であるが、残念ながらというか当たり前というか(ここで問題を起こそうという気はせんし)、極めて平穏に一日が過ぎていったわけである。昨日も書いたとおり、今日は丸一日オフということで、車で丘の上に行ったり(道はmuddyじゃなかったので)、PBの入り江に行ったり、彼女の車をいじるまねごとをしてみたり、またも壊れたYHのシャワーの配管直したり。なにやらデートといえるかどうかわからないうちに一日が終わる。仕事といったら、彼女と一緒に薪を倉庫に運んだことぐらい。
ところで彼女の車はミニクーパー。すでに修理に$300かけているらしい。ご愁傷様。ちなみに買値は$1000、売り主は「Runs Good」と言ったらしいが、Mさんが「この車で南島を巡るつもりだ」と言ったら、「それはちょっとムツカシイかもしれない」とか言われたそうだ。なかなか正直ではないか。
23:00からのTVで、日本ではまず見られないだろう、ドイツへの米英ソ共同駐留の様子を記録したFilmをやっていた。今では、米ソが一緒に歩くなんてオリンピックの行進くらいだろうに。変われば変わるものだ。
(1999注 この当時、まだベルリンの壁は崩れてはおらず、東西冷戦は続いていました。そのことを念頭に置いた走り書きだったのですが、今ではこのメモすら古い話になってしまったのだから、時代は変わるものですね)
今日考えたこと聞いたこと
* 車を売るときは日本人の多い英語学校の掲示板に「For Sale」の張り紙を出すのが効果的だという。
* 明日、PostbankかBNZに口座を作ろう。ついでにキャッシュカードも!
9月21日 小雨
今日からまたAkaroaへ。MさんもAkaroaで1泊する予定なので、ということで一緒に行ったのが11:00過ぎ。しっかりと今夜飲む約束をしてからWendyさんのところへ。これまでUndercoatingしたところの本塗りを、と頼まれたのはいいが、彼女一家は今日またChchに行き、日曜の朝まで戻らないとのこと。しまった、それならMさんをこっちに呼べば良かった(彼女はAkaroaの民営YHに泊まった)と思った自分の心にどこか良からぬ心がわき起こったのは事実です(1999注 もう時効だよね)。
事情により彼女は20:00頃にこちらの家に来た。買ってきたビールで乾杯しつつ、その後Pubに行き、バンドの話などして夜は更けていったが、22:00過ぎになってYHに帰っていった。あたりまえだが何もなかった。
彼女は例のKさんのことも知っており(Kさんは結構有名な人になっているらしい)、またもや風邪で寝込んでいるとか。まったく大変なヒトだ。
先日もらった$200を資本にして口座を作ることにしたが、BNZかPostbankかの選択は、Ronたちの意見によりPostbankにすることにした。来週Chchに行ったときに作ることにした。
それにしても、このペンキ塗り、割がいいので(税金も取られないし)もっと続けたいが、なんだか早めに終わってしまいそうだ。Mさんは明日Chchに帰る前に遊びに来てくれるだろうか、などとかなり酔いつつ考えた夜であった。
Work : 11:30-18:30 [7h No Lunch]
番外編 Mさんからのメッセージ(無修正)
Pigeon Bayではお世話になりました。
あの"horrible" YHで一夜を過ごさなくて済んだだけでなく、
思いがけずFarm Stayまでしてしまい、Take様々です!
私はすっかりあのお宅が気に入ってしまったので、
またおじゃまするかもしれません。
その時はまたHilltopに飲みに行きましょうね(以下略)。
9月22日 曇り時々晴れ
この日よりこのノートが日記帳2世となったわけである。よくもここまで続いたと思うと同時に、この新ノートのチャチさが何とも言えない。まあ仕方ないか…。
昨日の飲み過ぎのせいで朝が大変に億劫で、塗り始めたのはやっと昼前といったところか。しかも作業を始めてすぐにMさんがビール持参(優しい!)で訪ねてきてくれたので、すぐさま大休止の宴会と相成り、仕事は大幅に遅れつつあるのであった。彼女は今日Chchに戻り、その足でAbel Tasmanのトランピングへ行くのだそうだ。名残惜しい(実に!)が、引き留めるわけにもいかんので(こっちは仕事だし)さようならとなった。どうもあんがとでした。
その後はえんえんと仕事であったのだが、なかなか進まん。今壁に塗ってるのがベージュ色のペンキなのだが、夕暮れ時になるとどこまで塗ったのかの見分けが非常にしづらくなるのでなおさらだ。結局、庭側のドア4枚まで進んだところで打ち止め。一人の夕メシとなるのだが、Wendyさんが置いていってくれた食い物は、どうも主食がないようで困った。結局卵焼きでごまかしたが、明日はどうしようかな。
それにしてもこのノートは紙質が悪い。今度Chchに行ったらちゃんとしたのを買おう。ちくしょーこんなノートが$3もしたなんて。
今朝シャワーを浴びたのだが、どうも身体が粘っこい。風呂に入ろうか(この家にはバスタブもある)と思ったところで、この家の庭に生えているオレンジの実の落下してるやつを入れてゆず湯の代わりにしようかと思いついた。うん、良い考えだ。ついでに、ここのヒーター、自分の部屋に持っていこう、などと、着実に図々しくなる自分なのであった。
9月23日 晴れ時々曇り
午前中は雲が多かったが午後にはほぼ快晴に。それでも遊びに行ったりはせず熱心に働いた。朝も早かったし。その割に仕事が進まないのは本塗りのせいか(結局目立つところは本塗りをすることになっていたのだった)。ここしばらくは天気もいいらしい。時間をもらって、他のBayにでも行って来ようかな。
何となく気になっていたカゴの中のクルミに目がいき、何個も食べてしまう。「家にあるものは何でも食べていいわ」とおっしゃっていたのだから、ま、いいだろうということにする。そういえば、横の畑のすぐ上に立っている木はクルミの木ではないだろうか。二匹の猫はどうも空腹そうであるが許せ。
何となく考えたのは、「夏までただひたすらに仕事というのもいいが、たまにはAbel Tasmanなんかのトランピングにでも行ってみようか」、ということ。別にMさんの行動を意識したわけでもない。しかし、これはもっと暖かくなってからの話ではあるが、こんなことばかりで果たしてお金は貯まるのであろうか、という問題も残されている。そういえばWendyさんが「月曜日の夜、クラシックのコンサートに行こう」と誘ってくれた。まさかこの自分がNZでクラシックのコンサートに行くとは思わなかったがまあいいか。これとて少なくとも2年前なら拒否した音楽であり、時の流れというのは不思議なものだ。
ところで今夜は少々退屈なので手紙でも書こうと思うのだが、手紙セット、少なくとも便せんはどうやら車の中のようだ。億劫だな、どうしようか。
そういえば、日本から送ってもらった国語要覧にしろ源氏物語にしろ、少なくとも帰国後教員以外の仕事に就いたら全く必要のない代物なのだ、ということを考えるに、やはり自分は再び教員を目指すのではないか、という気がする。
(1999注 この読みは当たってました(笑))
9月24日 晴れ Work 9:30-18:30 (exclude 12:45-15:15)
今日も、それなりといっては変だが、まあ着実に仕事をした。とはいっても、まっ昼間の2時間半ほどはドライブをしていたのですね。まあ日曜だし、許して下さい。
もう遅い時間なのにWendyさんは帰ってこない。今日帰ってくると聞いたのは聞き違いか?しかし、SundayとMondayを聞き違えるだろうか。そのかわりDavidが夕方帰ってきた。ちょうど窓を塗り終わったばかりだったので、何だかさぼってるみたいに見えてちょっといたたまれなかったが、仕方ないか。
昼間のドライブは、これまで一度も晴れたときに通ったことのなかったPB〜Okains Bayの区間が中心だった。景色のめっぽう良いところ。特にOkains Bay(ここのMuseumには先日Ronの家から引き出された古い荷車があるはずだ)は、まさに外界から隔絶された一種不思議な世界であり、なかなか気に入った。時間がとれればまた行きたいものだ。今度はLittle Akaroaなんかにも行ってみよう。そこからOkainsのほうに抜ける道も面白いだろうな。
ところで、今や食堂の窓枠塗りは一通り終わった。これから隣の部屋(この部屋には灯りがきていない!)の窓と、居間等の床際を塗るわけである。仕事がそれで終わりだとしてもあと3〜4日はかかるだろう。ということは、最初の目論見よりも仕事が多い、ということか。何にせよ、長ければ長いほどお金が貯まるのは事実。「あといくらここで稼げるかなあ」などと、心は少々守銭奴になりつつある。
9月25日 快晴
さて、朝一番で隣の部屋に取りかかるか、と思っていたら、Davidの頼みで、玄関横のゴミたば(選定した樹木の切れ端等)をDumpまで捨てに行ってきた。これがまた、枝そのものがとがっており、手で触ることも容易でない。トラックの荷台に飛び乗ったとき、バランスを崩してその枝の上に手をついてしまい、大変に痛かったぞ。それにしてもDumpというのはゴミ捨て場のことをいうのであろうか。そう考えると「ダンプ松本」というネーミングは非常に誤解を招くのではないか、という気がする。
やっとというか、この家でくつろげるようになっている自分である。何といっても、Davidとフツーの会話をするようになったことが大きいのだろう。彼は大変に心優しい人である。最初は少々取っつきにくかったが、夕方、こっちが仕事を終わって顔など洗っていると、横からすっとビールを差し入れてくれたりする。
消滅したというか、腐りものだと思われて捨てられたと思っていた梅干しが冷蔵庫より発掘されたので、今日はまた大変に嬉しい。昨日より思っていたことだが、この家はどうやらベジタリアンのようだ。
9月26日 晴れ
9/21〜26までの総労働時間、49h、$245の稼ぎになった。前の収入と併せて$400ちょいたまったので、明日Chchに行く際に口座を作ろう。それにしてもまだまだ稼がなきゃならんなあ。このペンキ塗りの仕事、いつの間にか最初の予定ではなかったところまでやることになってしまっているので(そうなったのはこいつの仕事内容がまあまあだからだ、ということにしておこうよ)、もうしばらくは続きそうだけれど、その後一体どうなるのであろう。このあとも順調に仕事が入って…などと捕らぬタヌキの何とかについて考えてみたりしたけれど、やはりオーストラリア行きは厳しいかもしれないな。とにかく12月末までみっちりと働ければそれに越したことはないのだけれど。
Akaroa周辺の牧場の子羊達を見てみると、まだみんな尻尾がついたままだ。ということは尻尾切りはまだ行われていないということだ。
Ronの家でも、Firewoodの搬入は先週で終わったようだ。随分暖かくなったものね。今日などはペンキ塗りの最中はTシャツがbestといった陽気であった。冬の間も陽射しは暖かだったのだが、ここに来て、もう肌が焼けるほどの陽気、もう春というか、夏近しなのかもしれん。
9月27日 曇り時々晴れ
天気はそれほど良いとはいえず、高曇りに近いくらいのものなのだけれど、もう夏といった感じで大変に暖かい。2週間前の冬から一気に夏になったような感じで、何だかこの国に住む限り春物の服などなくても済むのではないかと思ってしまう。事実今日も、日射しはないに等しいのに半袖で十分の気温である。
昨日の太陽の下では完全に日焼けするだろうし、この苦にはオゾンホールに近く、10〜11月頃は特に紫外線が強くなるぞ、と前にLindaおばさんが言ってたっけ。さて、今日は水曜日ということでRon一家のお供でChchへ。預金口座開設という用件もあるのでちょうどいい。Postbankにしようと思っていたのに、結局BNZに口座を作ることに。Cathdral横のBNZにはRonの長女Janetが勤めているので、カード発行願いと共に口座開設終了。カードは約1週間後にできてくるそうで楽しみだ。
さて、RonがPM Hospitalに行っている間に、自分はお土産屋「アオテアNZ」でバイトしている(はずの)Kさんのところに顔を出す。最初わからなかった。なんでもKさんは来週休みをもらってQueenstownのほうに(また)遊びに行くらしい。それはともかく、ここで働いてる日本人、どうみても観光客には見えない自分には妙によそよそしかったな。変なプライド持つのはやめようよ(自分がそう感じただけかもしれん)。
さて明日はまたAkaroaだ。問題はこのPaintingの仕事がいつまで続けられるのかということだな。どうも農場の仕事はすぐには回ってきそうもないし。今の仕事は悪くはないし。
9月28日 曇り
あれよあれよという間にというのか、月日のたつのは早いものでもう9月も月隠り近く。日本の山ではそろそろ紅葉である。紅葉といって思い出すのはやっぱり山形の朝日連峰だな。もう日本を出て4ヶ月半なのである。
再びAkaroaへ来てみると、Wendyさん、来週手術をするので2週間ばかり家を空ける、とのこと。その後また続けて欲しいというのでこちらにはどうしようもない。言われるがままにするだけだ。どうしたのかなあ。見た目には全く健康そうなのに。Wendyさんの話によると、このあともガレージの扉やら外側やらと、いろいろまだ塗りたくるところがあるようなので、少なくともあと1週間分の仕事はあるのだろう。その間はまたPB滞在かな。
今日は天井塗りに明け暮れる。何たって腕をずっと上げっぱなしだから手は疲れるし、ペンキはトレーナーの袖にへばりつくし、脚立の上で無理な格好をしつつ細かいところを塗っていたら、羽虫が耳の付近で日本の蚊と全く同じ羽音で飛びやがるので真剣に腹立てた(立てても仕方ないけれど)。
手紙を書きたいが面倒くささが先に立つ。実はこのあとのTV「Flying Doctor」が見たいのだ。
9月29日 曇り時々晴れ
天気予報ではほぼ晴れるだろうと言っていたが、やはり一日中どうもはっきりしない天気。やはりこのあたりはChchとは天気が違うからなあ。天井塗りは午前中で終わり、午後はガレージ扉の塗料削りとSanding(サンドペーパーがけ)。およびこれは内緒であるが、わが愛車323の後部ドアにぽっかりあいた穴へのパテ埋め込み工事もおこなった。一応ていねいにやったつもりではあるが、もともと車用ではないから、果たして雨に耐えられるのかどうかはわからない。たぶん駄目だろう。Mt.Cookの柳沢さんが「パテならどこでも売ってるよ」と言ってたが、Mitre10にもどこにもそれらしきものは見あたらんぞ。ま、Akaroaでできることといったらこれくらいしかない。今度Chchに行ったときは探してみよう。
今日の夕食はFish'n Chipsである。ワインも1杯もらった。Pall Mall(タバコ)は一箱$4.00に値上がりしたのだろうか。
9月30日 快晴
今日はひたすらに天気がよい。Abel TasmanのMさんは今頃いい思いしてるんだろうかと一瞬考えたが、さらに考えてみたらもうそろそろ帰ってきてる時期だ。何にしても暑いくらいの陽気で、「車にエアコンつけようか、でも高いんだろうな」などと、あくまで一瞬ではあったが考えてしまった。
悲しいお知らせだ。やはりWendyさんは来週あたまから入院、DavidもChchに行くというので、その間は仕事もなし(家はロックする)。この時期のブランクは夏の遊び期間がそれだけ短くなることを意味するのでちょっと悲しいがやむを得ない。Wendyさんは「Akaroa Mail(Akaroa Districtの広報新聞のようなもの)に広告出してあげようか?」といってくれたが、Ronが「農場の仕事を紹介…」といってくれていたことが頭から離れていないので躊躇する。
今日は午前中で仕事を中断し、PBへ。行ってはみたものの、Ronから新しい仕事云々の話の気配は全くないので、もはや腹をくくった形だ。今Ronはバーベキューガーデンおよび新しい浴室の製作に取りかかっている。なかなかの大事業だ。20mはあるであろう大木を切り倒すところから工事が始まるというのだからスケールがでかい。
とか何とか書きながら、「やっぱりAkaroa Mailに求職広告出そうかな」という気にもなってきた。
聞いた話では、Wellington〜Pictonのフェリーは9/26からずっとストで決行が続いているそうな。