1989 ワーホリ日記 10月


10月1日 晴れ

さて、今日を持って一連のペンキ関係の仕事はいったん休止ということになる。良い天気であり、ガレージ前での作業は大した重労働でもないにも関わらず汗がしたたり落ちるほどのものであった。そこでビールを飲みながらの優雅な作業となったわけである。しかし飲みさしのビールは、何だか気が抜けたような変な感じである。この国の良き習慣である、ビールの容器持ち込み買いは確かに安くて(2リットルで$5!)便利で経済的(ビン・カンのゴミも出ない)なのであるが、飲みかけの保存に難があるとの結論に達したわけだ。一昨日いじった車の穴ぼこにパテを塗り混んだ作業であるが、どうも説明書きを読む限り耐水性もありそうなことが書いてある。そこで、アンダーコート用のペンキを塗ると同時に裏側からも補強工事をした。どうも雨水はこの裏側からしみこんできていたようなので、これでばっちりになるんではないかと期待してしまう。

もちろんこれらの作業は休憩時間中の話である。

夕方になり、タバコを買いに行くついでに散歩に行く。Tシャツにビーサンで歩き回れる季節になったわけで、何とも喜ばしい。と思いつつ歩いていたら、何とこの町を「歩く」のは初めてだということに気がついた。歩いているといろんなことがわかってくる。これまで車窓に流れるだけの景色だったものが、そうではなく「本当にそこにあるもの」として目に映ってくるのだ。明日からは再びPBでの生活に戻る。やっぱりWendyさんの言うとおり、Akaroa Mailに求職広告を出してみよう。

それにしてもいい季節になったものだ。湾内でカヤックをやっていた。教えてもらえないかな。

10月2日 晴れ

さて、PBに行くつもりが、なぜかもう一日ここで仕事ということになった。どうやらDavidがもう一日ここに残るからということのようだ。バイト代のことを全面的に管理していたWendyさんが予定通りChchに行ってしまう以上、Wendyさんにこれまでの給料についてもう一度確認を取っておいた。ただ今、財布の中の残金$5。

もっとも今日の仕事はペンキ塗りにあらず、なんと相当に古い家(というかあばら屋)の解体・廃材の焼却であった。板葺きの屋根をバリバリと壊し、すぐ脇で燃やしてしまう。しかし、板葺きの屋根なんて相当に古いな、天井も妙に低いし…と思って聞いてみたら、100年以上前に建てられたものらしい。朽ちかけているとはいえ、いわゆる入植当時の家だったんだ…と思うと何となくもったいない気もする。古い食器なんかも残っていた。しかし、暑い!

床材のほうもひっぺがして燃やす。ダンゴ虫みたいのが大量に張り付いていたが、容赦なく燃やす。おそらく1000〜2000もの命を一瞬のうちに奪ったような気がする。ついでに地バチの巣も壊してしまったようだ。

ちなみに今日自分が着ていたTシャツはWellingtonの古着屋で買った物なのだが、よくロゴを見てみると「Ask me about the telephone number」だって。何とも間抜けでナンパなハワイ産のシャツだ。

昨日同様仕事が早く終わったので散歩に出かけるが、昨日よりからだがばてていた関係上、結構疲れた。途中、Fish'n Chipsの包みを広げているおばさんに出会い、急に食いたくなって買ってしまう。これで手持ちの現金は$1.60くらいになった。

子猫にエサをやりつつ海岸沿いのベンチに座って食べるFish'n Chipsは、疲れと夕陽とが加わって何ともいえない気分だ。カヌーはHireありということがわかった。

10月3日

9/28 11:00〜18:00(7h)
9/29 9:00〜18:15(9.25h)
9/30 9:00〜12:00(3h)
10/1 9:00〜16:00(7h)
10/2 8:45〜16:30(7.75h)     34.5h $172.5

上表の172.5ドル、いや実際は小切手(Davidが書いてくれた)を握りしめ(ってほどでもないか)、AkaroaのBNZへ。これで預金は$540になった。最低あと$1500は貯めておきたい。そうすれば---と書いたところで、いやそれでも明らかに足りない---ということにも気がついた。やっぱりLottoで大物をあてるのが一番か。でもこのあとの仕事は未定で、今日からは再び居候の身だ。結局Akaroa Mailには頼んでいないままである。

PBに戻る。Ronは家の裏側に新しいバスルームとトイレ、そして庭を造るのだと張り切っている。明日は邪魔になる木を切るのだと言っているが、明日はあまり上天気とはいえない予報が出ているのでどうなることか。Ronの次の通院(Chch)は金曜日ということだ。タバコの買い置きは1箱しかないのでたぶんもたないだろう。吸いたくても吸えないときに自分がどうなるか楽しみだ。間違ってもDuvauchelleに買いに行ったりしないようにしよう。

それにしても最近タバコ(いつの間にかPall Mall Lightが自分の定番になった)が値上がりしたのだろうか、どこでも$4だ。前は$3.85だったのに。腹立たしいことだ。今回はビールの買い置きもないので禁酒ということになる。飲みたくなるだろうなァ。

今日から連絡船も動き出したということだ。

10月4日 雨、風強し

ずっと雨も降らずに来ていたと思ったら、しっかりと風つきの雨。おまけに随分と冷え込み、暖炉は大活躍である。

何だか今日は疲れた。仕事自体はもう慣れたものなのだが、何しろ時間のたつのが遅く感じる。原因は…と考えてみたのだが、その一つには「音楽がない」ということもあるのかも。

今日の仕事は「居間とその隣の部屋の壁を全部(ドア脇の柱も含めて)とっぱらって一つの部屋にしてしまおう」というものなのだが、家を支えている土台柱がどれなのかはRonも知らないというのだから恐れ入るというか恐ろしい。どうやらドア脇の柱は「肝心の支柱」というわけではなかったらしく、家は壊れずに済んだ。

(1999注:今も思い出すだに恐ろしい賭けであった。この点は日本人には決して真似のできない、いやしたくないアバウトさだな)

部屋は確かに広くなった。でも何だか広すぎないか?おまけに部屋が広くなった分、暖房の利きが悪くなったようで無性に寒い。吉田兼好が「家の作り方は夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる」と言ってたが、やっぱり寒いのはきついよね。今回の壁ぶっこわしで廃材が大量に出たので、当面マキには困らなくなった。

ところで今日はAir NZが24hストをやっていた。ついこの前まで連絡船がやっていたわけで、春闘みたいなもんなのだろうか。マヌケだったのは、スト中にもかかわらずTVでAir NZのコマーシャルやっていたこと。今日乗る予定だった人は、あれ見たら怒るだろうな。

10月5日 雨、風強し

考えつかれると日記を書くのが大変億劫になる。これからのアソビの予定(トランピングを中心とした)と資金のことを考えていたらもう22:00を回ってしまった。

今日も天気は悪かった。朝、道にむけて傾いてきていた老木は、どうやらその後すぐにブッ倒れたようで、道は見事にふさがれた。しかし腐りかけていた木だけあって、トラクターによって一も二もなく脇に押しのけられてしまった。

* どうもこの頃車のラジエーターの働きが悪いと思っていたら、それもそのはず冷却水が相当減っていた。

* BNZのカードは1週間以上たつのにまだ送ってきやせん。いい加減にして欲しい。取られたんじゃないだろうな。

* 今TVでやっている事件再現番組はやはり良い趣味とはいえない。さまざまなことが入り交じって腹が立つ。

* これからの予定について、いやトランピングについて考えてみた。問題のルートバーンだが、WanakaからQTを通らずに抜けるトランピングルートがあるのを発見。よしよしこれだと喜んだのも束の間、途中10h以上Hutのないルートだということを知り、考えてしまう。何にせよ、クリスマスあたりから動きださんことにはどうしようもない。

以下、予定は未定。

Chch--Nelson(Abel Tasman)--Nelson Lakes--Greymouth--Arther's Pass--Greymouth--Westcoast--Wanaka--Te Anau(車を置いて)--Wanaka--Mt.Aspiring N.P.--Routeburn Track--Te Anau--(Milford ,Hollyford ,Kepler ,できればDuktyも)--Invercargill( Stewart Island )--Mt.Cook--Chch→車を売る→オーストラリア→Auckland

12月半ばには動き出す!

10月6日

10月になってしまったと先日書いたような気もするが、春という実感が湧かない。やっぱ春は4月じゃなきゃ!ここ数日の寒さは今日も相変わらずだ。明日の予報、このあたりは雨でNelsonのあたりは晴れでウェリントンがやっぱり雨だという。悲しい。もっとも週末はこっちも晴れてくるそうだ。

今日は病院へ行くための運転手を、ということであったが、この寒さゆえFirewoodの需要が復活したらしく、Sumnerに在庫として置いてあったマキも配達した。その搬入をめぐって、RonとLindaおばさんが大口論となってしまった。15:00にRonが病院へ行き、16:30に待ち合わせをしている間に、残り10袋をどうして運んでおかなかったのかと起こるRon。でも、一番の原因は自分にある。Ronを病院でおろしたあと、Lindaさんに「髪の毛を切りに行きたいので時間を下さい」、と頼んだのは自分。そのため時間的に無理が生じたわけで、Lindaさんが責められる筋ではない。もちろんRonに「いや、悪いのは自分なんです!」と言ったつもりなのだが、感情が高ぶっているせいか、Ronの怒りは相変わらずLindaさん一人に向けられているのだ。こういうときの仲裁の仕方を自分は知らない。自分が言えるのは「いや、Lindaさんは悪くないんだ、自分が悪いんだ」という台詞ばかりなのだ。

Ronは「だいたいお前はどうも最近おかしいぞ!」と大きな声でどなる。こう一方的に言われたんじゃLindaさんも言い返すしかない。

と、ここまで書いたところで再び大喧嘩になってしまった。

(中 略)

結局、Lindaおばさんは数日間この家から離れることに。

当たり前のことだがこんなことになるなんて思っても見なかったし、そしてさらに今回の一連の流れの発端の原因は自分にあると思うと同時に、もうみんなに申し訳なくてたまらない。本当に、なんてことなんだ !! Lindaおばさん、大丈夫だよね!彼女が1日も早くもとのようにここに戻ってきてくれることを真剣に祈っている。

Ronは一番複雑な立場だろうに、そんな表情一つ見せずに気丈に振る舞っている。強い人だな、と思う。Tracyもそうだ。それに比べ、自分の弱さよ。

(1999注 この一連の出来事については、結局一時的な問題で済みました。もちろんその後この家にもどったLindaさんはもとの通りの優しさを取り戻して、「あの時の自分はどうかしてたわ」とおっしゃって下さいました。この日の日記も書くのはためらわれたのですが、「自分のミスがもとになって起こってしまった大事件」として記載したつもりですのでご理解下さい。)

10月9日 晴れ

数日続いた嵐の天気もどうやら終わり、今日は久々に暖かな日ざしの一日となった。午前中、まだ天気も回復し始めたばかりの頃、勝手口のドアの下部を細工してネコ出入り用ドアを取り付けることになった。一応できあがったドアを、本当に猫達が通ってくれるのかを確かめたくて、実際にエサと猫の鳴き声を真似て真剣に(!)呼び寄せようとするRonの姿は何ともいえず面白い、といっては失礼だが、日本の50過ぎの恰幅のいい男の人があんなふうにやったら、逆に変なふうに見られるんだろうな、と思ってしまう。それではどちらが自然なのか、といえば、やはり自分はRonのほうだ、と思う。人目を気にするというのはある面で美徳であることは確かだが、人目を気にしすぎ、逆に異常なまでに外見や人聞きを気にするというのは明らかな弊害の部分だと思う。その点で言えばこの国の人々はすばらしい。自分がどうしたいのかを知っていて、それを恥ずかしいとも思わずに行動に移し、またまわりの人たちもそれを当たり前のこととして奇異の目を向けることもない。もちろん、それによる弊害もないわけではないのだろう、とは思うのだが。

昨日からサマータイムが始まり、1h時間が繰り下がった。おかげで19:30頃まで明るい。今日の午後は車の水漏れ源とみられる後部ブレーキランプ周辺を修復した。次の雨が楽しみだ。

今朝はガレージでポッセムを生け捕りにしたが(こっちでは害獣扱い)結局逃げられた。残念。

10月10日 曇り時々晴れ

今日は何というか、肉体的というよりも精神的に疲れてしまった。Ronの運転するトラクターが泥地にはまりこんでしまい、初めのうちは脱出の方法を、ああしたほうが、いやこうしてみたら、というように落ち着いて話してもくれていたのだが、抜け出せずにもがいているうちにRonも本気で怒りだし、自分に命令する口調もほとんど喧嘩腰に。自分も初めのうちは「Ron、怒ったって抜け出せるわけじゃないんだから…」と内心穏やかではいられたのだが、そのうち、状況が全然改善しないこと+Ronの口調に腹を立て始めてしまった。相当いらついた揚げ句、自分のめがねをどろどろの水流の中にこのやろっとばかりに投げつけてしまった。その瞬間Ronは冷静に戻り、「おいTake、何をするんだ!」。自分は自分で「大変なことやっちゃった…」とわれに返るありさま。何たって、投げ捨てたところは深い泥水の小川の中なのだ。慌てて探し、数分後にめがねは少し下流で無事発見された。

その後トラクターは無事に脱出し(隣家のトラクターを呼んで引き上げてもらった)、全ては一応解決したものの、自分の中には自分に対する腹立たしさばかりがいつまでも残った(今でも残っている)。

10月11日 曇り

Lindaおばさんの所にTracyと二人で顔を出しに行く。おばさんはもうほぼ普段の冷静さを取り戻していた。

Pigeon Bayへの帰り道、Tracyを乗せながら「ここ数日の自分は駄目だ。」と思う。すぐにいらつくし(原因は自分なのだが)、このままではまわりにいやな思いをさせるばかりだ。家に帰った後、Ronに「明日から数日でいいから休みが欲しい」と申し出る。少し頭を冷やしたい。現実逃避とも言えるだろうが、これも旅行者の特権か。

10月12日 晴れ時々曇り

というわけで、Chch経由でTekapoまで。Chchに行ったのは、BNZのキャッシュカードの暗証番号登録のため。…のはずだったが、せっかくならついでに$1600はいってるANZのカードも作ってしまおうと思い立ち、先にANZへ。BNZのカード作成システムが「申し込み→カード郵送→支店にて暗証番号登録」で、約2.5週かかったのに対して、ANZでは、何と待つこと十数分で暗証登録まで終わってしまい、カードも発行された。1週間程度でコンピューター登録も終わるから云々ということでかなりスピーディ。

ところでいきさつはどうあれ、久々の遠出である(稼がなきゃいけないはずのこの時期に無駄な出費といえないこともないが)。車もうんうんうなり出す。どうも110kmを越えるとハンドルがビビリ出すといった感じで、非常によろしくない。以前は120kmでビビリ出したのだ。10kmの差は、少なくともこの国では大きい。

ともあれさすがに春で、1号線沿線に咲く菜の花や、8号線に入ってからの木々の新緑はなかなかによい。日ざしが強いので、運転中引っ込めることのできない腕が少々暑かった。時折降る通り雨的にわか雨も今日ばかりは心地よかったものである。

明日は久々にMt.Cookに行って、Alpine Guideの柳沢君と酒でも飲もうか(むこうの都合考えてないな)。ついでに、天気次第だがRed Turnにも登ってみようか。

10月13日 曇り時々晴れ

Mt.Johnに登ってからMt.Cookに行くという日本人を待って洗濯などをこなしているうちに、出発は13:30頃になった。洗濯は思い立ったのが遅かったこともあって乾ききるはずもなく、結局乾燥はクックのYHAのドライヤーで行った。3度目のクックはそれほど天気が良くない。柳沢君にMt.Cook Guided Climbingのことなど聞いたりして(もちろんその後飲んだりして)一日が終わる。今日の宿泊はキャンプ場は避け(前回そこへ行く道でパンクしたので)、Tasman氷河方面の橋を渡ったあたりで車中泊。夜中は雨であった。

10月14日  記述なし

10月15日 雨(Mt.Cook)、曇り(Dunedin)

8号線からOamaruに抜ける道を通るのは初めてであったが、途中ダムに寄ったりして結構面白かった。このごろ、菜の花のおひたしを食べる習慣が身に付き、道ばたに生えている菜の花を見るとついつい車を停めてしまう。

なぜかもともとは行くつもりのなかったDunedinに行ってしまう。ここで何とM.M.さん(Akaroaで一緒だった)に出会う。彼女は12月にRouteburnへ行くことにしたらしい。

金の無駄遣いが甚だしい。以て自戒すべし。

10月16日 晴れ Dunedin〜Queenstown

ついついここまで来るとQTにまで行きたくなるのであった。途中Alexandraで久々にヒッチのお客さん(金もらわないのに「お客」っていうのも変だな)を乗せ、しばしバンジージャンプを見物した後QTへ。3リットルカスクワインとビターを買い込んだのが運の尽き。数人での宴会が始まる。うち一人の着ていた、パラグライダーのイラストというか刺繍の入ったパイルジャケットはなかなかによろしい。$180は確かに今の自分には相当に高いが、いつかは欲しいと思っていたタイプのものだし、買っていこうか。

ちなみに、昨日の日記に「金遣いが云々」と書いたが、実はあれを書いたのは今さっきのこと。舌の根も乾かぬうちに、とはまさにこのことだな。

宴たけなわになり、女の子が一人飛び入り参加。YHで働いているらしい。この夜もよく飲んだぞ。

10月17日 

本日は少しでもChch方面に戻っておかねばならなかった!なぜならAkaroaのWendyさんに「水曜の夜に(Akaroaに)帰ります」と約束してしまっていたからだ。しかし朝起きると強烈な二日酔い。何度も戻した(内容物ゼロ)のだが体調は最悪で、早々に「本日は停滞!」を決心する。おまけに天気も悪い。何てこった!

明日はおそらく500km以上走らねばなるまい。今日はそのための休養だ、と思うことにする。昨日ボブスヒルから下りてくるときにくじいた足が(真っ暗闇の中コケたのだ)思いのほかの痛さである。全く自分は何をやっているのであろうか!まさに、悶々と過ごした一日。QTに来るといつもこんなのばっかりだ!

(1999注 当たり前ですが悪いのは自分なんですよね(^_^;))

10月18日 QT〜Chch

どうもはっきりしないような天気だが、まあ大崩れすることはあるまい。9:00出発ということにしてYHに朝飯を作りに行くが、昨日までの知った人間は誰もいない。

(1999注 この文面から察するに、今回の旅行は全て車中泊で済ませていたようです。ようやるよ。)

さびしく出発。タバコばかり吸いつつ行くが、Road Atlasの間違いでWanaka方面へ25kmほど迷い込んでしまい、このままWanaka経由で帰ることも考えるが、さらに大回りになることは目に見えていたのですごすごと戻る。次はもう引っかかんないぞ!!

どうも昨日から車の調子が何となくおかしいので、途中の峠越えあたりでは慎重にそろそろと、車をイタブらないように行くことに。そういえば右前輪のタイヤの溝もほとんどないぞ。TwizelでFish'n Chipsをかじりながら、「この前クックの柳沢君が話してた『アルパインガイドの下っ端アルバイト』、やっぱり紹介してもらおう!と思い立ち、Mt.Cookへ。しかし、聞くと「3月末まで働いてもらわなきゃ雇えない」という条件があるということであえなくパス。

今日もMt.Cookは見えず。新婚ども、ご生憎様。

Chch方面に戻るガスシェアしてくれそうな旅行者を捜すが誰もいない。Tekapo発15:30。途中雹にも降られつつもTimaruへ。突然第六感的にいい予感がしたので、Instant Kiwiを9枚買うが、$2が一枚当たっただけ。この頃からさらに低速時のノッキングが激しくなったため信号で止まるともうメタメタ。今日はChch泊まり。明日Akaroaに戻るが、最後まで走ってくれるかな?

10月19日 Akaroaへ

朝、車の調子はそれほど悪くないように思える…、と思っていたのはHalswellのあたりまで。そこからは徐々におかしくなり始め、Hilltopで休憩したはいいが、車が動かない!アイドリングはちゃんとしてるだけに悔しい。半クラにして発進しようとするとノッキングしてしまうのだ。Hilltopからは止まらないようにして一気にAkaroaへ。どうもエンジンが完全に暖まるとおかしくなるような気がする。やはり昨日QTから一気にChchまで戻って来るんじゃなかったな。

結局、ペンキ塗りの続きの仕事は16:00〜18:30だけ。仕事後部屋でくつろいでいたら、近くのおばさんと一緒に、オサム君という日本人が現れて驚いた。

10月20日 晴れ

天気が良く、午後の仕事はやはり暑い!と思っていたら、昨日のオサム君から電話で、ちょっと車を出してくれないか、丘の上まで行って仕事なのだが(彼はファームステイ中)、トラック一台じゃ人間の力らこっちのトラック一台じゃ人間乗りきれないんだ、とのこと。こっちも、昨日あれから彼のステイ先のDinnerにおよばれした恩もあり、三つ返事で了承(なぜ三つかというと例の車の調子があるからね)。

で、言われた時間(16:30)に車でリンおばさんの家に行ってみると、なぜか車は不要になっていた。オサム君はもう仕事は終わりで、彼と同じく居候のJeff君(25才のNew Yorker。昨日の夕メシではカニをいやというほど食べておった)とリンさんとの二人で丘の上に行くことになっていた。で、自分はどうすればいいのだ?と思っていたら、リンおばさんは「せっかくだから日本人同士の話でもしていなさい、Pubに行ってもいいわよ、夕食のウサギはオーブンの中に入ってるから」という。何となくこっちもその話に乗ってしまい(最初は彼を車で送ったらペンキ塗りに戻るつもりであった)、ビールを買いに行ってしまう。

またInstant Kiwiくじ(2枚)を買った。$10000が2つまで出たのだが…

このオサム君と話しているうちに、日本でしていた仕事の話になった。何と彼は千葉県庁君津支庁に勤めていたそうで(木更津ホームセンターのすぐ近くだったそうだ)、下宿は清見台東(富士見ラーメンのすぐ近く)だったそうだ。木更津駅西口のイケスつきの「庄屋」や山幸食堂まで知っていたのでびっくり。世間は狭いものである。

(1999注 ワーホリに出る前のTakemaは千葉県木更津市で2年間働いていたのでした)

10月21日 晴れ

車の調子がよいのでかえって不安。とはいっても、たとえばDuvauchelleまで往復しただけでまた調子は悪くなるだろう。素直にガレージ(ガソリンスタンドの)に持っていこうという気になっている。そのためにも少しでも稼がねば。今日は午前中、まだ日の当たらぬガレージの本塗り、午後は日の射さぬ南向き(南半球だから)の部屋でペタペタ、とまあ、少々陰気な気分でもありました。またビールを買ってしまう。節制はどうした?

Work : 9:00 - 16:30

10月22日 晴れのち曇り

明日はレイバースデイ(勤労感謝の日)ということでNZerたちは3連休。Akaroaの街も賑わっていたし、天気もまずまずだ。

Pigeon BayからTELで小包と手紙が届いたというので、あ、もう登山関係の装備が届いたかと思い、調子の良くない車で行ってみると、小包の中身はなぜか日本食関係ばかり。あれれれ?と思いつつ(何せまだ日本食はあり余ってるものね)手紙を読んでみると、山用品は10/6に船便で送ったとのこと。それを見たLindaおばさんいわく、「今、船便は例のストの影響でどれくらいかかるかわからないわよ」。泣きっ面に蜂だ。おまけに源氏物語の中巻も入っていない(見つからなかったのだろうか)。ちょっと悲しくなってしまったのでありました。

15:30過ぎにオサム君がお別れを言いにきた。彼は今晩これまでとは別のFarm Hostel(居候ではなく宿泊代を払うやつ)に一泊し、明日Chchに戻るそうな。再会を祈りつつ別れた。

しかし今日一番の難関は、左下奥歯がズンズンと痛むことにある。ここは金歯をかぶせたところで、触ってみても虫歯の穴はないようだし、それにしてはぐらぐらしている気もするし、歯痛の精神的イライラを久々に味わっている。ビールを飲めば直るかという目論見は完全にはずれた。明日には直っていてくれよ。あーくそ、赤ん坊の泣き声が歯にしみてやかましい!

Work : 12:00-15:40 , 16:10-19:00 : 6.5h

10月23日 日記記載なし

10月24.25日 

全くもって歯痛の威力というものは凄いものである。何やっても仕事が手につかない。いやつかないというのではなく、没頭できないのだ。例えば手や足に同じような痛みを感じているとしてもこれほどまでにイライラすることはなかろうに。薬も飲んだ。くさるほど飲んだがいっこうにおさまらない。いや、ほんの一瞬ほど、おや、痛みが少し引いたかな、と思うことはあるけれど。

仕方なく今日も少々暇をもらい、祖母から送られた(荷物の中に入っていた)五井昌久氏の本を読む。「生かされている」という表現には共感を覚えた。ただ、「神によって生かされている」と説く五井氏の本であるのに、周辺の声として「五井先生は神様だ」ということばをそのまま載せてあるのはどうなのか?一歩譲って、五井氏が我々衆生と「神」とを結びつける存在であったとしても、そんな彼はあくまで人であって神ではない。五井氏の奇跡!的説明についてもどうも…

いつか読んだ本(宗教的な本ではなかったと思うが…)に書かれていた「奇跡は事実として起こし得るが、人は奇跡によって宗教心を起こすものではない」という意見のほうに同調する。まあいいか、自分にとってそうだと思う部分だけを自分のものとすればいいのだ。

(1999注 こんなことば、すっかり忘れてた…(^_^;どの本に書かれていたのだろう?)

とにかくこの歯痛には参る。歯医者になんか行くもんか!(保険きかないし)と心に決めていたが、3日過ぎても全く良くなる気配も見えないので、費用の不安はあっても、明日行くことにした。はからずも旅先であることの不安が一気に露呈した3日間であった。うーむ。

ちなみに、今日Wendyさんの家のすぐ上にあるRexさんの家の手伝いを紹介され、1hほど枯れ草をまとめる作業をしたがすぐダウン。痛い痛い痛い。

10月26日 晴れ

ただひたすらに良い天気の中での屋外作業であった。今日一日でまた少しは焼けたはずである。昨晩は歯痛が絶好調に達し、真夜中に薬を飲みつつ本を読む(寝られる程度の痛みではない)という体験をした。幸い今朝は少しましだな、と思っていたら、痛い歯の外側の歯茎がプクーッと見事に腫れている。歯医者は今日の予定であったが、歯医者の都合で明日に持ち越し。

この日は坂上のRexさんの家で芝刈りに励んだ一日であった。このRexさんの家に限らず、こっちの犬(牧羊犬)は本当に人なつっこい。持参の本「安吾新日本地理」の一項に「日本犬はすぐほえるが外国犬はそんなことはない、彼らにとって人間は友である」という一文があったが、確かにNZで出会った犬にはそのままあてはまるかもしれない。おそらく日本に帰ってからはまた犬嫌いになるだろうが。

Rexさんの所の仕事代金も、Wendyさんがまとめて払ってくれるという。そのRexさんが羊の尻尾切りの仕事を紹介してくれるというので色めき立ったが、Wendyさんにそのことを話すと笑っておった。こっちではやはり余りよい(好まれる)仕事ではないのかな。でもやりたい。仕事が増えてきたぞ!一過性かもしれないが。

10月27日 晴れ

ここのところ曜日の感覚がない。

今日は11:30に歯医者!という肉体的かつ金銭的恐怖が待ちかまえている。でも、直さねばこれからの半年がどうしようもなくなることはわかっているので、意を決して行ってみる。場所はAkaroaの学校の敷地内にある。保健室の延長みたいな建物だ。何と初っぱなからレントゲンを撮られ、こりゃ大変そうだ(お金が)と思っていたら、どうも細菌(バクテリア)が歯茎に入り込んだためにこのような惨状を呈しているのらしい。海外生活会話集(短期編)がたいそう役に立ち、応急処置だけしてもらう。といっても、これが結構痛かった(麻酔なし。もっとも麻酔するほどたいそうなものでもなさそうだ)。薬を処方してもらう。「日本に帰ってからきちんと診てもらいなさい」というので「でもまだ半年後なのですが」といったが、「たぶんNo Problemでしょう」とおっしゃる。うむむ。治療代のほうはWendyさんが払う(=Wendyさんがバイト代からさっぴく)ということのようらしい。

(1999注 結局治療代は全く請求されなかった。かかったのは処方箋代とそれにかかった薬代$25くらいだけ。あれくらいじゃ「治療」ではなかったのか、それとも旅行者に対するお医者さんのサービスだったのかは今もって謎である。みなさん、歯の治療代は旅行保険の対象に含まれません。出発前に日本できちんと直しておきましょう!)

そのあとはRexさんのところで再び庭の芝刈り。庭が本当に広いので(しかも傾斜してる)とても時間がかかる。坂でマシンを操りながら(自走式ではあるが)の作業は見事に全身を使う作業で身体中が痛い。休憩時、マシンを止めてタバコを吸うときに両手がビリビリふるえているのがわかる。なるほど、白蝋病とはこれを長く続けた場合になるのかな、と妙に納得するのだが、せいぜいこの数日では何ということもないはずだ。

ヨウコさんという人(それ以上は聞かなかった。オサムくんと同じリンさんFarmでwork Exchangerとして数日滞在してた人)と一緒にLe Bons Bayまで冷凍ミルクを取りにいったが、少々変わった人で、彼女が乗るChch行きのIntercityのバスを見送ったときに投げキッスをよこしてきた。どういう人なんだ?ほんの数時間一緒にいただけなのに。

10月28日 晴れ

今日も天気がよい。と同時に、あれほどまでに苦しんだ歯痛、いや歯茎痛はほとんどとれてきて、夜にはもうほとんど痛みを感じない(歯を食いしばっても)ほどにまで回復した。薬(抗生物質だろう)のせいもあるだろうが、あの歯医者(女医さん)の的確さに感謝するばかりだ。これがもし日本だったら「直って当たり前」と思うだけだったろうが、一応異国のここAkaroa、しかも2日前にはやはり旅先の不安をひしひしと感じただけに本当にありがたい。

昨夜はYHに泊まっていた日本人と酒を飲んだ。今日は午前中はペンキ塗りだったので(かけ持ち作業なのだ)、窓の外を見つつ「ああ外は気持ちよさそうだなあ」と思っていたのだが、やはり見ると実際とでは大違いで、午後Rexさんのところで芝刈り作業に出たら大汗だらだら。これほどまでに汗が出るのはやはり日ざしの強さのせいか?そのため大量に水なりビールなりを摂取するのだが、ほとんど尿意を催さない。今日は17:00ころ、調子の悪かった芝刈り機がいよいよだだをこねて動かなくなったので終わりとした。土曜日ということもあり2家族が泊まりに来ており大変ににぎやかである。しかし、もしかして今日は夕メシを逃したか?

10月29日

今日はここの赤ん坊の誕生日ということでお客さんもたくさんいるから仕事なし(2時間だけ働いた)。豪勢なパーティ用昼飯を食うと、ワインのせいもあって(この頃本当に弱くなった)急激に眠くなり、何と昼寝(14:30-19:30)をしてしまう。おかげで今夜はいまだに眠れない(0:20)。

10月30日 雨

前夜眠れないと書いていたのがまるでうそのように、今朝はしっかり寝坊してしまった。今日は曇り時々雨といった感じで少々肌寒い。今思い出したのだが、去年の今日は北アルプスの徳本峠に行ったのだった。確か今頃(現在の日本時間15:45)はようやく明神あたりに下りてきてカレーを食ってた頃ではなかろうか。あの山行は一人だったけれど、ナカナカに思い出深いものがあるなあ。峠の吹き溜まりは胸あたりまでのラッセルで、紅葉山行が一転して冬山だったっけ。あの山行が新たな自分に生まれ変わるためのきっかけになったような気がする。翌日はバスが動くまでの間(あの時は雪で車が動かなかったので)、誰もいない上高地を一人で散策したっけ。時のたつのは本当に早いものです。そして来年の今頃、自分は一体何をしているのだろう…

10月31日 晴れ

二日ばかりちょっと天気がぐずついたと思ったら、今日はド快晴。金曜あたりまでずっと良いとか。また焼けそうだ。今日は、昨日の残りのペンキを塗り、裏の草刈りをしようと思ったが、ここの芝刈り機もどうやっても動かないので諦め、Rexさんの所に行ったが本人がおらず仕事は明日以降ということになり、そんなわけで14:00以降はただひたすらにボケっとするだけであった。

それにしても日ざしが強い!ひなたぼっこしようという気が失せるくらいに暑い!日本のGWの春山の比ではないねこれは。

明日はRexさんのところで仕事をするつもり。尻尾切りの話はまだ生きているのだろうか?