1989 NZワーホリ日記 12月
12月1日 晴れ時々曇り時々雨(要ははっきりしない天気だ)
今日で完璧に終わるかと思ったSprayingは、3タンクやったにもかかわらずまだ終わらないのである。少なくともあと2タンクは必要なのではないか?それにしても丘上からの眺めはすばらしい。明日が最終日になるだろうから、写真を撮っておこうと一応フィルムを買い込んだのだが、天気がはっきりしない。
12月2日 晴れ
あと2タンク、でも駄目で、3タンク目に入ったところで、オソレてはいたのだがスプレー中に何とトラクターがガス欠。走行中じゃなくてあー良かった。(1999注 急傾斜地での作業、しかもエンジンブレーキを併用しないでは通過できない場所多数だったので、ガス欠=エンブレ効かない=ブレーキの利きは悪い=真っ逆さま、ということですね。)歩いて倉庫まで戻り、ガソリン運んできて一件落着。
RexさんはLions Clubの集まりで対岸にいる。岸辺に軽四駆をつけ、船で迎えに来てもらう。ジェットボート、じゃなかった、ジェットスキーなるものに乗せてもらった。あれなら自分でもできそうだな(今回は二人乗り)。そこでビールを飲み、場所をPubに移してさらにしこたま飲み、さらにはMike Fossiさんの家でBBQとなり、最後はへべれけになってソファで半分つぶれつつ眠りこけてしまった。おかげで今日(12/3)は少々二日酔いだ。
12月3日 晴れ(Windy)
何もしない日曜日--水上スキーやらんか?の誘いに怯えることもなく--は良いものである。ソファーでうたた寝をしたのだが、うたた寝ができること自体、心が落ち着いている証拠だものね。風が強くて、主に室内にいたけれど、まずは平穏な一日でした。
昨夜、AkaroaのRexさんから「Wendyさんのところで3-4日、自分のところで2日分の仕事があるから、そっちが終わったらまた来てくれ」との電話があった。従って、明日ここでの仕事が終わったとしても、あと一週間はこのBanks Peninsulaから離れることはないことがわかった。少々急がなきゃ。「いい季節」は目の前だ。
1999注 うーん、このころは「仕事がむこうからやって来る」って感じだったんだなあ。恵まれてたなあ。
12月4日 曇りのち晴れ
やっとというか、とにかくここTakamatuaでの仕事は今日で終わったわけである。疲れた…
明日からAkaroaのRexさん・Wendyさんのところでそれぞれ働いて、それが片づき次第Trampingの旅に出発だ。目安として来週の火曜日あたりにはChchで寝ているような形にしたいが、天気にもよるしね。少々厳しいか?
TakamatuaのRexさんに、ここでのPayの支払いについて聞くと、「今度の木曜日にあと半日だけ仕事をしてもらうつもりだから、それが終わってからまとめて支払う」とのこと。$500は名目上達成したが、「お前のTaxナンバーは?」と聞かれてちょっと困った。そんなもの持ってないのだ。そう答えると、「わかった」とのこと。まあ何とかなるだろう。
1999注 結局そのようなナンバーは、ワーホリ中1回も取得しないまま終わった。必要だったのだろうか?所得税は払わずに済んで得だったのだろうか。それとも勝手に天引きされていたのだろうか。いやそんなことはないな。こっちの計算してた時間分の満額受け取ってたしな。今もって謎であるが、ラッキーだったと思うことにしておこう。
こっちのRexさんがあっちのRexさんに連絡を取った結果、明日9:00にAkaroaのRexさんの所に行くことになった。その前にここの庭もやる、さらにブドウの木の剪定もやるぞということで、明日は7:00に起床、すぐ作業ということになった。
今後必要なもの ヘッドランプ、電池、できればもう一つ鍋、地図(現地調達も可)、不要品送り返し、釣り針、燃料ボトル(できるだけ大)、日本酒その他(調子に乗ってたくさん買わぬこと)、それぞれからお金をもらう(総額$700くらい?)、髪の毛を切る、フライパンがあればいらん、一人用マットレス(ない)、スパークプラグ、ホワイトガソリンもう一本、フィルム受け取り
12月5日 晴れ
さて今日からAkaroaでの仕事である。ただし住みかはこれまで通りTakamatuaで、いわゆる「通い」の生活にはいる。これも通勤というのか?
それにしても有り難い。こうも仕事の方からやってきてくれると。しかもいろんなツテで生活費はただだ。部屋代もなければ朝夕のメシ代もただだ(そのかわり夕メシはRexさんの分もつくる。冷蔵庫の中のものは全て飲み、食べていいというおまけつき)。半年前、つまりNZに来たときには、こうも恵まれた状況になるとは考えもしなかったね。感謝の気持ちを忘れるな。昨日もTakamatuaのRexさんが「もう少し仕事をしたければMike Fossiの所に行けばいい」と誘ってくれたのだ。ありがたいことだ。
でも、すみません。今の自分は仕事を切り上げて旅に出たいのです。
12月6日 曇り
それにしてもこの国の天気予報は当たらないね。昨日の予報は雨(実際は晴れ)、今日は快晴のはずがしっかり曇ってる。まあ雨が降らないだけましか。
AkaroaのRexさんちでの仕事はきっちり2日で終わった。畑の手入れだったのだが、草むしりは「むしる」などという生やさしいものではなく、むちゃくちゃ大変だった。もっとも、正確には全部終わったわけではない。やり残した(終わらなかった)場所もあるにはあるのだが、おそらくRexさんのほうで「2日でできるところまでやってもらえばそれでいい」ということだったのだろう。そして今Takamatuaの自宅(おいおい)から彼に連絡をいれ、この二日間の労働時間を報告したところである。給料(たぶん小切手だろう)は、明日から始まるWendyさんとこの仕事に行くついでにもらう予定になっている。さらに明日はここTakamatuaでのお金ももらう予定だから、さしずめ給料日といったところか。
夕飯も食った。あとはこの居間に掃除機をかけ、源氏物語を読んで寝るだけだ。
12月7日 晴れ
午前中(といっても1時間だけ)、Takamatuaの庭のブラックベリーなどにスプレーをかけ、一応ここでの作業は全て終了。あとは彼の出国時までただの居候として住まわせてもらうわけだ。ここでの報酬、$542.50(108.5時間)。午後、銀行に持っていき、全て預金。おかげでAkaroaのRexさんの所の$80が入るまではタバコも変えないという哀れな身の上である(所持金$1、タバコの残りはあと2本)。
16:00から、いよいよ最後のWendyさんとこの仕事開始である。ここでの仕事は3-4日と聞いていたので「まあ来週前半には出発できるだろう」と踏んでいたが、仕事の内容を聞いてびっくり。たっぷり1週間はかかるんでないの?とも思われる壁塗り。うーむ。一週間かかるとして出発は12/14か。ますますもってうーむ。
それはそうとして「このあとトランピングに行く」とほざいたところ、Wendyさんいわく、「夏はめちゃ混みよ、小屋は…」「大丈夫、テントを持ってる」といばったら、「ならバッチリよ」とおっしゃった。こう書いてみると、日本語というのは実にバリエーションの豊かな言語なのであるなあ。とにかく明日からは根つめて働きます。でも、ローラーでやったら意外と早いかもしれないなあ。それにしても4-5日はかかるだろうことは確かだ。
おまけ この日記を書こうとしたときに、なにげなく隣のソファーで寝ているポッセム(猫)に「ニャア」と声を掛けたら、いきなり起きあがってこっちにやってきたので、書くのにえらく骨が折れた。この猫は鼻先をいたるところになすりつける癖があり、口をなめられた。エサはやらんぞ。
12月8日 晴れ
やはり言ってみるものである。Wendyさんは未払い分を快く支払って下さった。しかも「今は時間数がはっきりしないからあとでいい、別に急ぐわけじゃないから」というこいつの言葉も気にせず、言い値の$150をぽんと支払ってくれたのだ。ありがたや。もっとも今朝$20おろしてしまったけれど。
本格的に始まった、再びのペンキ塗りは先行き長しを感じさせる。17:00になって終わったのは窓枠2組だけ。このあと部屋の天井を塗り(メインゲストルーム)、さらに大物の廊下・階段の壁塗りが待っている。大変だぞこりゃ。壁塗りが思いの外たやすいことを祈るばかりだ。Wendyさん、ローラー買ってくれないかな。頼むから。明日はほとんど天井塗りで終わってしまうだろうし…。
明日からWendyさん、例のごとく町(Chch)へ行くという。またひとりぼっちの作業か。ところで今日は第2次大戦の開戦日、1chでパールハーバー云々のTVをやるようなので必ず見るぞ。立場の違った説明を是非聞きたい。さっき「TIME」の最新号を読んでいて、特にオモロイ記事ないなあとページをめくっていたら、最後のページになって、いきなり「フォルクスワーゲンを運転する綾宮」が出てきていきなりびっくり。どうやら彼も「皇居内での」運転を許された模様。警備陣つきだから危なくはないだろうが、彼が一般道を走ることはないんだろうな。それにしても、彼も婚約するくらいの年になってしまったのだなあとふと思ったりする。もっともヒトは人か。
早く終わらせたい気持ちもあるし、おそらく毎日8-9時間はみっちり働くだろうな。今度の給料が楽しみだ。
ちなみに3日ほど前から日没が21:00をまわった。日が明るいうちに夕飯を食べ、シャワーを浴びてソファーに座り、あとは寝るだけという時間になっても明るいのはどうも落ち着かない。
これまでの仕事の結果、手のひらが「まさに農夫」という感じになってしまった。マメだらけだし、土はもはやちょっとこすったくらいでは取れないし。別にいやというのではない。ただ、日本での自分との違いに驚くばかりだ。
12月9日 晴れ
疲れた。首が痛い。用意されたペンキはあまりに色の薄いとんでもないやつで、やっとの思いで天井塗り終えたと思ったら、あまりの色の薄さにムラが隠せず、もう一度だと。おかげでお呼ばれになる予定だったハンギ料理もおじゃんだし、イライライライラしつつ21:30まで塗る。Mitre10の野郎、変な商品売りやがって。いろいろなこと、思い出したり思ったりしたが、まだ感情の高ぶりが収まってもいないようなので書くのはやめておこう。これだけ働いてるんだ、意地でも12/14には出発してやるぞ。今日の肉体労働時間12時間30分ナリ。
12月10日 曇り時々晴れ
昨日「意地でも12/14には…」と書いてはみたが、今日手紙が来て「オーストラリアのビザは、往復航空券と持ち金証明出さなきゃ発給してやらんぞ」ときたもんだ。何だこりゃ。自分は何のためにThomas Cookに$25も出したのかわからんじゃないか。不法なことするわけじゃないんだからさっさと発給せいってーの。大変に腹立たしい。こっちの愚痴を聞いたRexさんが明日クックにTELしてくれるという。わがPassportは今どこにあるのか。Wellingtonか、Chchか。一部でも金を返してくれるのか(無理だろうな)。それにしてもまた予定を変えねばならないではないか。困った。
WendyさんはChchに行った。火曜の夜か水曜に帰ってくるとのこと。昨日の天井塗りは、何とさらにもう1回上塗りした。さすがに3回目の塗りともなると腹を立てる元気もなくなり、神妙に塗った。そしていよいよ明日からは壁塗りだ。Wendyさんが買ってくれたローラーがあるからこれまでよりははかどりそうだ。ただ、取っ手が短いので、明日、上のRexさんところに行って、くわの柄だけを借りてこよう(とれてたのがあった)。ついでに$80のほうも。
Takamatuaの夜も今夜が最後。思えば一ヶ月もお世話になったのですね。何だかそんなに長くいたようには思えなかったけれど、時のたつのは早いものです。明日からはWendyさんの家に寝泊まりすることになる。とはいっても家主がいないのでひとり住まいだ。
今夜はRexさんもまだ帰ってこないし、周囲に家があるわけでもないので、プリテンダーズの曲を大ボリュームでかけている。NZでステレオセットに触るのもこれが最後だろうな。明日、Rexさんと一緒に写真を撮ってから別れよう。
12月11日 晴れ
Rexさんは今日からHolidayである。今日Aucklandへ行き、そこから香港へ、ということらしい。家の前で肩を組んで記念写真を撮り、また会おうと言っていよいよお別れだ。10:30頃Takamatuaを出発し、AkaroaのBankまで行ったところでMさんにばったり会う。彼女は1週間ほどYHでWork Exchangeをするのだという。こっちにも遊びにおいで、といって別れる。自分もあと残り時間3-4日だ。
ここAkaroaに来て困るのは、すぐにビールを買ってしまうことだ。
今日からはじめた壁塗り、予想以上にはかどる。これなら明日中に階段の真上を除いては終わってしまうと思うのだが。甘いか。
12月12日 晴れ時々曇り
昨日の予想にさほどたがうことなく、壁塗りは一通り終わった。16:00少し前にWendyさんからTELがきて「どんな様子だ?」とのこと。「Some Sheets are not very well, because of so rough. But mainly OK.」などということを答え、「早めに終わりそうだからシャワールームのペイント落としとUndercoatだけやっといてくれ」とのこと。18:00頃本職のペンキ屋さん登場。どうしても届かない階段の上の部分をやってもらうためだが、自分のやったあちこちの場所をよく見て「Good Job !」と言ってくれたところを見ると、少なくともさほど悪い見ばえではないのだろう。もっとも自分としては手を抜いたつもりは全くないし、自信作なのだが。随分うまくなったな。
12月13日 曇り
なんと「本職のペンキ屋さん」はハシゴをおいていっただけで、どうやらハシゴだけ貸すからあとは自分でやれ、ということのようらしい。もっとも「危険を感じたらやらんでいい、俺がやる」とは言っていたけれど。しかしそのハシゴ、長いのはいいが随分おんぼろの木製で、不安なことおびただしい。どうしようか迷ったが、いったん登ってみて、その余りの不安定さにそれを使うのは諦め、もともとあったスチールハシゴを横に渡してやることに。何とか終わらせたが、恐かった。
仕事を終わらせたあと、MさんのいるMt.Vernon Lodgeに遊びに行く。話しているうちにこれまた突然、KさんとIさんも来た。Iさんは、例の日本食屋台の太田君所有だったAustinを購入した人で、久々に懐かしい車を見ることができた。太田君は三菱重工関係の会社に勤めているということも知った。もうかえって社会復帰しているとはオドロキだ。しかしこの車、太田くん時代も盗まれたりガラス割られたりして災難続きだったと言うことを聞いてはいたが、所有者が変わってもあいかわらずいたずらばかりされているらしい。厄払いが必要だな。
明日は上のRexさんから給料を受け取り、いよいよ出発を待つばかりだ。Wendyさんの支払いはChchで受け取ることになっている。行くぞ!
12月14日 曇り Akaroa−Chch
長いこと暮らしたBanks Peninsulaともしばらくの間お別れである。感傷的になるかと思ったらさにあらず、Chchに行っているWendyさんからTELが来て、「11:30-12:00のあいだにきてくれ。そこで払うから」とのこと。家の掃除をして、Ronの家に寄って…と、忙しいことおびただしい。おまけに車の調子は最低だし(アイドリングが遅すぎてすぐにエンストする)。Chchに着き、教えられたとおりの番地に行ってみたら、なぜかWendyさんじゃなくてDavidが出てきて小切手を渡してくれた。
そのあと町中のRollston YHにペトロールシェアメイト急募の張り紙を日・英2カ国語で書いて張り、自分はCora Wilding YHに来たのだが、来るやいなやすぐにTELが入り、アメリカ人のシェアメイト確保。出発は明後日だ。Kaikouraまで。
この夜はYMCAで飲み過ぎた。クリスマス飲酒運転特別取り締まり期間中なのでやばかったのだが、慎重に慎重を期してそうっと帰ってきた。しかしYHに戻ってきてから吐いてしまった。ああ!
12月15日 曇り時々晴れ
今後の旅の必要品をさらに買って…と思っていたのだが、ひどい二日酔い。とりあえずほうれん草のおひたしとみそ汁とパンを2枚食べたが、今日はほぼ一日頭の中がぼーっとしていたような気がする。そのかわり夜食は随分気合いを入れた。ツナサラダ、ハンバーグステーキ、炊き込みご飯…。昼飯食わなかった(食えなかった)からな。
車をいじくったら、アイドリングは今までよりはるかにましになった。あれなら大丈夫だろ。夜、年賀状としてはがきを随分書いた。
いよいよ明日出発。10:00にYHA Travel Centre(Corner of Groucester & Manchester St.)で待ち合わせだ。まだ会ってもいないがどんな奴やら。ま、こっちのほうが車の所有者だけに立場が上なだけ気が楽だ。
12月16日 曇り時々Drizzle Chch−Kaikoura
YHAトラベルの前でAmericanのWiseをピックアップし、一路Kaikouraへ。Motorwayを出て、いよいよ!と思ったところが、何とまあ後ろのハッチバックが満開であった。彼の寝袋が入り口近くにおいてあったのに落ちていなかったのは奇跡である。前にも似たようなことがあり、さてはロックが壊れたか?と思ったのだが、どうもそうではなくただ単に閉めかたが悪かっただけらしい。
R1北上の道はメイン国道とは思えないほどに曲がりくねっていて、「20km→」なんて表示もあった。おまけに天気が悪い。中途半端に霧雨が降ったりやんだりするせいで、前の車(遅い!)の泥シブキがフロントガラスにかかることおびただしい。YHに行ったら日本人の女の子がいたので3人でSeals見物に行く。ペンギンらしいのが泳いでいたが、「鵜」かもしれない。ペンギンと思っていたほうが幸せだ。アワビも探すが見つからず。
さて、ここにいた日本人のSさんは短期旅行にしては妙に英語がうまいと思っていたら、英語の先生なんだと。納得。
さて、自分とWiseはとりあえずここのYHまでは来たのだが、実は二人ともここには泊まらないのである。宿泊費の節約だ。夜、時間つぶしに2人でPubへ行き、21:30ころ戻る。彼はそのへんの軒先で寝るという(外は相変わらず霧雨だ)。自分は車中泊だが、Wiseは「いいよ、慣れてるから」とこっちの誘いを断った。しかし、夜半過ぎから外は嵐となり、雨音のうるささはともかく、風で車がやたらに揺れるのでどうも落ち着いて寝られなかった。
12月17日 Kaikoura(雨)−Nelson(曇り時々晴れ)
そんなわけで5:00前からYH前にて皆さんの御登場を待ち、Sさんと二人でちょうど干潮の海へ行ってアワビを探す。しかし、6月に採ったあたりにも、Road Endの先のほうにも見あたらない。探し方にもよるのだと思うが、とにかく雨と小雨でえらく寒い。20-30分でさっさと諦め、YHに戻る。Wiseくんはやはり夜半の雨風がたたったようで、コモンルームのソファーで寝てしまった。何だか悔しいし、出発にはまだ時間もあるので釣りに行くことにする。これからクレイフィッシュを捕りに行くという漁師二人組&犬一匹を見送って埠頭の上から糸を垂らす。そのへんの岩場に張り付いている小さな貝をエサにしたのだが、けっこう餌ばかり取られる。しかも小魚ばかりのようだ。いよいよ最後のエサをつけ、垂らしてみると、うむむ、根がかりだ。あーあ…と思っていたがさにあらず。ぐん!と引っ張られた。結果、40cmくらいの、コイのお化けのようなのが釣れてしまった。そこで、出発を繰り下げ、昼飯に刺身を食うことにする。Sさんにさばき方を教えてもらい(というより、後半はやってもらった)、みそ汁付きで食った刺身定食はやはりうまかったあ。
12:00過ぎに出発。WiseくんとはNelsonでお別れだ。雨と晴れを交互に繰り返しつつ、結局Nelsonでは曇りだった。
YHには(今日は泊まる)日本人がたくさんいた。オサム君(例の木更津仲間)もいた。Kくんという人が明日からAbel Tasmanに行く予定だというので、Marahauまで乗せていく(=一緒に行動する)ことになった。いよいよだなあ。
12月18日 晴れ Nelson−Anchourage
Marahauむけて出発したはいいが、どうも車の調子がおかしい。こりゃ修理に出さなきゃいかんなあと思いつつ、Road Endに車を止めていよいよ出発。天気も良く、出発して20分位のところで早速本日一本目のビール、Kiwi Lagerをあけてしまう。約4時間後に到着したHut付近は、何だかもう少しひなびたところを想像していたのだが…といったところであった。もっともそのすぐ前のビーチは何となくリゾート的な雰囲気だ。それにしても、ここまでの道の平坦なことよ。もっと高低差あっていいから、直線で進んでくれと思う。遠回り過ぎるよ。
岩場に魚釣りに行くが腕がないのか釣れない。しかし夕メシのOxtail Soup+肉野菜炒めはやはりウマイ。煮込んだ牛肉はやはり絶品であったので、これから何度も作ることになるだろう。Hutはやはり混んでいる。それにしても、自前の船でここまで乗り付けてくるのを見て、羨ましいがちょっと邪魔。去りなさい。
12月19日 曇り時々晴れ Anc Hut −Bark Bay
Ancから25m(!)くらい登り、Torrent Bayに出て、干潟を横断しながら3種の貝を拾ったのだが、最後に取った貝には驚いた。いるわいるわ、干潟の底に折り重なるようにしてすごい繁殖してる。ここで潮干狩りして、取った貝をそこから3hほど歩いたBark Bayでボイルして、醤油たらして食ったらうまかったこと!わしわしと食った。ちょっと天気が崩れてきているようなのが気がかりだ。
12月20日 Bark Bay - Awaroa
朝、僅かながら霧雨が降っていたが、どうもこれ以上悪くなりそうにないので出発。その通り、天気は悪くもならず、雨もやんだ。しかし、ルートがあまりに平坦で、山腹をぐるーっと回っていくのにはちょっとうんざり。途中、Tonga Bayで、せっかくのコースタルトラックなんだからと思って貝パン一枚になって海に入ったが、その水の冷たいこと冷たいこと。力尽きて逃げ帰ってきた。あれは泳いだとはとても言えず、水に浸かったというほうが正しい。今日は潮の関係で貝も取れず、良くないなあと思ってはいたのだが、Awaroaでなんとかなった。この夜のメニュー、貝のおつゆ+メシ+ごましお+塩辛の絶妙海産セットには参った(いい意味で)。特に桃屋の、あまりに塩っぽくてうまくないやと思っていた塩辛とメシとの絶妙なペアには正直脱帽し、思わずおかわり用にもう一度飯を炊いたほどである。
本来ならTotaranuiまで行くという明日の予定であったが、面倒なのと(!)、ここの居心地が良さそうなので、今回のAbel Tasmanはここまでと決める。明日もここで停滞だ。
12月21日 晴れ Awaroa
Kくん持参の虫よけクリームは、あのにっくきサンドフライに絶大なる効果を発揮するということが昨夜証明されたので、よしNelsonに戻ったらそれを買おう。奥歯用の抗生物質も補充しよう。髪も切ろう(はっきりいってうざったい)。車もチェックしようなどと、様々な心の準備をしていたのであるが、明日帰るとしても、明日は金曜、しかも週末明けにはクリスマス。困ったな、身動き取れないぞ。まあ、食い物はおそらくLate Night だから大丈夫だろう。酒も買わねばいかんしな。
朝から浜に出て大量の貝を取る。ここは潮干狩りの本場だ。熊手で一かきすると(そのためにわざわざ園芸用品売り場で買ってきたのだ)4-5個の貝が現れるという寸法だ。それが、どこを掘っても同じなのだから恐れ入る。それをボイルしてたらガソリンがなくなった。燃料タンクには1/5の残量。ウーム、残りの貝をこのわずかなガソリンでどう料理するかだな。とりあえず茹で上がった貝をむき身にしてラーメンにいれて食べたが、恐ろしい量であった。
午後、外海で泳ごうとしたが水があまりに冷たそうなのでやめて、砂州(その砂州のことを勝手に「天橋立」と呼ぶことにした)の内側の自然のプールみたいなところで泳ぐ。やはり水は冷たいが、外海に比べれば全然ましだ。そして今、そこから上がったところでこの日記を書いている。潮もだいぶ満ちてきた。そろそろかえらんと渡れなくなるな。
12月22日 Awaroa−Marahau−Nelson
さて、Totaranuiまで行こうという予定は変更され、今日帰るのだ。何しろ今日のLate Nightの買い出しを逃すと食糧の補給もできずに数日もがき苦しむことにもなるからだ。米も切れたしガソリンも切れた。薬も欲しいし(これは処方箋なしには買えないことがあとでわかった)。とにかくAwaroaから船でTinline Bayまで。$26は明らかに高いが、Marahauに車を停めてある関係上これは仕方ないか(あとで気づいたのだが、車は今回自分たちがトランピングしている間に修理してもらえば良かったのだ)。乗っている最中、コーヒーのサービスあり。
車の調子は相変わらず大変に悪い。困った。次の大都市Greymouthまで何とかいけるだろうか。無理だろうな。MotuekaのShellのスタンドでは「up to $10000」のラッキーチャンスカードを何と5枚もくれた。驚いた。でも全部はずれ。Nelsonにもどり、キャンセル待ちのYHに何とか潜り込み、New Worldでメシを買い(ここのスーパーの袋は薄いのであまり好きではない)、今これを書きつつ、さて明日はどうするかを考えている。もう一泊しようかな。
Nelson Lakesの道はかなりのMudだというが本当だろうか。
12月23日(土) 曇り時々雨、稀に日ざし
やはり車の調子が優れないので、意を決して朝一番でガレージに行く。最初はスパークプラグのコードか何かが接触不良なんじゃないかと言われ、「やった!これは安い!」と内心喜んだのだがやはり甘かった。ディストリビューターの不良だといわれ、しかし今日は土曜日なのでお昼まで、しかもそれまで既に予約で手一杯。明日明後日はクリスマス休暇でおやすみ、という。やむを得ず、12/26朝一番の修理の予約を入れる。これでその間Nelsonにステイすることが確定したわけだ。ま、しかたない。
洗濯をして外に干したのだが、晴れたり雨が降ったりでいまだに乾いていない。3泊4日のうちに乾けばいいか。午後、車の中でワインを飲んでいたらそのまま寝てしまった。弱くなったなあ。
1999注 このときTakemaはまだ25才。それなのに「弱くなった」というんだからオドロキだ。じゃ、今はどうだというんだ!
12月24日(Christmas Day)・25日(Boxing Day) Nelson
またまとめて書くことにする。それにしても今日の「Boxing Day」とはどういう日なんだろうなあ。
24日は悶々としているうちに昼が終わった。主にYHおきっぱなしの「月刊プレジデント」を読んでいたような気がする。「続々東京に負けてなるものか」という特集があった。しかし、こんな本誰が日本から持ってきたんだ?
一応クリスマスイブだというので、23:00頃から8人で教会に行くが、やはり自分にとっては異質で、こういうときの教会に物見遊山的に来てしまって良かったのだろうか、という気持ちであった。床にひざまづいて祈りを捧げる人たちを見るにつけ、後悔した。
翌25日。酒が解禁され、BBQパーティ。自分は妙なお好み焼きと蕎麦を作ったのだがあまり旨くなかった。大切に大切にと思っていた日本酒は、またも飲み尽くしてしまった。(おかげで今日(12/26)は予想通りちょっと二日酔い)
することもないので埠頭に釣りに行く。昨日は魚もほとんどいないようだったのに、今日は何といれ食いに近い。とりあえず小魚が多いのでおみやげにするには気がひける。ただ、まあまあのアジが釣れたので、これはYHに持って帰ってきて刺身にして食べた。もっとも、夕方また行ってみたが、今度は全然釣れない。やはり潮の具合とかがあるんだろうな。明日は朝8:00に車の修理!
12月26・27日
1999注 なぜかここの12/26は日記がない。日付を間違えたのかもしれない。とりあえず2日分まとめておくことに。
車の修理は結局$83。朝7:55に行くやいなや「車のTune-upは$60だ」といわれ、うん、安いことはいいことだと思いつつ、GST込みで$72支払い、さて出発しようとしたら中から会計の人が走ってきた。???と思ったら、実はエアクリーナーも相当キテたので取り替えたとのこと。ま、こりゃ消耗品だからしょうがないな。Total$83でした。細かいことながら、クリーナーのふたが壊れかけていたところを、補強用の丸い板をつけてくれたのは有り難かった。というわけで、この店には好感を覚えながら出発。髪の毛も切った($8)。VODKAも買った(1125ml 62゚ $10.95は安い!)。
よみがえったMAZDA323は、これが本来の走りなのか!と思うくらいに、すべるように走る。ここ数ヶ月のノッキング走行になれていたからね。むちゃくちゃ気分良い。St.Arnaudまでの道は取り立てて言うほどのことはない。途中ヒッチハイカーがいたことはいたが、みな二人組なのでパス。
St.ArnaudのPHQでテントの入山届け出をして、Yellow Houseの部屋をキープし(着いたのが早かったので、何とSingle Roomがドミと同じ値段で取れてしまった。これで$10は安い!)、そのあと車で上の駐車場まで行き、Mt.Robert(1411m)を往復してくる。このあたりはそれくらいの標高で森林限界になるようだ。頂上付近は少々寒かった。
Nelson Lakes 食糧計画
12/28 → Coldwater なし パン.コーヒー.さとう 野菜Oxtail.めし 12/29 → John Tait ミューズリー.スキンミルク パン.トマトビーンズ 野菜クリームスープ.めし 12/30 → Upper Travers 炊き込みめし(だしのもと、乾燥野菜) ラーメン+乾燥野菜 スパゲティ.野菜 12/31 → Sabine Forks ミューズリー.スキンミルク クッキー.紅茶.さとう 野菜Oxtail.炊き込みめし 1/1 → Sabine ミューズリー.スキンミルク ラーメン+乾燥野菜 野菜クリームスープ.めし 1/2 → LakeAngelus ミューズリー.スキンミルク クッキー.コーヒー 今日買った変なスープ.めし 1/3 → 帰る ミューズリー.スキンミルク 予備食 ピーナツ.汁粉のもと.ミューズリー他
1999注 いやあ、シンプルですねえ(笑)。
12月28日 曇り時々晴れ St.Arnaud → Coldwater Hut(3h)
朝方しっかり降っていた雨も、出発を決してMt.Robert Car Parkに来た頃にはすっかりやんでしまった。この日の後半はほぼ晴れ時々曇りで、まずまずの天気。それにしても昨夜のシングルルームは快適であった。YHなどでの、朝方の騒がしさとは無縁であった。一人部屋は落ち着けると改めて実感。
山の上のほうに車を停めたので、帰りはRobert Ridge経由で帰ってこなければならない。
今日は湖岸を3時間だけの短い行程。あたりは美しい広葉樹で、コースタイムから刷ると、上高地から横尾までといったところだ。緑の美しさは引き分け。両側の美しさはどちらかといえばこちらの勝ち。ただ、そびえ立つ山が(今日のあたりには)ないという点で、梓川の勝ち。明神岳を眺めながら歩くのも気分いいものね。ただし静けさという点では圧倒的にこっちの勝ち。でも、一日の終わりにビールを買えないのはこっちの負け。今回はVODKAを約1リットル持ってきているが、最後までもつのやら。
小屋の近くにテントを張る。ここの小屋は6bunk。小さな小屋だ。着いたときは誰もいなかったが、いつの間にか満員になったらしい。釣り人の利用者も多いようだ。テントは全く問題なく、ゆったりとくつろげる。
NZ南部には大低気圧が襲来している。ここまで影響が出てこないように祈るばかりだ。このあと、Travers Saddleを越える日は快晴になることを祈る。
12月29日 曇り Coldwater → John Tait Hut(5.5h休憩含む)
上高地→槍沢との比較は今日も続く。なぜなら今日のコースはずっと沢沿いで比較が容易なのだ。今日のコースタイムは5hだから、ちょうど槍沢のロッジくらいまでか。
今日のルートはしっとりとした樹林歩き+Muddyな道。しかし川の流れは大変に綺麗で、時々道が押し流されてしまっていることを除けば大変に気分がいい。時々草原の中を行くこともある。でもちょっと単調かな。進むにつれて前方に見える山々は、どれも1800mそこそこの山とは思えないほどに立派である。Basinとはいわゆるカール(圏谷)のことだろうか。地形を見るといくつもカールがあるように思える。
随分早めに着いたのでUpper Traversまで行っちゃおうかと一瞬思ったが、のんびりすることも目的の一つなのだからと思いだし、早めにテントを張る。ここのテント場は、下が柔らかなコケで気持ちがいい。しかしたった今、雨が降り出した。昨日も書いたが、頼むよ、本格的には降らないでくれよな。今のところフライシートは元気なようだが(あたりまえだ)。まあ明日は行程も短いし、テントが乾くまでうだうだしていてもいいのだけれど。
しかし、今頃日本は年末のあわただしい頃なんだろうなあ。アメ横何十万人の人でごったがえし、とか、仕事納め(昨日か?)とか。今年の年越しそばはNelsonで食った。餅はおそらく帰国するまで食えまい(帰ったからといってすぐに食べるわけでもないだろうが)。そして今年の年越しは一人だ。いやこんなことは31日に書けばよい。今はとにかく晴天祈願だ。食器洗ってきてからまたVODKA飲み直そう。
12月30日 快晴 John Tait - Upper Travers Hut
朝起きると外はしっかり青空であった。どうせ今日はコースタイムで3hしかないし、とのんびり構え、テントに日があたってフライシートが乾くのを待って出発する。どうやら体調も随分良いようなので、これは状況によってはSaddleを今日中に越えられるか?とも思ったりはしたのだが、当然そのような前向きな気持ちは長続きせず、すぐさま「初心貫徹(予定通り軟弱で行こう)」と決めたのであった。
途中Travers Fallを見学したりしながら登っていく。この滝では、たまたま通りかかったNZerが「滝壺で泳ぐか?」と冗談かましてきたので、「強めのシャワーの方がいいね」と言い返してやった。結局ほぼコースタイム通り3hで到着。やはり高度計は役立ちもの。
そして着いたここUpper Travers Hutのあたりは、もうまさに別天地。いきなりの草原と小川(ちょうどここが森林限界)、景色もめっぽうよく、もしさっきのように「峠越えて反対側まで…」という気持ちで上がってきたとしても、この景色を見たら動きたくなくなる。小川のすぐ脇のテントサイト一等地に堂々とテントを張る。何しろ水が真横に流れているのは気分がよい。ここなら増水しても何とか逃げられるだろう。川で身体を洗い、VODKAを飲みながらくつろぐ。この時点で、VODKAは今晩中に全て飲みつくされるであろうことを確信。必殺のピーチ缶まであけてしまう。
今日登ってきたのは標高差490m。おそらく明日も500mくらいの登りだ。明日は一気の登りだし、案外峠までは早くいけるだろう。そこから下に下ってからは、もし気が向いたらSabineまで行ってもいいな。
山越えできる(あっちまでもつ)ウマイもの。
ホワイトチョコ.クッキー(兼昼食).ミューズリー(兼朝食).味付け昆布.懐中汁粉.こんなもんか。
歯、磨いちゃったら腹が減ってきた。ミューズリーでもかじろうかな。
12月31日 Upper Travers → Travers Saddle → Sabine Forks → Sabine(コースタイム11〜14時間)
本日の目覚めは朝方のリスから始まった。ふと目覚めると、ドームテントのてっぺんに何かいる。尻尾の長さが確認できたが、ポッサムにしちゃちと小さいし、もしそうだとしたら鋭い爪でテントに穴あけられるからいやだな、と思っていた。とか何とか思いながらまた寝てしまったのだ。
今は21:10。夕焼けが終わりつつあるところだ。今日は、歩き出してすぐに横っ腹が痛くなったが、どうせ食ったばかりだからだろうとたかをくくって無視して歩いているうちに、予想通り痛みはなくなった。Travers Saddleには意外とあっけなく着いてしまった。ホントに490mも登ったかい?と信じられないほどに体が軽かったのだ(この時は)。Saddleから見るMt.Traversはでかい。浮き石だらけの岩山のようにも見えるけれど。
天気は高曇りただしかなり雲は薄く、雨の気配なぞ全くない。まあまあのんびりした時間が過ぎる。写真を撮り、タバコを吸いながらあたりの風景を堪能したあとで下りはじめる。しかし、こちら側の道はかなり急だ。登ってきたのは一人だけだったが、えらく汗かいてたぞ。この峠越えは明らかに今回のコース取りが正解だ。そう思うとともに、Sabine〜Mt.Cedlicの登り返しでは自分もさっきの人みたいにあえいで登ることになるんだろうな、と思うと気が重くなる。ジグザグなどという人に優しい道ではなく、一気にまっすぐただひたすら降り続ける。
とにかくEast Sabibe Creekを渡るところまで来て驚いた。あれだけあった水はどこへ?川幅わずか1.5m。ただし深さは信じられないほど深く、上からでは見えないくらいにずっと下の真っ暗なあたりを沢が流れているらしい。そこからは、地図上では真っ平らのように見えるが実はうねうねと登ったり下ったりを繰り返す道をひたすらに歩く。そうしてForks Hutまでは朝からのトータルで4:45。
しかしここで判断を誤った。「ここからはひたすら川沿いの道を緩やかに下って行くだけだろう。じゃ、今日中にSabineの小屋まで進んでおくと明日が楽だな」などと思ってしまったのだ。昼飯のラーメンを食べたあと(ホントは今日はクッキーの予定だったのだが、一日日程を短くするんだからウマイもん食ってもいいだろうという結論に達したのだ)、さていよいよ歩き出す。13:50発。コースタイムは5:00だから、順調にいって18:50着か。ま、21:00すぎても明るいんだから大丈夫だろう…
道には全く変化がない!アップダウンくらいはあるが、眺めは全く変わらない。それでも最初の2-3時間は一人で歌などエンドレス的に唄いながら歩いていたのだが途中からそれにも飽きた。結局最後の登りのあたりでは、もう精神がへこたれて参った。結局この日は小屋まであと5分(だろう)の川沿いの草地でテントを張ることに。時に18:50。コースタイム通りでありました。ここサンドフライがすごい!
去年の今頃は中央アルプスの宝剣山荘で飲んだくれていたっけ。あの頃もすさんでたけれど、まさか一年後、異国の山中に一人でテントを張ってこんなこと書くようになるとは思っても見なかったな。今21:55。あと2時間と少しで1980年代が終わる。昭和は一年前に終わった。そして15-25才という、人生の中で
一番色々ありそうな時期もこれで終わりだ。
20世紀の末に世界滅亡の瞬間がやってくると、昔読んだノストラダムスの本にもあったし、キリスト教の預言にも確かそんなのがあるらしい。それらが幸か不幸かはずれてくれるとすると、10年後の今日(35才か…)、自分はどのようなことを思い、またどのように暮らしているのだろう。10年を振り返る。あっという間だ。あと1時間47分で年が明ける。起きていようかな、寝てしまうだろうな。明日は1300Mの登りだ。
ちなみに酒は昨日切れた。年越しらしいナニモノもない。ただコーヒーをがぶがぶ飲むばかりだ。