− その2 ココポ博物館(屋外)編 −
高射砲は空を向いたままもう永遠に動かない。
宿からほど近く、実質的な州都ともなっている(のかな?)のがココポです。ここには博物館があり、ニューブリテン島に関する文化的な展示もなされてはいるのですが、やはり質量共にわれわれの目を引きつけてやまないのは第二次世界大戦の遺物です。
これらはニューブリテン島の旧戦闘地域(今はほとんどジャングルに戻っている)に眠っていたものを掘り起こしたりして集めたもののようです。大物は建物に入らないので屋外展示がほとんど、というわけで時が経つにつれてどんどん腐食して朽ちてしまうのではないかと思われますが、おそらくパプアニューギニア政府の文化予算では屋内展示用の建物を建設する余裕は全くないのでしょう。現在の状態はさほど悪くはありませんが(というか、比較的よく維持されていると思う)、今後長い目で考えるに何らかの更なる保全を考えたほうがいいかもしれません。
さて、そういうわけで屋外展示品の数々を見ていきましょう。
入口脇にいきなり出てくるのが戦闘機のエンジンです。こんなものが博物館の庭にポンと置いてあるんだから驚きます。しかしいまから60年近く前に、こんな大エンジンを積んだ飛行機が日本からはるか離れたこの地の空を飛んでいたというのはやはり驚くばかりです。どうも自分たちが受けた歴史教育では「第二次大戦において日本は緒戦こそ各地で勝ちすすんだが、やがて物資の不足は顕著になり、戦争末期には上陸軍に対して竹ヤリで対抗する等の本土国防計画が真剣に練られた」的な文言の後半(太字)部分ばかりが強調されていたような気がしますが、日本だってもともとは当時最新鋭の技術を保持していたわけですから、ちょっと考えてみればアメリカのB29と同様、驚くには値しないことなのかも。。
んでもって奥に見えるのは確か爆弾の現物(ペンキでリペイントしてあるので何だか新品に見えますが)。内部の爆薬および発火装置がちゃんと除去されているかどうかは聞きませんでしたが(^_^;)、さすがにそれは大丈夫でしょうね(たぶん)。
そのすぐ脇には何やら石碑が。「故酒井岩太郎君之(以下は土の下)」と刻まれています。これが元々ここにあったのか、どこかから移設されたのかはわかりませんが、日本人的な感覚ではここにあったと思うのが自然です。実際、おそらくはそうなのでしょう。しかし果たしてこれはお墓そのものなのかなぁ。ボルネオ島サンダカンにあるからゆきさん「木下クニ女」のお墓も墓石の表側に俗名(個人名)を書くことはしていなかったし、今でも日本のお墓はそうだものなぁ(墓石の裏側や墓誌に書くことはあるけれど)。多分お墓そのものではないと思ってしまうのですが確証はなし。よく見てくればよかった。
少し奥には戦車が何台も並べられていました。もちろん戦争後にも放置されていたものですから多かれ少なかれひしゃげてはいますが、やはり現物を目の当たりにすると何ともいえない迫力があります。
そして建物を回り込むように進んだところにあったのが、かの「零式戦闘機」(だそうです)。だいぶ腐食してはいますが原形は崩れてはいません。思っていたよりも小さく感じますが、これこそ小回りが効く当時世界最強の戦闘機だったのでしょう。なおプロペラは全然腐食していませんでしたが、ジュラルミン製だからなのかどうなのか私には全くわかりません(無知)。
そしてこちらが旧日本軍のサイドカー付き二輪車。何でも旧日本軍のバイクはハーレーをモデルにして作られたという話を(どこかで)聞きました。ちなみに乗っている二人はわれわれのガイドとドライバーですが、自分たち(特にTakema)がこのバイクに興味を示すと喜び勇んでまたがってしまいました。Takemaとしてはそっとしておいた方がいいと思うんだけれどなぁ、だってスポークだって折れたらもう修理がきかないんだよ!(あまりにもあたりまえ)。
しかし実は自分も少しはまたがってみたかったんですが(笑)、やはりやめておきました。こういうところがとっても日本人の私♪(苦笑)。
このページの一番上に逆光で移っている高射砲。見た目の状態はよく、錆を落として556などをたっぷりスプレーすればまだ使えるかもしれないシロモノでした(うそつけ)。しかし約60年前のご先祖様がこの目線で敵機を追っていたのだと思うと何とも複雑な気分になります。そしてたぶんたった今この瞬間も、似たような視線で空を真剣に見つめている人間が世界のどこかにいるのでしょう。悲しいことではありますがそれが現実であり、その人に向かって「戦争は何も生み出さず、ただ失うだけです」と聖人のようなアドバイスをしても、「なるほど」と納得してくれるはずがないのもまた一つの現実なのです。
さて何ともしんみりするような気持ちを胸に?、続いては建物の中に入ります。