−パプアニューギニア− 来たぞラバウルへ

− その3 ココポ博物館(屋内)編 −



バイニン族のマスクは何だか谷岡ヤスジ漫画をホーフツとさせるような感じです。
巨大な鼻の穴から
「ブーッ!」ときたら恐ろしい。知らん人は読み飛ばしてね(笑)。
ちなみに、リクエストもしないのにかぶってくれてありがとう、ガイドのお兄さん(爆)。

屋内展示室にはニューブリテン島先史時代の石器などの展示もあるにはあるのですが(学芸的には整理されていないのであまり面白くない)、やはり目を引かれるのは大戦時の遺品です。自分の興味がそういう方面にあるからかもしれません(おしんこどん@妻は結構石器や貝の加工品をじっくり見ておりました)。でもやっぱりここは植民地だったのだということを感じさせるような展示品もあったりするので、ゆっくり見ても「興味のある人には楽しめるといえるでしょう。ちなみにうちらはこの博物館でゆっくりしすぎたために後の行程がキツくなりました(自爆)。

撃墜された米軍機の「ノーズアート」。大型機機首のすぐ脇にこういうのを描くのがアメリカ的な好みだったんでしょうか。でも何度も戦地に赴く際には、たぶん搭乗員の誰もがここに描かれた女性に対して「では頼むよハニー」とか「今日も一緒に帰って来ような、お前と一緒に」的な想いを捧げつつ飛行機に乗り込んだのではないでしょうか。ちょうど日本の船の操舵室などにしつらえられた神棚に、船長の奥さんなどの髪の毛をこっそり「ご神体」として祀り、航海中毎日手を合わせるように(今でもそうなのかな)。

しかしまぁ、敵であろうが味方であろうが、その祈りの象徴であったはずの部分が切り取られているのを見ると何とも複雑な気分です。無論祈りをよせていた人達ははるか昔にこの世を去られたと思われるのですが。

さて、さらに進むと別の遺物も出てきました。

これは日本軍戦闘機の増漕だということです。増漕とは翼の下に付けるいわば予備タンクで、戦闘機が通常飛行中にはこちらからポンプで燃料を給油し、いざ戦闘態勢となるとこの増漕を切り離して(発火回避&機体軽量化による小回りを狙う)空中戦に臨んだということのようです。そういえば漫画家の松本零士が「宇宙戦艦ヤマト」よりずっと前に発刊していた戦争もの漫画の中で、編隊飛行中に敵機と遭遇すると必ず増漕を外していた気がするなぁ(結構詳しい(^.^))。あの単行本、どこに行っちゃったんだろう(もう一度読みたい@たぶん実家の押し入れの奥)。

思い切り話がそれましたが、これらのような「大物」のほかにも、心惹かれるというか「ほぇ〜」と思ったものがありました。それは各機器に付けられていたと思われるプレートです。

バイクなどでは付属の整備マニュアル本などに書かれているような内容ですが、その整備方法がプレートに書かれているところがすごいです。戦闘地域にてこのエンジンの整備方法を知らない整備士がいても困らないようにと考え、このようにプレート化したんでしょうね。

これらはどのような機体についていたのかそれぞれ一発でわかります(あたりまえ)。中島飛行機は今の富士重工(スバルですね)の前身となる会社であり(確か)、戦前は三菱と並んで戦闘機のブランド会社(そういう言い方が正しいかどうかはわかりませんが)。九九式の川崎航空機はまさに今でも「男カワサキ」を標榜するバイク乗りの皆さんには「よっしゃ!」と思わせるに十分なインパクトがあることでしょう(しかも「950馬力」ですよぉ!うちのバイクは164馬力だから空は飛べないなぁ(笑)。もっとも某K製飛行機に「故障が多い」とか「雨天時は電装系がすぐトラブる(あ、こりゃK社じゃなくてS社か)」等の問題が多く起こったのかどうかは私の知るところではありませんけれど(バイクに乗らない人にはわからないネタなんで読み飛ばして下さい)。

しかし確認を含めてちらちらとネットで検索していたのですが、「九九式」といっても軽爆撃機、襲撃機、軍偵察機、高等練習機その他いろいろ出てきます。判断の基準として950馬力を探してみたのですが、どうやら「公称」とは違うようで困ります(笑)。しかも川崎以外にも中島、三菱その他の各メーカーがしのぎを削っていた状況がよぉ〜くわかった次第です。表示馬力は違いますが、たぶんこれかなぁ。

このプレートを見た時は笑いました。「な、なぜ火星?」しかしこれまた調べてみると真面目な名前のエンジン形式で、どうやらこの「火星型」を改良したエンジンは「金星型」という名前を付与されているようです。しかし誰なんだ、最初にこの名前を付けようと思った人は!?。



さて博物館の次は、戦争終結時からそのままの状態で維持されている、とある洞窟へと向かいます。

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