直線距離300km弱、実移動距離1300kmの不思議?マウントハーゲン〜ウェワク

さてこの日は、ゴロカやMt.Wilhelmはもちろんのこと、3泊してゆったりと過ごしたここマウントハーゲンをも含む「ハイランド地方」を離れ、北部海沿いの都市ウェワクまで移動することになっておりました。

ちなみに内陸に位置するマウントハーゲンから海沿いのウェワクまで、地図上の直線距離はたかだか300km弱。整備された高速道路でもあれば、TakemaのCBR1100XX@イギリス仕様リミッターなし(メーターは330kmまであり)ならほんの1時間(うそつけ死ぬぞ)、いや現実論としても時速100kmで走っても3時間で着く距離なんですが、いかんせんここはパプアニューギニア、首都ポートモレスビーと第二の都市レイ(ラエ)とを結ぶ道路さえつながっていないお国柄です。マウントハーゲンとウェワク間、陸路での移動は不可能。この移動を強行してやらかそうとすれば、旧日本軍の行軍と同じように「途中で土に還る覚悟」をしなければなりません(う〜む)。



赤点線で行けば300km、しかし現実は青実線の1300kmの大移動!

しかしこの文明社会においては「航空機」という便利なものがあります。プロペラセスナからジャンボジェットまで、空港の状況や利用客数に応じて様々な機体が空を飛びかっているわけです。そしてもちろんここPNGでも、Mt.HagenからWewak、さらにはMt.Hagenからもっと内陸の道路のない村にまで、航空機路線は網の目のように張り巡らされているのです。ん?でもそれなら上の地図で赤点線を結ぶ飛行機に乗ればすぐさまWewakに行けるのでは?

しかし、そこに大きな問題が立ちはだかるのです。Ht.Hagen〜Wewak線はいわゆるローカル線ですから利用客数も少ないわけで、そうなると小さな飛行機(セスナに毛の生えたようなプロペラ機)しか使いません。そうなると飛行機は、その小ささに応じた機能ゆえ有視界飛行を余儀なくされるわけです。しかし発着点それぞれの間にはMt.Wailhelm4509mを頂点とする大山脈が。となれば、下界はともかくとして山岳部の稜線にガスがかかっていれば飛行機は飛ぶことができません。というわけで「出発地&目的地の空港付近が快晴でもなぜか欠航」という憂き目に遭う確率が非常に高くなってしまうわけなんです。

というわけで「時間はかかっても確実なルート(青線部分のフライトはジェット&レーダー誘導)」を事前に選んでいたのですが、さてその結果はいかに?



空港脇の広場では、ビルム(布バッグ)その他を売る露店が出ていました。
ちなみに製造直売とはこのことで、左のおばちゃんはただ今編み作業の真っ最中です。

毎度おなじみ動画編

「ビルム製作にいそしむご婦人」

この作業を見ていたおしんこどんがひとこと。
「これ、すごく手間のかかる大変な作業だよぉ」

Wmv形式、730KB、16秒
朝は7:30前に荷物を持ってダイニングハウスへ。朝ご飯を食べてチェックアウトを済ませて出発、空港には8:45に到着してしまいました。ちなみにシェフに昨日のうまうまランチボックスのお礼をしようと思ったら、どうやら今日は非番のようでした。確かに朝食も、この朝ばかりは微妙な半熟目玉焼きじゃなくてカリカリ系だったぞ。プロと見習いの差をあらためて実感。

この日は宿のオーナー(白人、オーストラリア系の方でしょう)の運転する車(オーナーの所有車、いすずビッグホーン)でここまで来たのですが、オーナーは我々を降ろしたあと、そのまま出発ロビーで待機しています。不思議に思って聞いてみたところ、このような答えが。

「実は今日、日本から『KAZE』という旅行社(どう考えても「風の旅行社」ですな)のツアー客が10人ばかり、あなた方が乗る予定の飛行機で到着するんだよ、ふだんの送迎用四駆だけでは乗り切れないから、私の車と合わせて送迎しようとしているんだよ」ということでした。やるなぁ、風の旅行社。たしかブータンでもその名を聞いたし、アフリカのナミビアでも聞いたぞ。しかし確か「風‥」って、辺境旅行を得意とする旅行社だったはず。その会社が目を付けるような国ばかりを好んで個人旅行している我々って?(苦笑するしかありませんな)。

さて、この日のフライト(Mt.Hagen〜Port Moresby)の出発時間は10:10。Port Moresbyから来る飛行機は8:45到着の予定でしたが、ここはやっぱりPNG、そうは問屋がおろしません。8:45を回っても来ないものは来ない、駄目なものは駄目、はんにゃはらみたという感じです。しかしここで新たな諸問題発生。それはTakemaの「尿意」なのでありました。

出発ロビーの待合室内にはちゃんと男女別のトイレ設備がありました。しかし!どうしてなのか理由はまったくわかりませんがどちらもロックされています。そのことは旅行者のみならず地元の人(ただしチケットを持っている人しか入れないのですが)もよく知らないようで、ドアノブをギュッと握って開けようとし、開かないとわかると「Shit!」と小声で自己主張した上で席に戻っていきます。

しかし、皆さんはやむを得ず席に戻るくらいの「切迫感」で済んでいるのかもしれませんが、Takemaの場合、徐々に「最後の日」が近づきつつあるような感じです。冷静に行動できるのはあと20分くらいかもしれません(変な表現ですが皆さんおわかりでしょ?)

というわけで確か空港敷地の外側、マーケットのあたりに「Public Toilet」と書かれた小屋があったのを思いだしたTakemaは、意を決して徒歩約3分のToiletを目指す小旅行に出かけたのでありました。しかし、いざ向かってみると‥

た、建物自体に鍵がかかってるぞぉ!

しばし呆然です(笑)。しかしここでなぜだか奇跡が起こりました。空港の方から歩いてきた警官(または空港の警備員かもしれませんが)の方が遠くからTakemaを呼びます。「ん?何だ?まだ悪いこと(=立ち○○とかね)はしてないぞ」と思いつつ、彼についていくと(ちなみに彼は終始無言)、彼は再び出発ロビーに戻り、そこからチェックインカウンターを通り抜け、裏側の工事中部分の施設をも通り抜け、そして指を向けたその先にはなんとトイレが!

感謝のことばを述べてスッキリと用を足しました。しかし不思議なのは警官さんの行動。わたしゃおしんこどんにこそ「外のトイレに行ってくる」とは言いましたが、その他の誰かにその意を話したことは全くなく(マーケットの人には聞きましたが)、どうして彼がTakemaの尿意を察してくれたのかは今もっての謎なのであります。ま、これこそ「結果オーライ」ということなんでしょうか。

おかげさまでスッキリくっきりフジカラーFU状態で搭乗時間を待つことが出来ました(このフレーズを知っている人は相当Takema世代ですな)。はぁヨカッタ。しかしほかの皆さんはどうしたんだろう?それもまた今なお一つの謎。

結局飛行機は10:00頃到着し、出発は10:25。ま、ポートモレスビーでの乗り換え時間はたっぷりあるから全然問題はありません。到着は11:15、ウェワク行きの飛行機は15:45なので、空港近くのエアウェイズホテルにてゆったりランチ(ちょっと長すぎるくらいです)となりました。ここのレストラン、高台の斜面にせり出し舞台のように設置されていますから、空港も含めて展望は最高です。風も抜けるしねぇ。でもテラス部分は地震がきたら一発で崩壊しそうに思えたんですが‥(苦笑)。しかし、ランチほかビール(SPビールは1本5.5K)で粘りに粘ったんですが、まぁ滅多に飛行機の飛ばない首都の空港だこと(笑)。おかげで結構退屈しました(大笑)。



することがないのでゆっくり食べなきゃ。エアウェイズホテルにて。

さて午後、再び空港へ。ウェワクへはマダン経由で行くのでちょっと時間がかかります。マダンは今回の旅行では立ち寄る予定はないのだけれど、なんでもPNG随一のリゾート系観光地のようです。リゾートはともかく、道ばたの大木にフルーツコウモリが鈴なりになっているという光景は見てみたいなぁ。

さてマダン到着、降りるべき人は降り、新たに乗り込む人達が機内に入ってきました。‥ん?あ、あれは!?

何と前方から入ってきた人々の中に、Mt.Wilhelmで一緒だったあのオーストリア人夫妻がいるではありませんか!確かに彼らはクンディアワで別れるときに「これから陸路でマダンまで行くんだ」と話していたのですが、まさかここで一緒になるとは!座席から手を振ると向こうもわかったようで手を振り返してくれます。旅行ルート及び手段の限られた国だとはいえ、やはりこういう再会は嬉しいものですね。

てなわけでウェワクには17:50、日没近い頃に到着しました。彼らも同じ宿に泊まるつもりだというので(New Wewak Hotel=他のホテルよりも安いので)しばし再会の喜びというか、別れてからのお互いの経緯を情報交換しました。マダンまでの陸路横断は思っていたほどハードじゃなかったと言っていたような?ただ、彼らは明日セピック川中流域のアンブンティに向かうとのこと、我々は下流域のアンゴラムへ向かうのでまた明日でお別れということのようです。

ちなみに同じ飛行機には日本人の団体が乗り込んでいました。ただし観光客というのではなく、どうやら慰霊団ご一行のようです。この辺りはPNGにおける最後の激戦地でしたから、この地にはまだまだ我々のご先祖様がたくさん眠っているということなのでしょう。あらためてこの国と日本とのつながりを実感させられました。

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