てなわけで、カンボット村をうろうろ。

さて、改めて外からハウスタンバランの建物を眺めてみますと、その立派さに改めて驚かされます。角のように延びたひさしはふた昔も前のリーゼント兄ちゃんのように威勢よくせり上がっていますが、その下側にはやはり精霊像が描かれており、やはり神秘性を感じずにはおられません。

聞くと、建物そのものは高温多湿の気候ゆえせいぜい20年ほどしかもたないのだとか。そのたびに建て替えるというのは何だかロスが大きい気もしますし、伝統的な建物にこそ荘厳さが加わるように感じるわれわれの感覚からすると「何だかなぁ」という気がしないでもないですが、考えてみれば日本の伊勢神宮だって20年に1度「式年遷宮」ということで建て替えられるわけで、考えてみれば驚くには値しないことなのかもしれません。

それにしても、電気も動力もないこの村でこれほどの大きさの建物を新たに造るというのはそうたやすいことではないでしょう。それができるというのはこの村が豊かであるということを如実に物語っています。とはいっても「ストーリーボードで儲かっている」という発想はあてはまりません。かつてはどの村にもハウスタンバランがあったわけで(なくなりつつあるのは経済的事情ではなく信仰的事情)、ということはやはりこの地域の村が自給自足で自分たちの生活を十分に維持し得たということを意味するのではないでしょうか。
などとまぁ、多少なりとも難しいことを考えながら村の中を歩きます。この新タンバランの横には前ページで触れた旧タンバランが建っていました。その柱には古い彫刻がいくつか施されています。これもまた精霊信仰が「今より生きていた」頃の証なのでしょう。

そして床板を支える竹の末端にはこのような飾り(右下写真)が付けられています。手前から2つ目の彫刻を見るとわかりやすいのですが、これはワニの頭を表現したもの。そう、このセピック川流域にはワニ(イリエワニ)がたくさん生息しているのです(後述)。

旧タンバランの、そのまた隣の敷地に目をやると‥そこには旧々タンバランの柱だけが立っていました。なるほど、こうやってどんどん建て替えていくのですね。それにしても柱が全然朽ちて倒れていないのが不思議です。マレーシアあたりの高床式の家では主柱に「鉄木」という非常に重くて固い木を使うということですが、このあたりにも似たような木があるということなのでしょうか。



旧々タンバラン跡と思われる遺構。柱だけが整然と残っています。

さて、船着き場(上陸した場所の下流。どうやら船を移動させておいたらしい)付近まで歩いてきました。子供たちが何人か、そしてサクサクの繊維叩きの大人も何人かいます。もっともMagendo1村より外国人に慣れた村だからか、それほど物珍しげには見られず、子供たちの数も少し増えただけです。



しかしやはりデジカメのプレビュー画面は子供たちの注目の的でした。



左写真:君たちは兄弟かな、双子かな?
右写真:時間がゆっくり流れる村でした。

ちなみに、この広場のすぐ脇には何やら檻が作られておりました。何かと思ってのぞいてみると、そこにはたぶん生け捕りにしたに違いないイリエワニが何匹も飼われていたのです。これって何のための生け捕りか?食用にもなるということですから、たぶん‥?

ちなみに、現在イリエワニの捕獲は公的には禁止されているそうです。しかし、「公的には禁止」というあたりが実は微妙に感じる表現ともいえるでしょう(笑)。まぁたとえば「すでに捕獲していた分は除く」というような抜け穴もあるんでしょう。そして、すでに捕獲していた頭数こそ変わらないとしても、大きくなっていたワニがある日突然小さくなったりして(笑)。たぶん「良くも悪しくもPNG」方式なんでしょう。道路も通じていない田舎の村だし、取り締まりもおおらかなんだろうなぁと思うことにしましょう。

さて、そんなこんなでそろそろこの村をおいとますることにしましょう。

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