− 枝葉末節ネタながら気になるぞ −

パプアニューギニアに来てからよく見かけたこの光景。電線にぶら下がる靴、いったい何なんでしょ?地域を問わず、なぜか各所で見かけました。しかも見る限りではまだ履けそうな靴も多いわけで、うーん不思議です。

一部地域での局所的な習慣というのではなく、ポートモレスビーでも、マウントハーゲンでも、ウェワクでも見かけましたから(そういやラバウル周辺では見かけた記憶はないんですが)、ある種の宗教および呪術的な意味があるのでしょうか。キリスト教と土着信仰が交わった、新たな宗教的意味、いわく「靴にはキリストの使徒の精霊が宿っているから、履き古した靴=精霊を天に返すべきなのである」とか、「靴は人間と大地の狭間にあるゆえに、その土地に住む悪い精霊と仲が良くなってしまう。そのため、その精霊との縁を絶ちきるために、使い終わったら別の場所@空に置くのだ」とかね。まさかね。でも自分で創作したにもかかわらず、何だかもっともらしさを感じないでもないなぁ(笑)。



ここにもあるし‥(ちなみにWewak市内中心部のロータリー)



これなんかは何だか「夏の思い出」というタイトルくらい付けられそうです。



こうやって写すと随分低い位置に見えますが、電線ですからやっぱり高い!

そこでWewak滞在中に「意を決して」聞いてみました。すると意外な?おことばが。

何だ結局はその程度のものだったのねと、ちょっとがっくり。しかしちょっと待て、決して物資が豊富であるとはいえないPNGで、こんなに簡単に靴を捨てるのか?しかも、どちらかといえばまだまだ履けそうな靴のぶら下がり度が高いような気がするぞ?(上の画像を見たってそうですよね)。もしかしてこの行為には何か更なる秘密が隠されているのか?

とまぁ、某民放の「特命リサーチ20XX」みたいになってきましたが、実はこの行為の意味についてはやっぱり全然わかりませんでした。念のためネットで調べてみたところ、唯一このことに触れていたのはJICAのサイトでした。次のようなことです。
日本では、凧揚げは電線の近くでは上げては駄目、といわれていますが、この国で見たものは‥‥靴が一足ぶら下がっているのです。両方をひもで結び付け、放り投げ、みごと電線にぶら下げることができたらいいことがある、ということだそうです。古くなった靴を投げるらしいのですが、たまにはまだ履ける物も‥‥。今度、投げる現場を見てみたいものです。(JOCV-NEWS
なるほど、願掛けの一種のようですね。ということは、まだ履ける靴であればあるほど御利益というか霊験もあらたかということになるのでしょうか?いずれにせよ、白人が入ってくるまでは絶対なかったはずの(靴そのものがなかったでしょうから)、ちょっと変わったB級儀礼のようですね。



この日は暑かった!靴の写真を撮りに行くまでの道すがら、
おしんこどんにカメラを向けると‥はい、この通り(笑)。


さて、いよいよWewak周辺を離れる時がやってきました。次のページでは、最後の目的地ラバウルむけての大移動と相成ります。

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