いざケラム川へ!え、こんな所でエンスト!

さて、船はセピック川本流から支流のケラム川へと進んでいきます。川幅はさすがに本流ほどではありませんが、高低差はほとんどないことからのんびりムード、途中魚獲りをしているカヌーなどともすれ違うと、皆さん手を振って下さいます。川面をいく風も心地よく、最高の気分です。



高床式ゆえ多少の増水には耐えるとはいえ、逃げ場のない家。大丈夫かなぁ。

さて、カンボット(Kambot)村までは片道約3時間。途中チモンド村(現地の呼び名ではスンドゥ村というらしい)を通過していきます。休憩はしなかったんですが、川からはかつてのハウスタンバランの跡を眺めることが出来ました。
【ハウスタンバラン】

パプアニューギニアに西洋文明が入りこむ以前、この地域、ウェワクからセピック川流域にかけては土着の精霊信仰が基をなしていました。村の中心となる聖なる館(House)に先祖及び精霊が集い、その祭祀(Tambaran)を司る建物としてそれぞれの村には聖なる建物、すなわちハウスタンバランがあったというわけなのです。この宗教的発想は日本の神社を考えるとわかりやすいでしょう。神社には「聖なる域」があり、その八百万の神々にむけて祈るのが村人の基本的な信仰であったように、この地方の各村々にあった聖なる心の拠り所、それがハウスタンバランだったわけです。

しかし20世紀に入り、この地域が植民地化されるに及び状況は激変します。すなわち植民地化=キリスト教の流入です。キリスト教の各宣教徒は(最初の宗主国がドイツだったのでプロテスタント系だったと思いますが不明)、宗教的使命の意志のもと、どんどんと「奥地」へ入りこみます。キリスト教徒への「洗脳」は物量を伴った「アメと鞭」が基本であったようで、その教えは都市部から地方の中核村へ、そして中核村から地域の村々へと着実に伝播していったようです。そしてその流れは、陸の孤島ともいうべきこのセピック川流域(ただし「陸の孤島」であっても「交通の孤島」ではなかったはずですが)にもじわじわと広がってきたらしいのです。

日本には「神仏習合」の歴史があり、本来の宗教的対抗馬としてのお寺と神社は敵対関係にありません。だから我々は初詣の際にお寺も神社も一緒くたにして「去年は明治神宮だったし、今年は成田山に行こうか」という発想に違和感を感じないわけです。しかし、その「複数の『絶対』を認める我々日本の宗教観が、世界的には納得せざるものなのだ」ということには改めて気付くべきなのかもしれません。

ここPNGにおけるハウスタンバランも、圧倒的な物量を誇る宗主国政府から肩入れされた宣教徒の力に屈することは出来ませんでした。村の人々の心の拠り所をハウスタンバランからイエスキリストに移動させるのに、直接的圧力でなく物量で勝負したというのはおそるべきうまい発想です。すなわち「キリスト教徒になればこんないいことがあるんだよ」というように(これはPNGならずとも各地でとられた戦法のようでしたし)。
 
そして各地域の上層部を洗脳し、あとは時の流れのままにまかせた結果、この地方の民衆はほぼ全員がキリスト教徒になりました。となれば、一神教徒でなければならないキリスト教徒が、別の神@精霊の象徴ともなる建物を維持でき得るはずがないというのはわかりやすい現実です。タイにおいて仏教と精霊信仰とが同居できていること、そして日本において仏教徒が神社に参拝し得るのとはまったく反対の形で‥。 



柱だけ残る、チモンド村の旧ハウスタンバランの建物跡。

さて、ボートはケラム川を順調に遡っていきます。とはいっても流木をはじめとした漂流物を避けながらの運転のため、時折大きく迂回を余儀なくされるのはやむを得ない話です。しかし漂流物のうち水面に出ているのはごく一部、それを見逃すと困ったことになります。

順調に走りながらも、大きな漂流物をよけるようにして走っていたところで、船底&船外機に相次いで異音が聞こえました。エンジン停止。何かが当たってしまったようです。あたりには家も畑もないエリアですから、やむをえず船を川岸の茂みに寄せて固定し(とはいっても茂みのヨシをつかんでいるだけでしたが)エンジンの分解修理を始めます。

さすがPNGと思うのは、エンジン内のどの部分が壊れ、そのためにはどうすればいいのかを各乗員さん(若い)がわかっているところ。バイク乗りの私がいざエンジン不具合となると手も足も出ないというのとは大きな違いです。そして、応急処理までできてしまうところがすごいんですね。

しかし先進国育ち@現地では赤子同様の我々には新たな問題が生じました。この茂みに寄ってからというもの、時折嬉しそうに蚊が近寄ってきます。しかしここセピック川流域はマラリアを媒介するハマダラ蚊の巣窟ともいうべき場所で、彼らは日中、水辺の草々のあたりでお客を待っているということでした、ということは‥

やばいことです(笑)。マラリアそのものは予防薬(クロロキンなど)の事前服用によりかなり防げるとはいうのものの、日本では入手に手間がかかることもあり手に入れずにここまで来てしまった我々、そしてまさかこんなことになるとは思わず虫除けスプレーも塗ってこなかった我々。とにかく無防備な中、ハマダラ蚊とおぼしき蚊の攻撃におびえながら船を固定すべく川岸の草をつかんでいたのでありました。

彼らが真剣に船を修理しているのだから、こっちとしては草をつかんでいるしかないわけです。しかし、この油断を突いてくるのがハマダラ蚊(たぶん)なのですね(左右写真とも、マウスオンで画像が変わります。左はあとで買った予防薬、右は格闘中の手のひら)。
しかしさすが彼らというべきでしょう、15分ほどしてエンジンは再始動!(メインの動力伝導部品がちぎれていたというのに!しかも金属部品だぞぉ)。再び上流のカンボット村を目指すことができました。しかしタイあたりのバイク屋もそうですが、どうして部品もないのに直せるんだろうなぁ。摩訶不思議というよりありません。



川沿いにはシラサギとおぼしき鳥が多く見受けられました。



おばちゃんも何やら懸命に働いているようでした。
毎度おなじみ動画編

「ケラム川をこんな感じで遡ります」

波もなく穏やかな流れですが、流木に注意!
動画の中にも出てきます。

Wmv形式、703KB、18秒
というわけで、次はいよいよカンボット村に到着です。思わず「大物」を買っちゃったぁ(笑)。

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