駆け足のクワイ川巡り


チェンマイからの夜行は1時間ちょいほど送れてバンコクに到着した。本来なら6:00に到着する予定だったのだが、8:00にバンコクノイ駅を発車する列車に乗り換えるにはかなりぎりぎりだ。何といっても駅はチャオプラヤ川の向こう岸なのだから。結局、値切る間もないままにトゥクトゥクを走らせ、ぎりぎりに間に合った。しかし、列車は約30分遅れで出発。あれだけ焦ったのは何だったんだ。

列車は満席。仕方なく地べたに腰を下ろすが、これでは景色が見えないので時々立ち上がってみたりする。飲み物や食べ物の売り子が数多く行き来する。ちまきご飯とビア・シンを買って座り込んだまま食べる。おいしい。何てうまいんだ!(朝飯食べてなかったからかも)。途中、ナコンパトムでさらに1時間くらいの遅れが出ているので、現地での滞在時間が減ってしまうことを心配してしまう。

駅の前には連合軍の墓地がある。その数約7000。自分は別に戦争擁護論者でも自虐的戦争論者でもないつもりだが、戦跡があれば出来る限り訪ねるようにしている。学校で習わない、教えてくれない、教えようにも教えられない歴史というものを、せめてこの目で確認し、考えるようにしたいためだ。
でも、ここは随分と開放的で、悲惨な戦争の影をこの墓地そのものから感じることはほとんどない。明るく強い日差し(チェンライあたりとはまるで違う)のせいだろうか。

少し行ったあたりでレンタサイクル(バイクではない)を借りる。借りてみてわかったことなのだが、自転車にうまく乗れなくなっている自分がいる!ここ数年、ほとんど乗ったことがなかったとはいえ、恐ろしいことだ。自転車とバイク、共にバランスで乗るものとはいえ、その中身は全く別なのだということを実感した。ま、でも昔取ったなんとやらですぐに何とかなったんだけれどね。

墓地から川沿いの道をしばらく行くと、いよいよ目指すクワイ川鉄橋だ。ここは今や一大観光地のようで、リバークワイの駅もぴかぴか、川沿いにはいくつものレストランが並び(うまくなかった)、橋の向こう側では観光用のエレファントライドまでも出来るようだ。

そして、橋の上には人、人、人。恐ろしいほどの観光客である。半数ほどが外国人のようである。しかし、ここの混雑とは裏腹に、少し離れたところにある戦争博物館はあまりにも閑散としていた。
 
竹を編んで作った博物館は小さいとはいえ、その内容にはやはり考えさせられるものがある。建物の中は撮影禁止ということだったが、表に出たすぐ脇にある、「 Forgive But Never Forget 」の文字が印象的である。日本では「世界大戦で日本はひどいことをやった」という抽象的なイメージだけの教育がはびこっているようにも思えるが(あくまで自分の個人的見解です)、もしそうだからといって、いつまでも謝ってばかりでいいのか。では謝ればきれいさっぱり忘れてくれるとでも言うのか。答えがイエスでないのなら、やはり我々は次の一歩を踏み出すしかないのだと思う。そのためにも、事実を事実として認識するようなスタンスが必要だと思うのだがどうだろうか。もちろんそこに半ばヒステリックな自虐的懺悔(どっかの新聞のように)を入れるべきではないのはいうまでもない。随分前だがマハティール首相が「日本はいつまで過去のことにこだわっているのか。大切なのはこれからのことではないのか」と言っていたが、まさにその通りだと思う。

このあと、また遅れては大変なのでエアコンバスでバンコクに帰る。市内は相変わらずの大渋滞で、ターミナルにもたどり着けない状況。やむを得ず途中で降りてバイクタクシーで中央駅まで。余談だが、バイクタクシーのすり抜けは尋常じゃない(笑)。「この命知らず!」と何度も冷や冷やしてしまったのだ。
最後に、夜の中央駅前の風物詩、ソムタム屋台で一杯としゃれ込む。ここに来ると必ずゴザに座り込んで一杯というのがいつものパターンなのだが、いつも思うのは彼女たちとの言葉のコミュニケーションが取れないこと。タイ語を覚えなきゃなあと毎度のように思うのだが、日本に帰るとその気持ちも薄れてしまう。いかんなあ。

いよいよ先輩との待ち合わせ時間になった。辛いソムタムを一気にかき込み、異常に噴き出す汗にへろへろになりながら、いよいよ今回のタイ旅行も終わりだ。長々と読み続けていただいてありがとうございました。

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