1990の4月に登ったときのページもありますので合わせて見てね。あぁ年食ったなあ。)



午後になって降りだした雨も夕方になってやんだ。さ、明日はいよいよ頂上だ。

Mt.Kinabalu(4095m)に前回登ったのは1989-1990のNZワーホリの帰り道、まっすぐ日本に帰るのもどうかと思ってマレーシアとタイに寄り道したときだった。そのあと1998に公園事務所の前を通過したことはあったけれど、登るのは確かに11年ぶりだ。あの時は別につらいとかしんどいとか思ったことはなかったけれど、Takemaも悲しいかな今や30代後半だし、あの頃より体力も衰えているだろう。いや、「だろう」じゃないな、最近結構運動不足だし(悲)。まずは行ってみましょ。


まずは登山ゲート(1890m)までバスで移動。前回はほんの僅かな出費を惜しんでここまでも歩いてきたんだけれどな。で、ゲート手前の看板には「キナバル登山レース」のコースレコードが書かれた立派な掲示板が。これはここから頂上を往復するタイムレースなのだけれど、標高差は約2200m、しかも頂上は4000mを越えているから空気も薄く、それこそおいそれと「ちょっと俺も参加してみようかな」とはいかない過酷なレースだ。

ところで、通常であれば片道10.5h(ガイドブックによるコースタイム)くらいかかるこのルート、トップの人はどのくらいかけて往復すると思いますかいな。上の写真では字が潰れていると思いますので、以下に1-3位のレコードを。
1st Ian U.K. 2Hr 43Min 20Sec.
2nd Simon U.K. 2Hr 43Min 22Sec.
3rd Marcel Slovakia 2Hr 43Min 28Sec.
げげっ!こいつら人間じゃないっ!標高差2200mの往復に3時間かかってないぞ。しかも足下は整備されているとはいえ山道だし。こいつらサルだな(笑)。マラソン選手が42.195kmを2時間ちょいとはいっても、ありゃ舗装された、足下に気を遣わず前だけ見ていればいいわけだし、しかも標高差なんて無きに等しいわけだ。いってみれば「マラソンランナー=サラブレッド=速いがもろい」、「このレースの出場者=道産子馬=馬力もあるがオールマイティ」といったところなんじゃないかな。少なくとも、マラソンランナーはこういうところではからきし駄目だろうが、ここの優勝者はマラソンでもそこそこ行けるんじゃないのかな。

いかん、またも話がそれてしまったm(_ _)m。

 

左の花、正式の名前はともかく、ガイドさんいわく「Kinabalu Flower」とのたもうていた。登山ゲート付近に群落あり。
なお、登山コースの要所要所には左のような休憩所あり。流水が引いてあり、飲めるので水は不要。

さて、ゲートからいよいよ歩き出す。今回は二人分の荷物を一つにまとめ、「男らしく」Takemaが背負うことに。翌日これでしおたれるとも知らずに。出発時間が遅かったこともあって(何たって、今朝は標高0mのコタキナバルから移動してきたのだ)すでに気温が上がり始めており、暑い。それでも標高を上げるにつれて熱帯とはいえ涼しくなってくる(途中からガスったからともいえるけれど)。このあたりにはPitcherpot=ウツボカズラの群落がある。前回の時はガイドさんを置いて一人で登っていたので全然気付かなかったぞ。

  

小さいディスプレイだと画像が前後しちゃうかもしれませんがお許し下さい。左から順に小中大の順に並べてみました。小さいのはライターの1/3くらいのもので、それが大きいのになるとタバコの高さ×1.5-2倍くらいになるわけですね。しかしそんなに大きくなって、いったいネズミでも捕まえるつもりなんだろうか(笑)。



標高3000m付近まで上がってくると、なんだかひんやりとして
日本の山を登っているような錯覚さえ覚えます。
でも道の両脇には野生のラン。やっぱ熱帯だ。

 

そして、標高約3300mのラバンラタ小屋に到着。今日はここまで、明日いよいよ頂上を目指す、となればまずは一杯というところでしょう。後生大事にここまで担ぎ上げてきた、島根県は李白酒造の「両人対酌」の出番ということですな。お猪口は、検疫に申告したら引っかかったかもしれない孟宗竹でおしんこどんが作った手作りのもの。ぷはぁ。ええなぁ。でも、ちと頭痛いなあ。高山病だろうなあ。ま、いいか。水を多めに飲むことにすれば(注)。そんなわけでぐびぐび、ぷはぁ。それが我が身を過信したTakemaの失敗であるとも知らずに(爆)。

注:水分補給は高山病予防には欠かせないものです。と同時に、その分解に水分を必須とするアルコール分の摂取は明らかな逆効果であるといえます。そんなこと、知っていたんだけれどねぇ。前回何でもなかったもんだから…。