− Page3: 南部アフリカを目指すことになった経緯&揺れ動いた不安 -
ちなみに今回の旅行のタイトルは「南部アフリカ旅行」です。「南アフリカ共和国旅行」ではありません。ここはしっかりこだわります。
さて2008年7-8月の南部アフリカ旅行ですが、決して「かねてよりの綿密な計画」があったわけではありません。いや、あえて言うなれば「突然旅行目的地を変更してドタバタと準備して行っちゃった」という表現が一番的を射ているように思えます。以下にその顛末をば。
2008年4月。Takemaの明晰&すっとぼけ系脳内では、来たるべき夏について「確固たる意志」を明確にしていたのでありました。それは、
というようなものでした。いやホント、まじめに「その気満々」だったのであります。日程も早めに調整して(シフトが早めに決められる職場ってのは有難いです)7月29日出発という計画を立てました、あとは「フェリーのチケット売り出し日」を待つだけ、本当にそのつもりで「来たるべき夏」に対してやる気満々だったのです。しかし、誘惑のヌフフ系悪魔はとんでもない所に潜んでいたのですね(笑)。
GW明けのとある5月某日、Takemaはだらーりだらりとネットサーフィン(死語?)を続けておりました。わたしの場合自サイトのリンクをたどっていろいろと眺めることが多いのですが、友人系サイトをほぼ見終えてしまい、それでもただ何となく、まさにだらーりだらりといろいろとクリックし続けていたわけなのですが、そんな時ふと次のようなことを思いついてしまったのです。
そう思って、ついつい(よせばいいのに)相互リンク先の「Etour」さんサイトに流れていきました。で、とりあえず目的地もないので当てずっぽうに「NRT(成田)−SIN(シンガポール)」のリアルタイム空席情報を検索してみると‥「あれ、全然空いてる‥」。例年ならこの時期、出発日によってはすでに空席0表示が出ていてもおかしくないのに、「9席」?
ちなみに上記Etourさんの「海外航空便のノーマルクラス空席照会」機能では、どんなに空きがあっても「9席」以上の空席表示はなされないようなんです。たとえば「そこそこ予約が入ってるよ」という場合は「4席」と表示されるのかな?また機体が小さく座席数が少ない場合は最初から「4席」表示になっているような?(経験則ですので真偽のほどは保障しません)。
燃油サーチャージの件もあるだろうから結構皆さん海外旅行の手配を手控えているんだろうな‥。ま、かといってこの夏を「シンガポールのホテルライフを楽しむ」なんてことにはしたくありません。通過点としてちょっと滞在するのはいいんですけれどね。「ん?通過点として?」。これが悪魔のシナプス細胞だかミトコンドリアによる情報伝達であったのは言うまでもありません(ミトコンじゃないよね)。その直後、くされ明晰Takemaブレインは次のような命令を指先に向けて送り出したのであります。
厳しいブレインの指令に従いやむを得ず?都市コードの出発地ボックスに「SIN(シンガポール)」と入力しましたが、さて到着地の都市コードはどこにしよう?ぱっと思い出せる都市コードとしてはCHC(クライストチャーチ=NZ)とかBKK(バンコク=タイ)とかPOM(ポートモレスビー=パプアニューギニア)とかが浮かびましたが、何となく心が動きません。
そんな時、はたと「ある都市コードを思い出させてしまった」わが脳内ニューロンネットワークをTakemaはある種恨みます。それは「夏旅行の想定予算を数十万円上積みさせる」現況となる第一歩だったのですから(大苦笑)。で、その都市コードといえば‥
SIN-CPT路線の検索結果を見ると、あちゃまーこれまた空いてます(笑)。でもそれはあくまで7/29成田出発という往路のみ。帰路として試しに8/14(お盆まっさかり)を入れて検索してみると‥うそぉ何でこんな時期にまだ空席ありなのさ?この瞬間、Takemaの中で何かがはじけました(笑)。しかしそれは「大いなる決断」というわけではなく、「えー、どうしよー、ねぇねぇ、どうしたらいいと思う?」的な悶々たる己との格闘バトルロワイヤル、そしてあげくの果ては天使と悪魔の居酒屋大宴会(どっちも酔っているので結論が出せません)モードに突入していったわけなのです。何だか意味不明になりつつある表現ですが、要は「どうしていいかわからない&結論を出しかねていた」葛藤状態であったとご推察下さい。
どちらにするかの決断を下せぬまま日々は過ぎていきます。その間にも国際航空路線の空席はどんどん埋まっていくはずです。そうこうしている間に、とうとう「5月29日=北海道行きのフェリー予約開始日」が来てしまいました。となればということで上司にお許しをもらい、「9:00-9:10」の間だけ私的な時間をいただきました。フェリー会社の苫小牧営業所に予約スタート時間と同時に怒涛のリダイアル!と、1回目でズバッと通じてビックリしました。かくして「北海道タンデム」の往路はまず仮確保完了というわけです。しかし、「仮確保」には1週間という期限があります。ということは、いよいよこの1週間で「夏の目的地についての二者択一決断」を下さねばなりません。さーてどうする?
もちろん南部アフリカに行った場合の現地行動予定(レンタカーを借りる前提で考えていたのでかなりフレキシブル)も考えておりましたし、また、
という妙な野望もしっかり心の奥底というか野心の大前提としてありましたしね(笑)。しかしその一方で巨大なる大壁もそそり立っていたのであります。それは‥
1. | 北海道ツーリングに比べてはるかに膨大となる旅行費用はどう捻出するのか?まぁ出せないことはないけれど今後しばらくの旅行人生においてはどう考えても被害甚大? |
2. | 主な滞在国になると思われる南アフリカ共和国の治安がまさに不安定なんだけれど?暴動が各地で起こり治安維持のために軍が出動中!それでも周辺国からの出稼ぎ労働者が難民が1-2万人脱出したとか何だとか?(2008年5月)。ちなみにヨハネスブルグのダウンタウンはネット上で「リアル北斗の拳」って言われているみたいですし! |
3. | 現地まで行ったら是非立ち寄りたいビクトリアフォールズ、しかしジンバブエが大統領選挙にまつわる政変のまっただ中&超ハイパーインフレの真っ最中なんだけれど?行ってる最中に革命でも起きちゃったらどうする? |
うーむこれはそう簡単に「やっぱアフリカ♪」と軽々しく決断できるものでもありません。よせばいいのにたまたま職場に来た大手旅行社営業さんに聞いてみると「この夏の南アフリカおよびジンバブエ方面のツアーは全て催行中止となりました」とのこと、おーいおいそうきましたか(笑)。ついでに外務省の危険ランクも引き上げられてたし(ジンバブエ=「渡航の是非を検討してください」)。
でもそうなると天の邪鬼Takemaの血がかえって騒ぎます(あーあ)。というわけでまずは現地情報の収集です。南アフリカやジンバブエ絡みの最新ニュースを毎日片っ端から検索、もちろん日本語ニュースのみならず現地のメディア発信のものも含みます。膨大な量でした(英語とはいえ流し読みでしたけれどね)。
また、以前ナミビアを旅行したことが縁となって知り合うことが出来た「You and Africa」の千晴さんに現地の情報を問い合わせたりもしました。千晴さんご夫婦は現在ナミビア在住ということですが、「南アフリカ在住のわたしの友人たちも普段通りに生活しているようです」とのお返事をいただきましたっけ。と、ここでピピーンときたわけですね。それは「マスコミの取り上げ方」。
で、あらためて「そういう視点」からいろいろな記事を読み込んでいくと、見えてきたのが「暴動は全土的なものではなくごく一部の大都市に限られているじゃないのさ」ということ。しかも今回の暴動に限って考えるに襲撃対象はあくまで周辺国からの外国人黒人労働者で、現地の白人や東洋人が襲われたという事件はどうやら1つもないようなのです。「外国人労働者が安い賃金で働くことにより雇用の機会を奪われている南アフリカ黒人の不満が爆発したのが今回の各地暴動である」という論評から考えるに、ただ単純に「金のあるやつを襲う」ということではないみたい。となれば都市部を外して旅行する限り大きな危険は少ないかもしれない?という読みに至りました。ま、もともと大都市に滞在する考えはなかったのでこれについての問題はありません。
ちなみに日を追うごとに南アの状況は沈静化していきました(よしよし)。ただし今回の場合現地の状況を考えねばならないのは南アフリカ共和国に限りません。目下政情不安のまっただ中にあるジンバブエも忘れてはならないのです!(何でそんな国ばっかり目的地に選んでるんだ!(苦笑)。ただしわたしゃ「あぶない国フェチ」というわけではありませんので念のため(笑))。
ジンバブエでは2008年3月に大統領選挙が行われましたが、どうやら大統領側による票数操作に手間取ったようで(笑)、この選挙は3月末に行われしかも即日開票されたはずなのに結果発表は5月2日。「公式」発表では選挙結果として「野党MDCのツァンギライ議長が勝利、ただし獲得票数が過半数に達しなかったため再度決選投票を行う」という発表があり、その投票は6月28日に行われるということになりました。それはちょうどわたしが「ジンバブエの現況」を調べている時期とぴったり重なったわけです。
その時期は大統領支持派による(たぶん上部からの公式&非公式指令あり)野党メンバーや支持派に対する身柄拘束や脅迫、そして暴行や拷問事件が数多く報道されており、その様子たるや惨憺たるものでした。前出のツァンギライ議長もその例外ではなく、一時はオランダ大使館に身柄の保護を願い出たほど。
その一方でムガベ大統領は決選投票を前にして「わたしを解任できるのは神だけだ」「もしわたしが敗退したらこの国は内乱状態に陥るだろう(=わたしの支持者がクーデターを起こすだろう)」などという、強気というか開き直りというか、とにかくものすごい発言を繰り返しておりました。
この事態に国際社会からの圧力も強まり、洞爺湖サミットでは「ムガベ政権の正当性を認めない」とするG8共同声明が出され、イギリスやアメリカでは、ずっと以前にムガベ大統領に授与されていた爵位や名誉博士号を剥奪し、また主要人物の海外資産凍結、さらにドイツはジンバブエドル紙幣を供給していたドイツ企業に供給停止を要請するなど、ジンバブエをめぐる情勢は日を追うごとに緊迫の度合いを深めていったわけです。これらのニュースが報道されるたびに「うーん、こんな時期に首都から遠く離れたビクトリアフォールズだけとはいえ、入国して大丈夫なんだろうか?」とどんどん不安になっていくTakemaでありました。
しかし事態は6月22日に大きく動きました。「ツァンギライ議長側が決選投票からの撤退(不参加)」を発表したのです。残る候補はムガベ大統領だけですから、決選投票はいわば「単なる信任投票」に過ぎないことになります。ということはいろいろな意味で「これ以上の政治的混乱は一時的にはおさまるのではないか」ということが予想され、
という「渡航決定」に至ったというわけです。ただしこのページでも挙げたように、政治的失政に端を発する経済の混乱、特にジンバブエドル価値の大幅な下落がおさまったわけではありません。それどころかインフレ率は月を追うごとに急上昇し、
という、とてつもないハイパーインフレーション状況に陥っていたのであります。なお上記の数字は政府系機関による「公式発表」ですから、そのままこの数字を鵜呑みにすることは出来ません。非公式の統計によれば、8月時点におけるインフレ率は、
ですから、ジンバブエドルの外貨換算価値はもうとてつもないことになっていきます。下の図は7月9日現在の価値を表したものですが‥。
で、7月中旬に「100,000,000,000(1千億)ドル札」を導入したと思ったら、われわれが旅行中の8/1に突如として1/10,000,000,000(百億分の1)デノミネーションを行ったという件については別ページで紹介したとおりです。ちなみに、このページを作っている9/22現在のレートはというと‥
「94」のうしろに0を9個付けると旧ドルベースの価値になるわけですから「94,701,000,000ドル」ということですね。うーん、約2ヶ月半で価値が1/6近くに目減りしてます。やはり‥。ちなみに新ドルではつい最近まで「1円=Z$1」くらいだったんですが、今調べてみたら「0.88円=Z$1」でした。しばらくするともっと下がるんでしょうね。価値の高速下落いまだ止まらずという感じです。
さてジンバブエの問題はここらで一旦置いておいて、その他の予定訪問国として「レソト王国」「スワジランド王国」という2つの王国があります。これら2国についてはあまり危険な話を聞きませんでしたし、両国とも独自通貨を発行しているとはいえその価値は南アフリカのランドと等価値という固定相場、さらには両国内でのランド支払い可能ということで完全に南アフリカの経済圏に組み込まれていますから、お金の問題は全くありません。いやそんなことはいいとして、ここで書きたかったのは「Takemaとレソト王国とのなれそめ」なのであります。
Takemaがレソト王国という存在を知ったのは、今を去ること30数年前、小学校5年生くらいの時だったと思います。当時のわが家(完全リフォーム前の現自宅)のトイレには世界地図が貼られていました。情操教育の一環として親が貼ったのか、それともTakemaが自分で貼ったのかはもう覚えていませんが(たぶんTakemaじゃないかな?当時は地理が好きだったし)、とにかく、毎日必ず世界地図を眼にすることとなってしばらくするうちに、アフリカの南部にちょっと変わった国があることに気づきました。
小学生にしてこのような「政体維持への疑問」を持ったところに少年Takemaの神童ぶりが如実にうかがえますが、まぁそれはともかく、それ以来この「レソト王国」という国がTakemaの頭の中でずーっと気になっていたのは事実です。調べてみるともともとイギリスの保護領バソトランドであった地域が1966年に独立したということ、牧畜中心の農業国で国全体の高度が高いことから「天空の王国」などと呼ばれているのだとか。うーむこれはなかなか面白そうだぞということでほぼ当然のように訪問決定。
で、もう1つのスワジランド王国には特別の思い入れはなかったのですが、クルーガー国立公園へのほぼ通り道にあたることもありこれまた訪問決定というわけです。
南アフリカとジンバブエの問題があって訪問を決断するまでにはなかなか時間がかかりましたが、行くと決めたらあとはテキパキと手配して‥。さて次ページでは各国についてのミニ紹介、そして次の次のページからいよいよ旅行記が始まります!
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