− 2009 タイ北部湯めぐり(7) バーン・ノーンヘーン温泉にいざ!(その1) −



こ、このような恐るべき高温含硫黄自噴泉がタイ王国内にあるとはっ!(マウスオンで拡大画像に変わります)。

いやー、ここの源泉槽群を見たときはとにかくぶったまげました!タイは温泉(源泉)が少ないんですが(たぶんほとんどの方は「タイに温泉があるの?」という程度の認識ではないでしょうか?)、でもその中には源泉温度が限りなく100度に近い超高温泉(地下では140℃とか)などもいくつかあるようなんですよね。

フィリピンのように現役活動系火山帯でもないタイでなぜこのような高温泉が自噴しているのか?その理由については地学者の先生方に分析していただくとして、所詮わたしらは一介の旅行者に過ぎませんから、この現実を目のあたりにして「さーてぬふふ♪」と考えるしかないのであります(何のこっちゃ)。しかし上記画像の源泉に行くまでの過ごし方を先にご説明いたしますね(まずもって役立つ内容は含まれていないと思われますが)。

朝は9:00出発ということで、のんびりと8:00頃に朝食を食べに行ったところ、何と驚いたことに先客さんの姿は全くなし。朝食ビュッフェの各皿を見てもほとんど先客さんが手をつけた気配がありません(というかチャーハン以外はどう見てもわれわれが最初の客)。昨晩宿泊のお客さんはそれほど多くはなかったとはいえ、皆さんのんびりしているのね。ま、それが「正しいリゾートの過ごし方」であるともいう気がしますが。

食事後、正面入口の宿の看板画像を撮影しにお散歩がてら歩いて行きます。メインロードからの入口には手作りの木製指導標があったりして何だかいい感じです。ところで「View Point 7km」というのがちょっと気になりますが、今日はそちら方面に向かう機会がないので残念です。というか、この大気の状態(煙の滞留による視界不良)ではどこに行っても好展望は望むべくもないはずなのでまぁ行かなくていいや。



出発までにはまだ時間があったので屋外のテーブルにて記念撮影(おしんこどんの背後に見えているのがわれわれの部屋)。

さてそんなわけで9:00に駐車場に行ってみると、アッさんはすでに到着しておりました。ワンボックスカーを二人で貸し切るというのはゼータク以外の何ものでもありません。この日はクンユアム方面に往復で160kmくらいの行程なので(実際はもっとあった)、メーホンソンの町で借りられるレンタルバイク(小型)にタンデムというのはちょっと不安だったこともあって車のチャーターを選択したわけです。距離があるということで多少高めなのかも知れませんがこの日のチャーター料は1200B/1台。英語OKのアッさんがドライバーさんであることを考えると決して高くはないかという感じです。物価の基準が違うとはいえ丸一日貸し切り、ドライバー付き、ガス代込みで1日3600円なのですから‥。

さて、メーホンソンは完全な盆地でありますんで、クンユアムに向かう国道はワインディングに次ぐワインディングで一気に高度を上げていきます。うーんこりゃ下手に小さなバイクのタンデムだったりするとエンジンが焼き付いたかも知れないぞ(レンタルバイクのメンテナンスは決して良好なものではありませんので)などと思いながらかなり標高を上げたところにあるレストエリア(ちゃんとトイレもあった:ただしトイレ内の状況は未確認)にて最初の休憩となりました。まだ休憩が欲しくなるほど走ってはいませんから、これはアッさんが気を利かせてくれたんでしょう。

はるか下に川を臨む景色のいい場所ではあるんですが、いかんせんしっかり煙害&乾燥注意報出まくりのこのエリアゆえ左上画像のようにかすみまくっています。ちなみに仲良くポーズを取っているように見えますが、この背後は数mほど切れ落ちていますんで2人とも少々ビビリが入ってます(笑)。

で、同じエリアにあったお地蔵さんというか寿老人というか、何だか儒教のにおいたっぷりの像がありましたので失礼して写真を撮らせていただきましたが、この像についてアッさんに質問するのを忘れました(笑)。

次の見学地は「偶然の賜物」でした。クンユアムに向けての走行中突然アッさんの携帯電話が鳴り、車は路肩に停車。ふと窓の外を見ると‥



何やら妙に気になる2つの塔が‥

というわけで降りて見に行くと‥予想通り旧日本軍関係の慰霊碑でした。詳しくはこのあとのページで述べることにしますが、実はこれから行こうとしているクンユアムという町は、第二次世界大戦における無謀な作戦であった「インパール戦線」のタイ側拠点だったのです。2つの塔のうち向かって左側が日本人建立の慰霊碑(右上画像にマウスオンすると裏面が表示されます)、右側がタイ人の方々による慰霊碑です。

で、ここでアッさんから「日本人建立の慰霊碑に書かれている内容を教えて欲しい」と言われました。うわー、パプアニューギニアのウェワクから車&ボートで溯った先にある「マゲンドー1村」を思い出したぞ!あの時は「105才(たぶんもっと若いのでしょうが)のご老人」との対面もあり、1969年に私費で慰霊に訪れた西垣匡さんが残した手ぬぐいに書かれていた和歌を訳すという大命を授かったんだっけ(詳しくはこちら)。

さすがにそこまでハードな雰囲気ではありませんでしたが、きっちり慰霊碑の内容を説明するのはTakemaの英語力においてはかなりキンチョーする状況でありました。確か「Next Stageにおける魂の安泰云々」と解釈したような気がしますが、そのあとアッさんから「なるほどタイ側の慰霊碑に書かれている(=アッさんが理解している)内容と同じですね、タイ語ではこういう内容です」と説明を受けていくうちに、「あー、そうかそう言えばいいのか!」と勉強させていただきました。ただしその伺った表現をすでに忘れてしまっているTakemaをお許し下さい(学習能力ゼロ)。



ちなみにTakemaの聞き間違いでなければ、この看板には日本軍絡みの表示内容があったということ。この地にもつらい記憶が残されているのです。

このあとは「ここは早春の軽井沢?」とも思ってしまう高原のような道を進みます(もちろん多少のワインディングはありますが)。いや気温そのものは30℃くらいなんですが、ちょうどこの時期は木々の芽がまだ出てきておらず(おそらく芽吹きは雨期に入る5月下旬からなのでしょう)、エアコンの効いた車内から見ている限りは「かなーり爽やかな雰囲気」に見えるというわけですね。



軽井沢では牛は道路を渡りませんが(笑)、でも何だか高原的な雰囲気でしょ?

そんなこんなでクンユアムの町に入ってきました。ちなみにこの日に訪問する予定の日本軍記念館(あとのページで紹介します)は町の入口側にあるんですが、こちらは帰路に立ち寄る計画です。というのも、確か博物館の見学時間に「お昼休み」がありましたからね。

で、それ以外にもこの町にはわれわれがなすべき「お仕事」があります。それは‥

タイの方々は基本的に「お湯に浸かる習慣がない」ということには前にも述べましたが、ではこれから向かおうとしているバーン・ノーンヘーン温泉のように事前情報ですらもかなりの高温泉だという湯で、タイの皆さまはどのようにお楽しみなさっておられるのかというと、そのメインアトラクションとは‥

ただしここでいう「ゆでタマゴ」とは日本でいう半熟の「温泉タマゴ」ではありません。あくまで普通のゆで卵です。せっかく高温の源泉があるというのにそれを浴びたりすることはせず、ただ寡黙に「卵がゆであがるのをじっと待つ」だけというのはちょっと不思議な気がしないでもありませんが、それこそがタイの大地で育まれたタイならではの習慣?なのですから、そのことについてはとやかく申し上げますまい。というわけで「郷に入りては郷に従え」の言葉通り、商店にて卵を購入した次第です。

上画像の商店にて卵を購入。5個買おうとしたらアッさんも自分用に3つほど買おうとしていたので、全部で8個をTakemaがまとめ買い(といっても全部で20Bでしたが)。ちなみにメジャーな温泉地だと売店で竹カゴ入りのタマゴを売っていたりするのですが(そのまま湯に浸けられるので楽)、ここでは普通のプラスチックバッグしかありません。これで大丈夫なのか聞いてもらったら「大丈夫、問題ない」ということのようでした。確かに結果として熱で溶けたり穴が空いたりすることはありませんでしたが、お店の人がわざわざ袋を二重にして渡してくれたところを見ると、そんなに自信はなかったのかも知れません(笑)。

さてクンユアムの町からさらに25kmほど南下した先に、目指す温泉への入口を示す看板がありました。

立派な屋根付きの看板下部には英語の表記もありますから(左上画像にマウスオンすると拡大します)、レンタルバイクによる単独行でも何とかたどり着けると思いますが、メーホンソンからだと片道90km、そのほぼ全てがワインディング路であるということだけはお忘れなく(笑)。

ここからは簡易舗装の細道を1kmほど。何だか広いところに出てきたなと思ったら、広い駐車場の向こうに目指す温泉がありました!




(それにしてもなぜお坊さん方がたくさんいるの?)

どうやらお坊さん方は「社会見学」でこちらを訪れただけらしくわれわれとはほぼ入れ替わりで次の見学地?に移動していかれました。他にお客さんの姿はなく、最近整備されたらしい「源泉公園」はわれわれの貸し切りとなりました。というわけで周辺の状況確認からまいりましょう!長くなってきたのでこの続きは次ページにて。
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