- 2015/8 キューバ旅行記(16) クルース岬経由でカマグエイへ -



クルス岬の灯台(Cabo Cruz lighthouse)へ。カリブの海と青い空、そしてそよ吹く風!

明けて翌朝、深酒をせずに寝たからか目覚めはまぁ爽やか(笑)。この日はクルース岬まで往復した上で内陸のカマグエイを目指すわけですが、



最初にニケロからクルス岬を往復するわけで、本日の予想走行距離は約350kmとそこそこあります。まぁおそらく全線舗装でしょうし、車のほうも冷却関係の懸念がなくなりましたから気楽ではあります。問題は、昨日もそうでしたが「どこでお昼ごはんにありつくか」なのであります(昨日は途中でアイスは食べたけれどランチを食べられる店が見つからず、結局グアンタナモの先の露店で買ったバナナが昼食の代用となったわけで)。

そんなわけでまずは朝ごはん。朝食込みの予約でしたから食いっぱぐれることはないのですが‥



出されたのは、何だか骨チックな形をしたパンのスライスと卵焼き、それはともかくその骨チックパンが別皿(こちらはトーストされている)にも盛られています。メインプレートとパン皿プレートに乗っているのがおんなじパンなんですが(笑)。フレッシュジュースは紙パックだし、まぁコーヒーが付いただけいいか(笑)。ちなみに前日道ですれ違ったイタリア人ご夫婦も唖然顔をしていたようでした。ロビーとかはちょっと小じゃれたりもしているんだけれどねぇ。

さてチェックアウト後、車に荷物を運び入れエンジン始動‥うん、一発でかかりました。なお、このあとレンタカーを返却するまで車に関するトラブルは一切なく順調に走ってくれたことを申し添えます。



岬に向けて道路を南下していきます。のんびりした田舎道で、沿道にはアフリカンチューリップの赤い木花が咲いています。この道ではこの木を街路樹として植えているようでしたが、ここ以外にもキューバ国内のあちこちで道路沿いに見かけられました。やっぱり色が華やかなところがキューバ人の気質にも合うのでしょう。

歩行者や自転車、ビシタクシー(自転車タクシー=Bicicletas Taxiや馬車(コーチ=Coche de caballos)はよく見るのですが、車といえばたまにトラックバスが通る程度で乗用車はほとんど見られません。

かなり進んだところでいきなり前方に「止まれ」と指示する女性の姿が。それもヒッチハイクではなく完全に車道に出て手に標識を持っていましたからその通りに停車。

どうやら国立公園のチェックポイントらしく、ここで入域料5CUC*2を支払います。ちなみにここで係員の女性が「今日はニケロのあのホテルからですか?」と聞いてきたので「そうですが、よくわかりましたね」と答えると「だって、あそこしか旅行者が泊まれるような宿はありませんからね」とのことでさもありなん。やっぱりねー、バラコアで「明日はグランマに行く」と言ったらレストランの若旦那が「どうしてあんなところへ?ホテルも全然イケてないし‥」というようなことをおっしゃっていましたが、本当に何にもないんだ(笑)。

チェックポイントからは椰子の林の中を進みます。海や汽水湖に近いからかカニが道路を横断していたりしましたが、やがてポツポツと家が現れたと思ったら道路終点のカボ・クルース集落でした。

おそらくはこのエリアが国立公園に指定される前からの集落なのでしょう。それはこの国立公園の名前を見れば想像できます。



そう、ここはカストロ兄弟やチェ・ゲバラら革命を志す者を乗せたグランマ号がこの地に着岸したことを記念する国立公園であり、特に貴重な動植物等の自然保護のために設置されたわけではなさそう‥ん?いやちょっと待て!(笑)。



調べてみたらやっぱりそうでした。海岸段丘が海底部まで続く地形は世界最大級なのだとか。爬虫類等にも固有種が多く‥というわけでいやぁアブナカッタ(苦笑)。このように「名前の印象だけで判断すると誤解する」わけで、これをネットで「さぞ真実であるが如く」書いてしまうとそれが一人歩きするというわけですね。いろんなところで見受けられますが、ネットリテラシー(その昔は「ネチケット」だったと記憶していますが(笑))はちゃんと守らなくちゃいけませんよ(自戒)。

しかし海岸段丘ってもう少し東部の方なんだろうなぁ(このあたりは低湿地)。でも灯台があるようなのでちょっと行ってみましょというわけで、とりあえず車が進めそうな最終ポイントの広場へ。



左上画像の建物はレストランになっているようでしたが、まだ時間が早くて営業の気配はなし。あ‥



この軍用施設内(失礼ながらただの灯台ですが)には軍人さんがいたっけなぁ、ただし洗濯でもしているのか上半身はシャツ姿でしたが。それにしてもこの世の中、灯台を軍用地として非公開にする意味はもう失われているように思います。灯台そのものが19世紀に建造されたもののようですし、公開してくれないかなぁ、アフリカ最南部のアグラス岬のように!



集落内には小さな港がありましたがこの時間は閉店休業モード。でもレストランからは直線距離で数十mということもあり、案外ここのレストランは「すんごい海鮮料理」を出してくれるのかもしれません(いや刺身とかはもとより期待していませんが)。



カリブ海に面したこちらの海は遠浅になっているようで(まぁ段丘ゆえいきなり深くなるのでしょうが)、岸辺は穏やかなものでした。このクルス集落にもカサ・パルティクラルはあったのかなぁ?(そうであれば泊まりたかった)。さて、来た道を戻りましょう。



細い道でミニトラックバスとやり過ごし(実はこの先の細道で客待ち停車していたので自分がバックしてこの広場まで)、うわ、子牛がいるぞと思ってよく見ればヤギだった(右上画像マウスオン)等のミニイベントを経て再びニケロへと戻ります。あ、途中には「記念館」がありましたが、こちらはグランマ号上陸関係の博物館だということを聞きパスしました(革命関係はもういいやという気分でしたので=嫌いなわけじゃないですが食傷気味、左上画像マウスオン)。

さてこのあとはニケロ経由でマンサニヨ(Manzanillo)まで昨日通ってきた道を戻ります。途中ヒッチハイクを試みていた女性、やっぱり乗せてあげればよかったかなぁとちょっと後悔。南アフリカだって田舎では何回もピックアップしたのに、結局キューバでは全部スルーしちゃいましたごめんなさい。



ところどころ穴ぼこはあるとはいえ、基本的に安定した路面&直進の快適路を進みます。昨日通ってきたはずなのに、お天気が違うとこうも印象が違うものかと実感します。

で、マンサニヨへ。最初は海沿いの公園に行ってみまして、確かにキオスク的な売店はあったのですがどこも「お酒提供ベースの営業」のようだったので昼食断念。平日の昼なのに軽食なしでBBQとビールとラム酒って品揃えって何よ?(そんなに大らかな国だったっけ?)。

その公園では日本でいうホームレスとおぼしき男性の姿もあり、共産主義国の経済的なほころびをちらりと感じることに。すみませんバナナだけ差し上げました。

で、マンサニヨの町もそろそろ外れにさしかかってきて「まずいなーお昼ごはん」といったところで‥





3店ほどの「屋台」じゃなく固定店舗が並んでおりまして、右上画像の青店舗はピザ屋さんでありました。でも‥キューバのピザはもういい(味がないのよ)というわけで、入口すぐの赤いお店へ。お店の幅も広く、これは期待できそうか?

しかし予想通りスペイン語オンリー。でも「客が何を求めにこの店に来たか」という大前提がありますから、こういう時は案外言語なしでも何とかなるもんです。そんなわけで「ピザサンド&お肉挟みサンド」を購入。




(2015/8、1US$=120円前後当時のローカルペソ換算価格です)。

しかも、シカモ、鹿もですよ(いつもの引っ張り)、こちらの小屋の中では常時系で炭火が熾っており、このカウンター前でも「ぐわぁアッツイ!」という体感温度でした。ということはカウンター内で働くこのお姉さんたちたるや‥皆さん細身だったのがよくわかりました。塩分補給を大切にね。

さてここからはハバナ-サンティアゴ・デ・クーバを結ぶ大動脈R152へ。あれ、「R1じゃないんだ?」と自分も思いましたが、現在各地で整備中のモーターウェイが今後R1と名乗るようです。



こんな直進路でも、いきなり予告なしに右上画像のような踏切が出没しますのでご注意あれ。



そんなわけでR152とのT字路へ。おっと、キューバの乗り物系で一番遅い「牛車2トップ」が出てきました。完全農耕用です。




(ちなみにいきなり穴ぼこがあってもおかしくないので念のため=実際にあります時々ドキドキ)。

でもほどなく「あ、あれ何だよ!」というわけで即刻停止&見学に至ったTakema&おしんこどんだったのでありました。だってさいきなり道ばたに‥







かつてキューバがサトウキビのモノカルチャー経済に組み込まれていた時代、こんなにも大きな蒸気機関車が走っていたのですねぇ。ちなみに今でもキューバ国内にはあちこちに鉄道支線が走っており(前のページで紹介したレールバスもその名残かと)、車道にいきなり現れる「踏切」も、念のため徐行しつつも「もう使われていないんだろうな」と思いつつ鉄路を見ると草むらに覆われながらも「うっそぉ線路は銀色に輝いてる!」という感じで、キューバの鉄路はけっこうあちこちで現役です(笑)。

で、大戦前にアメリカから導入されたこれらの蒸気機関車はキューバ革命後も(大切な産業資産として)使われてきたそうなのですが、どうやら世紀の変わり目あたりで多くの機関車が引退したようです(右上画像マウスオンで銘板画像に変わります)。1926年生ですか、もう89歳のおじいちゃん(おばあちゃんかも)ですねぇ‥ん?でも?

ふと思って日本で動態保存(というか実際に運用)されている蒸気機関車をググってみました。うーん、やっぱりもう少し車歴が若い車両ばかりですねぇ。でも、日本では公園に展示されていた機関車が徹底的にメンテされて運用復活!なんて場合もあるようですし、もしかしてこの車両も‥いや、無理かな(苦笑)。



それにしてもやっぱり不思議なのが、「アメリカ合衆国と敵対するキューバ」なのに、アメリカによる搾取の時代の象徴たるこの機関車を、何のプロパガンダ系の説明書きもなく静態保存されているところです。少なくともこの保存には国のお金が使われているはず。キューバ政府の対米方針は「過去の歴史にさかのぼってまでの反米ではない」ということでしょうか。



なお左上画像のような「踏切」がいきなり出てくるのがキューバです。前にも書きましたがメイン国道だって予告看板などなくいきなり踏切ですので、直線路だからといって前をよく見ていないととんでもないことになりかねませんのでご注意を(踏切部分の路面は荒れていることが多いです)。でもって、キューバ国内には鉄道支線がかなり多いですので。

うって変わって右上画像は「ケーキを運ぶおじさんの図」。砂糖が手に入りやすいからなのか?ケーキを運んでいる人の姿は何度か目にしました。ただし箱に入れて運ぶのではなく、段ボールの上に載せて運ぶのがデフォルトらしいです。埃とかは「気にしない」という価値判断が共有されていればこれもありなのでしょうね。しかし暑い中むき出しで長時間ということは、生クリームじゃなくてバタークリームとかなのかなぁ?いやそれでも軽く30度超えのキューバでは溶けるはず?謎です。

ちなみにネット情報なので真偽は不明ですが、キューバでは10歳になるまで誕生日には国からケーキが支給されるのだとか。だとすると、右上画像のおじさんもこの日は子どもの誕生日だったのかな?(何だかほのぼの)。



「まだ先は遠いなぁ」と思いながら走ってきましたが、メインロードゆえ舗装もなかなかで順調にカマグエイ(Camaguey)エリア境界までやってきました。ちなみにこの手前でちょっとアブナカッタことがあったのでご紹介。それは「追い越し時にウインカーを出すタイミング」についてです。

前に遅い車がいて、しかも対向車が定期的に何台か来ていて「しばらく抜けないなぁ」という間、皆さんがドライバーならウィンカーは点滅させず、いざ追い越しをかけるその直前にウィンカーを操作しますよね(最近はそれも出さない呆けた輩も多いのですが)。

しかしキューバではその状況下でずっと追い越し車線側にウィンカーを点灯させておきます。それはつまり、



実際、それまでに対向車線の車が追い越しのずいぶん前からウィンカーを点灯させているのを何度か見て「何だかせっかちだなぁ」と思っていました。しかしここカマグエイに至る途中で、自分が遅い車を抜こうとウィンカーを点灯させてすぐに車線を変えようとした瞬間‥



いや、今だから言いますが、自分の車線変更があと1-2秒早かったら追突または接触したんじゃないかと思います。実はその車はずっと自分の後ろについていた車ではなく、遅い先行車を抜けないTakema車に一気に追いついてきた車だったので余計に気づかなかったというのもあるでしょうし(だからかなりのスピードで抜いていった)、もちろん自分の後方確認が甘かったというのも間違いない事実です(ちょうど死角位置を走行中だった)。

でもこのローカルルールを知っていて早めにウィンカーを点灯(点滅)させておけば、たぶんこんなヒヤドッキリ体験はしなくて済んだんじゃないかな?皆さまお気を付け下さいませ。あ、キューバの運転事情に詳しい方、もし違うようでしたら御指南下さいませ。



さてカマグエイ手前の町で最後の休憩です(とはいえ両上画像はそれぞれ別の町画像だったりしますが)。右上画像のお店は何だろう?自分としては立ち飲み屋またはコーヒーショップではないかなと思うんですが(このお二人は全然動こうとしなかった)、応急的に付けたように見える日よけもたぶん恒久的な設備なんでしょうね。

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