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- 2019夏、ジョージア編(5) ズグディディに1泊、翌日はメスティアでランチ -



山の上に上がってくるとこんなシアワセ広場も目に入ります。




木造モスク見学のあとはもう1箇所、今度は古代遺跡のNokalakevi(かつての名称はArchaeopolis=アルケオポリス)を訪問することに。そこそこ長いジョージア滞在にもかかわらず、温泉以外の各訪問地については渡辺さんに立ち寄り先候補選択をぶん投げてしまったので、この地についての予備知識は一切ないTakema夫婦なのであります(苦笑)。

ただし渡辺さんは「どうやらこいつらは教会めぐりとかは全く望むタイプではないな」とご判断下さったようで、渡辺さんから事前に提示された行程表でも教会などの訪問は最小限でした。感謝&大正解!

しかし行程計画云々を別の人に投げてしまうと、自分の下調べが全然ダメとなるのです(苦笑)。この遺跡は有料施設で、渡辺さんとは別に英語ガイドさんも付いたのですが、いやぁ暑くてメモも取らず、「帰ったらwikiってみるか」と思って調べてみたら(今)全然載っていなくて大汗‥。

それでも理解したところによると、この場所にはBC8世紀からの遺物(陶磁器等)が出土していますし、そこにはヘレニズム様式の出土品もあるようで、やはり古くから要衝として栄えた場所だったのでしょう。当時のメモには「4世紀に築造されたコーカサスの古城」とあります。

その後AD5-6世紀にエグリシ王国の首都として栄えたこの地は、19haの敷地内に首都機能を備えることとなり、そこには宮殿はもちろんのこと、キリスト教会、浴場や貯水池、川に下りるトンネル、さらには非常時に女性や子どもを避難させる高台施設までが建造されました。



左上画像が避難高台施設。英語ガイドの女性は聞き取りやすい英語を話すも、聞き流して覚えてない‥。

ただはっきりしているのは、ここ南コーカサス地方はそもそもアジアとヨーロッパの境界エリアであり、ある時はローマ側やアラブ側、またあるときはササン朝(ペルシャ)の支配下に置かれ、そしてその後ロシア側に編入‥こりゃ確かにこの地域の人々の帰属アイデンティティは高まるよなぁということです。「自分たちは誰なのか、どんな属性なのか」という探求心は、他との接触が深まれば深まるほどそれを希求しようとする思いが強くなることでしょう。そしてその思いこそ島国で生きてきた絶対多数の日本人にはなかなか理解できない部分なのだと思います。そして、理解できないでも済んできたことは地政学的僥倖なのだろうと。



ここは「お風呂」。蒸気風呂だったそうですが、丸い石はイミテーションか当時のものかとガイドさんに訊ねたところ「オリジナルです」とのお答えでした。でもそれはどうかなぁ?16-18世紀には当地の支配者の住居として利用されていたようですから、その当時の遺物なのかなとも思うのですが(あくまで推測です)。





宮殿が地下にまであったらそれはまたそれですごいのですが、こちらは下部を流れる川への通路です。日本の戦国時代の山城でも「いかに水を確保するか」ははなはだ重要な設置条件でしたし、有名な「兵糧攻め」よりも実は「水攻め(水の補給を断つ)」のほうが効果的だったわけですよね。あ、その昔の中国でも「泣いて馬謖を斬る」の根本原因は山に陣地を築いことによる水の不足でしたっけ。

しかしいつの時代かはともかくとして、トンネルを掘ったことで外敵からの攻撃を避けられたというのはこの城に大きな利便をもたらしたと思います。だって‥



対岸は崖であり敵の侵入を困難にしており、こちら側もやはり崖で上流側下流側からのアプローチも困難。その場所にトンネルを築き水汲み場ルートを確保するとはかなりの深謀遠慮に基づく造作だと思うのです。トンネルはかなり頑丈な造りでしたよ。ただ思うのは‥



奴隷たちのお仕事だったのでしょうか。でも、自分が子どもの頃から抱いていた頃の「奴隷」のイメージと実際とはかなり違っていたようですし(かつてのアメリカ映画にもかなりその刷り込み影響はあったのかと思います)、またこのトンネル内は夏でもかなり涼しくて「こりゃ嬉しいな」と思うくらいでしたから、労働環境としてもそう悪くはなかったのかも?







このあとは城壁の上にも登りましたが、皆さんも上画像の外観をご覧になればお感じになったであろう通りのことを思いました。それは‥



2019夏現在、この旧アルケオポリス遺跡は修整作業中なのです。ただ『修整』『修正』『修復』は、似た言葉ながら全部違うのですよね。『修正』は本来の「正しい」もとの状態に直すことですし、『修復』も語義的にはほぼ同じ意味だと思います。

でも『修整』は違うんです。よりいい形に整えるわけです。以前でいえばプリクラ、今ならカメラアプリにも「修整機能」は付いていますよね。

話を戻します。個人的な見解ですが、歴史的遺跡とはいえここは当面の遺跡維持を優先し安易な修整整備に走りすぎているように感じました。特に現在進行形の工事は全然ダメ。モルタルを使いすぎで、そんなのせいぜい数十年しか保たないでしょうよ。紀元前から続くこの地の歴史遺構を目の前の数十年の見た目だけで飾り、その前のこの場の歴史を結果的に復元不可能な状態にしてしまうというのはどうなのかなぁ。

同じようなことは20世紀末のカンボジア、アンコールトムでも感じましたけれどね。日本チームが地下構造まで調査した上で基礎部分を細かく復元しようとしていたいっぽうで、別の場所のフランスチームは地下となる(見えなくなる)部分に容赦なくコンクリートを注入していたわけですからこの時のアンコールトムでした。ページ内にはそのことは書いていませんが。それにしてももう20年前になるのか!)です)。まぁいろんな考え方があることはわかりますがね。



さ、では牛さんロードを戻り、ズグディディに向かいましょう。

ちなみにこのあと実はもう一箇所「何とかキャニオン」とかいう場所にも立ち寄ったんですが、自然の風景を楽しむところというよりはアトラクションランドという感じでしたので、入場料を支払う前の段階で「ここはいいですよ、パスしましょう」ということに。ラフティングとかもあったようですが、外国人料金がそうとう割高だった気もします。いやお金をケチったわけじゃなくて、「自分が求めているのとは違いそうな雰囲気だな」と思ったからですが。

このあとズグディディ手前でSIM屋さんが営業しているので立ち寄り、セットアップして使えるようになったSIMをポケットWiFiに挿し、ヨシこれで自前のネット環境ができて使えるように!

‥なりませんでした。前にも少し書きましたが例のファーウェイのポケットWiFi、ホントにくされです。実は渡辺さんのお知り合いのIT関係に詳しい方と(渡辺さんの)メッセンジャー経由でさまざまなアドバイスを頂いたのですが、いろいろ想定していただきいくつもアドバイスを頂いたにもかかわらず、ネットワーク接続の1段階手前?で必ず難癖を付けてきました。その方から「これでダメならもう『ファーウェイがクソ』としか言えませんね」という最後のメッセージをいただき、かえってさっぱりしました。



もちろんその分の料金はお支払いしますと申し出てのことでしたが、結果的に払い忘れました(渡辺さんすみませんでした)。アルメニアはネット接続料金が高めだとおっしゃっていたのに‥。ただ、各宿はほぼWiFi電波が飛んでいたので、夜から朝にかけてはそちらを利用したため問題なしでした。

ファーウェイのポケットWiFi、2016のミャンマーでも使えなかったしもう捨てます。ちなみに旅行後半のウクライナではおしんこどんフリーSIMスマホをテザリング機として乗り切り(ジョージアのこの時はウィルス対策アプリが邪魔をしてたので操作できなかったんですが、そのあと何とかアプリを削除して利用可能に)、最終日のトルコではTakemaのドコモ携帯の海外ネット接続サービスを利用しました。

話が旅行記からそれましたんで閑話休題、ズグディディに到着しましょう。



ズグディディはジョージアの地方都市。都市の中心部には必ず噴水があったりするのが旧ソビエト連邦国のデフォルトなのでしょうか(本家のロシアではどうなのか?=冬はバリバリに凍結し配管も傷むはず)。しかし今では右上画像のようにドライブスルーをも備えたマクドナルドもあったりします。

たださすがに夕食がビッグマックとポテトというのは避けたいので(このことをツイートしたSNS上では「日本の同じメニューとの違いを知りたかった」等のコメントもいただきましたが、自分としてはそこまでマックにご執心というわけでもないのでねぇ)、渡辺さんと3人でジョージアンレストランへ。







これ、右から野菜の漬け物(酸味強し)、牛タン焼き(厚手のタンに辛いペーストをつけて食べる)、そしてクルミベースのあんを中央にしてそれをナス薄切りで巻いて焼いた(炒めた)もの。うわー、どれもいいじゃないのさぁ!

なお漬け物の大柄シシトウ(?)は辛いのに当たると大辛です(日本でもそうですね)。日本の山菜であるミズの実に似た形状のものはジョンジョリというそうですがこれもなかなか。牛タンはイマイチ大味でしたが、それを辛いペーストが補うということなのでしょう。でも日本の焼きたてハフハフ&レモン汁のほうが好きかも(そりゃ慣れた食べ方のほうがいいですよね)。ナス巻きはこれまであまり食べたことのない取り合わせの味でしたが、これはこれでいいかも。たぶん日本酒にはあまり合わないかもしれませんがジョージアに日本酒はない!ビールより白ワインですねこれは!もちろんこの時点で白ワインに移行済みです。



どんな食事でも必ず出てくるパンはほぼハズレがない自分好みの柔らかさです。アルメニアに行くとパンの形状がちょっと変わりナンの形状に近づくのだとか。

で、どこかのサイトで「ズグディディはピザが美味しくて名物」と聞いていたので渡辺さんに聞いてみると、「そんな話は聞いたことがありませんね」ということでしたが、実際に頼んでみると「これは美味しいピザですね」とご本人もおっしゃっていましたので、たぶん今回のレストランを含めてピザのグレードの高いお店がいくつかあるのでしょう。ただし必ずや例外もあるはずですので念のため(笑)。

フルーツプレートはこの時期であればもうスイカとメロンばかりです。ただ、たぶん今回のジョージア旅行の中では一番美味しいメロンだった記憶があります。どんな作物にも旬がありますからね。で、これだけ飲んで食べて98.45ラリ(3人で4000円弱)。

The Host - Mendzelというお店でした。実は渡辺さんと契約したツアー代金には食事代が含まれておらず現地会計(=渡辺さんがそれぞれのお店でまとめて支払い、今回は前半と後半にその各合計を支払った)というシステムでした。われわれもがんがん飲みましたが、渡辺さんもいけるクチだったので単純に合計÷3×2(Takema&おしんこどん)での明朗会計でした(手書きとはいえそれぞれのレストランでの会計明細をいただきましたし)。あれ、でもドライバーさんの食事代はどうだったんだろう(昼以外は別食事のことが多かったんですが)。



というわけでこの日の宿(イベリアパレスホテル)に歩いて戻りました。宿の近くに前にTakemaが乗っていたのと同形式のスバルフォレスターが止まっており、「も、もしかして第二の人生(というか車生)をここジョージアで?」と一瞬感激の再会を期待したのですが、残念、左ハンドルでした(笑)。でもたぶん今も世界(日本かもですが)のどこかで走っているんだろうなぁ(と信じたい)。

ちなみにこのお宿、宿の方からの説明によると「この夜は4階でバースデーパーティの予約が入っています。ややうるさくなるとも思われますので、



というある意味の謎メッセージを渡辺さん経由でいただいていたのですが、さすがにもう飲んできたし、そもそも「間違いなく誰も知らないグループに突入する」勇気もないのでやめておきました。でも、やっぱり突入しておくべきだったのかなぁ?(それはそれで楽しかったかも)。



翌朝の朝食は同じ4階とはいえ昨晩のパーティではおそらく使われていなかったかと思われる室内スペースでいただきます(昨晩のパーティは同じ階の屋外スペースだったのかと)。なぜそう推測するかといえば、前夜22:00過ぎまでワイワイやっていたスペースを、そのあと左右画像の状況にまで原状復帰させるなんてことはここジョージアの地方ホテルではたぶんやらないと思ったからです。もとより確認はしていませんが間違いはないかなと。



なお渡辺さんいわく「ジョージアでは朝食のサーブはどこも8:00スタートです」とのこと。早出注意。

というわけで朝ごはんを食べた上で出発です。この日は標高2200mのウシュグリまで上がるのですが、途中のメスティアまではともかく、そこから先は悪路ゆえ4WDでないと無理かと聞いていました。ドライバーのシャルワさんが所有&運転するエスティマは4WD車ということですが、最低地上高は乗用車と同じだし、腹を擦ったりしないのか?その不安を渡辺さんにお話してみたところ‥



とのことでした。そうか、そうなのか?(まだ半信半疑)。でもまぁとにかくメスティアまでは特に問題ないはずなのでもちろんそのまま進みます。と、ここからはぐんぐん山道を上っていきます。



一気に上るなぁと思っていたら、この上にあるダムの高さまで上がる必要があるからなのだそうで、なるほど眼下にダム湖を見下ろすようになると傾斜は一気に緩くなりました。というわけで、ダムサイトが遠望できる場所にてひと休み。



左上画像に見えているあれが堰堤なのだそうで、帰り道(この区間は同じ道を往復します)には下流側からダムを遠望できる場所に寄り道するそうです(ダムサイトには立ち入り禁止)。

で、この時期はちょっとした茂みにブラックベリーなどのベリー類が実を付けており、実はドライバーのシャルワさんはこういう時にどんどん摘んでは食べを繰り返していました(そしておしんこどんにおすそ分けも忘れていません)。ただここには別の果物も自生していましたよ。右上画像がそれですが‥も、もしかしてリンゴ?





味は‥そりゃ日本のリンゴとは比較するべくもありませんが、案外いける味かも。思うにこれは栽培品種の種が地面に落ちて芽を出して育ったものかもしれません。ダム建設に伴い取り付け道路の工事に携わっていた方が、お昼ごはんのデザートとして持ってきていたリンゴを食べ、種をペッペッと。その種が根を張り枝を伸ばし‥って、考えすぎでしょうかね。でも周辺にはリンゴの木は見られなかったしなぁ、まぁ推論ということで。

ただしご覧のとおり実はかなり小さいです。山を切り崩して通した道路の路肩ですから肥えた土であるはずもないし、これはしょうがないかと。



同じ路肩には野の花も咲いていました。外来種かもという野暮な詮索はなしね。



道路沿いにはあちこちにハチの巣箱が置かれており、当然ながら直売所もありましたし蜂蜜の回収作業中の方々も目にしました(近寄れないので車内から見るだけ)。でも2年前のキルギス共和国で購入したような極上蜂蜜ではないように思われたので今回は購入をパスしました(というかわが家では蜂蜜がだぶつき状態なので)。

途中、ズグディディとメスティアを結ぶマルシュルートカ(乗り合いバス)の休憩所ともなっている施設でトイレ休憩。トイレはいわゆる「放流式」で、沢水と一緒に流れていきました。まぁこの場所じゃしょうがないのか。



さて、ズグディディ(標高100m)からメスティア(同1400m)までは1300mもの登りでとにかく大変です。自分は自転車でのツーリングお出かけを考えたこともありませんが、この人たちは尊敬するなぁ。ちなみにメスティアを訪問する人々の多くはさらに上方のウシュグリを目指すわけですが、ウシュグリは標高2200m。右上画像のツアラーさんたちも、やはりメスティアを目指すのか?(ただし結果的にメスティア-ウシュグリ間の往復で自転車ツアラーは1台も見かけませんでした)。

ちなみにズグディディからメスティアまではトンネルが10本あり、特に近年開削された長めのトンネルにより「長年の難所」が解消されたのだとか。メスティアには空港もあるとはいえ小型機が飛ぶだけですから、物流の動脈としてのこの道路維持は欠かせません。

ここからも渡辺さんからの受け売りなのですが、このエリアをアブハジアや南オセチアのように統治の及ばない(親ロシア側の)エリアにしないためには、少なくとも生活インフラをしっかりと維持整備し、住民に日々の不満を抱かせないことが肝要で、そのためにジョージア政府はある意味国策的整備を行っているのだそうです。これも、島国で生きてきた日本人にはやや理解しがたい&でも陸続きにさまざまなアイデンティティを抱く人々が住むジョージアを統治する側においては重要な事業なのでのでしょう。



川は泥濁りなのですがこの泥はどこから?なお古いトンネルは素掘りだったりします。



峡谷エリアを開削した道路。雨が降れば落石も多いはずですが路上にはほぼ放置石がありません。



しかし山側斜面はこの通り。維持管理の大変さが想像できます。



このあとは川沿いから離れて山の中腹を進むようになったメインロード。しかし中腹に道路を穿つということは道路上下の崩落対策をしなければならないわけで、その費用も馬鹿にならないはず。右上画像のようにツーリングライダーさんも進める舗装路ですが(ただしこのあたりも含めてコンクリート舗装)、なぜメスティアまでほぼずっと山腹を穿つ新道ルート取りをしたのかは謎です。ちなみにメスティアへの上流側は、川沿いに平地と集落がかなり長く続いていました。そのエリアをできるだけ利用するようにすれば上流側のメンテナンス費用だけでも低減できたのでは?

実際にあちこちで土砂崩れの修復跡がありましたし、そもそも「山の中腹部で土砂が崩れれば、その影響は川沿いの集落にまで及ぶ」はずなのに?そんなことはわかっているでしょうに‥。ん?もしかして地域の政治的圧力?(ここから先はわかりませんが)。ただしこの日のようにお天気がよければめっぽう展望がいい道路ではありますが。



途中には(ごくたまに)平地もあり、この時期は野草の黄色い花が満開でした。



重機を搬送車両に載せているのを見物後(実質的に道路封鎖状態なので見ているしかない&重機の軌道幅より搬送車の車幅が明らかに狭いので載せるのは慎重に)、なぜかやって来た上半身裸の若者たち。随伴車もいましたが、彼らはマラソンランナーのように走ってもいなかったし、どういうアスリートなのでしょうかね(いまだに不明)。



さて、この地域特有の「塔」が見えてくるとメスティアも間もなくです。この日はメスティアでお昼ごはんのあと一気にウシュグリまで上がってしまうのですが、このページではお昼ごはんタイムまでということで。

で、メスティアに到着です。何だかとっても山岳リゾートっぽいぞ(たぶんそれを意識した街造りをしているはず)。というわけでここまでの道中を車内から撮影した動画をば(記録動画なのであまり面白くはありません)。





というわけで渡辺さんお勧めのお店へ。ここには日本の某女優に似た店員さんが働いておられるということで(確かに似ていました)、渡辺さんのスマホでツーショット写真を撮ったりしましたが、まぁ自分の手元には画像がないので省略です。ではではお昼ごはん♪



完全に観光客相手のお店ですがそれだけに垢抜けていて居心地はいいです。それでも500mLのビールは150円から200円ほど(1ラリは40円で計算しています)、安くて有り難いので昼間っから飲みます!(このあとの日々も基本的に同じです。夕ごはんはワインね)。



観光客むけのお店ゆえパスタなどもあり、渡辺さんとおしんこどんはそれぞれパスタメニューを(左上&中央上画像、あ、一見するとお好み焼きっぽくも見えますが違います)、自分はポークリブ(右上画像)を注文。これらとともにキュウリとトマトのサラダを注文です。上画像の品々はそれぞれ美味しくいただきましたが、それにしても、旧ソビエト連邦の諸国ではサラダといえばトマトとキュウリばかりなのですよ。でも、



キルギスでもカザフスタンでも同じ感じでした。もしかしたらソビエト当時の流通形態が「夏野菜=キュウリとトマトを優先」していた結果、いつの間にか市民の間に「野菜サラダといえばキュウリとトマト」というようなイメージの固定化に繋がっていったのかも?(あくまで想像です)。でも個人的にはこのサラダってかなり飽きます。しかし他の選択肢がほぼないのでしょうがないのです(苦笑)。

さてお昼ごはん終了のあとは、いよいよこの日の最終目的地ウシュグリを目指します!「住民が通年居住する村」としてはヨーロッパエリア最高標高の村!しかもお天気がよければ(うふふ)。

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