[ジョージア編トップに戻る] - 2019夏、ジョージア編(5) ズグディディに1泊、翌日はメスティアでランチ - 山の上に上がってくるとこんなシアワセ広場も目に入ります。 |
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木造モスク見学のあとはもう1箇所、今度は古代遺跡のNokalakevi(かつての名称はArchaeopolis=アルケオポリス)を訪問することに。そこそこ長いジョージア滞在にもかかわらず、温泉以外の各訪問地については渡辺さんに立ち寄り先候補選択をぶん投げてしまったので、この地についての予備知識は一切ないTakema夫婦なのであります(苦笑)。 |
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左上画像が避難高台施設。英語ガイドの女性は聞き取りやすい英語を話すも、聞き流して覚えてない‥。 |
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ただはっきりしているのは、ここ南コーカサス地方はそもそもアジアとヨーロッパの境界エリアであり、ある時はローマ側やアラブ側、またあるときはササン朝(ペルシャ)の支配下に置かれ、そしてその後ロシア側に編入‥こりゃ確かにこの地域の人々の帰属アイデンティティは高まるよなぁということです。「自分たちは誰なのか、どんな属性なのか」という探求心は、他との接触が深まれば深まるほどそれを希求しようとする思いが強くなることでしょう。そしてその思いこそ島国で生きてきた絶対多数の日本人にはなかなか理解できない部分なのだと思います。そして、理解できないでも済んできたことは地政学的僥倖なのだろうと。 |
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ここは「お風呂」。蒸気風呂だったそうですが、丸い石はイミテーションか当時のものかとガイドさんに訊ねたところ「オリジナルです」とのお答えでした。でもそれはどうかなぁ?16-18世紀には当地の支配者の住居として利用されていたようですから、その当時の遺物なのかなとも思うのですが(あくまで推測です)。 |
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宮殿が地下にまであったらそれはまたそれですごいのですが、こちらは下部を流れる川への通路です。日本の戦国時代の山城でも「いかに水を確保するか」ははなはだ重要な設置条件でしたし、有名な「兵糧攻め」よりも実は「水攻め(水の補給を断つ)」のほうが効果的だったわけですよね。あ、その昔の中国でも「泣いて馬謖を斬る」の根本原因は山に陣地を築いことによる水の不足でしたっけ。 |
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対岸は崖であり敵の侵入を困難にしており、こちら側もやはり崖で上流側下流側からのアプローチも困難。その場所にトンネルを築き水汲み場ルートを確保するとはかなりの深謀遠慮に基づく造作だと思うのです。トンネルはかなり頑丈な造りでしたよ。ただ思うのは‥ |
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奴隷たちのお仕事だったのでしょうか。でも、自分が子どもの頃から抱いていた頃の「奴隷」のイメージと実際とはかなり違っていたようですし(かつてのアメリカ映画にもかなりその刷り込み影響はあったのかと思います)、またこのトンネル内は夏でもかなり涼しくて「こりゃ嬉しいな」と思うくらいでしたから、労働環境としてもそう悪くはなかったのかも? |
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このあとは城壁の上にも登りましたが、皆さんも上画像の外観をご覧になればお感じになったであろう通りのことを思いました。それは‥ |
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2019夏現在、この旧アルケオポリス遺跡は修整作業中なのです。ただ『修整』と『修正』『修復』は、似た言葉ながら全部違うのですよね。『修正』は本来の「正しい」もとの状態に直すことですし、『修復』も語義的にはほぼ同じ意味だと思います。 |
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さ、では牛さんロードを戻り、ズグディディに向かいましょう。 |
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ちなみにこのあと実はもう一箇所「何とかキャニオン」とかいう場所にも立ち寄ったんですが、自然の風景を楽しむところというよりはアトラクションランドという感じでしたので、入場料を支払う前の段階で「ここはいいですよ、パスしましょう」ということに。ラフティングとかもあったようですが、外国人料金がそうとう割高だった気もします。いやお金をケチったわけじゃなくて、「自分が求めているのとは違いそうな雰囲気だな」と思ったからですが。 |
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もちろんその分の料金はお支払いしますと申し出てのことでしたが、結果的に払い忘れました(渡辺さんすみませんでした)。アルメニアはネット接続料金が高めだとおっしゃっていたのに‥。ただ、各宿はほぼWiFi電波が飛んでいたので、夜から朝にかけてはそちらを利用したため問題なしでした。 |
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ズグディディはジョージアの地方都市。都市の中心部には必ず噴水があったりするのが旧ソビエト連邦国のデフォルトなのでしょうか(本家のロシアではどうなのか?=冬はバリバリに凍結し配管も傷むはず)。しかし今では右上画像のようにドライブスルーをも備えたマクドナルドもあったりします。 |
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これ、右から野菜の漬け物(酸味強し)、牛タン焼き(厚手のタンに辛いペーストをつけて食べる)、そしてクルミベースのあんを中央にしてそれをナス薄切りで巻いて焼いた(炒めた)もの。うわー、どれもいいじゃないのさぁ! |
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どんな食事でも必ず出てくるパンはほぼハズレがない自分好みの柔らかさです。アルメニアに行くとパンの形状がちょっと変わりナンの形状に近づくのだとか。 |
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というわけでこの日の宿(イベリアパレスホテル)に歩いて戻りました。宿の近くに前にTakemaが乗っていたのと同形式のスバルフォレスターが止まっており、「も、もしかして第二の人生(というか車生)をここジョージアで?」と一瞬感激の再会を期待したのですが、残念、左ハンドルでした(笑)。でもたぶん今も世界(日本かもですが)のどこかで走っているんだろうなぁ(と信じたい)。 |
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というある意味の謎メッセージを渡辺さん経由でいただいていたのですが、さすがにもう飲んできたし、そもそも「間違いなく誰も知らないグループに突入する」勇気もないのでやめておきました。でも、やっぱり突入しておくべきだったのかなぁ?(それはそれで楽しかったかも)。 |
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翌朝の朝食は同じ4階とはいえ昨晩のパーティではおそらく使われていなかったかと思われる室内スペースでいただきます(昨晩のパーティは同じ階の屋外スペースだったのかと)。なぜそう推測するかといえば、前夜22:00過ぎまでワイワイやっていたスペースを、そのあと左右画像の状況にまで原状復帰させるなんてことはここジョージアの地方ホテルではたぶんやらないと思ったからです。もとより確認はしていませんが間違いはないかなと。 |
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なお渡辺さんいわく「ジョージアでは朝食のサーブはどこも8:00スタートです」とのこと。早出注意。 |
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というわけで朝ごはんを食べた上で出発です。この日は標高2200mのウシュグリまで上がるのですが、途中のメスティアまではともかく、そこから先は悪路ゆえ4WDでないと無理かと聞いていました。ドライバーのシャルワさんが所有&運転するエスティマは4WD車ということですが、最低地上高は乗用車と同じだし、腹を擦ったりしないのか?その不安を渡辺さんにお話してみたところ‥ |
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とのことでした。そうか、そうなのか?(まだ半信半疑)。でもまぁとにかくメスティアまでは特に問題ないはずなのでもちろんそのまま進みます。と、ここからはぐんぐん山道を上っていきます。 |
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一気に上るなぁと思っていたら、この上にあるダムの高さまで上がる必要があるからなのだそうで、なるほど眼下にダム湖を見下ろすようになると傾斜は一気に緩くなりました。というわけで、ダムサイトが遠望できる場所にてひと休み。 |
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左上画像に見えているあれが堰堤なのだそうで、帰り道(この区間は同じ道を往復します)には下流側からダムを遠望できる場所に寄り道するそうです(ダムサイトには立ち入り禁止)。 |
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味は‥そりゃ日本のリンゴとは比較するべくもありませんが、案外いける味かも。思うにこれは栽培品種の種が地面に落ちて芽を出して育ったものかもしれません。ダム建設に伴い取り付け道路の工事に携わっていた方が、お昼ごはんのデザートとして持ってきていたリンゴを食べ、種をペッペッと。その種が根を張り枝を伸ばし‥って、考えすぎでしょうかね。でも周辺にはリンゴの木は見られなかったしなぁ、まぁ推論ということで。 |
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同じ路肩には野の花も咲いていました。外来種かもという野暮な詮索はなしね。 |
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道路沿いにはあちこちにハチの巣箱が置かれており、当然ながら直売所もありましたし蜂蜜の回収作業中の方々も目にしました(近寄れないので車内から見るだけ)。でも2年前のキルギス共和国で購入したような極上蜂蜜ではないように思われたので今回は購入をパスしました(というかわが家では蜂蜜がだぶつき状態なので)。 |
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さて、ズグディディ(標高100m)からメスティア(同1400m)までは1300mもの登りでとにかく大変です。自分は自転車でのツーリングお出かけを考えたこともありませんが、この人たちは尊敬するなぁ。ちなみにメスティアを訪問する人々の多くはさらに上方のウシュグリを目指すわけですが、ウシュグリは標高2200m。右上画像のツアラーさんたちも、やはりメスティアを目指すのか?(ただし結果的にメスティア-ウシュグリ間の往復で自転車ツアラーは1台も見かけませんでした)。 |
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川は泥濁りなのですがこの泥はどこから?なお古いトンネルは素掘りだったりします。 峡谷エリアを開削した道路。雨が降れば落石も多いはずですが路上にはほぼ放置石がありません。 しかし山側斜面はこの通り。維持管理の大変さが想像できます。 |
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このあとは川沿いから離れて山の中腹を進むようになったメインロード。しかし中腹に道路を穿つということは道路上下の崩落対策をしなければならないわけで、その費用も馬鹿にならないはず。右上画像のようにツーリングライダーさんも進める舗装路ですが(ただしこのあたりも含めてコンクリート舗装)、なぜメスティアまでほぼずっと山腹を穿つ新道ルート取りをしたのかは謎です。ちなみにメスティアへの上流側は、川沿いに平地と集落がかなり長く続いていました。そのエリアをできるだけ利用するようにすれば上流側のメンテナンス費用だけでも低減できたのでは? |
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途中には(ごくたまに)平地もあり、この時期は野草の黄色い花が満開でした。 |
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重機を搬送車両に載せているのを見物後(実質的に道路封鎖状態なので見ているしかない&重機の軌道幅より搬送車の車幅が明らかに狭いので載せるのは慎重に)、なぜかやって来た上半身裸の若者たち。随伴車もいましたが、彼らはマラソンランナーのように走ってもいなかったし、どういうアスリートなのでしょうかね(いまだに不明)。 |
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さて、この地域特有の「塔」が見えてくるとメスティアも間もなくです。この日はメスティアでお昼ごはんのあと一気にウシュグリまで上がってしまうのですが、このページではお昼ごはんタイムまでということで。 |
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というわけで渡辺さんお勧めのお店へ。ここには日本の某女優に似た店員さんが働いておられるということで(確かに似ていました)、渡辺さんのスマホでツーショット写真を撮ったりしましたが、まぁ自分の手元には画像がないので省略です。ではではお昼ごはん♪ |
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完全に観光客相手のお店ですがそれだけに垢抜けていて居心地はいいです。それでも500mLのビールは150円から200円ほど(1ラリは40円で計算しています)、安くて有り難いので昼間っから飲みます!(このあとの日々も基本的に同じです。夕ごはんはワインね)。 |
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観光客むけのお店ゆえパスタなどもあり、渡辺さんとおしんこどんはそれぞれパスタメニューを(左上&中央上画像、あ、一見するとお好み焼きっぽくも見えますが違います)、自分はポークリブ(右上画像)を注文。これらとともにキュウリとトマトのサラダを注文です。上画像の品々はそれぞれ美味しくいただきましたが、それにしても、旧ソビエト連邦の諸国ではサラダといえばトマトとキュウリばかりなのですよ。でも、 |
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キルギスでもカザフスタンでも同じ感じでした。もしかしたらソビエト当時の流通形態が「夏野菜=キュウリとトマトを優先」していた結果、いつの間にか市民の間に「野菜サラダといえばキュウリとトマト」というようなイメージの固定化に繋がっていったのかも?(あくまで想像です)。でも個人的にはこのサラダってかなり飽きます。しかし他の選択肢がほぼないのでしょうがないのです(苦笑)。 |
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