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- 2019夏、ジョージア編(10) バニの私有地内野湯をタンノー後クタイシへ -



もう1つのVani野湯は、手作り感あふれる感じでありました。



ダート路をメインストリートまで戻り、1kmくらい来た道を戻った道路沿いに「その温泉」はありました。右上画像、よく見ると奥の方にコンクリ枡のようなモノが見えています。たぶんあれのことだろうと踏んだわけなのですが‥

しかし残念ながらゲートが閉じられていて、ちゃんと鍵でロックされています。中ではヤギさんたちが絶賛放牧草食中だし、いかんこれ、駄目なパターンだ‥と思っていたところ、渡辺さんが少し離れたところにある小屋に向かって歩き出しました。土地の持ち主さんがいないかどうか確認に行ったようです。そして数分後‥





ゲート脇の有刺鉄線ガードのところから入っていいよということで、放牧地の中を歩いていきます。



コンクリ枡が近づいてきました。ん?コンクリの割れ目?から水だか湯だかが流れ出ていますね、それもまた結構な勢いで。というわけで期待に五十代半ばの胸をトキメカせながらさらに近づいてみると‥





何だか奥会津大塩温泉たつみ荘さんの「季節限定露天風呂」を髣髴とさせる噴き出しです。この頃は出なくなっちゃったようで残念なのですが(たぶん最後に季節外れで噴出したときのページはこちら)。というわけでまずは湯温のチェック。





ただし、土地所有者のオジサンは(とはいっても自分より2才年上なだけなのですが、自分がオジサンである以上彼もオジサンなので)、「こっちじゃなくてあっち(野湯)に入りなさい」と指示してきました。失敗したのが、この時「一瞬でいいからこの源泉枡に浸かっていいか」とリクエストを出さなかったことです。この温度なら問題なく入れますし、深さは、隣の空枡(右上画像の奥に見えています)と同じだとすれば足は付くはず。

しかし、ここに案内して下さったご主人はすぐに(渡辺さんと一緒に)自宅だか作業小屋だかに行ってしまったので、その意志を伝えることもできないまま。ま、しょうがない、すぐ脇のオーバーフロー野湯に浸かることにしましょう(今考えればその場の勢いで浸かっちゃえばよかったなと。無用な遠慮をしてしまいました)。

ちなみにこの湯ですが、先ほどの野湯とはそこそこ成分が異なるようで、うーんと何と言ったらいいのかな、東鳴子のところどころの湯に感じられるような「墨臭」がするのですよ。含硫黄ではあるのでしょうがそちらの主張は弱い感じ。さて、それでは「入浴」しましょう!





源泉枡から漏れ出る湯がこの場所に注ぎ込まれているというわけです。流れてくる間に湯温が下がり、こちらの野湯内で計測したところ43.3度でした。ふむ、快適浴ですね(ただしこの時の気温は軽く30度オーバーだったので結構暑いし湯もそこそこ熱いんですが)。



ところで上画像を見るに、かつては源泉枡からオーバーフローした湯が現在の野湯に流れ込んでいたはずで、野湯の左側にはその長年の歴史を表すが如くしっかり析出物が残っています。しかし現在はコンクリ源泉枡の別の場所からリークしているわけで‥コンクリ枡、相当劣化が進んでるのではないかと。

それとともに思うことは、なぜこのエリアに2つの湯が湧き出ているのかということです。想像に過ぎませんが、この2箇所はもしかしてサナトリウム建設の前段階として掘削されたのではないかと思うのです。どちらも平地だし(建物建設に支障なし)、でもタイミングがソビエト崩壊と重なったのかなぁと。いや、ただの当て推量ですが。

そんなわけでこちらも動画をご覧いただいた上で、この日の宿であるクタイシへと進みましょう。





有刺鉄線のガードを乗り越え外に出て、ここからは一気にクタイシへ。とはいえこの段階でまだわれわれのクタイシの宿はキープ(予約)されていないという‥。

渡辺さん、クタイシへ向かう車内でネット予約、「大丈夫、取れましたよ」とのこと。結構綱渡りのようにも思えましたが、在ジョージア20年ともなると、「この時期各地域の宿の需給関係」を把握なさっているのでしょう。もちろん事前に予約している宿もありましたし。その意味でいえば、クタイシはハイシーズンでも比較的宿を確保しやすいのかもしれません(わかりませんが)。

噴水のある中心部から少し離れた場所に今宵の宿はありました。最後は車が入れない(わけではないが狭いので切り返し困難な)道を、バックパックを背負って歩いていくと‥



今宵の宿、Sanapiroホテルに到着です。エントランスや地下?は工事中でしたが特に問題なし。この日は暑かったのですが建物内はエアコンがしっかり効いており快適そのもの。ここ、かなり気に入りました。気に入った理由は他にもあるのですがとりあえずは夕食に出かけましょう。



近隣のオープンレストランに歩いて移動、今宵は赤ワインで乾杯です。とはいえおしんこどんはまだ体調が万全ではないのでほんの少しだけ、それでも渡辺さんとTakemaとでフルボトルを全部飲み干しちゃうのですからやっぱり2人とも飲んべえですね(笑)。




ここのサラダはコールスロー系でしたが、実はそんなに好みじゃないんですよねコールスローって。で、ジョージア料理の定番ハチャプリも注文しましたが(左上画像)、何だか少し飽きてきたのかなぁ。前にも書いたとおり「ジョージア人は食に関しては保守的」らしく、ジョージア料理のお店はたくさんあるのですが海外系料理のお店がかなり少ないようです。日本人は和食ばっかり食べているわけでもないので、少し別の料理も食べたくなってきたというのが本音です。

実はこの時「焼肉食べたいな」モードだったのですが、渡辺さんによると「この国ではケバブは普通に食べられていますが、いわゆるBBQにあたる焼肉料理は一般的ではありません。そもそもこの国の牛肉はみな乳牛由来の肉であり、どうしても肉質が固いのでケバブとして提供しているというわけです」とのこと。なるほどねぇ。



お腹いっぱいになって宿へと帰ります。あ、このお店では弦楽器(バイオリン)の生演奏が披露されており、渡辺さんは寸志を置いていました。いわく「自分は(ガイドで)商売をしている感覚はないですからね」とのこと。いやぁ、渡辺さんにガイドをお願いしてよかった。



宿に戻り、廊下を眺めて思ったこと。「ここ、三菱グループの保養所だっけ?」(苦笑)。

なおこの日の温泉で使った水着ですが、水洗いした上で、部屋にあった物干し台を持ち出して宿の共用ベランダ(屋根付き)に干しておきました。このあと夜半には雷雨となったので「あちゃー」と思いましたが、幸いベランダが風下側だったので新たに濡れることはなくてよかったー。そして朝。





目の前には川が流れ、展望はめっぽうよし、この画像は前日のうちに撮ったものなので日差しを含めてかなり暑かったんですけれど、朝方は涼しくて何よりだったわけです。で、対岸に目をやると‥





レンガ積みの家で、下部の支えは斜めになったあの(細い)棒のみ。そうなると素人目で見ても「壁に横方向の力が加わっているような気がします。しかもレンガ積みということは横方向の耐力はそんなに強くもないはず。この建物の場合も壁の鉄筋補強が入っているとは思えません‥。

旧ソビエト諸国の集合住宅ではえてしてよく見られる「後付けベランダ」ですが、仮に鉄筋コンクリ造りの集合住宅だとしても、「後付けベランダ」が設置されることを想定した設計&工事が為されているのかとなると「?」という気がします(特にソビエト時代に建設された建物についてはそう思います)。

とにかく、何もトラブルのないまま建物としての寿命を迎える(建て替える)ことになるのを願わずにはいられません。自分としては、正直住みたくないなぁ。



さてこの日の朝は曇り時々晴れといったところで、上からは、昨夜の雷雨の関係でびしょびしょに濡れたテラスのテーブルや椅子を拭いているのが見えました(左上画像は拭く作業を終えた従業員さんがマットを並べているところです)。そんなわけで8:00にテラスに向かい朝食です。



比較的シンプルな朝ごはんメニュー。でもタマゴが目玉焼きとゆで卵のダブルなのはどんなもんかなぁ。それと思ったのが、ジョージアではソーセージとかウィンナーとかの腸詰め系食品にこだわりはないのかな?ということ。それほどバリエーションもないようですが、もうちょっとスーパーや市場に立ち寄ればよかったなぁ(後悔)。

なおスイカの一部(の裏側)が土まみれだったのはここだけのヒミツってことで(土なしのやつだけ食べました)。



そんなわけで宿をチェックアウト。手前にも同名の宿の入口看板がありましたんで、右上画像のこちらは旧館ということなのでしょうか。左上画像はザクロの実。まだまだこれから大きくなることでしょう(わが家にもかつてザクロの木がありましたんで)。ちなみに7-8月半ばに市場等で売られているザクロは外国産だそうです。

さてこの日はぐるぐるとあちこちを回りつつの移動となるわけですが、詳しくは次ページにて。

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