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- 2019夏、ジョージア編(11) カツヒの柱、そしてまさかのアハルダバ温泉 -



こ、これって‥。当然のごとく個人宅ではなく修行用の僧院です。



さて、まずはクタイシ市内を通り抜けていきますが、鉄柱をカットしているのでしょうか、火花が上がっているのに短パンでの作業ですよ。すごいな(敬服というより唖然)。右上画像の横断は案外多くの国で見たりしますが、これもなかなか日本ではお目にかからないかと(4車線路です)。



ジョージア中部の中核都市であるクタイシから首都トビリシへの道路は現在整備進行中でありまして(一帯一路とは関係なさそうです)、左上画像などは片側1車線のバイパスですが交通量は少なく空いています。ところどころにスイカやメロン等の直売所がありますが、この交通量&入荷量だと「売れる前に熟れ過ぎちゃって売り物にならない」のもそこそこあるんだろうなと。どこの直売所もそんなにお客さんはいなかったし。



左上画像はまさに整備が完了した片側2車線区間ですが(ちなみに高速バイパスは通行無料!)、未開通区間は右上画像の通り交通量の多い一般道です。あー、自分の住む千葉県市川市も外環道&並走する国道が開通するまではこんな感じでしたわ(しかも住宅街を通る県道が大渋滞でしたからね)。



このあたりは小雨が降ったり止んだりのお天気で、気温も湿度も高めですね。それはともかくとして気になったのが「噂のジョージアン交通マナー」。前がつかえたモードで、右上画像の2台は「路肩経由で少しでも前に出よう」としています。これはいかがなものでしょうとも思いますが、先人旅行者、特にレンタカー旅行者の記録によると「渋滞路ではある意味こういうのが当たり前」というようです。ここは交通集中によるというわけでもなかったと思うのですが。

ジョージアは内陸国ですから周辺国から自国の車をそのまま持ち込む旅行者も多いです(特にロシア)。その場合、車だけではなく「自国での運転マナー」をも持ち込むわけで、やはりその影響は大きいでしょうね(ロシアナンバーの車は飛ばすらしい)。

翻って日本の場合、イギリスと同様に島国であるがゆえに「他国からの車の持ち込み」は少ないでしょう(もちろん拒否などはしておらず日本のナンバーを取得すれば走行可能ですが移送距離を考えれば現実味に乏しいかと)。ある意味「閉じた環境」です。しかも世界的にはレアな左側通行ゆえ、右側通行の国々の人がいきなり吹っ飛ばすことも少ないわけで、これはこれでよかった面もあるのかなと。



さらに進んでいくとマンガン工場があるゼスタポニへ。この界隈は世界的にも数%のシェアを持つマンガン加工施設があるようですが、その産出量は年々減少しているようです。2006年にはイギリス企業が買収したようですが、自分の記憶では渡辺さんが「フランス企業に云々」とおっしゃっていた記憶もあり、もしかしたら再売却されたのかも知れません(記憶違いかも知れませんので念のため)。

でも、右上画像に見えている構内に続く線路は今も「現役である」ことを主張するがごとく光っていましたけれどね。

ゼスタポニを通り抜けてE60号線から北東に進む道に入ります。恥ずかしながらこの先、そしてこの地域に何があるのかあったのか、じぇんじぇんわかっておりませんでした(恥)。

ゼスタポニ周辺では降っていた雨も、ここから標高をぐんぐん上げていくにつれてあがり(何だか普通とは逆ですが実際そうでした)、そして見えてきたのは‥





もちろん種明かしはページトップでしているわけなのですが、ふと「親指」で思い出してしまったので雑談です。自分が高校3年生の時大学受験の模擬試験を受けていたのですが、その10月だったかの模試で出題された長文読解問題が「Thumbとはさまざまな比喩的要素を有している」というような内容だったのです。

しかし受験英単語だけをしゃかりきに詰め込んでいた自分には「Thumbとは何ぞや」の結論が出せず、核心テーマが読み取れなければ記述問題が解けるわけもないですよね。すごく悔しい思いをしたことを今でも覚えており、よせばいいのにこのページ作成中にも思い出してしまったというわけです。ハイ、関係ない話は以上で終了!

さてその「Thumb」ですが、同じ形状の岩で印象に残っているのは南部アフリカのナミビアですね。こちらの岩です(2001)。




(2001年当時の旅行記はこちら

でもまぁこの岩とここジョージアの修道院たる「カツヒの柱」とは全然関係がないので話を戻しましょう。



あらためてこの「カツヒの柱」ですが、高さは約40m、ジョージア正教の修行の場所とされており上部には教会がありますが、一般人の立ち入りは禁じられています。上には少し前まで一人の修行者(神父)さんが祈りの生活を続けていたのですが、今は岩から降りて生活しているそうです。では近づいてみましょう。



上部へと続く長いハシゴ段。上り下りだけでもしんどいだろうなぁ。あ、右上画像に写っていますが登り口は頑丈な鍵でシャットアウトされていて、不心得者の不埒な行動を防いでいます。こうやってみると岩に沿ってハシゴが取り付けられているように見えますが‥



実際はこんな感じで高度感あり。なお物資の搬出入はさらに後方に設置されたロープ(電動ウィンチではない)と滑車を使って行っているようです。今は誰も上にいないのでしょうが‥。



ところで、ジョージア正教の教会敷地に入る際には、男性は短パン不可、女性はスカート着用、スカーフ等で頭部を覆う必要があります。今回の旅行でその旨を事前におしんこどんに話していなかったにもかかわらず(というか自分も知らなかった)、ちゃんとスカート代わりの布地などを持参していたのはさすがです。まぁ右上画像ではムスリムおしんこどんみたいになっておりますが(笑)。

なお上記のドレスコードは各教会によってマチマチの運用ですが、おそらくここは厳格系、あと、カズベキの三位一体教会も厳格系です。女性の方は念のため準備をお忘れなく(入口に一時レンタル用のスカーフ等が用意されている教会もあります)。



岩のすぐお隣には新しい教会施設を建設中でした。まだしばらくかかるかな?(渡辺さんいわく「この国の場合、作業の段取りの悪さは特筆モノです」ということでしたので)。

で、岩の真下までは誰でも行かれるようでしたのでいざ。ちょっとした岩陰は右上画像のように黒く変色しています。これは参拝者が長年にわたって灯したろうそくの煤かと(ろうが垂れたあとも数多く見られます)。やはり聖地として篤い信仰を得ているのだなと納得。

また岩に寄り添うように、かつてこの地で祈りを捧げ続けた先人牧師の墓所もありましたが、敬意を払いつつここには載せないことにします。



岩の反対側の岸壁には「登るなキケン」的な看板が設置されていましたが、よく見るとこの看板のクライマー、ザイルで確保されていますよね。そして木の間越しに撮った右上画像にはまさにクライミング中の迷彩服の方が。岩山のみならずこの周辺地域は聖なる修行の場だったということですが、その地形を利用して軍か警察関係の方々が訓練なさっていたということなのでしょう。なお一般にも開放されていると伺ったような気が。

さておいとましようとしたエントランス付近に牧師さんらしき姿が。渡辺さんとも親しく話しておられるし、もしかしてこの方が長年岩の上で祈りを捧げ続けていたマキシム牧師?

遠慮して写真撮影は自粛したのですが、年齢的にもあとから調べた情報と合致するような気がするし、たぶんそうだったのかなぁと思うことにしてこの地をあとにしました。



駐車場まで坂道を下り、そこから車で‥あ、なぜだか全ての牛にカウベルが付けられている道路隣接の草地にて休憩です。シャルワさんはここでもベリー収穫に余念がありませんでした(笑)。





そのあと通った大きな都市がチアトゥラ。この時は全然知らなかったのですが(あまりの予習不足!)、この地はソビエト時代にマンガン鉱山の拠点となっていた街だそうで、ここで採掘されたマンガンが上記のゼスタポニに運ばれて精錬されていたそうなのです。

しかしソビエト崩壊前後にはそのマンガン移出(販売)ルートも断たれ、往時に3万人だった人口は、1992年(ソビエト崩壊直後)以降生活インフラが壊滅し(電気や水道・ガスが一時ストップ)、英語版wikiによれば人口は2008年現在19,000人台だとか(一時は13,000人台まで減ったようです)。

で、何の予備知識もなかったわれわれも気づいたことなんですが、



谷間の市街地スペースが狭いこともあり、山あいに居住スペースを設けたソビエト時代。そもそもは鉱山労働者の移動手段だったようですが、地域の人口増に対処するには一般住民にも開放すべしという流れだったのでしょう。



ただし見た限りでは稼働していないと思われるほうが多かったような気がします。そもそもスターリン時代に建造され、その後人口の減少、そして大きな再整備もされていないとなれば‥うーむ。でもそれだからこそ乗ってみたかったな現役ゴンドラに!(チアトゥラのロープウェイについてはこちらのサイトが詳しいです)。

チアトゥラからそこそこ進んだところで一旦休憩。この界隈には湧水ポイントが多く、日本の山道でも時々あるように道路脇にパイプが突き出ていたりします。で、早めのご飯でもという感じで、昔ながらのドライブイン風情の場所に立ち寄りました。



もっとも日本の懐かし系ドライブインとは違います。もっとプリミティブ、でも当然湧水はありますよ。



渡辺さんから「美味しくもないよ」といわれていたコーン、そのとおりでした!味なし!



休憩エリアは広いです。この灰皿って,高圧電線の碍子‥ですよね?

しかし食事メニューがほぼ皆無ゆえ、結局ここではトウモロコシのみで再移動となりました。ま、一大観光地のボルジョミ方面に行けばいくらでもレストランはあるだろうしね。



牧草を運ぶ車もいましたね。で、再び幹線道路のE60までやってくると‥何と「本格渋滞」。ジョージア滞在中、山道で遅い車のあとに車列ができる「大名行列」は何度も見かけましたが、いわゆる「交通集中による大規模渋滞」を見かけたのはこの時だけでした。実はこの区間、まだバイパスの高速路が開通していないのと、この先のハシュリという街までは黒海沿岸都市に向かう車と行楽地ボルジョミに向かう車とが同じ道を進むわけなのでどうしても交通が集中しやすい場所だということなのでしょう。



このあたりの沿道には、くつろぎ系のチェアやハンモックを売る露店がたくさん出ています。リゾート客向けだろうということですが、実際に椅子を買っている人は見かけませんでした。でも考えれば、ハンモックとか、小さめのモノをお土産に買ってもよかったかも‥。なお、これらは基本的に国内(地元)で作られているそうで、中国等からの輸入品ではないようです。

さてボルジョミの文字が出てきました。天然の炭酸泉湧出で有名な場所で、ジョージア国内ではあちこちで「Borjomi」という名の炭酸水が販売されています。オススメ。

しかし、この日の目的地はボルジョミではありません。右上画像に見えているVaidzia(ヴァルジア)まではまだまだ遠いのです。というわけでやや遅めのお昼ごはんにしましょ。



やってきたのはこちらのお店。2階建てでずいぶんと規模の大きいお店。じつは渡辺さんはこの手前にあるお店を考えていたそうなのですが、シャルワさんが「こっちがいい、なぜなら安くて量が多いから」ということだったようです。しかしその割にはシャルワさん、自分が注文した料理を残していたような?

さて、こちらもしっかりジョージア料理のお店ですが、牛煮込みシチューはやや食傷気味だったのと、何と川魚(マス)のグリルがあったので、自分はそれだけ(とパン)でいいやと。



おしんこどんは念のためまだソフトドリンク。マスのグリル、美味しく量も十分でした。



ちなみに焼き物は全てこちらで炭火焼きです。いいねぇ。

さて食後、渡辺さんからまさかのひと言が。


自分が調べていたところだとボルジョミ界隈には「温泉プール」しかないと思っていたので、個室温泉とは何よりです。渡辺さんよくぞお教え下さいました!



というわけでアハルダバ(Akhaldaba)温泉へ。しかし道路からの分岐にも、建物自体にもそれを示す看板や表記はありませんでした。入口の扉脇にはにはジョージア語表記のみで営業時間と料金が掲示されているばかりで、こりゃ個人で(レンタカーで)来ても絶対見つけられなかったわ。

で、この時間はまだ先客さんもいなかったようで(お昼過ぎですしね)、個室は選び放題でした。プールのような深い浴槽のある部屋もありましたが、「やっぱり日本的な個室風呂がいいよなぁ」ということでこちらの浴室へ。







投入口の湯温は38.3度。あれ、掲示(後述)よりずいぶん低いんですが?実はこの時ほかにお客さんはおらず、そのため配管内で湯温が下がっていたこと、そしてそもそも貯湯槽内の湯温が下がっていたのかもしれません。







お湯そのものにそれほど個性的な特徴はありません。成分掲示によればpHは9.0-10.0とかなり高いのですが、まぁツル感はあるかなという湯ざわり感は、猪苗代の布森山温泉をホーフツとさせます(何のこっちゃ)。なお、間違いなく微アブラ臭があります。



浴槽内の湯温は37.0度。まぁ、タイルとかも冷えてたしねぇ。

でも、これはこれで「体温とほぼ同じ不感温度なのでいつまでも入っていられる」というメリットがありますね。なお、排湯穴が小さいのでドバドバかけ流しという使用法は想定していないのかも知れません(笑)。





湯上がりに泉質について聞こうとすると、そこに掲示がありますよとのこと。何と、ジョージア語・ロシア語・そして英語の説明掲示がありました。ナトリウム・塩化物-硫酸塩泉というところでしょうか。源泉温度は44度もあるんですねぇ。



源泉地は駐車場のすぐ奥にありました(左上画像)。地下250mからの掘削自噴だそうで、在ジョージア歴20年の渡辺さんをして「最初の頃からあるなぁ」と言わしめる、なかなかの歴史があるようです。その源泉を右上画像の貯湯タンクに溜めての湯使いです。あーしかし、さすが温泉、汗が引かないっ!



さて、大観光地であるボルジョミはそのまま通過します(笑)。そういえばキルギスでも、イシククル湖最大の観光地であるチョルポン・アタは通過するだけだったんだっけ。有名観光地、そういえば日本でもほとんど行かないよなぁ、軽井沢とか(笑)。

このあとは田舎道を進む感じでアハルツィヘ到着。この地域に住む人々の1/3はアルメニア系なのだとか。ここでガソリン給油したり買い食いしたりして小休憩。



立派な建物だなと思ったらやっぱり警察でした。アイスクリームは懐かし系のお味。





さらに進んでいくと、周囲の風景が乾燥地帯っぽく変わったのがわかります。しっかり古城もありますね。というわけでヴァルジア到着ですが、この続きは次のページにて。

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