- 2019夏(39)&トルコ編(2) パムッカレで遺跡入浴後、どたばた帰宅まで -



ええっと、下調べゼロだったんで、こんなとてつもない遺跡を目の前にすると‥(固)。

カラハユットからタクシーでパムッカレに移動してきました。しかしパムッカレの現地情報はといえば、英語版の地図パンフレット1枚だけ。これが全てです(笑)。

でも、タクシーのドライバーさんに「(地図をなぞりながら)こうやってぐるっと周回して、こう下りてくるといいよ」と教えられ、とりあえずはルート確定。タクシーはサウスゲートまで上がってくれました。ここで遺跡エリアへのエントランスフィーを支払って入場。



さてここからは歩きなのですが、とにかくこの日は暑かった!日差しの強さは痛いほどで、気温も軽く35度くらいあったんじゃないか?例の温度計、湯温(&気温)測定用に持ってきたかったんですが、センサー部が金属の錐状になっているので、荷物検査で没収されること必定と考えてメイン荷物の中に置いてきたんですよ。残念。

すでにこの一帯は、紀元2世紀頃に栄えたヒエラポリス(聖なる都市)遺跡の中なのです。ここはローマ帝国の温泉保養地だったようで、その後も長く利用されていたようですが14世紀半ばの大地震で廃墟と化し現在に至る、ということのようです。とはいえ、この日のわれわれはそんなことを知る由もなく「へぇー、温泉の他に遺跡まであるんだぁ、じゃ、見にいってみようか」というていたらく。ええっと、ここ「世界遺産(複合遺産)」なんですよ(あとで知った)。



緩いとはいえ坂道を上っていくのでくたびれます(風は微風程度、湿気がないのが唯一の幸い)。これはもともと城壁だったんですかねぇ、尾根上に連なっていますから。左上画像は一部もともとの形状を保っているようです。

それにしても地震で崩れてしまったとはいえ、古いものでは1900年くらいの歴史を保つはずのこの岩々。やっぱり大切な情報の記録の一番は「岩に刻む」の一択ですな(砂岩とかは駄目よ)。

さらに坂を上っていくと、周辺エリアのほぼ頂上といえそうな場所へ。ええっと、下調べゼロですから全然知らなかったんですよ本当に。だから‥




(上ってくる歩道からは角度的に一切見えませんでした)。

この円形劇場、21世紀に入っても催事で使用されたことがあるのだとか。まさかロックコンサートではないでしょうが(笑)。

それにしても、紀元2世紀(以降)にこんな施設を構築してしまうローマ帝国の国力っていったいどれほどのものだったんでしょうね。思い起こせばイギリスのバース(Bath)の温泉もローマ帝国の版図だった時代に建設されたらしいし(バース訪問当時のページはこちら)。

ただ、ローマ軍撤退後の現UKエリアにローマ風呂(入浴)の文化は定着しなかったみたいですね。確かエリザベス1世(現在のクイーンは2世ですのでお間違えなく)の時代、1世は上流社会においても有名な清潔好きで、「ひと月に1回はお風呂(湯船)に浸かる」ということだったようです。ということは他の下々は推して知るべしというわけで。当時の西ヨーロッパには「病原菌は皮膚の毛穴から侵入するので、身体を洗わぬことにより毛穴を塞いでおくのが大吉」という考え方があったそうな。誰だよそんなデマを広めたやつは!

(なおエリザベス1世女王の入浴頻度ですが、今回ネットでみてみたらその周期は1ヶ月/3ヶ月/1年とまちまちでした。でもその昔に読んだハードカバーの「トイレの文化史」によると、確か1回/1ヶ月だったと思うので、ここではそれに従います)。




(何の文化的考察もありませんがお許しを)。

さて残り時間のこともありますから、ここからは全面的に下っていきます。



左上画像のポールの立っている場所から下りてきて、やってきたのは「アンティークプール」。プールなんですが、そこに注がれているのは「温泉」。しかもここは遺跡群の中、というわけで‥





利用料金はこの時のレートでほぼ1000円/人でした。まぁバリバリの観光地ですからしょうがないかと。ちなみにゲート内コインロッカーはデポジット式でした(10リラ。鍵返却時に戻ってくる)。

びっくりしたのが、何と「プール内での撮影禁止」。ええっとややこしいのですが、正しくは「プール内への撮影機器持ち込み禁止」でありました。プール内には大型一眼を手にしたカメラマンがいて、「プール内での記念撮影は僕にお任せ!」ということのようですが、いっぽうでプール脇エリアからの撮影はまったく問題なしで何だこりゃ。

だから時間差でプールに入れば撮影は実質的に問題なしなのですが、そんな考えもなく2人揃って入っちゃったんではいアウト。というわけで温泉プール内部での撮影画像はありません。



こちらはプールサイドから撮った画像。確かに石柱などが転がっています。

こんなふうに遺跡がそのまま温泉プールになっているところはまず他にないでしょう。もっとも日本では営業許可は下りないだろうなぁ。遺跡保護もそうですが、足下には遺跡の石材パーツがそのまま転がっており足下不安定、またかなり滑りやすいところも多いので実はかなりアブナイ。

なお、上画像には誰も写っていませんが、このエリアは深いのでくつろぐには不適当なんです。エントランス側の浅い側には多くの人がおりました。何たってこの暑さでしたんでそりゃぁねぇ。なお温泉はご覧のとおりの無色透明、カルシウム分を含む湯ゆえややキシ感があったかもしれません。いや、入浴客が多いんで確かなことはいえませんが(湯汚れ等の要因があり得ます)。なお、温泉逍遥さんによると泉質は「カルシウム・マグネシウム-炭酸水素塩・硫酸塩温泉」であるようです。



プール外から写真を撮るのはOK。何だかな感あり。

さてしかし、そうのんびりともしていられません。デニズリ空港発の予約便出発は18:35、この時点ですでに16:10でしたし、ここからパムッカレの町までは温泉が流れる坂道を下っていかなければならないのですから(20分くらいかかります)。



はい、ここからは裸足で歩かねばなりません。そこそこ凸凹があるので早足にも限界あり。



カルシウムの析出で白いエリアに入ってきました。あまり浸かっている人がいないのが不思議。







しょうがなく、手を広げたり足を上げたりするばかりでありました(笑)。

これだったら、アンティークプールで着替えずに、上着を羽織るだけで下りてきちゃえばよかったなぁ。いや、アンティークプールなしでこっちだけ浸かるという選択肢‥いや、でもやっぱり遺跡の湯をパスというのはなかったか。とにかく「無理矢理系強行スケジュール」の影響が随所に出ております(苦笑)。



ところで、温泉湧出量が減ったのか、それとも本来このあたりを流れるはずだった源泉をアンティークプールに回しているからなのか、かなりの部分がカラカラに干上がっておりました。今後どうなっちゃうんでしょうねぇ。



近隣から砂が飛んできて薄汚れてしまうのではないかなぁ‥。



そんなわけでパムッカレの町中に戻ってきました。とにかくのどが渇いていたので売店で冷たい飲み物を購入しゴクゴク(ビールではありませんでしたが)。

最初に行った旅行社オフィスに行き空港行きのタクシーを手配。何でもこの日はデニズリでナイトイベントがあるとかで(知らんかった!)、遅くなればなるほど道が混むだろうとのこと。こちらはいつでも出発できますよとお伝えしてタクシーの到着を待ちます。

しかしやってくるまでには15-20分くらいかかったかな。これだったら無理をしてでも途中の湯だまりに浸かっておくんだった!(まぁしょうがないか)。



というわけでデニズリ空港に向けて出発です。



道中の渋滞はゼロ。まぁ市内には入っていないので当然でしょう。



カウンターはガラガラでした。もっともそこそこの乗車率でしたが。



ええっと、「侮るジェット」ですか?(笑)。案山子(かかし)がいる空港も初めてです。

往路はLCCだったのですが、このフライトはフラッグシップのターキッシュエアライン‥なのに、イスタンブール(新)空港着じゃなく、なぜかこれまたサビハ空港に着陸ということがわかっていました。何だかなぁ。まぁ移動の予約はしていますが、やっぱり空港連絡バスがほしいよなぁ。



このフライトはまったく揺れることもなく快適でした。いよいよこの旅も最終盤です。



ほぼ定時(19:40)にサビハ空港到着。到着ロビーには「Takema」の紙を持った女性が待機してくれていて(右上画像の方)、新空港への移動は無事にできそうです。往路もそうでしたが、迎えの人はドライバーじゃなくて「車まで案内するだけ」なんですね。いったいどれだけの手当てが出るのやら。



移動は順調で、1時間弱にてイスタンブール(新)空港へ到着。この時点で20:30でしたがやっぱり夏は日が長いです。



ここで荷物をピックアップ。Takemaのバックパックが到着時にかなり濡れていたというのは前に書きましたが、さすがにそこそこ乾いているんじゃないかという期待は儚く崩れました。オープンスペースに置かれていたのですがやっぱり駄目だぁ濡れたまま。まぁ中身の荷物は基本的にビニール袋に入れてあるんで問題はないですけれどね。



成田へのフライトは深夜(1:40発)なのでまだまだ時間はたっぷりあります。が、巨大空港であるにもかかわらず食事処は案外(いやかなり)少なくて、



ま、この時点で開港数ヶ月ですから、少しずつ「実情に合わせた変更」は行われていくと思いますが‥。時間が遅いからというだけでなく、とにかく飲食店が少ないということを実感しました。



というわけで飛行機に乗り込み(夜行便)、東行きなので朝は早いですが、旅の終わりなので朝食からワインくらいは許してください♪

というわけで足かけ17日間の「ジョージア・アルメニア・ウクライナ・トルコ」周遊の旅も終わりを告げました。最後までご覧いただきありがとうございました!

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