(あまり意味はありませんが上ロゴマウスオンで英語表記に変わります)
− 2013 カムチャッカ旅行記その3 旅行準備の経緯&カムチャッカ州域のアウトライン−
(上画像をクリックすると「World Atlas.com」サイトのページが開きます)
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ただし今回のカムチャッカの場合、さすがに毎日ずっと現地の運転事情を見続けて酸いも甘いもかぎ分け(車での移動中はいつもの通りほぼ寝ることなしのTakema≠おしんこどん)、しかもそもそも通行道路自体が限られているので、もし次回来るときには自分でも運転できそうな気になりました。でも問題は「次いつ行くんだ?」というところにあります(笑)。 |
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(2013年9月現在の主観情報を含みますので念のため)
位置など | 上画像のとおり(画法の関係かだいぶデフォルメされている気もしますが)あまりにもわかりやすい半島です。ちなみに上画像を見ると「World Atlas」サイトの客観的立ち位置がわかります。北方領土についてはわざわざ「領土係争中」と書かれていますし、日本海についても(東海)と記載されています。それぞれについての意見はともかくとして、いろいろとわかりやすいのは確かです。 | |
面積と人口 | wikipediaの情報によると472,300平方キロ、日本の全国土を合わせても約378,000平方キロですから約1.3倍です。そこに居住するのはたった35万9千人ほどで人口密度は0.8人/1平方キロ。いつものように比較しますがTakemaが居住する千葉県市川市の人口は2013年7月現在約470,000人、人口密度は2012年現在で8,321人/1平方キロなんです。さらに参考までに北海道の人口密度は65.3人/1平方キロです。 | |
州都 | ペトロパブロフスク・カムチャッキーという、とてつもなく長くて舌をかみそうな地名です。地名の由来については本編のどこかで書くとして、やっぱり気になるのはこの長さ。マレーシアの首都「Kuala Lumpur」でさえ地元の人は「KL」と略称で呼んでいるわけだし、ここも地元の方は?そう期待して質問してみたら「そうですね、わたしたちはいつも『ペトロパブロフスク』と言っています」とのことでした。やっぱり発音上で舌の使い方慣れ方が違うのかな、日本人からすると「カムチャッキー」は楽勝だけれど「ペトロパブロフスク」は早口言葉レベルですよ。? で、その州都には20万人弱が居住し、空港近くのエリゾボ市に3.7万人、そして軍事的理由からいまだ閉鎖都市であるビリュチンスク市が3.1万人(これも州都の近郊です)。これだけで26.7万人ですよね。あとの9万人くらいは「広い広い半島及びその周縁部にパラパラ」と住んでいるわけです。州都周辺を除いて人口密度を計算したらすごいことになりそう(笑)。 |
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歴史 | もともとはコリャーク人など少数民族しか住んでいませんでしたが、17世紀に西洋人に「発見」され、同世紀末にはロシア人が入植を開始しました。 そして18世紀、カムチャッカに日本人が滞在します。彼の名は「大黒屋光太夫」。この名前をご存じの方も多いと思いますが、伊勢から江戸に向かう廻船の船頭です。1782年に嵐で船が漂流し、出航後約7ヶ月でアリューシャン列島のアムチトカ島(ちょうど統計180度の付近)に漂着、しばらくは島で先住民やロシア人と共に生活しました。 その後島を脱出してやってきたのがカムチャッカ。ここに約1年滞在し、このあとイルクーツクを経て何とサンクトペテルブルグまで渡り当時のエカチェリーナ2世に拝謁、帰国の許可をもらってロシア船で根室へ。10年ぶりに江戸に渡ってからは西洋世界を知る者として重用されたというのです。何とも波乱の人生を送ったわけなのですね。 さてその後のカムチャッカはロシアの領土として次第に重要な軍事的拠点となり、クリミア戦争時には英仏の攻撃を受けましたが辛くも防御に成功。しかしやがてカムチャッカは歴史の表舞台から姿を消します。 再びカムチャッカの名が歴史上に姿を現したのは、皮肉なことに米ソの冷戦時代。アメリカ本土に最も近い天然の良港ということで、ソビエト軍の太平洋艦隊基地が建設されたのです。しかし軍事上の拠点ということで、ソビエトの崩壊まで外国人立ち入り禁止はもちろんのことカムチャッカ外のロシア人ですら入域には厳しい制限が設けられていたといいます。 ようやく外国人の立ち入りが認められたのは1990年(91年という話もあります)。その後漁業関係者、そして近年では我々のような観光客も増えてきています。 |
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通貨と物価 | 通貨単位は言わずと知れたルーブル(рубль)。1ルーブルは約3円(2013/09/06現在の中値)。なお現地では日本円からの両替が困難ということで、現金はUS$で持参しました。しかし結局は成田空港の中でも数少ない「ロシアルーブルを扱う両替所」で3万円両替したらほぼ足りちゃいました(しかし成田での両替レートは悪かった!1ルーブル3.8円くらい)。個人手配旅行ですが全食事付きですから、現金は旅行中のビール購入とかお土産くらいにしか使わないんです。ちなみに旅行中はこの両替レート(3.8円)でずっと計算してたんでこのレートで通します。 そんなわけで参考となる現地の物価サンプルはほとんどないんですが、ちょっとびっくりしたのはビールとタバコの安さ。何と日本のタバコ「MEVIUS」も売っていて(他の全てのタバコと一緒に売ってるから闇商品では決してない)、しかもお値段67ルーブル/箱!ええっと3.8円としたって254.6円!ビールも山上のロッジで缶ビール(ロング缶)を頼んでも1本100ルーブルということは380円、安い!(酒税とかたばこ税とかがお安い国なのね)。あと、移動途中に買い食いした肉&ジャガイモ入りの巨大ピロシキ(手のひらサイズに近い)が75ルーブル=285円でしたっけ。 しかしこれだけでははっきりしません。たとえばわれわれがタイに行って屋台などで食事をしたりするとその安さに驚きますが、それは同時に所得の違いをそのまま反映しています。2年前(2011)のデータですが、モスクワ市民?の平均月収は16000ルーブルで、物価は日本の1/3だということのようです。日本でも都市部の収入が地方よりも高いことを考えればカムチャッカは‥。 われわれの旅行での訪問先は(スーパーマーケットを含めて)基本的に現地富裕層をターゲットにしたところだったと思うので、一般市民の暮らしはもっとつつましく身の丈に合った生活ぶりなのでしょうね。郊外にダーチャ(個人菜園)を持っている家が多いというのもうらやましいというよりは「暮らしのやりくり上の必要性から始まった」のでしょう。 ただしこれには別の意見もあります。カムチャッカは漁業資源が豊富でありその関係で実はロシア「本土」より実質的な収入は多い、また共働きが普通でありダブルインカムだから、中流レベルの家庭でも日本の中古車が買えるのだと。確かにバイカル湖周辺より物価がバカ高いと聞きましたが、それは同時に平均収入と連動していることの証左なのかも。ちなみ1997年の州政府発行資料には「カムチャッカの住民は年間一人当たり二十六リットルのウオッカと九リットルのワイン、そして三十リットルのビールを消費する」とあるそうです(笑)。 |
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言語 | これまた言わずと知れたロシア語です。ロシア語しか話せない人が圧倒的に多いです。でも、われわれが外国人だと知るや片言の英語で話しかけてくれる人もいて(さすがに日本語は無理)、また時には温泉(プール)入浴中にナイスバディのビキニお姉さんが流暢な英語で話しかけてくれたりするので気は抜けません(笑)。 ロシア語の文字はいわゆるキリル文字なので、英語のアルファベットと見かけが似ていても発音が全然違うのでローマ字的に読むことが出来ません。こればっかりはきちんとロシア語を勉強しないと無理なのかなと。 なお州都ペトロパブロフスクカムチャッキーにある大学には日本語学科があり(もちろん日本人の教授もいる)多くの学生が学んでいます。その学生たちが卒業後にそのスキルを生かすために進むのは‥多くは語学&観光業のようです(場所はカムチャッカに限らない?)。今回の旅行でわれわれの専属ガイドになってくれたターニャさんも普段は日英の語学講師をしていて、夏のあいだはこうしてガイドのお仕事をしているのだとか。ただ「今後はまだわからない、今はまだフルタイムの仕事じゃないので‥」ということでした。 |
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産業 | これについての説明にも上記ターニャさんのお話が密接に絡んできます。フルタイムの仕事ではないと書きましたが、現在カムチャッカは景気がよくてどんどん新しい商業施設等が建てられているそうです。しかしそれに見合った求人の増加が見られるわけではないそうなのです。 「カムチャッカの産業といえば漁業関係と○○関係しかないですから」。さて彼女がおっしゃった「○○」とは何でしょう?その答えは「military(=軍隊)」。そう、ここペトロパブロフスク・カムチャッキーには今なおロシア軍の極東潜水艦基地があり、上で出てきたビリュチンスク市はそのため今でも閉鎖都市なのです。 表立つことはありませんが当然相当の軍事費が中央政府から拠出されていることは確かです。でもその恩恵が州都の市民を直接潤すことはありません。そこで州政府が力を入れているのが観光業の振興なのですが‥状況はなかなか厳しそうです(カムチャッカの場合季節により客数が極端に違うので、通年フルタイムでガイド等を雇用するのはかなり困難なのでしょう)。 |
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時差 | 日本に比べて3時間先行します(こっちが朝6時なら向こうは9時)。サマータイムはありません(廃止されました)。ただし直行チャーター便で行くならこれで説明オシマイなのですが、ハバロフスクやウラジオストックを経由する場合は「2時間先行」です。でもウラジオの経度は広島と山口の中間あたりと同じなので、夏に行くと「すごく北に来た(日が長い)」気になります(笑)。もちろん冬は逆ですが(苦笑)。 | |
気候 | われわれが訪問した2013年は「今年のカムチャッカは暑いです」ということで、確かに最初の頃は夜も気温の低下がゆるかったんです。で、宿によっては(例:アバチャホテル‥ということはたぶん結構多くの宿で)暖房設備はあってもクーラーがありません(北海道と同じね)。となると夜は窓を開けて‥はい、市内中心部のアバチャホテルでさえも蚊が入ってきました(ホテルの裏側は自然いっぱい)。というわけで蚊取り線香‥いや今や「ワンプッシュで蚊が来ない」系の優れた品がありますのでそういうのをお持ち下さるべきかと。だって寝るときに虫除けスプレーを塗りたくりたくないですからね。 しかし旅行後半は気温が下がり、特に夕方から朝にかけては半袖短パンでは寒いくらいでした(部屋でタバコを吸わずホテルエントランスまで足繁く通ったのでこのあたりの体感記憶は鮮明です(笑))。 そうそう、ここで虫除け対策についてですが‥2013夏についていえば蚊やアブやブヨは「予想していたより」少なかったです。事前イメージとしては「露天湯に入ろうとするときには日本よりはるかに巨大サイズの蚊(これは間違いありません)が蚊柱となって手ぐすね引いて待っている」という感じだったのですが‥北海道のアブたたきダンス入浴(川北とか)の方がきつかったかも(ちなみにTakemaは盛夏のからまつの湯で「駐車場でバイクを止めた瞬間身の危険を感じてそのまま撤退」し、結局今でもからまつの湯未入湯の人なんです)。それに比べてカムチャッカの蚊は暢気というか、まっしぐらに来るのではなく「ふわふわ飛んでいるうちにターゲットが見つかればいいな、あ、いた、それじゃ行ってみようかな(ふわふわ)」というところでしょうか。 なおカムチャッカの巨大蚊の特性として(肌に)着地してもすぐに吸血行動には至らず1-2秒『どうしようかな』系の「その場待機」をします。見かけサイズが大きいのでそのタイミングで見つけてパチっとやればもちろん問題なし。なお動きは日本のヤブ蚊に比べればはるかに緩慢です。 で、それに気づかずにいていよいよ吸血行動に入る際にもサインがあります。身体が大きいので吸血針もその分太いのか、刺される瞬間に何となくの「チクリ感(痛いというレベルではない)」があるのです。この時にパチリとやっても、タイミングにもよると思うのですがかゆみは残りません。 そしてそれでも刺されてしまった場合も、実はあまりかゆさは残りません。日本のブヨ(ブユ)の場合、それこそ腫れ上がって何日も云々ということがありますが、カムチャッ蚊は何ともジェントルな奴らのようなのです。ちなみにこういう場合、わたくしTakemaより妻おしんこどんがカナリア的実験台になるのが常なのですが、その彼女も同じ印象でしたからねぇ。 ただし!同じ場所同じ時期でも年によって状況はみごとに変わることをご承知おき下さい。ちなみにわれわれは虫除けスプレー(塗るやつ)を3本、またモスキートネット(頭からかぶるやつ、実はアイスランドで衝動買いしていた)を持参していました。宿泊部屋用に「押すだけ○ーマット」とかを持ってくればよりヨカッタかも。 で、突然再び気候の話に戻りますが、実はカムチャッカは「台風の墓場」なのだそうです。フィリピン方面から北上してきた台風は日本近海のどこかで温帯低気圧になり、とりあえず日本の気象予報エリアから外れたところまでいくともうその先はわれわれにはわかりませんというかOut of 興味となるので調べる人もいないでしょう。でも‥ その「台風のなれの果て」は皆さまの想像通り加速の果てどんどんそのパワーを落としつつやがて偏西風のエリアから外れて動きをもそがれ、「このカムチャッカ半島付近にて『じわじわじわじわ‥』と最後の体力を落として周囲と同じ気圧に戻っていく」のだそうです。 しかし台風としてのパワーアップ&ダウンのあの激しさとは裏腹に緩慢なパワーダウンゆえ、墓場入りした台風のなれの果てはカムチャッカにやや長い荒天をもたらすのだそうです。そのタイミングに合わせてカム入りをするようなことがあったら‥己の不幸を嘆くしかないようです。 |
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治安 | ペトロパブロフスク・カムチャッキー市内の治安に関して不安を感じたことはありません。24:00にもホテルエントランスの外の喫煙所に行きましたが(ホテルの部屋は喫煙可能ですがおしんこどんとは完全分煙ね)、歩道には女性の一人歩きの姿もありました。 また日中の市街地もメインストリートはもちろん多少の裏道でも「やばいニオイ」は感じませんでした(ま、ほとんど歩いていないんですが)。治安に関してはそう悪くないのかな? その一方で、日本の中古車(かなりボロイものにも)結構な確率で盗難防止アラームが付いていましたし、「悪い奴ら」のターゲットが今のところ観光客には(メインで)向けられていないだけかもしれません。でも昼は他諸国と同じ意識&行動で大丈夫なのかなと。 あと、温泉施設については鍵付きのロッカーがあるところはともかくとして、そうでないところではプールサイドまで貴重品を入れた荷物を持ってこられます。ただし全てというわけにはいかないので(脱衣場はロッカー室)、飲み物やタオルを入れた袋の中にこっそり貴重品をという感じです。 なお、われわれは車チャーターだったので、出先では車に貴重品を置かせてもらいました。というのも、われわれがガイドさんとうろうろしている時にドライバーさんは車で待機だからです。ただこれについては必ずOKというわけでもないでしょう、ついうっかりドライバーさんが車を離れた隙にということもあるので、今となってはちょっとよくなかったかなと(もし何かあってもドライバーさんに責任を問うことは一切出来ません=万国共通)。 |
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行き方 | 2013年9月現在、アエロフロート子会社のウラジオストク航空が成田からハバロフスク・ウラジオストクにそれぞれ週2便を運行しています(新潟空港発着便は運休中)。同日または翌日に国内線でペトロパブロフスク・カムチャッキーへ移動というわけです。また、夏の一時期のみ成田からカムチャッカ直行チャーター便が運航されますが、2013年は7月の中旬までで終わりでした。 | |
入国と出国 | ロシア入国にはビザが必要です。昔は「所轄の旅行会社を通し、すべての宿泊予約が完了していること&インビテーションが必要」だったらしいのですが、今はかなり緩い基準で発給してもらえるオイシイ方法もあるそうです(ただしわたしたちは個人旅行とはいえ旅行社に全ての手配をお願いしたのでその辺についてはよくわかりません)。 ビザの発給費用ですが、パスポートの受け取り希望日が翌日の場合は24,000円ときわめて高額です。でもそれが翌々日だと1/3の8,000円となり、1週間後だとさらに半額の4,000円、そして何と「2週間後以降」となると無料になっちゃいます。「ロシア人をせかすと高くつくぞ」というところでしょうか、「月曜日にお風呂を沸かして火曜日に入浴」する人たちですから(笑)。 まぁそんな冗談はともかくとして、入国に際しては出国時に必要となる半券が返されますので絶対になくさないこと。この半券返却システムっていくつかの国で採用していますが、パスポートに挟んでおくうちについうっかりハラリとどこかに落としてしまいそうで、個人的にはかなりイマイチだと思っています。その場合旅行会社がタダでくれていた透明ビニールのパスポートカバーに挟んでおけば紛失の可能性もかなり少なくなりスグレモノと思っていたら、電子管理化の流れにひっかかって「カバーを外せ」だって。うーん、何とかならないかな? なおロシア入出国の際、イミグレではチェックにやたら時間がかかりますが、特に何も聞かれないと思います。 |
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ガイドブック | 「地球の歩き方」には「シベリア鉄道とサハリン」編はありますが、カムチャッカ版はありません。わたしの場合、左画像のようなワールドガイド「サハリン・カムチャッカ」(JTBパブリッシング
2007)を何年も前に購入していたので、何年かぶりに引っ張り出して読むことができましたが、残念ながら2013年現在絶版のようです。 英語力のある人ならロンプラ(Lonely Planet)のロシア版‥でもロシアって広いしなぁ、モスクワとかサンクトペテルブルグのガイドと一緒くたで一冊だとしたらやたらに分厚そう(現地で使うのはごく一部のページだけなのに)‥でも念のため探してみたら、「Russian Far East(ロシア極東編)」というのがありました。が、これが何とPDFファイルでの販売のみなんですね。約2GBなのでダウンロードしてスマホやタブレットに落とし込んで使えということなのでしょう。時代は変わった‥でも自分としては使いにくそうに感じます。電池切れを気にしながらの現地での旅行プラン立案など考えたくありません。ま、今回はそれも一切する必要がなかったわけですが、それでもついつい読んじゃうんですよね。 |
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お金とカード | 「クレジットカードは使えない」というのがかつての常識だったようですが、市内のスーパーやおみやげ屋さんなどでは使えるようになっています。ただし全面的にというわけではないので、お店に入ったらまずレジ周りにカード払いについての表示があるかどうか確認しましょう。わからなかったらカードを見せて「これ、使えます?」と店員さんに聞けばいいのです。 ただ、2013現在のカムチャッカでは基本的に「みんなニコニコ現金払い」が主流ですので、ルーブルの現金は常に持っておきましょう。なお上でも書きましたが、現地では日本円からの両替が出来る場所は(銀行を含めて)限られています。US$ならOKです‥って、東西冷戦時代からすると考えられないお話ですね(苦笑)。 |
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移動手段 | これについてカムチャッカでは選択の範囲がすごく狭いというか、2013現在選択の余地はないというか。空港にはレンタカーのカウンターもありません(というより、到着ロビーそのものが存在しません)。英語サイトで見ると、ハバロフスクやウラジオストックにはネット予約できる(いや「できそうな」)会社があるようです。が、カムチャッカには全くないように思われます(そういえば前年に調べたサハリンもそうだったよな)。もちろんロシア語入力で検索してみれば出てくるのかも知れませんが現実的でないのでパス。 そんなわけで現地での移動は車のチャーターが現実的です。ドライバー氏はロシア語onlyが普通なのでそこに日本語通訳ガイドも必要です。そうか、だからなのね、稚内からすぐのサハリン個人ツアーも極端に高いのは!(実は最初「サハリンの温泉を巡れないかな?」という野望から始まったこのカムチャッカ行きなのでありました。今さらながらに気づかされました)。 現地では「六輪駆動車」なるオソロシイ車で目的地に向かうということで楽しみにしていたのですが、結果的には三菱デリカの懐かしい型で悪路を走破しました。悪路といってもまさか「雪原」を悪路の範疇に含めるとは思いもよりませんでしたが(そもそも道じゃないし)。 あとから聞くと、六輪駆動車は乗車定員が多いので団体ツアー専用車なのだとか。われわれは2人、なるほどねぇ。でもそのぶん面白かったです。 |
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宿について | これについては全宿泊がアバチャホテル(州都中心部)なので客観的な比較ができません。ただ逆にアバチャホテル2013についてはかなりいろいろ詳しくレポートするので、その特集ページをご覧頂ければと思います(特にツアーで滞在予定の方は必見です)。 | |
電気&ネット | 電圧は220V、丸穴2つですからアダプターを持参すれば特に問題はありませんし供給は完全に安定しています。あ、そういえばメイドイン中国クオリティの充電アダプターがぶっ飛んだおかげで、TakemaのガラケーからのSNSつぶやきはできなくなっちゃいました(100-240Vって書いてあったのに!)。でもまぁノートPCやIPodがあったので何とかなりましたが。 で、ネットですが、ガイドのターニャさんいわく「世界で一番ネット環境が悪い!」というようなことをおっしゃっておりました。われわれが滞在していた中心部のホテルでもかなーりイマイチ23でした。WiFiでつながれば御の字、遅いのはしょうがないと考えた方がいいようです(このあたりの状況はほんの数年で大きく変わるかも知れませんが)。 なおネット接続契約をしているターニャさんも「動画は(ファイルサイズが大きいので)見ません」とおっしゃっていました。日本のように容量無制限ではないのです(あ、携帯機器では日本でもそうですね、契約ロード量を超えると128kbpsに落とされる‥あのー、ガラケーがだいたいこのスピードに近いって聞いたんですが、わたし個人としては2013現在まったく問題ないんですけれど(大笑)。 そんなわけで、ネット接続については今のところスイスイではないということをご理解下さい。というかたぶん現地に行けば「その日の目的地はほぼ『圏外』」なので、ネット中毒の方には結構いい治療になるかも?(笑)。 |
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温泉関係 | 最後になりましたがやっぱりこれだけは事前にアウトラインをば。カムチャッカ半島には多くの火山があり‥あ、これでもう説明不要ですね(笑)。ちなみに自然湧出の温泉だけでも164箇所あるそうです。ただし問題は「そこまでどうやって行くのか(行かれるのか)」ということであり、その問題については北海道の山奥野湯の比ではありません。だって「ヘリでしか行かれないヘリで行きます!」っていう有名温泉も‥(苦笑)。 わたしは温泉ファンであって「マニア」じゃないんで1往復しか乗りませんでしたが(大笑)、やっぱりすごいですねぇカムチャッカというところです。今回行かれなかったエリアにもかなり濃厚な場所がいくつかあるんですが、「次回」はあるのか?(お高いので今のところ自粛かと)。 それはともかく州都から陸路で行かれる温泉施設もたくさんあります。もちろんマッパーは不可でプール系なのですが、カムチャッカまで来て日本式入浴にこだわるのも意味はなし、湯使いはどこも悪くないので(というかロシア式アバウトさというか)、とにかくカムチャッカの湯浴みを楽しみましょうハラショー! |