(あまり意味はありませんが上ロゴマウスオンで英語表記に変わります)

− 2013 カムチャッカ旅行記その4 いよいよ出発、まずはハバロフスクへ −



ひゃー、ハバロフスクに路面電車が走ってるとは知りませんでした!

そんなわけでいよいよ出発です。成田空港へと向かうべく京成の駅まで歩いただけでもうびしょびしょの大汗滝汗。2013の夏はホントに暑かった!カムチャッカ半島全体に天然のエアコンがバリバリ稼働中であることを祈りつつ成田空港へ向かいました。

この日はハバロフスクまで行ってそのまま泊まりの予定です。夏季にはカムチャッカ州の州都ペトロパブロフスクカムチャッキーまで直行チャーター便も出るのですが、この夏の運航は7月下旬で終わってましたので(はやっ)経由便しかなかったのです。

さて11:30発のフライトなので9時過ぎに第一ターミナル到着。近年はネット経由で事前チェックイン可能な航空会社も多いんですが、事前に手配会社から「空港には遅くとも2時間前までに云々」と言われていたので大事をとりました。いやアエロフロートのサイトにもオンラインチェックインのページはあるんですが、やってみたら「あんたのチケットではダメなので空港でね」と突っ返されちゃったんですよ(苦笑)。

時間的に早めなこともあり長蛇の列というほどでもなかったアエロフロートのカウンターですが、一応3つのカウンターで対応しているのに列の進みがおそーい!何だか1990年代前半のバンコクドンムアン空港みたいな遅さです(わかる人極小)。中には荷物が重すぎと指摘され、カウンターの脇でスーツケースを開けてあーだこーだとやっているロシア人ご家族も。

ま、それでも「いつかはやってくるのだ自分の番が」と信じていれば必ずその時はやってきます。ちなみにお客は日本人よりもロシア人の方が圧倒的に多いように思いましたが、考えてみればわたくしTakemaと同年代またはそれ以上のロシア人の皆さんは‥

そんなわけでチェックイン後に朝ごはんはいつものお寿司(回るところね)。いつものヤリイカ姿寿司で一杯です。しかし何だかこれ以外の(やや高級系)ネタはレベルが落ちてきているような気がしないでもありません。ま、これから行く場所では海の幸も存分に味わえそうだしね(謎笑)。

このあと日本円をルーブルに両替‥げげ、列が出来てる!実は空港内にいくつもある両替所なのですがルーブルを扱っているところは多くなく、そこに並ぶしかないか‥え?あのですね?

いや実は、このあとの手荷物チェック&イミグレーションの混雑度によってはの「いやな予感アラート」がTakemaの中で鳴り始めてはいたんですよね。ただし「だったらのんびり寿司など食わず先に全部終わらせて中に入っちゃえばいいのに!」と言われればそれまでなんですが‥。

何とか両替を終えてセキュリティチェックへ。「げげ、混んでる‥」。列はいつものとおりなかなか進まず、この時点で「イミグレの列の長さによってはヤバイかも」と黄色に赤信号の点滅が重なります。おまけにノートPCを持っているのでいくつものカゴに分けてチェックを受けることとなりいつもながら面倒くさいし、実はしまうのも面倒なんですよね。それにしてもこのくだり、上記ロシアの方がご覧になったら笑止千万ものなのかも(笑)。

で、階下のイミグレエリアに足早に向かってみると(頼む!)‥

ここに各列20人とか並んでいたらやばかったはずなんですが、これで事なきを得て出国手続き後の免税タバコも余裕で買えました。もっともカウンターで言われていた搭乗口到着時刻ギリギリでしたが。

で、搭乗口番号「28A」は予想通り第一ターミナル内でもかなり辺鄙な場所にあります。というか予想通りバスでの搭乗だし。でもまぁこれも一種の「旅の始まり」系でいいですね(右上画像マウスオン)。

機材はウラジオストク航空(アエロフロートとの共同運航便)のA320-200。乗り込んでみたら窓上のエアコン吹き出し口から白い霧が噴出してました。乗り込んだときの機内は暑めでしたし、直前まではエアコンを入れていなかったのかな?

さてハバロフスクまでは3時間弱、ちょうどお昼にかかるフライトなのでどんな機内食なのかなロシアのビールも飲んでみたいぞと意気込んでいたのですが‥



ちなみに国際線なんですが飲み物の選択は基本的にソフトドリンクのみ。えー、お子ちゃまじゃないんだからさぁっ!(大悲)。

短距離とはいえ国際線で比較すれば、バンコクからヤンゴンまでのタイ国際航空はね、フライト時間が1時間20分しかないにも関わらずちゃんとトレイに載った機内食とワインなんかも飲み放題だったんですがっ!(2004)。

というわけでTakemaはとっても健康的な状態を保ったまま日本海を北上していきます(笑)。やがて機首を下げ、雲の下に入ると広大なシベリアの平原が見えてきました。そして‥



そんなわけでほぼ定時に着陸です。かなり広い空港なのですが横風用滑走路はなかったみたい。で、ロシアでは空港は撮影禁止なのかもしれませんが、知らずに撮った?のでご容赦のほどを(笑)。

窓ガラスがかなり汚れているので白っぽい写真になっちゃいましたが、左上画像はイリューシン76の輸送機です。コックピットの下側にも窓がありますが、ここには航空航法士が乗務するのだとか。まさか悪天時有視界飛行のため」じゃないでしょうが、とっても珍しい面構えです。

さて向こうからタラップ車とバスがやってきました。空港施設をじっくり見渡してもボーディングブリッジは設置されていないようですが、冬のシベリアの凍てつく寒さを考えればせめてタラップに屋根を付けても罰は当たらない気もします(笑)。ちなみに右上画像にマウスオンすると出てくるお姉さんたちの仕事は何なのだろう?

何となく事前の予感としてターミナル行きの連絡バスが「日本の中古路線バス新宿西口行き表示そのまま」系だったりするんじゃないかと期待していたんですが、あに図らんや低床式両開き扉の最新式バスでした。さて、あれが出入国のターミナルビルだなと思っていたんですが、あれあれれ?何だかバスはどんどんとアサッテの方角目指して突き進んでいきますが?

その先に見えてきたのは2階建ての(格落ち系)建物でした(右上画像マウスオン)。ちなみにこの翌日の出発手続きはメインビルのほうで行ったし、このあと行くペトロパブロフスク・カムチャッキーでも到着側の施設はかなり質素(!)だったし、出発と到着の建物を分けるのがロシア空港のデフォルトなんでしょうか?(さすがにもモスクワとかはそうじゃないんでしょうが)。

さてイミグレーション。結構キビシイとかいう話を聞いていたんですが、1人あたりにかける時間が長いくらいでなんの質問もなくて拍子抜け。まぁその昔の東南アジアの陸路国境のイミグレのように「キミはドラえもんを知っているかね?」というようにキテレツ大百科系の質問を受けるよりはマシなのかもしれません(笑)。ちなみに1人にかける時間はロシア人も日本人も同じような感じでした。ちなみにおしんこどんはイミグレ周辺にいた女性警備員について「背は高いし綺麗だし、まるで女性スパイみたい」と評しておりました(笑)。

イミグレを抜けたあとは最後に荷物のX線検査を受けてこれでご赦免。ようやく到着ロビーに出てきました。しかし‥

「成田で両替してきてね」と言われていた理由、それはこの空港に両替所がないからだったんですね。到着時間を考えればホテルに向かう途中で途中立ち寄ろうにも銀行がクローズしてしまうだろうし、この日の夜は自分たちでどこかに食べに行かなきゃいけないのでルーブルの現金がないといきなりお食事難民となってしまうし‥。

ふぅ、安心です。いやちょっと待て、肝心な送迎の人がいないんだから事態は全然解決してないし!(苦笑)。

おっかしいなぁ、到着日とかを折衝の途中で変更したわけでもないから「別の日と間違えてる」わけじゃないだろうし、ターミナルの外に出て探してもみたいんですが、どうやら一度出たらそこからは再入場が出来ないらしく空港職員が目を光らせているようだし(ホントはタバコを吸いに出たかったんですが)。なおあとでわかったことですが、再入場したい場合は別の入口から荷物&ボディチェックを受ければ問題なしのようです。

さてどうしよう?と思い始めたところで送迎のバシリーさんが到着してサクっと問題解決。荷物を持って外に出ると‥




(タラップを降りた時には曇りで日射しがなかったのでわからなかったんです)

ちなみに内陸に位置するハバロフスクは、沿岸のウラジオストクに比べれば夏の気温が高いのだそうで(ちなみに冬はより寒い)、北緯48度と北海道より高緯度なのに、何だか暑い日の北見か帯広という感じです。

さて空港から市内へは10kmほど。お大尽系の送迎付きなのですが、ロシアは日本とは逆の右側通行、でも右上画像を見てもらえばわかるとおりこの車は右ハンドル。そう、この車は日本の中古車なのです。

この旅行中、自分たちの乗った車はただ1回の韓国車を除いて全て日本の中古車でした。日本でもしばらく前に「北海道の漁港にカニを水揚げしたロシアの漁船が中古の日本車を無理矢理系で載せて帰っていく」というのがニュースになった時期がありましたが、どうやらその「お持ち帰りの数」は塵も積もってとてつもない数であったらしく、「日本で数年前までごく普通に見ていた」車が大量に幹線道路を走りまくっているのでありました。

そして主要道にはトロリーバスも運行中。このトロリーバス路線などは当然ソビエト時代に整備されたモノだと思われますが、ソビエト崩壊後急激に進んだモータリゼーションの影響はどうなのでしょうか。ちなみに途中渋滞してるなと思ったら、トロリーバスと中型トラックが接触事故を起こしていました。一般のバスも走っていて、何だかごちゃごちゃしているハバロフスクの道路です。

まぁでも無事に今宵の宿ツェントラリナヤホテルに到着(右上画像)。何と市内中心のレーニン広場に面した立地で「ここは昔国営ホテルだったんじゃないの?」と思わせられます(未確認です)。



だって一等地に位置するホテル前の広場ははこぉんな感じなのですから(両上画像ともマウスオンで別画像に)。

なおバシリーさんがチェックインまでやってくれたので楽勝です。ただ彼は英語があまり通じず、ホテルまでの道中も「ここがレーニンアベニューです」とか「この近くには大学があるので安いカフェ(食堂)が多いです」と話してくれるのですが、それに対して質問をすると返事が戻ってこないんです(笑)。ちなみに出発直前に聞いたアドバイスによると「彼が勧めるカフェはファストフードです、コリアンレストランならお勧めがありますよ」とのことでしたが、いかんせん直前過ぎてその先を聞けませんでした(笑)。

ちなみに宿では外国人の宿泊について何やら登録をせにゃいけないらしく、チェックイン時に預けたパスポートは「2時間後に取りに来てください」とのことでした。ならばその前に夕ごはん、行っちゃおうかな!(機内食があの固いハンバーガーのみでしたから)。

てなわけで夕ごはんお出かけ開始!この時期は22:00近くまで明るいので18:30くらいはまだ全然余裕でして、左上画像の中にあった子ども遊園地では家族連れが遊んでいました。短い夏ゆえこの時期はたっぷりと楽しむというのがこちらのデフォルトなのでしょう。

さてしかし実はハバロフスクについては「全く何も下調べしていない」のでありまして、ガイドブックはおろか地図すら持っていないのです。ただ、空港からホテルに向かう途中「この辺は繁華街だな」と思いながら景色を見ていたのでまぁ何とかなるだろうなと思って歩いていたわけです。

で、地下にあるカフェ(=кафе)に妙に心惹かれていきなり潜りました(笑)。まだ時間が早いのか席はガラガラでしたが、このあと子どもを連れた家族が来たりしていたので普通のレストランだったと思って間違いないのかなと。店内の照明は暗めでしたが液晶TVのオンエアもあり、あやしい感じもありません。

で、出てきた若いウェイトレスさんに英語で「メニューはありますか?」と聞くと‥「?」。あ、通じませんね。そこでジェスチャー語にてお願いして持って来てもらいました。やったラッキー、写真付きの立派なメニューなのでとんでもない注文をしなくてよさそう♪

で、食べ物はあれとこれ、で、飲み物ですがやっぱりビールだよなぁ、でもビールってロシア語でなんて言うんだ?

しかしこれについてもあまり問題はありませんでした。幸いなことにこのお店のカウンターにはビールサーバーの注ぎ口が見えていたのです!というわけで‥




(右上画像マウスオンでビールを半ば飲んだTakema画像に変わります=このあとおかわり)

ま、実際のところはそんな簡単には進まなかったのですが、食事に関していえばこっち(客)も向こう(店員)も「ある一つの目的をやりとりするために」ここにいるわけで、基本的にはそんなに難しいハナシにはならないのです(ただし会計の時にこじれる場合は別ですが)。

で、この時店員さんから「あ、ピーバ(пиво)ね!」と言われたので即座にインプット。なおロシア語を覚える気が全然なかったわれわれ夫婦が(だってこのあとカムチャッカでは日本語ガイドさんが付いてくれるんだし)現地で使ったロシア語と言えばただ3つのみ。それは‥

以上、たった3つのフレーズだけだったのでした(大笑)。このように日本語ガイドさん付きだと楽は楽でも現地語の勉強を全然しようとしない見本です。同じようなことは2002年のブータンでもあったなぁ(苦笑)。

そんなわけでオーダーしたのは左から順に「キャベツと卵の和え物をナスで巻いてチーズと生姜で味付けしたもの」と(これは美味しくて帰国後おしんこどんが再現調理しました)、「ロシア風餃子(ペリメニ。このお店の量は2人で適量だったのですが、後日カムチャッカのホテルで1人10個くらい出された時にはさすがに飽きた)」、そして右上画像は料理の名前は忘れましたが要は酢豚のような料理でした。どれも美味しくいただき、うーむ明日からの食生活に期待を抱きましたよ。明日からはカムチャッカだし、今度は海の幸も!(ただしこれには後日談があります)。

さて夕食後はホテルに戻り、ノートPCを無線LANにつなぐのに手間取りつつも(考えてみればたとえロシアでもパスワードは英語のアルファベットなんですね)何とか接続完了。しかしおしんこどんは特にすることもないので手持ちぶさた(TVは英語放送なし)。で、「ちょっとお散歩行ってくるわ」ということに(まだ十分に明るい時間)。

で、1時間くらいして帰ってきたおしんこどんいわく、「路面電車が走ってたよ、分岐では運転手さんが降りて自分でポイントを切り替えてさ。うん動画も撮ってきた♪」

しかしさすがにその頃には夕方近くになっていて空もやや薄暗く‥。うーむやられた、いやよくぞ地図もなしにそれを見つけてくれた!というわけで明日は6:00起床を高らかに宣言し、おしんこどんガイドに従って現地を訪問することにして就寝!

さて明けて翌朝。おしんこどんがシャワーを浴びてるなと思って時計を見たら「4:45」。何でこんな早くから起きているんだろう眠れなかったのかなと思って声を掛けると「違うよもう6:45だよ」と言われて飛び起きました(笑)。えーちょっと待て、昨日ハバロフスク到着時に時計は現地時間に合わせていたんですが?

どうやらこの○-SHOCKの新しいやつは電波時計にもなっている関係で、現在地というか現在の経度地域を選択すれば時計を直す必要はない代わりに、たとえば経度地域=東京のまま時刻を変更してもそのうち東京時間に戻っちゃうようなのです。あー面倒くさい!というか、7:45朝食、8:15出発というスケジュールを考えるとこれはヤバイ!

しかし朝シャワーを浴びたいのでざざっと浴び、「片道15-20分くらいだったかなぁ」という道のりを10分弱で現地到達!(笑)。いや走ってないですよ早足でしたが。すると‥

おおー専用軌道線に到着、しかもちょうど路線の分岐地点らしくなかなか楽しい線路配置です。というのは右上画像では本線から左側に線路が分岐していますが、実は本線の向こう側からも同一方向に分岐していて、ここはまさにジャンクションとなっているわけなのです。

そんなわけでこの場所では3方向からいろいろと列車がやってきます。が、さすがに全方向の列車を待っている時間はありません。あ、でも前日のおしんこどん撮影画像が貴重な証拠ですね。

林の中を進むとてもいい感じの専用軌道ですが、電車はここで一旦停止します。実はこのポイントは中央制御でも何でもなく、


(右上画像に見えている人は運転士さんなのです。で、このあと電車は道路をまたいで右折=右上画像マウスオン)

うーんすごいぞ、何十年も前からであろうこの運行作業がいまだに現役たるところがやはりロシアなのでしょう。感覚として日本人なら我慢できない=もっと安全に確実にを追究したくなるのが技術屋魂というところなのだと思いますが、こちらの発想はやはり違うのでしょうね。そういえばスペースシャトルなき今国際宇宙ステーションへの人員輸送はロシアのソユーズに頼っているわけですが、改良に改良を重ねて今に至るとはいえ基本設計は1967年の1号機のようで、これはこのあとのページにも書くつもりですが‥

どっちがいいかとは全く考えないんですが、wikiの国際宇宙ステーションページを見ていたら、アメリカ製作エリアは機能的だがステーション内で何かあったときにはオシマイ、それに対してロシア側サイトは狭くて使い勝手が悪いかわりに主要モジュールのそれぞれが宇宙船としての機能を有しているなど、やっぱりお国柄があるんですねぇ。ちなみに太陽フレアの活動活発化により放射線量が急激に高まった場合には「総員ロシア側に避難」なんですと(へぇー)。

塗装はまちまちですが広告付きのラッピング電車も走っていたりしてなかなかいい感じです。さてここで問題。たった1両で運行されているこの路面電車ですが、日本の路面電車と大きく違う点が1つあります。それは上の2画像をよーっく見比べてみればわかるのですがそれはどういうところでしょう?



どう?‥

どうですか?‥

わかりましたか?

ハイここで正解です。実は前後非対称、すなわち運転台が片側にしかないのです!これはどういうことかというと帰路は完全にバックで運転されているという奇想天外な運行形態(これはうそ)、起終点の駅及び途中の主要駅はループ構造になっていて、列車が折り返す必要がないようになっているそうなのです。

それとスゴイのがブレーキシステム。冬期のブレーキ凍結防止という発想から開発されたのでしょうが、何と全車「電磁石を使ったレール吸着ブレーキ」を採用しているのだそうです!右上画像にマウスオンするとその上にも掲載していた画像が再掲されますが、前後の台車の車軸の間のかなり低い位置に、サスペンションとも思えない大きなパーツが見えています。これがハバロフスク路面電車の生命線たるブレーキというわけです。効き具合は‥長年使っているのですから問題ないのでしょう、たぶん(笑)。

それにしてもイリューシン76のノーズといいこのブレーキシステムといい、ロシアンテクノロジーは「発想」がすごいぞ。

さてそれでは最後に動画をご覧いただいてハバロフスク路面電車関係のお話はオシマイということで。。



いずれにせよ、偶然知り得たハバロフスクの路面電車、おしんこどんに大感謝です。


このあとは早足でホテルへと戻り、7:45からの朝食にはオンタイムで間に合いました。朝食はビュッフェ形式なのかなと思っていたら、「朝食券を渡すと有無を言わさず自動的に定量を盛ってくる」形式でした(自分で取れるのはパンのみ)。うーん、ちょこっと多いんですが‥。ちなみにこのあと中国系の中高生団体がやってきて一気に満員に。危ないところだった(順番が逆だったら食いっぱぐれた)。

空港へのピックアップは定時8:15にバシリーさんがやってきて出発です。空港は当然郊外にあるので道路はラッシュアワーの逆方向、昔はたぶんガラガラで「むやみに広かった」はずの片側2車線のメインストリートは、「絶対多数を占める日本車による朝の渋滞」で大変そうでした。

トロリーバスにもラッピング広告がなされています。こうなると古い車両も何だか今ふうに見えるわけでまぁ悪くはないのですが‥





そんなわけでターミナルビルへと到着です。しかしなぜビル前の駐車場を閉鎖して遠い場所を使わせているのかは謎です。この運用には客の利便性を優越する何かがあるのかも知れません。すなわちこういうのを合理主義的スタンスから評価してはいけないということなんですね。でもやっぱり意味がわからん!(緊急時にここがヘリポートになるわけでもアルマーニ)。

予想通り出発ロビーは混んでいました。というかほぼ収容のキャパシティの限界に近かった?ソビエト時代に整備された施設なのでしょうが、当時は飛行機で移動する旅客数が現在に比してとてつもなく少なかったでしょうから、そろそろ根本的な新ターミナルの建設があるのかもしれません。

ちなみにわれわれが並んだ長蛇の列のお隣は、サハリンのユジノサハリンスク(旧豊原)行きでした(右上画像マウスオン)。ということは、カムチャッカ帰りにサハリンに渡り、そこから国際フェリーで稚内に戻るというのも可能ということか?(このあと妄想が進みましたが国益に反しそうなのでアウトね(苦笑))。なお、キリル文字を理解できたわけじゃなくてちゃんと英語表記と交互の表示だったからわかっただけです。

この混雑を見かねて、バシリーさんは「チェックインはパスポートを出せば大丈夫ですから」と言い残してさらに長蛇の列のセキュリティチェックの方に移動。ちなみに通常はカウンターでパスポートと予約ナンバーを記載した紙を出しますが、どうやらここハバロフスクでは外国人の場合パスポートだけで事足りるみたいでした。

ただチェックインカウンターの列の進みはあまりにも遅く、「順番を確保=チェックイン終了後即座に割り込ませる」というバシリーさんの作戦は効果なく、何度も後ろに並び直しているようでした。そうしているうちにセキュリティチェックの列はどんどん短くなり(どうやらモスクワ行きの大型便がすぐ前にあったみたい)、われわれがチェックインを終えた段階ではもうせいぜい「7-8人待っているかどうか?」という感じでした。

さてそんなわけで彼とはここで完全にお別れです。英語がほとんど通じず会話によるコミュニケーションは取れなかったものの、この(しなくてもいいはずの)列並び直し繰り返しを見ていたわれわれは、「この人誠意あるなー」と感じていたわけです。そしてTakemaがチェックゾーンを通過しノートPC絡みで荷物を再パッキングし終えるまでには少し時間がかかったのですが、ふとゲートの外を見るとまだバシリーさんがこっちを見ていてくれていました。もちろん大きく手を振ってお別れをしたことはいうまでもありませんが、何だか「ロシア流おもてなしの真骨頂」をちらりと垣間見た気がしました(ちょっと極端かも知れませんが)。


そんなわけでウラジオストック航空の国内線でいよいよカムチャッカの州都ペトロパブロフスク・カムチャッキーへと向かいます。機内ではまたもボックスランチだったのですが、ああっ今度は最初からパックの飲み物が入ってる!というわけで何だかあまり意味なくお得感(笑)。ちなみにボックスごとにジュースの種類が違うというのはさすがロシアンルーレットのお国柄というところでしょうか(笑)。

さ、ずいぶん長くなりましたが(長すぎ)、いよいよカムチャッカに到着です!

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