- 2017夏 キルギス旅行編 その23 鷹狩り見学のあとイシククル湖堪能、そしてお宿へ -



鷹匠の技をこのあととっぷりと拝見することになるわけです!(この画像は鷹狩りのあとのものですが)。

コクボル見学後は再びボコンバエバ村に戻り、さらに進んでイシククル湖畔にあるユルタキャンプ(宿泊施設)へ。こちらで泊まるのではなくお昼ごはん&鷹狩り見学&のんびり休憩ということのようです。旅も後半になると疲れてもきますし、こういう「ユルい行程」はありがたいことです。というのも、普段の海外旅行はTakema自身で旅程を立案するので、「ついつい日々きっつい行程にしてしまう」ことへの反省を大いに含むんですけれどね(自戒)。



ユルタキャンプ内は完全に砂地でまるで海辺のようです。そしてとにかく日差しが強くて暑い!(もっとも日陰に入ると涼しくて快適)。まずはお昼ごはんということですが、「これから作り始める」ようで、しばし時間がかかります。よってブランコを楽しんだり(右上画像マウスオン)、ランチ調理風景を見学したりでのんびり。




小麦粉を練り伸ばした生地を正方形に裁断し、そしてスープに投入(右上画像マウスオン)。



そんなわけでランチタイム!ビールは当然、そしてスイカも当然の助動詞!あ、蜂もご相伴にあずかろうと‥(右上画像マウスオン)。



さてお昼ごはん終了後、鷹狩りの見学時間までにはまだ間があるのでイシククル湖畔へと。とにかくあっついんですよ日差しが痛いんですよ!でも日陰に入るとありゃコレハ!という快適温度。とにかくこの太陽ですね太陽。ちなみに湖の南北には天山山脈から派生して延びる氷河をいただく山々が見えているというのもポイントが高いです(上下の画像では雲しか写っていませんが)。



標高1600mにある内陸湖なのに冬季でも氷結しません。若干ながら塩分が含まれているからのようです。

さてそうこうしているうちに「鷹狩りタイム」となりましたので施設へと戻ります。

中央アジアでは伝統的な狩りの手法として鷹狩りが行われてきました。以前モンゴルを訪問した際、モンゴル西部(カザフスタンとの国境エリア)では鷹狩りが行われているということで行ってみたいな見てみたいなと思っていたのですが、まさかそれから12年後にここキルギスで見ることができるとは!

ちなみに日本でも平安王朝の貴族たちは鷹狩りに熱心だったようで、それに関する多くの和歌も読まれているようです。しかし今の日本ではどうなんだろう?ほとんど聞いたことがないなぁ。たぶん伝統文化として受け継がれてはいるのでしょうが‥。



もっとも、鷹狩りの実演が行われるということは「狩られる動物」もいるということですからちょっと思いは複雑でもあります。ごめんねウサギくん。ちなみに中央アジア各地域での鷹狩りは基本的にキツネなどの大物狙いで、肉ではなく毛皮の獲得を目的としているそうです。この日は実演用ゆえウサギくんの出番となったわけなのでしょう。

この日はわれわれのために実演が組まれていたようですが、たまたま滞在していたフランス人ファミリーも一緒に見学することになったようでした。しかし彼らにはフランス語のガイドがおらず、よって何とジャミラさんおよびTakemaがキルギス語の説明を英訳して伝えるということに(ちなみにTakemaの英語力は近年になってボロボロ化しつつあります。ジャミラさんはキルギス語、ロシア語およびドイツ語には堪能なのですが英語はイマイチのようです。でも現在のTakemaよりレベルは上=Takemaの英語力レベルの低下は目を覆うばかり)。





と、ここで「あれ?狩りなのにイヌワシってどういうこと?」と思った方はおりませんか?自分もこのページを作る際に調べてみたところ、「鷹と鷲とは、基本的には大きさで名前が変わる」ようなのです(例外はあるようですが)。それによると‥



ただしハヤブサは2012年に分類変更がなされてインコと同じグループになったという情報もあります。まぁいずれにせよ猛禽類というイメージでよろしいのかなと。

このあとの画像および動画はちょっとグロ系なので、その方面が苦手な人はささっとスクロールしちゃってください。ウサギを放つときに少年が「ソーリーソーリー」と言っていたのが印象に残ります。そうだよねぇわれわれが来なければ少なくともこの日はウサギくんの命日にならなかったはずなのですよ。でもだからといってヒステリックに動物愛護を叫ぶ人たちに賛同するつもりはないですが。



獲物を仕留めたイヌワシを引っ張り出す鷹匠。



さっきまで元気だったんだけれどねぇウサギくん。すまんごめん。

このあとは鷹匠による説明タイムとなりました。



説明によれば、「鷹の寿命は50年ほどあり、幼鳥からすぐ狩りの訓練を始める」「常に一緒にいて声を覚えさせるなどお互いの信頼度を高め、子どもなどを襲わないよう一番に躾ける」「15歳あたりを目途に放鳥し、あとは野生の個体として生きていく」などなど。

この時はなるほどなぁと思って聞いていましたが、いま考えると「何で寿命の1/3あたりで放鳥してしまうのか」という肝心なあたりの疑問を伺うことができず失敗したなぁと。

そんなわけで、鷹狩りほかの動画をこちらにて。





われわれも手に持たせてもらいましたが、やっぱり重い。ちなみに現役ゆえか目隠しをされています(右上画像マウスオン)。



両者に信頼関係があればこその鷹狩りなんですよね。当然ですが勝手に飛んでいかないようにするくくり紐などは一切ありません。あ、ちなみにごはんですが、「3週間に1度、1kgの肉を与えている」のだそうです。飢えた状態を基本にしているのですね。動画の中で内臓をぱくついていたのもそれでわかる気がします。



そんなわけでお帰りになる先には‥おお、三菱デリカが!鷹も乗るんだね。



このあとは時間もあるので再びイシククル湖へ。おしんこどんは当然のように湖水浴を楽しみます。わたくしTakemaはただの湖水浴には興味が無いので撮影隊です(お魚さんも見られるほどはいないようですし。これがサンゴ礁とかだったらたぶん突入します)。




少々沖合に出て泳いでいましたが、やっぱり波打ち際でくつろぐのが一番のんびりできたようです。





で、湖から上がったあとは何やらお地蔵さん?を建立してみたり、いつもの篠笛を吹いたりしておりました。こういうあたりは明らかに自分よりも楽しみ方を知っているという感じのおしんこどんです。自分だと、せいぜい岸辺にお酒を持ち込んで「一杯一杯復た一杯」というくらいしか思いつかないんですよね(苦笑)。



このあとはボコンバエバ村のスーパーに立ち寄って冷えたビールを購入し(キンキンに冷えているわけではないのですがもう慣れました)、この日のお宿へ。庭にはユルタが鎮座しており、その奥には新たな宿泊スペースを増築中の様子です(縦の柱が垂直じゃなかったりするのはご愛敬)。

もっともわれわれの部屋はユルタでもなくすでにある母屋です。



ベッドが4つ並ぶ広い部屋ですがもちろんわれわれだけの貸し切りです。

こちらのお宿、まさに日本でいう「民宿」そのものなのですが、こういう宿を泊まり歩くための予約サイトがあるといいんだけれどなぁ。2015年のキューバでもそういうサイトはありましたしね(当時のキューバでわれわれが宿手配に利用したサイトはこちら)。ただ問題は、ここキルギスではほとんど英語が通じないんですが(キューバの予約サイトには各宿における通用言語が表示されていたので「英語」が通じる宿を予約していました)。



庭にはニワトリの親子がうろうろしておりました。可愛い。自分も子どもの頃借家の庭でチャボを7-8匹飼っていたよなぁ(ほぼ全部猫にやられましたが)。



ふと宿の裏側に回ってみると、ジャミラさんがやたらに手を伸ばしているのはアプリコット(あんず)。もちろんお宿の方の許可を得ての収穫作業ですが、彼女はアプリコットが大好きなのだとか。

自分も大好きというかアプリコットにはとっても縁があり、1989-90のNZワーキングホリデー時代には果樹園に住み込みで働いていたんだっけ(その時の様子はこちら)。この日のわれわれはほぼ見学しただけでしたが(少し試食しただけ)、何だか懐かしかったなぁ、アプリコットを三食のご飯としていた日が(ワーキングホリデー中、手持ちの現金が底をついていたんです。しかしそれでも酒は飲んでいた20代前半の自分に乾杯)。



このあとは先ほど買ってきたビールで乾杯&のんびりモードに入ります。



ユルタの中には手作りの工芸品が飾られておりました。



確か旅行中のどこかで「ユルタのお値段」を聞いたような気がしますが、詳細はともかくかなり高額だった記憶が。



お宿の前の通りに出てみると、氷河をいただく山々が。冬は寒いんだろうなぁ。



そんなわけでこのあと夕ごはん。巨大なマントゥがいくつも皿に載せられていてびっくり(マントゥについてはあとのページで作り方も含めて詳細を披露します)。中はマッシュポテトと挽肉で、これだけでお腹いっぱいになります。個人的にはビールやワインと合わせたいところですが、ムスリムのお宅なので食事中は遠慮。ま、部屋に戻れば焼酎もあるしね。



明けて翌朝。朝の散歩に出てみたら、宿のお母さんが山羊を草場に連れ出すところでした。うーん、田舎の朝って感じでなかなかいいぞ。



朝ごはん、左上画像はちょっと洋風っぽいですが、さらに供されたのが右上画像の中央左に見えているボルソック(「ブルソ」とも)。揚げパンのような感じですが、案外これが「食べ始めると止まらない」系の魔力を持っていたりするのです(笑)。キルギスでは家にお客さんが来るとこのボルソックを大量に出してもてなし、お客さんが帰るときにはおみやげに持たせたりするのだとか。実は昨晩、宿のお母さんのところに親族が訪ねてきていたので、間違いなくその時に準備されたものでしょう。

ところで左上画像マウスオンでわれわれのドライバーさんであるウームルザックさんとTakemaとのツーショット画像が出てくるのですが、おしんこどんは初めてザックさんを見たときから「この人、中村梅雀さんに似てる!」と思ったそうです(2代目中村梅雀さんの画像はこちら)。

旅行の最初の頃、ご本人に梅雀さんの画像を見せると「えへへ‥」と笑うだけでしたが、実は気になっていたのか、「ところで、あの人の画像、どうやって検索したら出てきますか?」と聞いてきたのがこの前日の午後。ジャミラさん経由でおっしゃることには「家に戻ったら家族に見せたい」のだとか。何だか嬉しいですねぇ。



出発前、お母さんが、われわれの部屋に敷かれていたフェルトのカーペットについて説明してくれました。手前が1970年に、奥が2015年にそれぞれ自作なさったものなのだそうで、1970年のものの方がフェルトの質がずっといいのだとか。

もちろんこのどちらも売り物ではありませんが、このあと別棟のユルタに行ってお土産物談義(笑)。基本的に全て手作りの品ばかりで、お店とかで買うよりもこういうところで買うほうが顔が見えていいよねというわけで‥



お母さんの足元というか、お母さんが片足でわずかに踏んでいるフェルトカーペットを2000ソム(約3600円)で購入。大きさはお母さんの後ろに見えているものと同じで、現在そのカーペットはわが家の玄関にて日々活躍中です。サイズもピッタシだし足に伝わる凸凹感もいい感じです。うん、いい買い物だったぞ。





[戻る] [次へ]