− ジャール平原「サイト2」はこぢんまり −

続いてはサイト2なのですが、1からはかなり離れていてしかも道中は思いっきり赤土のダートとなりました。道中の景色も乾季(&寒季)の冬だから一層荒涼とした感じです。田んぼに稲が育っている頃ならだいぶ印象も違うのでしょうが、とにかく何だかもの寂しさが伝わってきます。

一軒の小屋(実は事務所)の前で車が止まると、そこがサイト2への入口。ここからはゆるい階段がずーっと丘の上方面へと伸びています。頂上が近いことを祈りつつ歩いていくと、あれま何だほんの2分ほどでサイト2に到着です(よかった)。

ここサイト2は林の中に壷が並んでいるという感じで、数としては全然少ないけれど風情としてはこちらの方がいいかなという気もします。中には「木にカチ割られた」壷もあったりします。カンボジアの遺跡でもそうだけれど、樹木というか植物ってすごい力を出すんだよなぁ。最近ふと思うのですが、たとえば「すり下ろしてしまえるほどやわらかな」大根だって、成長する過程において周りの土や小石を押しのけてあそこまで太くなるわけですよね。よく考えればそれってすごいことじゃありません?



これですよ、これ。木と石とのせめぎ合いは長い戦いの末「木の勝ち」!

続いてはすぐ近くの丘にある別サイトへ(サイト2は2箇所合わせて1エリアです)。こちらはかなり見晴らしが良くて、これまた「晴れていたらのんびりしたい場所」であります。しかしさぁ、ここで何と小雨が降ってきちゃったんですけど!ダメじゃん!今は乾季じゃなかったの?ま、傘をさすほどではなかったんで大きな問題はなかったんですが、気分は何だかますますどよよんと。頼むよー。



ちなみにこのあたりの壷は傾いているのが多いんです。爆撃の影響なのか何なのか。



晴れていれば爽やかな高原の雰囲気なんだけれど、草も枯れてるし何だかもの寂しい‥。

そうそうここでも「蓋」を発見したんです。左上画像に写っているのがそれなんですが、拡大画像(下)を見ていると、何だか前ページでイーバンさんが話していた「自説」にちょっと疑問が出てきちゃいました。円形の段差がきざまれているという点ではサイト1で見た蓋と同じなんですが、こちらの場合中央部に明らかな「突起」がありますよね。これってもしかして、

右上画像のようにすれば運べないこともなさそうだし(それでも重いけれどさ)。もしこの突起が運搬用のものだとしたら、わざわざ蓋の裏側に突起を付けるというのは明らかに不自然ですわ。しかもサイト1.2の蓋がともにこの面を上を向けているというのは、「やはりこの面が本来の上である」ことを物語っているのではないでしょうか?イーバンさんの説に逆らうみたいだけれどさ(苦笑)。

しかしこの「Takema説」とて真相は薮の中なのですから真偽を確かめる術などありません。よって「結局のところわからないんだけれどね」という結論に達せざるを得ないのであります、はい。まぁいいか歴史ロマンってことで(いざとなるとロマンで逃げちゃうのは確か薩摩硫黄島でも使った手ですが)。



倒れてしまった壷。それにしても本当にいったい誰が何のために作った?

というわけでサイト2の見学も終了です。何だか3はどうでもいいような気になっていたのも事実ですが、せっかくここまで来たのならやっぱりね。というわけで行くっきゃないのであります!
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