− まずは「定番」から行ってみましょ −

夜半から本格的に降り出した雨は、宿で朝ご飯を食べているうちに何とかあがってくれました。今日は午後3時の列車でヤンゴンからマンダレーへ向かうため、市内の観光は今日が勝負というところ。というわけでさっさと荷造りをして宿に預けてチェックアウト。背中にデイパック、手には傘を持っていざお出かけです。



デジカメのメディアがお釈迦様になったということは前ページにも書きましたが、
たまたま別のカメラで撮っていた写真がこれ。よかった証拠写真があって(笑)。

最初の目的地は、ヤンゴンの清水寺とも金閣寺かとも言われる「シュエダゴンパゴダ」。ちなみにこの例えはどちらも大うそですが(あたりまえですな)、あえて例えるのならやはり金閣寺だろうなぁ、色が同じだし。宿の近くで流しのタクシーを止めて「シュエダゴンパゴダまでいくら?」と聞くと、あれま言い値は宿の人が言っていた1000Kぴったし。もしかしたらもっと値切れるのだろうけれど(おそらく余裕でしょう)、まぁいいやあっさりOK(さすがに両替した直後だから気分もおおらか=後でこうはいかなくなった)。

この運転手さんは英語がほとんどできなかったので車内は黙々、そしてパゴダの入口へ。運転手さんが身振り手振りで「あっちあっち」というので向かってみると、そこはあれま、エレベーターホール。歩いて上がろうと思っていたんだけれどなぁ、でもまぁ己に厳しい戒律を科しているわが身でもないのでこれまたまぁいいやとエレベーターで楽勝参詣と相成りました。

さすがにここは金閣寺(しつこい)、日本人ツアー客とおぼしき団体を含め多くの外国人が訪問していました。となれば東南アジアの基本ともいうべき「自称ガイドの勧誘」攻撃を受けずにはおれないわけですが、いやぁ何だか売り込みがとっても引っ込み思案(笑)。50才を少し出たくらいのオジサンでしたが、最後まで「もしよろしければ」的な態度を変えなかったっけ。結局断ったわけですが、別れ際には絵はがきをくれて「ではミャンマーで良い思い出を作ってくださいね、それでは‥」といって去っていきました。絵ハガキを売りつけようというのかと一瞬思いましたが、もう目の前から去っちゃったわけだからそういうわけでも全くなく、今でも不思議です。ちなみに「公認ガイド」ではなかったようですが、そもそも「公認ガイド」というシステムがあるかどうかの真偽は不明です=次に近寄ってきたお兄さんは写真付きの公認ガイド証とやらを提示してたけれど。



あの自称ガイド氏はなぜこのハガキをタダでくれて去っていったのだろう‥。

さて半周ほど回って休憩。鐘楼の建物あたりに座り込んでぼぉっとしているのはなかなかいいものでした。すぐ横に瞑想中の老法師がいたということも自分の中での「いい雰囲気イメージ」に影響していたとは思いますが、正直、あたりの様子をのんびり眺めているだけでも結構楽しかったりします。

お詣りに来てきちんと額ずく「正しい参詣客」、パゴダをいろんな角度から撮って撮って撮りまくるカメラ関係の人、ずらずらずらぁ〜っと来てガイドさんの説明を聞きながらふ〜んとうなずき、三々五々スナップ写真を撮って戻っていくツアーのお客さん、そんな人たちにお供えのお花を売ろうとする少年(実はTakemaも一つ買ってあげた)、そして何やってるんだかよく分からない、ただぼぉっと屋根の下でくつろぐ人たち(これが一番多い)。そして自分。あ、はたから見れば自分も前述最後のグループの一員だったに違いない(苦笑)。

しかしまぁいつまでここにいてもどうなるものでもないので(というかまだ市内を見ていないし)、今度は正しく屋根付きの参道をえっちらおっちらと下り始めます。両側にはずずずらーっとおみやげ屋さんが並んでいるのですが、時間が早いからか(実際はもう11:00くらいだったんだけど)全然「お客さん、どう、来て見て寄ってって!」系の呼び込みもかからず静かなものです。屋根付き参道が終わり、靴を履いてメインロードに出たところで、功徳系の露天商親子発見。

「露天商」とはよくいったもの、露天に椅子を置いて商売をしていれば立派な「商人」ですからね。で、商売はといえば(やはり画像がないと言葉で説明しなきゃならないのであ〜メンド)、「鳩に餌をやって功徳を積むお助け」とでもいうのでしょうか。「放鳥商売」「放魚商売」(鳥や魚を自由にさせることによって客に功徳を積ませる)というのは仏教圏の観光地(特にお寺周辺)でよく見られるものですが、給餌商売となると、どこまで功徳を積めるんだか積めないんだかわからないこともあってあまり見かけないものです(自分だけ?)。しかし、その親子周辺に集まる鳩のおびただしさに、勧誘されたわけでもないのについつい‥。あ、お値段は3缶で200Kね。
よっしゃやっぱり動画編!(1)

「餌やりは1人でも楽し」

デジカメの記録メディアがご臨終した後となっては、ミニムービーカメラで撮ったこの動画は自分にとって貴重です。実は今回、フィルム一眼(重)も持参したんですが、やっぱり「1人で3台」はどう見てもオーバーワークでした(笑)。雨期ということもあり、一眼レフはほとんどお休みしてましたっけ。

そうそう、最後に出てくる少年も嬉しそうです。英語は出来ない彼もやがてはやり手の商売人に?

wmv形式、988KB、24秒
餌やりをタンノーしたあと、勢いに乗ってすぐお隣で売っていた宝くじ5枚セットカバー付きまでついつい買っちゃいました。売り子のお姉ちゃんがとってもかわいかったんですが、メディア破損の今となってはTakemaの心の中だけに映像が残る?



これはあくまで宝くじのカバー。お姉ちゃんはもっと清楚な方でした、はい(あたりまえか)。

そんなこんなで再びタクシーで市内へ戻ります。今度も言い値の1000Kで簡単に戻れたことを考えると、実際はもっとぐぐんと安いお値段で戻れるはずだと気づいたのは運ちゃんがあっさり(ちょっと笑顔で)「OK!」とのたもうた瞬間でした。まぁしゃぁない。

市内に戻り、今度はアウンサンマーケットを目指します。とはいっても宿からは大した距離じゃないので(あえて宿付近まで戻ってきたのは市内の地理をきちんとつかみたいため。カーナビ嫌いなTakemaらしい発想?)、てくてくと歩き始め、信号待ちをしていたら‥

海外で現地人に日本語でこう尋ねられたら、おそらくある程度旅慣れしている(=面倒くさい目にあったことのある)人は「第一種警戒警報発令!関わるとどうせ厄介なことになるはず!」というような脳内指令がシナプス細胞をわっせわっせと一気に活性化させることでしょう。ということでかくいう私もそうでした。最初は無視、信号を渡っても無視。しかし‥何だか違う、商売っ気のにおいがしない?(実はこういうキャッチには結構弱かったりするTakemaです。日本じゃ無視するけど)。というわけで、あくまでついてくる割にはおしとやかな彼に向かって‥
Takema 「はい、確かに私は日本人ですけれど、どういう要件ですか?」
 「実は、日本に帰られる時にこの手紙を日本に出してほしいんです。」
そうかぁ!聞いていたところでは「ミャンマーは郵便事情が極端に悪く、ポストに投函してもその手紙が無事に届く確率はかなり低い。そこでミャンマー人は海外に手紙を出す際には旅行者に手紙を託すことも多い」ということでしたが、ということは、わたしゃ彼に「ポストマン」として見込まれたわけですね!(笑)。

そういうことであれば、しょせん短期旅行者のTakemaですからポストマンとなることにやぶさかではありません。宛先も東京都内の住所(おそらく実在する地名番地=聞いたことのある場所)ですから「いいですよ、日本に戻ったら投函してあげますよ」と、日本から投函する際の切手代も払ってあげることに(えらいな)。ただ、それだけで済まないとマズイ(実はこれが信用させるきっかけとかいうこともあり得る)ので、「それじゃ!手紙はちゃんと送るから安心して下さいね!」と言って彼と別れたわけです。

そうそう別れる直前、「このすぐ先(さくらタワー交差点)の橋からヤンゴン駅が見えるはずだけれど、そこから駅(=準軍事施設とみなされているらしく駅構内は撮影禁止)を撮ってもいいのかな?」と聞くと、旅行会社の嘱託社員だという彼は「あそこからなら大丈夫です」と、それまでと同じように流暢な日本語で自信たっぷりに言ってたっけ。



橋の上から撮ったヤンゴン中央駅。1990年頃のKL駅みたい。
(KL=クアラルンプール中央駅、ただし今の場所とは違います。
当時のステーションホテル、安くて天井も高かったよなぁ(懐))。

そこからアウンサンマーケットまではほんの一投足。マーケットは巨大な屋根の下にどどんと広がっていて、ちょっとイメージと違ったかも(もっと屋台系の延長を想像していたのである種当然)と思いつつうろうろと。というわけで、「優遇されている巨大建物内のお店」はさっさと無視して周辺の屋外店へ。といっても全然何も買う気はないのですが、屋外店は観光客相手の店が少ないもんでゆっくり見物できますしね。



屋内のお店は英語で客引き、でも外の店はTakemaを無視!(嬉)。え、ビンボーそうに見えたのか?

しかしその一方で「ふ〜む、いくら地元住民向けのお店とはいえ、欲しいモノはないなぁ」と思っていた頃(どこの国に行ってもそうなんですが=Takema)、日本では明らかに見慣れないはずの一列一群が!それは‥。



ヤング尼さんの托鉢でした(死語と現実のコラブレーションですな)。

尼さんの行列は一軒一軒こつこつと托鉢に進んでいきます。どうも先頭には準責任者がついて、そのあとにまだ幼い子がつき(この子らが実際に托鉢を受ける)、列が下がるごとに徐々に年齢も上がり、最後に責任者がつくという構成になっているようです。そしてちゃんと各店ともお布施を差し上げていたようですね。たださすがにラオスのルアンパバーンのように現物支給というのではなく「現金支給」になっていたようですが、これはまぁ仕方ないことでしょう。
よっしゃやっぱり動画編!(2)

「アウンサンマーケットでの尼僧托鉢行列」

彼女らが気を悪くしないよう、ミニムービーカメラを小脇に挟んで撮影しました。

wmv形式、1.01MB、22秒
このあと、何とさっき別れた彼と再会!「今は仕事がない=旅行者が少ないんで事務所にいても仕方ないんだ」というので、もしやの期待を込めて観光客の来るマーケットに来ていたのでしょう。ちなみに彼には全く商売っ気がないようなので(これ大切ね)、「じゃ、一緒にご飯でもどう?」と誘ってマーケット内の食堂へ。Takemaはモヒンガー(ミャンマーのローカル麺料理)&ミャンマービール、彼は飲み物だけだったっけ。さらにいえば、彼は「手紙を出してくれる御礼に昼ご飯をご馳走したい」と言っていたのだっけ。まぁ元々おごられるつもりはなかったけれど、いろいろヤンゴン生活の大変さといろんな実情も聞かせてもらったので、情報代と言うことで彼の分もおごらせてもらいました(「おごる」というほどの値段じゃないですけれど)。しかし、今となっては実情の具体的内容を覚えていないのが悲しいところです(笑)。「へぇ〜」と思ったことは覚えてるんですが、何をそう思ったのかという肝心なところが吹っ飛んでます。人間ってダメですねぇ(大笑)。
ちなみに肝心の日本への手紙ですが、彼は彼の友人のかわりに代筆してあげたものだそうです(ただしローマ字ですが)。優しいよなぁ。なお日本で投函後、日本の宛先の方からお礼状をいただきました。今考えてみると、彼は友情のためにTakemaと一緒にいてくれたんだよなぁ。首都にしてこの人情、ミャンマー恐るべし&この先も楽しみ!
さて、まだヤンゴン駅からの夜行列車出発までにはかなり時間があります。スーレーパゴダは周りから見ておしまいということにして(やる気がないTakema)‥。しかし、「こ、これは何だかやっぱり不思議&見ているだけで楽しいぞ!」という対象を見つけてしまいました!次ページはどっぷり定点観測、うわぁ、ここは日本かミャンマーか@ヤンゴン市内バス編!

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