− その1 まずはインレー湖に出てみましょ −

インレー湖滞在のベースとなるのは湖の北端にある町ニァゥンシュエ。ちなみに今回泊まることになった「リメンバー・イン」GHは新館が2003年に出来たばかりとかでそっちはピカピカ。Kさんはそちらのお部屋へ。経済的にかなりピンチのTakemaはといえば以前からあった平屋のバンガロー(こっちの方が安い)にしましたが、部屋は広いしちゃんとお湯シャワーもあるし十分快適です(ちなみに1泊US$5朝食付き)。ちなみにここでは連泊するつもりでしたから、着いた日の夜は思わず全ての洗濯物をごしごし洗いまくってしまったのでありました。

さて明けて翌朝。今日はずずずいっと湖の南方まで足をのばし、明日は少し近場を回ろうというOMさんの提案に従うことに。Kさんも一緒に乗り込むのでボートのチャーター代金もシェア出来てあな嬉し。ちなみに今日のチャーター代はUS$15=1日。長い距離を走るのでちょっと高めなのはしょうがないようです(確かに翌日のほうが安かった)。

宿(町のはずれにある)から船着き場までは歩いて10分以上ありますが、町中の何気ない景色を眺めながらのんびり歩いていくのもまぁ良いものです。

これはいわゆるライスペーパーみたいなものでしょうか。同じようなもんをラオスのルアンパバーンあたりでも見ましたが、あっちのは真っ白だったよなぁ。ということはこれは赤米から作ったモノ(安直すぎる発想のような気もする)?どうやって食べるんだろうと思っていたら、何と油で揚げるのだそうで、出来上がるとこんなふうになります(上の写真にマウスオンしてみて下さい)。

続いて、これは翌朝の光景ですが、道ばたでこんなふうにお馬のお手入れをしている人も。「え、何だかよく見えなくてわからんぞ」という方は下の写真にマウスオンしてみて下さい。

お馬のたてがみがシブイはさみでビシバシッと切り揃えられております。神妙にしている馬もまぁえらいですが、表情一つ変えずただひたすら作業にいそしむこのお兄ちゃんもまたいい味出しているというべきでしょうね。

ちなみにOMさんは、沿道にあるブティック(まぁ普通の洋服屋なんですが、珍しくマネキンまで置いてあるので)に飾られている服がえらくお気に入りらしく、その店の前を通る時は(行きも帰りも)「いいなぁ〜」的にじっと見つめておりました。やっぱり20代前半の女の子は日本でもミャンマーでも同じですわな。

さて、そんなこんなでいよいよ船に乗り込みましょ。

この船にKさんとOMさん、Takemaに船頭さんの計4人で乗り込みます。ラオスで乗ったメコン川スピードボートに比べれば何とも広々、快適そうです。ラオスのはもっと細身かつ人間も荷物も目一杯の超過積載状態だったもんなぁ(懐)。

さて、しばらくは水路をエンジン半開という感じでのんびりと行きます。そういえば入域料をまだ払っていないよなぁと思っていたら、水路沿いに徴収所があるんですね。なるほどインレー湖を訪れる観光客はまず間違いなくボートに乗るはずですから、この場所にチェックポイントを置いて料金を取るというのは取りはぐれのない一番確実な方法といえるでしょう。というわけでしっかりUS$3を支払い、いよいよ水路を抜けて大海原ならぬ広大な湖へ繰り出します!



地元ボートも湖へと出て行きます!ここはまだ水路。



出たぁ!広いぞインレー湖!気持ちの良さに思わずばんざい。

さてこのインレー湖周辺にはインダー族を中心にした「湖の民」が暮らしているそうで、湖面では彼らの生業を普通に見ることが出来ます。というわけでまずは魚獲り。大きな網を船に乗せて漁場へと移動する一隻のボート発見!(下の写真にマウスオンすると少しだけアップ画像に変わります。あんまり意味ないけれど)。
実際に確認したわけではありませんが、「インダー族」というのは表現としておかしい可能性もあるそうです。それによると「ダー」というのは現地の言葉で「男」を意味するのだとか。とすればインダーというのは「イン族男組」という意味になってしまうのかな。これからミャンマーに行く人は、「イン族」が正しいのか「インダー族」でいいのか現地で聞いてきてお教え下さいませ。

ちなみにこのインレー湖は雨季と乾季とで湖の面積が相当違うらしく、そもそも水深が非常に浅いようです。確かに湖の真ん中近くでも、水の中をのぞいてみると湖底から生えている水草が沢山見えています。そしてその周辺では、多くの小舟が、湖上からその水草をすくい上げているのです。でも
いったい何のため?



ほれほれよっこいしょと。舟が沈みそうで沈まないのはさすが職人の技というべき。

実は、ここですくい上げた水草は彼らの生活環境改善に直結しているのです。湖の岸近くを見てみればその意味はすぐにわかります。この水草は湖岸の浅い場所に積み上げられ「新しい土地」の土台として利用されているのです。材料を湖の底からかき集めて岸近くに敷き込んでいくとは何とも地道な埋め立て作業です。

しかし「草も積もれば土地になる」のことば通り(うそつけなんだそりゃ)、この方法で新たに作られた土地は湖周辺にかなり広範囲にひろがっています。「愚公山を移す」のミャンマー版というところですね(なんだか精一杯諺や故事成語でごまかしてますな)。ちなみにこうして汗水垂らして作った土地の利用方法ですが、住居&生活用ではなく畑として利用する場合がほとんどのようです。下の写真を見て下さい。

インレー湖周辺の多くの場所で、このような「畑」を見ることができます(もちろんちゃんと全面的に陸地化した畑も多いですが)。水面からわずかに出た土うねの部分にはトマトが鈴なりになっていました。そしてこのトマトは船でニァゥンシュエや近郊の町に運ばれ、村の人々の貴重な現金収入になるというわけです。ちなみに収穫は当然ボートでおこないます。まさに「大規模水耕栽培」という感じで、何だか小学校の頃に理科の授業の中でクロッカスの球根を水入りの鉢に入れて育てたことを思い出します(え、そんな経験ないですか?そうですか、ハイハイ。(年齢差を感じる一瞬))。

さて、しばらく快調に進んできたところで、船が急にスピードを落としました。すぐ前には何やら灯台のようで灯台でない?(こんなところに灯台があっても、しょせん全面的に浅瀬なんだから意味がないだろうし)、コンクリ作りの塔が立っています。そして、その塔の一番上には何やらニワトリよりも立派な感じの鳥さんが。



ふぅむ、これって何なのさ?

ここでわれらがOMさん登場!ここぞとばかりに(いや、「ガイド」なんですからそれが仕事でしたっけm(_ _)m)説明を始めてくれます。それによると、今日の最後に訪問する予定のファウンドーウーパゴダには、信者の寄進による金箔ですっかり原形を留めないくらい大きく丸々となってしまった5体の仏像があるのですが、この仏様達は折につけて周辺の村々に巡幸なさっていたらしいんですね。

しかし、あるとき船で湖を移動中、どうしたわけか(理由は聞いていなかった)そのうちの一体が湖に沈んでしまったそうなのです。すわ一大事ということで村人総出で探しましたがかの仏様は全然見つからない。これは仏罰覚悟で捜索を諦めるしかないのかと人々が思い始めていた頃、ある日かのファウンドーウーパゴダに、行方不明になっていたはずの一体が何ごともなかったかのように鎮座なさっていたというのです。

人々は「自分がお戻りになるべき場所に自らお戻りになった=仏力をお使いになったのだ!」というように考えて、それ以後ますますこの仏様に対する信仰心を深めたのだということです。そしてこの塔は、当時仏像が落ちた場所の目印=記念碑として建てられたということらしいです。

でも実は、この逸話について「いやぁ、それは多分『ほんとは盗まれたんだけれど、その泥棒がそっと返しに来て元の場所に戻した』とか、『地元の漁師が偶然発見して戻したが、彼はそのことを誰にも告げなかった』とかいうことじゃないの?」とつい疑ってしまう不謹慎なTakemaはいずれ厳しい仏罰を受けるに違いないわけで、とにもかくにもこの塔が地域の人々の深い信仰心を裏付ける建築物であるということは間違いありませんな、はい(許して仏様m(_ _)m=懇願するTakema)。

さて、そうこうしているうちに、船は湖から水路へと入っていきます。水路沿いにはいくつも家々が立ち並んでおり、家それぞれを結ぶ道として、いくつもの橋が架けられています。



細い橋ですが立派な「生活道路」なんでしょうね。



予想通り?水遊びをしている子供。でも一人しかいなかった。お友達はどこ?

もうしばらく行くと、今度は大人の男の人が水に浸かって何やら作業中のようでした。何かなぁと思いながら見ていると、水路(湖に流れ込む川)の底から土をすくい上げて船に上げています。なるほど、水草ばかりを積み上げても土になる過程では容積がどんどん目減りしてしまうでしょうし、作物を植えるための土は最初から必要でしょうからこういう浚渫も必要になってくるのでしょうね(実は全然見当違いだったりして(苦笑))。でもな結構な重労働だよなぁこれって。ご苦労さまです、ハイ。

さて、集落を過ぎると今度は川を遡り始めました。ええっと、ところで本日最初の訪問地はどこなんだっけ?(笑)。

[戻る]  [次へ]