さてさて、いよいよキャンプ登山の開始!
それにしても、スタートから軟弱なのではある。確かにこの日、仕事を終えてからあたふたしての出発とはいえ、上野から夜行で富山までの往路、なんと寝台での移動である。しかもただのカイコ棚ではなく(この「カイコ棚」という表現を知らない人も多いだろうなぁ。昔、養蚕が盛んだった頃…ま、いいや。わからない人は直接聞いてね)、B寝台ソロ、すなわち個室なのである。「何?夫婦なのになんでそれぞれ個室なのさ」って質問はしないでね。ツインは無いんだから。それにしても、昨今のJRの寝台列車はいろんなバリエーションがあって面白いですよ。この特急「北陸」にシャワー室がついたのはその先駆けだったと思います。ともかく、かつての夜行急行「能登」やら「越前」の、白熱灯のチョコレート客車(もちろん冷房なんて高級なものはなし)で山にいった時代とは雲泥の差ですわな。
うーん、だいぶ鉄っちゃんの血が騒いじまったな。このくらいにしときましょ。
さて、富山に着いたのはまだ朝の6:00前。で、ここからは直通のバスで登山口の折立まで行くことになります。途中、有峰湖までの道もかつてのハードな面影はだいぶ払拭されていて、うーん、大型バイクで来てもだいぶ楽しめる道になったな、と思いながら折立へ。道中のおしんこどんはよく寝ておりましたとさ。
今年は北アも雪解けが遅く、初めて展望の広がる三角点から先にはチングルマとニッコウキスゲがちょうど満開。でもやはり登りはキツイのだ。今回このルートを選んだのも、「北アルプス三大楽勝登り(注)」の筆頭であるこの登りで少しでも楽をしたいというのが大きな決め手となったわけだが、それでも、初日、全行程の食糧・テント・コッフェルその他を背負っての登りはやはりこたえる。かつて、学生時代のTakemaは、この登りの最中、歩いているときは常に歌を唄っていたのだ。そりゃま、急なところでははぁはぁぜいぜいの息つぎの中で「やぁぎーりぃの、ハァ、わたぁし〜、ハァハァハァ」なんてやっていたわけだけれど、それでもとにかく歌を唄いながら、というのはとにかくしんどかったはずなのにやり遂げていたのだ(参考:アップテンポの曲は比較的息継ぎが楽なので簡単。スローなバラードともなると地獄絵図そのものであった。ま、こんなのやる人いないよね)。
今回の荷物はおしんこどん18kg、Takema28kg(水を含む)。昔に比べりゃ10kgくらい軽い荷物なのに結構ヘホヘホ。やっぱり運動不足は否めない。せめてフリークライミングだけでも復活せねばいかんなぁと思うことしきり。おしんこどんに至っては、学生時代の南北アルプスと、この3月に行ったMilford Trackくらいしか経験がないのだから、しんどいのは当然。しかも、予想通り暑い!
しかしまぁ、さすがに楽勝ルート、後半になればなるほどなだらかになるというコース状況にも助けられ、約5hで稜線の(とはいっても標高たかだか2300m)太郎兵衛平小屋に到着。数ある山小屋の中でも数少ない「Suntory Malts」を置いている小屋ということもあり、まずは「プシュ、ングング、プハァー!」のビール三昧である。
あとは小屋から10分くらい歩いたキャンプ指定地を目指すばかりである。で、着いてみて驚いた。テントの数が少ない!公称100張り、でも実際は60くらいがせいぜいだと思われるこの指定地に、テントは25張りくらいしかない。昔は押すな押すなで、すごい傾斜地に張らざるを得ない場所だったのに…。
誰が見てもわかるとおり、近年の登山ブームの圧倒的多数は中高年によって支えられており、若い登山者の数はかつてに比べて圧倒的に少ない。おかげで山に行くと今でも「おにいちゃん、重い荷物ですごいねぇ」と、いまだにおにいちゃん呼ばわりされる。でも、このブームが去ったら(現在の中高年世代が引退したら)登山者そのものの数がぐぐーんと減ってしまうのではないかと思える。特に、20代のサラリーマン登山者なんてほとんど見られないのが恐ろしい。バイクの世界でも若者の新規参入が少ないのが気になるのだが…。若いにーちゃんねーちゃんたちは、今頃どこで何やってんだろうか。楽できれいな世界にしかいられなくなってるんだとしたらとんでもないことだぞ!(このHPには珍しく警鐘ネタですね)。