− その3 石抱&黄金温泉、そして地蔵倉ハイキング −

立て続けに共同湯に入ったあとは、ついでの駄賃として?あの石抱温泉を目指してみました。初訪問時には場所がわからず苦労した場所ではありますが、今では悩むこともなく一直線!というか、最近のパンフレットにはこの温泉の場所がきちんと載せられていますが、以前は掲載されていなかったような気が?

この石抱温泉は源泉温度が低いし(約39度)、そもそもこの日は気温も4度くらいしかありませんでしたから、入浴するかしないか一瞬ためらいました。しかし、10月の黒薙の野湯を見つけたのに入らずあとで大後悔したという前例を思い出し、車にタオルを取りに戻ったところで、この湯の所有者であるゑびす屋さんの軽トラックがデッキブラシを荷台に載せて登場。何でも、今夜のお客さんが入りたいということで掃除に来たのだとか。

「今から掃除しますけれど、2時間もすれば入れるようになりますから」というお言葉を伺い、じゃ、それまでどこかをうろうろして来るかというわけで、ここ肘折温泉の開湯に関わる「聖地」ともいえる「地蔵倉」に行ってみることにしました。その前にちょいと腹ごしらえをということで、宿から川を挟んで反対側にあるだんご屋さんで餅および団子(持ち帰り用)を購入。

温泉街からは2つの登り道があるということで、登り道にはあまり人が歩いていないと思われる上流側のルートを選択しました。歩道ははっきりしていますが落ち葉がたっぷりかぶさっていて、サクサクサクの足音が心地いいです。しかし時折吹く北風はとても冷たく、くわぁこりゃ山の上の地蔵倉はかなり寒いだろうなとちょっと不安。いつ雨や雪が降り出してもおかしくないような天気ですが、まぁ雪が降り出したら戻ればいいや。

針葉樹林の林を越えて上の方まで登っていくと、道はいつしか山腹を巻くトラバース道に。これが結構すぱっと急傾斜の斜面に続いているわけですが、道の幅は結構狭く、足を滑らせたら命にも関わりそうな登山道という感じ。これが「遊歩道」とはかなりキビシイです。

という説明には裏がありまして、実はこのトラバース道沿いには、本来それこそ数百メートルにもわたってずーっと鉄製のガードが付けられているはずなのです。右上の画像に見える四角いコンクリート部分はそのガードの取り付け穴というわけですが、もうすっかり冬支度の準備が整ったこの時期、この鉄製のガードも冬越しのため全て取り外されていたのでありました。

うーむ、「あるべきものがない」というのと「初めからない」というのとでは、精神衛生学的にも大きな違いがあります。と‥寒さ対策としてマフラーを頭に巻きすっかり「ムスリム化したおしんこどん」が、斜面の上側の地層内にある白い部分を発見!(マウスオンすると画像が変わります)。これは何だろうと‥ペロっと味覚検査開始、その結果は‥

ということが判明したのでありました(よい子の皆さんは真似しないでね)。ちなみにほんのり系の塩味でしたけれどね。それにしてもこの地層面だけがぐぐっと奥にえぐられたようになっているのは、自分たちに限らず多くの人たちが同じようにぺたぺた触ったりなめたりしてきたからかなぁ(そんなことないか)。

ちなみにこの地層あたりの岩はかなり柔らかいというか脆い砂岩系なのです。というのは、ゴール地点の地蔵倉付近がまさにそんな感じでしたのでご覧あれ。

ブータンでいえばタクツァン僧院といった感じの絶壁の下に位置する地蔵堂のあたりは、岩盤がひさしのように突き出ており、よって風さえなけれどお堂の周辺には雨が降りこみません。そしてその手前には、お地蔵さんが何体か安置されておりました。そしてその真上の岩には多くの紙が結びつけられていて、ご丁寧に五円(ご縁)玉までもぶら下げられています(右上画像にマウスオンで別画像に変わります)。何でも、この砂岩系の岩に多く開いている「穴」に紙を通して結びつけると願い事(良縁)が叶うという言い伝えがあるんだそうな。

また、上の方で書いた「肘折開湯の聖地」という表現については以下のような記述を引用させていただくこととしてっと大蔵村ウェブサイトより引用)

肘折温泉の発見は、今から約千二百年ほど前、大同二年(807)平城天皇の時代とされ、第百代後小松天皇の御代明徳二年(1391)の正月二日に、初めて温泉場として開業しました。

発見にまつわる伝説も興味深く、“昔、豊後の国(大分県)からきた源翁という老人が山中で道に迷い途方にくれていたところ、後光きらめく老僧に出会っ た。”というようなことがらが縁起書に記されています。この老僧こそが地蔵権現であり、かつて肘を折って苦しんでいたときに、この湯につかったところたち まち傷が治った、と語り、世上に湯の効能を伝えるべく翁にいい渡したとされています。以後、近郷の農山村の人々が農作業の疲れを癒す温泉場として、また骨 折や傷に有効な湯治場としてにぎわってきました。

また、老僧が住んでいた洞窟は“地蔵倉”と呼ばれるようになり、今では縁結びの神として参詣が絶えません。
ふーむ、温泉発見の由来としてよく「傷ついた動物(鹿とか鶴とか)が傷を癒しているのを見て」というのがありますが、ここでは何と地蔵様自身が傷を癒していたわけですね。お地蔵様が安置されているのも宜なるかなといったところです。しかし傷に効く温泉の紹介者である地蔵権現さまがどうして「縁結びの神」につながるのかという疑問は残ります。いや別に残ったままでいいんだけれどね(笑)。

そうそう、すぐ上に書いた「動物の湯治場」ですが、人間様がその場所を奪い取ってしまった後、傷ついた動物たちはどこで傷を癒せばよかったんでしょうか?まだ人間に知られていない「野湯を求めて三千里」を余儀なくされたんでしょうかね。社会的弱者はいつでもつらいものですな。

さてここ地蔵倉は南側に面しており、この日の北風も、そして時折降る霧雨からも安心な場所でしたので、ここでちょっとお弁当タイム。とはいえ先ほどの団子屋さんで買ってきたお団子をつまむだけなんですけれどね。



もちろん敬虔な仏教徒であるおしんこどんは、最初にお地蔵さんにお供えをいたしました。

そのあとは身体も冷えてきたしということでそそくさと山を下りることにいたしました。



すっかり冬枯れモードの山あいは、落ち葉の絨毯(じゅうたん)ロード。間もなくここも雪に閉ざされちゃうのね。

ミニハイクから帰ってきたあとは、ホントの意味で「冷えた身体を温めたい!」。というわけで今度は肘折温泉から少し上がったところにある黄金温泉へ。以前の訪問時にはカルデラ温泉館という日帰り施設に入浴したのですが、GWということもあってかなりの混雑。この日は絶対に空いているはずなのでもう一度行くのも悪くはなかったんですが、せっかくなら別の施設へということで近隣の「金生館」へ。入浴料は300円。

このお宿のウェブサイトを見ると「通信カラオケでお楽しみ下さい」というげに恐ろしいお誘いの言葉が目に入り、ある種ビビってはいたのですが、さすがに午後も早いこの時間から唸り声を張り上げておられる御仁はおられず、ゆっくり男女別のお湯をほぼ貸し切りで楽しみました。



内湯は広めですがシンプルな造り。熱い湯が掛け流されていました。



二槽に別れた露天風呂ですが、さすがにこの時期はあつ湯しか楽しめません。赤さび色の湯花が舞い上がります。

というわけで黄金温泉詣でも果たしました。となると残すは「肘折いでゆ館」と「上の湯」だけ‥いやいや、お昼前に行ったあの湯、そう「石抱温泉」を何とかしなければ!

しかし車内の外気温計は「3度」を示しており、おまけに時折吹く風は身を刺すように冷たく、よせばいいのにあられだかみぞれだかも舞い落ちてきている悪コンディション。どうしようか?いや、今さら迷うことはありません。どうせ入らなければあとで後悔するだけなんですから!

午前中に訪問したときにはごく薄く白濁していた湯は、すっかり透明になっていました(このページ最上部の画像と比較してみるとわかります)。ゑびす屋さんが掃除してくださったからでしょう。というわけで?「一番風呂」をいただきます。寒いって?いやいや、入ってしまえば(&源泉の湧き出し口あたりに身を置いていれば)結構快適です。ここではおしんこどんもえいっと入浴。

このあとは遅めの昼食をとりにお蕎麦屋さんへ。席のすぐ近くでは薪ストーブがごうごうと燃えておりました。ホントにもう冬はそこまで来てるのね。



夕食のことを考え、シンプルな盛り蕎麦を注文。でも見た目よりも量がありましたし、そして勿論、きちんと美味しかったです。

というわけで「本日の営業活動」はこれにて終了。「上の湯」はまぁ明日にしましょというわけで、夕食までの間は布団に横になりながら大相撲観戦や「明日の予定」を考えたりしてゆったり過ごします。そうそうこんなふうにのんびりする為ここに来たんだっけ、忘れてたけど(笑)。
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