− その6 三保の松原立ち寄りのあとは、うっはーまだ12月というのにイチゴ三昧 −
だってさ、こんなに美味しそうなんだもん♪
さて清水界隈に来るのは初めてなのでどこか‥と思って地図を見ていたら三保の松原ってこのすぐ近くなんですね。「羽衣の松」なんていうのもあるようで、まー海沿いの松林なんてのは別に珍しくもないんですが、「日本三景の一」であるということもありますし、それに「こういう機会でもない限りわざわざ来ることも今後なさそうだ」というわけで訪れてみることにしました。ガラガラの駐車場に車を止めて松林の中を歩いていくと‥うわーい太平洋だーい!(松よりも海ですね)。
はしゃぐおしんこどん。精神年齢の進行はどこかでストップしているようです。あ、自分もか(笑)。
ふと沖合を見ると、先ほどのフェリーが早くも土肥に向けて折り返していくのが見えます。いっつも思うんですが、フェリーのエンジンってさぞかし頑丈に作られているのでしょうね。ずーっと動かしっぱなしで何十年も活躍できる耐久性を有しているわけですからね(もちろんメンテはきっちりしているのでしょうが)。
ちなみに日本で使われていたフェリーは中古品として海外に売却されることが多く(日本では陳腐化しても海外では「まだまだ十分に使える船だ」というわけですね)、特に島嶼国であるフィリピンでは数多くの航路に日本の中古フェリーが運航されているそうです。かの国では時々フェリー事故で多くの人々が犠牲になっていますが、それらのフェリーはやはり日本のものが多く、たぶん「第二の人生(船生?)」においてはるかに過酷に使われた結果なのでしょうね。例を挙げれば、2008年6月にシブヤン島沖で沈没した「Princess of the Stars」号はもともと新日本海フェリーの「旧らいらっく」号だったそうです。
自分もフィリピンにはいつか行ってみたいと思っているのですが(東南アジア唯一の未訪問大国)、その時には多少なりともフェリーのお世話になることもあるでしょうから、そんな時はよく船内を観察してみようかな。特に非常用のライフジャケットなどは新調せずそのまま維持しているらしいので「東海汽船」などと書かれていることが大いにありそうです(笑)。ただし天気の悪いときは乗らないぞ(上記フェリーも台風時に出航して高波を受け転覆したらしい)。
さて随分話がそれちゃいましたね。さすがに身体も冷えたことだしということで、駐車場界隈で唯一営業していた土産物屋で休憩することに。行きがけに「安倍川餅」の文字を見つけて「それもいいかな」と思っていたのですが、あとで聞けばおしんこどんも同じことを考えていたのだそうな。似たもの夫婦だねー(笑)。
で、安倍川餅そのものはお茶付きでも大した値段ではなかったのですが、ここで何だか急に「じゃこ(シラス)」に心ひかれたTakemaはしっかり購入。だって何だかすごくおいしそうだったんだもん。というのも当然理由がありまして、
「お腹が空いている時にスーパーに買い物に行ってはいけない」というのは神代の頃から日本人が連綿と受け継いできた格言の一つですが(うそ)、やっぱりおいしそうに(2人とも)見えたんでしょうね(笑)。でも実際お酒のつまみにはほどよい感じで、すでにかなーり消費していますから選択としては正解だったと思われます(実は今もつまみながらタイプしているんです)。
ちなみにこのお店ですが、この時期にここ三保の松原を訪れる訪問者の絶対数は少なくても、逆に訪問者とすれば「唯一営業しているこの店に必ず目がいく」わけで、結果としてお客はかなりの確率でこのお店に立ち寄っていました。かくいうわれわれもそうですが、何だか「商売の極意」を感じましたね(笑)。みんなと同じことやってちゃダメなんですよ。
そんなわけで三保の松原をあとにします。ちなみに今回データを確認してみたら、この地での松の画像は一枚とてありませんでした。よっぽどTakemaは松に興味がなかったと思われます。羽衣の松の画像もないのよオドロイタ。
で、海岸沿いのR150を進んでいくとやたらに日本平云々の標識があります。そういえばこのあたりには徳川家康を祀る東照宮があるんだっけ。珍しく心惹かれたTakemaは、「せっかくだから寄ってみようかな」と思い国道から外れたのであります。しかし、ここからの行動はまさに急展開を見せたのでありますよ。
いざ東照宮を目指そうとしたら、正面入口界隈には駐車場が全くないんですね。というわけでちょっと横道に入ってみたところで停車。実はこの時点でTakemaは「東照宮はロープウェイで登った先にある」と勝手に思いこんでいたわけです。しかしその思いこみが「ちょっと遅いお昼ご飯」への足がかりになったわけですから、やっぱり旅というのはやめられません(何のこっちゃ)。
老人ホームの職員用駐車場に一時的に車を入れさせてもらったところでほんのわずか熟考。その内容は「こうまでして家康公に敬意を表する義理はあるのか」とかいうことではなくて、ついさっき見た小さめなビニールハウスの中にあったものだったのです。つまり‥
こうなってくると家康公なんてどうでもよくなりました(苦笑)。となれば、これだけハウスがあるんだしイチゴ狩りをやっているところもあるはず!しかし誰も通らない裏道だし案内の看板もないしどうしようと思っていたところで、ひょんな所(イチゴ段方面)からちぃちゃな子とおばあちゃん登場!(おばあちゃんもお孫さんの年齢から想像されるとおりお若いです)。てっきり農園の方かな?と思って声をかけてみると、失礼しました「イチゴ狩りのお客さん」でした。
道沿いにこんなミニビニールハウス、中には真っ赤がちらほらで「うーんこりゃもういくしかないっしょ!」という感じです。
この方に「イチゴ狩りに向かう手順」を伺い(ビニールハウス界隈では手続き出来ませんでした@ハイシーズン=2-3月は臨時事務所が出来るみたいですが)、国道沿いの直売所にてお金を支払いました。イチゴ食べ放題@2000円/人は確かに高いですが、あのですねーこの時はまだ12月末ですよ!しかも暖房を入れているわけでもなく本当の「普通のビニールハウス」にて栽培されているイチゴですからね、初めて来た&今度いつ来るかわからないエリアであることもあり、すぐさま
そんなわけでこんな紙を渡されて案内されることに。本来のシーズンスタートは元旦からということのようですが、今年は暖冬だからすでに熟した実が沢山あるからということなのか、いずれにせよありがたいことでございます。
案内されたハウスの中には‥おお、あちこちに赤く熟した実が!
中には右上画像のように「超大物」もあったりします。
ちなみに食べ放題の制限時間は30分ということでしたが、ご主人いわく「ま、本来はそうなんですが今日はいいですから好きなだけ食べていって下さい」と時間制限の撤廃を高らかに宣言して下さいました。ちなみにこの品種は「章姫(あきひめ)」というもので、「甘いんだけれど、実が柔らかめなので保ちがあまりよくないんですよ」とのこと。でも私たちは摘んでから数秒後に消費しちゃいますから傷むヒマがありませんね(笑)。また、「シーズンはじめのこの頃が一番大きい実が付くんですよ」「出荷用のハウスでは実を大きくするために摘果を行うんですが、ここは食べ放題用ハウスだからやっていません」とも。
なるほど、今の時期はシーズンの最初期ですからただでさえ大きい実が付くわけだし、まだ実そのものの数が多くはないから養分が集中して供給され、結果として右上画像のような大きい実が出来ちゃったりするわけですね。うーん、偶然とはいえこの時期に訪問したのは大正解だったかも知れんぞ(嬉)。
ところで今回、Takemaはこのイチゴ食べ放題現場に到着するや、次のような誓いを高らかに宣言していたのでありました。それは、
そう、ことあるごとに「少食」であることを主張するわれわれでありますが、しかしその一方で、このような「○○狩り」というようなイベントにおいてはなぜだか妙に気合いを入れてしまうわれわれなのでもあります。特に毎年恒例の「9月上旬巨峰狩り」はその代表格ともいえるもので、2008年はTakemaの勝利に終わったわけなんですが(詳しくはこちら(ページのちょっと下から))まあ毎年のように勝者が入れ替わる大激戦なのですよ。
しかし今回は戦いを前にしてTakemaの側から「停戦の申し出」を行いました。おしんこどんも承諾です。というわけで何とも平和にぱくーりぱくり。しかし世の中そうは甘くないのであります。われわれ2人で1つのハウスの熟イチゴを全て食べきり、次のハウスに移動するかと思われるところでTakemaから爆弾発言がとびだしました。
そう、姑息なTakemaは停戦の申し出で相手を油断させておいて、立場を圧倒的に有利なものにしようと最初から企んでいたのです(笑)。数を数えていないおしんこどんは自分がいくつ食べたかを証明する客観的なデータがありませんから、「わたしの方が多く食べた(はず)!」と言い張ることすら出来ません。あー何とセコイ、何ともみみっちいTakemaの作戦、大成功です(喜色満面)。もちろんおしんこどんからは大ブーイングをいただきましたが、それでも勝ちは勝ちだもんねーだ!(卑怯この上なし)。
結局Takemaは67個くらい食べたところで「試合終了」。たぶんおしんこどんも同じくらいは食べてるんじゃないかとは思います。あービタミンCたっぷりのお昼ご飯、おいしかった!絶対に2000円以上食べたであろうことは間違いなく、十分に堪能いたしました。
そろそろ太陽が西に傾きつつある頃においとましたわけですが、おしんこどんはこの石垣イチゴの栽培方法について熱心に?質問しておりました。わたしらの世代は「久能山の石垣イチゴ」というのを小学校(中学校?)の社会で習った記憶があり、つまりはそれだけ歴史のある特産品であるわけですが、やはりここでも就労者の高齢化が進みつつあり、ハウスの数も少なくなってきているんだとか。なるほど、ご主人が指さした山の上の方には「元はハウスが並んでいたと思われる草地の斜面」が広がっていました。頑張れ石垣イチゴ!
そんなわけで久能山を後にしたわれわれ、このあとは一気に奈良の葛城市へというわけで、千葉から奈良までなぜか2泊3日もかかるという超スローペースの帰省はこれにて完了です。しかぁし湯めぐりまでもがこれで終わったわけではありません!奈良に来たのならやっぱり奈良の湯に行っちゃいましょってことで。
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