− その9 ここまで来たらアプト路線の井川線に乗らなくちゃ(1) −



ただ今高さ70.8mの関の沢鉄橋上にて列車は観光停車中です(笑)。ああ、ここにバンジージャンプサイトがあったら(笑)。

さて、翌朝は寸又峡温泉から来た道を戻るのですが、前の方のページで書いたとおり途中の井川線奥泉駅前で下車し、ここからはアプト式鉄道区間を持つ井川線に乗り込んでさらに山奥を目指すのであります。

この井川線はもともとダム建設のために建設されました。最初の区間の開通は昭和9年ということですからもうもうずいぶん昔ですね。ちなみに昨日お散歩した寸又峡方面にも別の路線(千頭森林鉄道)が延びていたらしく(寸又峡温泉よりもずっと奥のダムまで)、かつては寸又峡まで温泉客を運んでいた時代があったのだそうです。1968年に全線廃止されてしまったようですが、せめて寸又峡までの区間を残しておけば、かなりの観光資源にもなったのに‥(まぁ、安全面でのいろいろな問題があったのだとは思いますが)。

そんなわけで奥泉駅到着。あれ、駅方面に向かうのはわれわれだけ?(結局奥泉駅発車時点での乗客は3組7人だけでした)。



うわー背が低くてちいちゃな機関車&客車ですねー。でも。

車体は小さくても線路の幅はJRと同じ1067mmなんですねこれが。大井川本線との直通運転を考慮して途中で(とはいっても昭和11年)改軌されたそうなので、ある種「広めの踏ん張り、うわものは小さく軽くて安定感バツグン」といえるかも知れません(もっともカーブがきついこともありスピードはほとんど20km/hちょいまでしか出しませんが)。

おしんこどん写真を撮っていたら、本日の始発列車が入線してきました(左上画像)。で、最初は編成途中の車両に乗り込もうと思っていたのですが、駅員さん(あとで気づいたら車掌さんでした)が、

ということでさっさと先頭車両に。せっかくなら一番前にしようかどうしようかというところで後続のお客さんがやってきて、結果的にはあたふたと最前列の座席をキープした次第です。子ども連れの4人家族もおられましたがスミマセン。帰路はこの特等席を譲りますから‥と思っていたのですが、終点からの折り返し列車にはこの一家の姿はありませんでした(ゴメンね少年)。

また、もし彼らが乗ってきたとしてもかの少年は落胆したに違いありません。というのもこの列車は機関車を千頭側に配置した固定編成であり井川での機関車付け替えは行いません。つまり、

のであります(これって、お子さんのみならず「鉄ちゃん」にも重要な情報ですので念のため)。しかしそれはともかく、この編成にはある種の「お楽しみ車両」がありましたっけ。それについてはあとでご紹介しましょう。

列車が走り出してしばらくのところで、おしんこどんが鋭くこう言葉を発しました。

Takemaの側からは見えない位置のようだったのでおしんこどんにデジカメを渡しましたが、いかんせん動いている車両の窓からの撮影(しかも暗い林の中だった)ということでブレた画像しか撮影できませんでした。しかし灰色系の色合いからみるにたぶん間違いなくカモシカでしょう。

おしんこどんの声に子どもたちも色めきたって左上を確認し、見ることができたようです。ただ、あとで運転士さんが「何か動物見られたかな?」と聞くと少年が「カモシカ!」と嬉しそうに返答したわけなのですが、運転士さんは「ふーん、そう‥」。何だか素っ気なかったな(笑)。たぶん運転士さん自身の視界には入らなかったので「ホントかなぁ?」という疑心暗鬼もあったと思うのですが、いや、ホントにいましたよかなり側方上方に!(もっとも運転中あの角度までよそ見することはできませんからしょうがない話なのですが)。

はしろことしばしでアプトいちしろ駅に到着。ここからはアプト区間専用機関車を増結し次の長島ダム駅への急坂を乗り切るわけです。あ、何じゃそのアプトって?という方はこちらをご覧下さいませ。

もともとこの井川線はアプトに頼らなければならない超急坂区間はなかったのですが、昭和53年、井川線の沿線区間に長島ダム建設の事業計画が確定すると「高さ90mのダムを乗り越える急坂対策」として、かつての信越本線碓氷峠区間にしかなかった(しかも1963年に廃止されていた)アプト式路線とすることが決まったわけです。日本では2例目、そして現在では唯一の「歯車をかみ合わせて登る」アプト式路線となれば、やっぱりここまで来て乗らない選択はありませんよねー。

専用機関車の側面には「俺はアプト専用だぜぃ!」と自己主張するかのごとくアプト式の絵がペイントされています。線路上にももちろんそのギザギザ歯が並んでいるのですが(歯は横並びではなくずらしてあるのですね)、肝心の機関車側の歯車は台車に隠れて見えませんでした。企業秘密というわけではなく設計上の都合なのでしょうが見たかったなぁ(初めてだし)。

真横から見た機関車は「でっかいなぁ、スゴイなぁ」という感じでしたが、こうして今見てみると妙にスリムというか幅が狭くてちょっと違和感がありますね(左上画像、Takemaの頭のあたりに客車屋根が見えているのを考えれば、その「幅狭感」がわかるでしょうか。要は普段われわれが見ているJR車両を高さはそのままで幅だけ狭くしたイメージなんです。幅は右上画像を見てもらえればわかるとおりですからね(ちなみにホーム高さが低いので高めに見えていると思いますが、乗降時には頭をかがめないと痛い思いをするレベルです=同乗の男性はガツン!とやってました)。

さてそんなわけでアプト区間スタート!

この区間の勾配は90.0‰(パーミル)。これがどのくらいの傾斜角度かというと「水平距離1000mで90m上がる」レベルということで、車ならもちろんのこと人間であっても大した坂道ではありません(今調べてみたら、Takemaの出身高校正門前の坂の傾斜角は700‰(パーミル)だそうで、確かに山岳部時代にロードランでさんざん疲れてきたあとに登るあの坂はきつかったなぁ(30年近く昔のことをしみじみ述懐)。

しかし鉄道の場合はこの傾斜(90.0‰)がすでに生やさしいものではないのです。そもそも「ゴムタイヤとアスファルト路面 vs 鉄輪と鉄線路」の摩擦係数の違いはわれわれ素人でもあまりにわかりやすいくらいですよね。秋口には「ヤスデを踏んだ列車が坂を登れず云々」というニュースが、長野の小海線とか最近目にしたところでは指宿枕崎線なんかでもありましたよね。というわけで‥

しかし鉄道の歴史は「坂道をどう克服するか」の歴史でもありました。ここ井川線のアプト式もそうですが、ふと思えばケーブルカーなどは「そ、それぞれの車両をワイヤーで結んじゃうってズルイ!」と思ってしまうほどに急傾斜の移動を可能にしているわけですから(しかしあれに乗るたびに「このワイヤーが切れたら‥」と内心ビクビクしちゃいます(笑))。

しかしアプト式は専用車両&設備の維持管理はもちろんのこと諸般の車両通過制限事情も生じることもあり(Wikipediaで見たんですが、アプト突起の高さによりディーゼル車両で一世風靡したキハ58系は碓氷峠通過不能だったそうな)、列車本数の多い幹線では明らかなボトルネックになることは間違いないですね。しかしここ大井川鐵道井川線では‥

工事費用&期間のかかるループ線よりもある種「手っ取り早い」アプト線採用はこの場合大正解です。ループ線だったらどんなに工事期間が伸びたことでしょう(このアプト路線は決定後5年で完成&運用開始)。それにしても規模があまりにも違うにしても今の公共工事(道路とか新幹線とか)に比べ完成までのスピードが早いこと!最近の中国の工事をホーフツとさせますね(かのお国は国策が最優先であることと全国土はあくまで国有地であることから上から時に強引に押しつければさっさと片が付くようです=それもまたそれでイロイロ)。

そのことについてはまぁともかくとして、とにかく列車はどんどん進んでいきます。開通当時からの路線部分はカーブもきつく、キーキーと車輪が悲鳴を上げながら曲がって行くのですが(東京メトロでも古い路線は今でもそうですね。日比谷線とか)、あとから付け替えられたダム部分界隈の線路は直線も多くカーブも緩やかで路盤も立派。このギャップは鉄ちゃんにとって井川線最大の楽しみだといえるのかも知れません(上画像は新線部分のダム湖越え橋梁部)。



トンネルも多いです!千頭−井川全区間で61本のトンネルがあるそうです。

一部のマニアの方々には有名な「奥大井湖上」駅からは2名が乗車しましたが、次の接阻峡温泉(それにしてもスゴイ名前です)で降りていきました。この朝一番であの駅にいるってどこからきたんでしょ?

そして列車は尾盛−閑蔵駅間にある「関の沢橋梁」へ。Wikipediaでは高さについて「100 or 71m」と併記されており、個人のウェブサイトでは100m説と70m説とがそれぞれ混在していますが、車内アナウンスでは「70.8m」と言っていたのでそれに従いましょう。それに、Takemaが上から見た限りではあれは100mはなさそうです。だってわたしは‥


(ただし「上から飛んだ」ことはこの場合ほとんど意味なし芳一ですが(笑))。

それにしてもこの橋の上で列車が停車し、「どうぞ窓の外から下をのぞいてみてください」と言われて左上画像のような景色を見たときには、タイの北にある某国のあの鉄道橋を思い出しちゃいました。あちらは軍事政権下ということもあり橋梁は撮影禁止だったんですがついつい‥海外旅行記ページでもWmv形式でこっそりアップしてましたが、あくまで「比較のため(他意はない)」ここに出してみましょう(笑)。いや他意はないんですって他に何の意味が?(苦笑)。ちなみにかの国とはミャンマーです!
【2021追記】

その後ミャンマーの状況も変わり、2016年訪問時には鉄道施設の撮影も問題なくOKになっていました。かのゴッティ鉄橋もまったく問題なく撮影OKで時代は変わったなぁと。なお2016訪問時のページはこちらです。
【井川線往路動画ダイジェスト】
ちなみに鉄橋上で列車を止め、客室側の窓を開けた運転士さんは結構饒舌&正直な方でして、前述のカモシカ云々もそうでしたが、ちょっと話しているうちにこの井川線の「意外な現実」についてもお話し下さいました。ええっ、そうなの?

この井川線は前にも書いたようにそもそもダム建設のために建設されたわけですが、現在はもちろん観光鉄道として(大井川最奥部に居住する一部住民の足でもありますが)運行されているわけです。で、この日(12/28)は確かに閑散期とはいえ全乗客7名とは少ないなと思っていたのです。しかし!

え、ええっ?(ぶったまげ驚)。もちろん紅葉などの繁忙期には押すな押すなの大混雑満員電車となるのでしょうが、7人で「今日は多い方‥」とは、それで経営は成り立つんでしょうか!しかもアプト路線など設備維持のための固定費もかなりかかるでしょうし、やっていけるのでしょうか大井川鉄道!

そう思ってちょっと調べてみたところ、「思いもかけなかったながら言われてみればさもありなん」系の事実が判明しました(別に秘密事項の漏洩じゃないですが)。それはつまり‥

ということなのですね。なるほど、そうでもなければ路線の維持は甚だ困難でしょうから‥。

さて、井川ダムが見えてくるといよいよ終点の井川駅に到着となります。かなり狭い場所にちょっと無理矢理系でしつらえた駅という感じではありますが、もともとここに至るまでの沿線の地形を見れば、よく平らな場所を確保できたものだとある種感動(笑)。

改札口方面へと歩いていくと、途中駅で増結した無蓋貨車が。何も積んではいませんでしたが、この時期は(閑散期だからか)沿線で工事が多く行われる関係でこのような編成になることもあるのだとか。ちなみにこのあと切り離されたのか、復路編成からはその姿が消えていました。

右上画像では橋の奥のトンネル入口に機関車が止まっているのが見えます。もともとこの鉄路は井川からさらに奥の堂平まで延びていたのですが、旅客営業はしなかった(のかな?)まま廃止されたようです。

先ほどの家族連れは井川湖の無料渡船に乗りに行ったそうです。そんなのがあるとは知らなかった!さすがに時間的問題から断念しましたが、あのお父さん、かなりマニアックな下調べをしてきたようですね(笑)。というわけで、せめてダムサイトまで行ってみることにしましょう。
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